「 猫を抱いて象と泳ぐ」

伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの密やかな奇跡。

小川洋子 より引用


 






『博士の愛した数式』、『ブラフマンの埋葬』(泉鏡花文学賞)、『ミーナの行進』(谷崎

潤一郎賞)など名作を産んできた小川洋子氏がチェスを題材にした寓話が本書である。

自ら成長を止めて、チェスのからくり人形の中に入り次々と美しいチェスを指し続ける

主人公の心の動きを丁寧に表現した感動作である。ただ、主人公リトル・アリョーヒン

の内面の美しさが故に、主人公の名前に違和感を持ってしまった。実在した「盤上の

詩人」第4代チェス世界チャンピオンのアリョーヒンの棋譜は確かに感動を受けるが、

一人の競技者としては、カパブランカニムゾヴィッチという最大の最大のライバル達

との対戦を常に拒否し、自分より格下の相手とだけ選手権を戦っていた負のイメージが

常につきまとう。小説の主人公、リトル・アリョーヒンも実在したアリョーヒンもチェスでは

「盤上の詩人」ではあるが、その内面は余りにも違いすぎる感じがしたからだろう。



勿論、これは一般読者を対象にした作品であり、読者の殆ど誰も実在したアリョーヒン

を知らないことはわかってはいるが、著者にチェスを教えた方が、アリョーヒンが背負っ

ている負のイメージも教えてあげたなら別な選択もあったかも知れない。ただ、実在し

たアリョーヒンの棋譜はエイベの言うように「我々を耽美の世界」にいざなう芸術作品

であることは確かなことなのだ。

(K.K)



第4代チェス世界チャンピオン、アレクサンドル・アリョーヒンについて詳しくはこちら




チェス漫画「クロノ・モノクローム」磯見仁月 全5巻 も参照されたし。


 



「謎のチェス指し人形『ターク』」トム・スタンデージ著 服部桂・訳 NTT出版 より以下引用



1770年、ウィーンで常軌を逸した発明がベールを脱いだ。通称「ターク(トルコ人)」というロボットは、

世界第一級のチェスの指し手だった! 本書は、チェスチャンピオンを打ち負かし、ナポレオン

エカテリーナ女帝をも驚かせたこのロボットのたどった歴史を追う。そして、ロボットの正体が明らか

になる!



