「 猫を抱いて象と泳ぐ」
伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの密やかな奇跡。
小川洋子 より引用
『博士の愛した数式』、『ブラフマンの埋葬』(泉鏡花文学賞)、『ミーナの行進』(谷崎 潤一郎賞)など名作を産んできた小川洋子氏がチェスを題材にした寓話が本書である。 自ら成長を止めて、チェスのからくり人形の中に入り次々と美しいチェスを指し続ける 主人公の心の動きを丁寧に表現した感動作である。ただ、主人公リトル・アリョーヒン の内面の美しさが故に、主人公の名前に違和感を持ってしまった。実在した「盤上の 詩人」第4代チェス世界チャンピオンのアリョーヒンの棋譜は確かに感動を受けるが、 一人の競技者としては、カパブランカやニムゾヴィッチという最大の最大のライバル達 との対戦を常に拒否し、自分より格下の相手とだけ選手権を戦っていた負のイメージが 常につきまとう。小説の主人公、リトル・アリョーヒンも実在したアリョーヒンもチェスでは 「盤上の詩人」ではあるが、その内面は余りにも違いすぎる感じがしたからだろう。 勿論、これは一般読者を対象にした作品であり、読者の殆ど誰も実在したアリョーヒン を知らないことはわかってはいるが、著者にチェスを教えた方が、アリョーヒンが背負っ ている負のイメージも教えてあげたなら別な選択もあったかも知れない。ただ、実在し たアリョーヒンの棋譜はエイベの言うように「我々を耽美の世界」にいざなう芸術作品 であることは確かなことなのだ。 (K.K) 第4代チェス世界チャンピオン、アレクサンドル・アリョーヒンについて詳しくはこちら チェス漫画「クロノ・モノクローム」磯見仁月 全5巻 も参照されたし。 |
「謎のチェス指し人形『ターク』」トム・スタンデージ著 服部桂・訳 NTT出版 より以下引用 1770年、ウィーンで常軌を逸した発明がベールを脱いだ。通称「ターク(トルコ人)」というロボットは、 世界第一級のチェスの指し手だった! 本書は、チェスチャンピオンを打ち負かし、ナポレオンや エカテリーナ女帝をも驚かせたこのロボットのたどった歴史を追う。そして、ロボットの正体が明らか になる! “知能”とは何か? この謎に取り憑かれた者はみな、18世紀の機械仕掛けのトルコ人を夢見る。 驚嘆するほどチェスは強く、腕を動かし駒を掴み、ときには会話さえしてみせた。ことば、身体、そして ゲーム。彼こそ人工知能・ロボット学のルーツであり、ミステリーとSFの源泉である。イリュージョンこそ 真の知能なのか・・・きびきびとしてサスペンスフルな筆致が心地よい。本書の刺激は、必ずや未来に 新たな魔人を産み出すだろう。 瀬谷秀明(作家) 本書・帯文より引用 |
本書より引用
リトル・アリョーヒンが間違いなくこの世に存在したというほとんど唯一の証拠である棋譜は
|
April 2013 ~ Chess Magazine Black and White
「激闘譜 シュタイニツからフィッシャーまで 歴代チェスチャンピオンからの珠玉集」 マックス・エイベ著 松本康司訳 より引用 アレクサンダー・アリョーヒンは1892年モスクワで裕福な貴族の子として生まれました。 9才のときピルスバリイの一局を見て感動した彼はこのゲームに“捕われ”てしまいま す。4才年上の彼の兄がチェスの遊び方と上達法を教えました。そしてすぐに彼は手紙 によるチェスを上手なプレーヤーと始めました。彼のチェスの才能はこんなに小さなとき にすでに現われていたのです。彼は名人達のゲームを果てしなく検討することにも熱中 しました。また、“新時代”という新聞のチェス欄の筆者であるチゴリンの全局を研究、彼 は一歩一歩チェスに全身を打ち込むことになったのです。 1908年、15才の若冠で国際大会にまみえることになり、デュッセルドルフ・トーナメントで は4〜5位。そして幾多の勝利をおさめました。このあと、ハンブルグやカールスバットの 諸トーナメントに参加しましたが結果は思わしくありませんでした。しかし、1912年のストッ クホルムと1913年のシュヘーフニンゲンでは優勝をしえいます。アリョーヒンは教育のあ る人として、ほとんどの時間をチェスに捧げたのにも拘らず、いろいろなことに興味を持 ちました。まだ小さな子供のときから彼はフランス語とドイツ語を習い上手に話しました。 革命後の1920年、彼は司法長官となり、裁判や複雑な刑事事件の解決に比類のない 才能を発揮しました。 1921年、夏ほとんどGMの最高位に到達したアリョーヒンはソ連を離れ、世界ちぇンピオ ンに挑戦するためのパトロンさがしに世界周遊に出ました。1922年8月、アリョーヒンは 新世界チャンピオン、カパブランカと一緒にロンドン国際トーナメントに参加、カパブラン カに次いで2位となり、新しい挑戦者に足るプレーヤーが出現したことを示しました。しか し1924年のニューヨーク大会ではラスカー、カパブランカに上位を奪われ、3位に甘んじ なければなりませんでした。これは彼にしてみれば生涯の不覚、ラスカーに“アリョーヒン は大きな問題だ。彼はまだ上達が終わっていない”といわしめました。勝敗は別として、 棋譜を分析してみると、アリョーヒンはまだ自分の棋風の中に欠けているものがあること を悟りました。 猛勉強、そしてこのあとの成果はすばらしいものでした。パリ、ベルリン、バーデン・バー デン、ヘイスティング、バーミンガム、ブエノス・アイレスそしてスカルボロ 彼にとって忘れ ることのできない優勝の数々。1927年のニューヨーク・トーナメントで、アリョーヒンが半点 差でカパブランカに優勝をゆずったとき、来るべき両者の対立は、衆評はアリョーヒンに やや分があるということでした。このときのアリョーヒンの感想に曰く。「カパブランカにどう やったら6局も勝てるかちょっと考えつかないことだ。だけど彼だって一体どうやって自分 に6局も勝つつもりだろう。」 試合はブエノス・アイレス。2ヶ月半というものはこのブエノス・アイレスの市民は2つのチェ スの巨人がぶつかり合うのを見守りました。チェス界で巨億の金よりも価値あるもの チェ スの王座を緒しての大試合。この年1927年、アリョーヒンの夢は現実のものとなり、18.5対 15.5をもって彼は4人目のチャンピオンとなりました。1924年および1934年、彼はボゴリュー ボフの挑戦を15.5対9.5および15.5対10.5でかえり打ちに打ちとりました。1933年しかし彼は エイベに14.5対15.5の1点差で破れ王座を追われました。この一打によって彼は本来の力 量をとりもどすはげしい努力に入りました。あんなに好きだった酒も煙草もやめました。そし て1937年、エイベとのリターン・マッチでチャンピオンを奪還し、1946年この世を去るまで王 座を保守しました。 アリョーヒンは全部で92回競技会(オリンピック5回)に参加し半数以上の49回も優勝さらに 13回同率優勝をとげています。更には24回のマッチのうち17勝4引分。敗れたのはエイベ との敗戦を数えてわずか三回でした。 “アリョーヒンの業績の秘密は何か?この驚異の才能の開花に心理的その他の因子が働 いたとして、それは何か” タルタコワはこう書いています。 1 先ず第1にアリョーヒンにとって、チェスは真の科学であり、これを全身全霊で愛したこと。 2 アリョーヒンの寛大な心と博学博知。 3 底知れない思想ゆたかさ 4 自己完成への絶えざる努力。(エイベやグリュンフェルトのように緒変化を編集する方式 ではなく、テーマと狙いと手筋を創意にもとずいて再構成して行くというやり方。) 5 彼の着手原理は“一手ごとに対局相手に問題を提起する”こと。 6 一局一局の勝敗に動かされることなく、すべての成果を次ぎの向上のための一つの行動 と考え、一歩一歩向上に役立てた。 アリョーヒンの生涯はまさに成功の頂上に至るつづれ折りの山道を登りつめた姿である” アリョーヒンのさん然として幽玄な名局の数々はこうして生まれたのです。アリョーヒンの名局 を並べ返すにつけ我々を耽美の世界に誘い込みます。 |