“知能”とは何か? この謎に取り憑かれた者はみな、18世紀の機械仕掛けのトルコ人を夢見る。

驚嘆するほどチェスは強く、腕を動かし駒を掴み、ときには会話さえしてみせた。ことば、身体、そして

ゲーム。彼こそ人工知能・ロボット学のルーツであり、ミステリーとSFの源泉である。イリュージョンこそ

真の知能なのか・・・きびきびとしてサスペンスフルな筆致が心地よい。本書の刺激は、必ずや未来に

新たな魔人を産み出すだろう。


瀬谷秀明(作家) 本書・帯文より引用







本書より引用


リトル・アリョーヒンが間違いなくこの世に存在したというほとんど唯一の証拠である棋譜は

今、チェス博物館に展示されている。ミイラが手品師の父親と訪れた、海辺の高台に立つ私営

チェス博物館である。二階の一番奥、ケース番号U-D、ナツメヤシの種でできた世界一小さな

チェスセットの隣がその定位置で、ガラス越しに誰でもそれを目にすることができる。かなりの

年数を経て紙は変色し、インクも薄くなってはいるが、ナツメヤシのチェスセット用に添えられた

虫眼鏡を使えば、一行一行すべて正確に読み取れる。展示ケース脇のパネルには、次のよう

な説明文が刻まれている。



『ビショップの奇跡』



自動チェス人形“リトル・アリョーヒン”と、国際マスターS氏との対局による棋譜。あまりにもエ

レガントで思慮深いビショップの動きから、いつしかこう呼ばれるようになった。十八世紀、ヴォ

ルフガング・フォン・ケンペレン男爵によって作られたチェスマシーン“トルコ人”が、その生涯を

マリア・テレジア、ナポレオン・ボナパルト、ベンジャミン・フランクリン、エドガー・アラン・ポーな

ど、有名人との関わりによって華々しいものにしているのに比べ、“リトル・アリョーヒン”の一生

は実に控えめなものであったと言わざるを得ない。その主な理由は、人形の活動がチェスの表

舞台から外れた限定的な場所にとどまっていたためと考えられる。もともと製造に手を貸したの

は、パシフィック・チェス倶楽部の関連組織であるとされているが、これもはっきりしたことは分

かっていない。パシフィック・チェス倶楽部の記録に、自動チェス人形に関する記述、棋譜、写真

の類は一切残っていない。



実際対局した人物も、前述のS氏をはじめほんの数人しか明らかになっていないが、彼らの証言

を総合すれば、名前のとおり人形は盤上の詩人と謳われたグランドマスター・アレクサンドル・アリ

ョーヒンの風貌に似せられて作られており、右手に斑模様の猫を抱き、左手で指していたらしい。

人間と全く同じに左手で駒をつかんで目指す升目まで動かし、白黒どちらの駒でも不都合はなく、

また相手方の手を読み上げる者がいないにもかかわらず盤上の状況を常に正しく把握していた。

ただ、相手の駒を取る時にだけ、記録係が手助けをしたとされている。記録係の肩にはなぜか白

い鳩が載っていたという証言もあり、その鳩が人形のトリックと何かしら関係があるのではないか

との見方もされている。しかしS氏を含め証言者の全員が故人となり、更に人形のすべてが失わ

れてしまった今、検証する術はない。



ただはっきりしているのは、彼ら全員が“リトル・アリョーヒン”との対戦を、生涯でベストの一局と

断言していることである。人形の謎以上に不思議なのは、それを操作していた、つまりチェスを指

していた人物である。その人物は当然、チェス盤を兼ねたテーブルの下に潜り込んでいたと想像

されるが、テーブルは五十センチ四方ほどの大きさしかなく、とても大人が長時間隠れていられる

スペースはなかったと思われる。だが、『ビショップの奇跡』を見ていただければ分かるとおり、これ

は決して子供に指せるチェスではない。しかも子供の身体はどんどん大きくなる。多くのチェス愛好

家、研究者がこの謎を解き明かそうと試み、一応、特殊な身体的条件を持った人物が操作してい

たのだろうとの推測を立てている。



“リトル・アリョーヒンン”最期の地は老人専用マンション・エチュードであった。思いがけずチェス

連盟と関連の深い場所でありながら、事実上連盟は人形の実態解明及び保存に何の役割も

果たせなかった。“リトル・アリョーヒン”がマンションに設置されていた期間が二年足らずだった

ということもあろうが、やはり、エチュードがもはやチェスの世界の中枢から置き去りにされた

人々の住処でしかなかった、という事情も無関係ではないだろう。(現在エチュードは取り壊さ

れて廃業)



エチュードでの不幸な事故により、偉大な才能の持ち主である“小さな”誰かは人形の中死亡。

“リトル・アリョーヒン”と共に火葬にされた。最後に、この貴重な『ビショップの奇跡』収蔵に当た

り、ある一人の女性の尽力があったことを添えておきたい。本人の強い希望により匿名とさせ

ていただくが、若い頃、とあるホテルで、“リトル・アリョーヒン”に関わる仕事をした経験を持って

いる女性である。一時期行方不明になっていた『ビショップの奇跡』を、手を尽くして捜し出し、

その安住の地として当博物館を選んで下さった。しかも展示場所は、世界一小さいチェスセット

の隣、とのご指定であった。



“リトル・アリョーヒン”を操作していた人物について知りたい人々が彼女の元を訪れ、数多くの

質問を投げ掛けたが、答えはいつも決まっていた。「アリョーヒンの名に相応しい素晴らしい

チェスを指しながら、人形の奥に潜み、自分などはじめからこの世界にいないかのように振

る舞い続けた棋士です。もし彼がどんな人物であったかお知りになりたければ、どうぞ棋譜を

読んで下さい。そこにすべてのことが書かれています」


 


Category: Board Games







麗しき女性チェス棋士の肖像

チェス盤に産みだされた芸術

毒舌風チェス(Chess)上達法

神を待ちのぞむ(トップページ)

チェス(CHESS)

天空の果実