「チェス戦略大全T 駒の活用法」 ルディック・パッハマン著 小笠誠一訳 評言社 より引用 カパブランカの伝説が長続きしなかったことやチェスの死滅へ導く予言が実現しなかったの は、チェス史上最高の天才、すなわち偉大なアレクサンダー・アリョーヒン博士(1892〜1946) の寄与するところが大きい。彼はシュタイニッツの教えを深く徹底的に研究し、局面に対する 優れた洞察力とともに完成された指し方を披露した。彼はラスカーのむずかしい概念を初め て理解し、また相手の性格を考慮することを学んだ。しかしこれらの優れた条件は世界選手権 での勝利を必ずしも約束するものではなかった。アリョーヒンは驚異的な創造力とコンビネー ションに対する信じがたいほどの直感を兼ね備えていた。彼は勝利のなかにも美を求めた。 そして危険を恐れずに、テクニックのうえに自らの直観力が必要とされる複雑な局面に取り組 んだ。彼はチェスには超自然的な側面があり、常識的な原則を超えた人知の及ばぬところが あることを見出した。知識や経験だけでは不十分であり、創造力が資質として必要とされたの である。 アリョーヒンはチゴリンの伝統を受け継いぐ真のチェス・アーティストであった。彼は1927年の 世界選手権で歴史的な苦闘の末に、カパブランカを倒した。それはテクニシャンに対するアー ティストの勝利であり、手法に対する直感の勝利であった。アリョーヒンの勝利は重要である。 なぜなら、チェスが停滞すると論争されるなか、アリョーヒンの勝利はこのチェスというゲーム が死滅するどころか無限の可能性を秘めていることを示したからである。アリョーヒンの試合 は理論と実践への創造的なアプローチの先駆をなしている。 |
「白夜のチェス戦争」 ジョージ・スタイナー著 諸岡敏行訳 晶文社 より引用 フィッシャーとおなじように、アレクサンドル・アリョーヒンは、あきらかに世界最高の偉大な 棋士を自認していた。「余が者みな支配する」 今日生きていたら、なおかれの優越が証明 されただろうとは、おおくのひとが主張するところである。かれは1892年にモスクワで生ま れ、革命のあとパリに移住して、フランスの市民権をとった。うたがいなく、アリョーヒンの生 涯をもって、世界チェスにはじめてロシア人の足跡をしるすことになったといえるだろう。こ れは、ロシア人棋士が近代チェスをとおしてずっと君臨してきたという印象をうけやすいた め、はっきりさせておいてもわるくない。事実はそうではないのだ。19世紀には、ロシアの カルル・ヤエニシュとアレクサンドル・ペトロフ、チゴリンはたしかに世界チェスの名人であっ た。アリョーヒンにしても、アキバ・ルビンステーインの影響と挑戦をうけて育った。が、かれ じしんの功績を待つまでは、じっさい1940年代の末までは、ロシア人棋士とチェスのロシア 流派は国際級の競技会を席巻していなかったのである。アリョーヒンはソビエト体制のにが にがしい敵であり、支離滅裂なナチびいきとして生涯をおえた。そのひとまえでの行状は、 ともすれば病的に近くなった。いたましくも浅ましいエピソードが晩年にはついてまわった。 かれの試合には、それとは対照的に、ならぶもののない美しさがある(“輝き”とか“美しさ” はチェス競技のもつ芸術的側面であり、おおくの棋士をその虜にしてきた)。「かれは詩人 なのだ」 オランダのマックス・エイベ博士は、1935年に世界タイトルをかけてアリョーヒンを 破り、この過去の栄光が、7月上旬のレイキャビークにおける統轄者としてのかれの役目 と密接なかかわりをもつことになるのだが、こう書いている。「かれは絵葉書にして家におく れとは到底ひとにすすめられないようななにかから芸術作品を創造する詩人なのだ」 初期 の競技ではカパブランカにほとんど手も足もでなかったが(1914年のベテルブルグにおける 大敗が、それをしめす)、1927年のブエノスアイレスの持久戦で、アリョーヒンはこのキュー バの巨人を圧倒した。1937年にはエイベにさらわれた王位を奪還して、1946年のその死ま でもちつづけた。アリョーヒンの戦略の創意にとむ美しさは、一部の対戦者を本来よりもずっ と偉大な芸術家にしてしまうほどだった。1923年に〈キングのインディアン防御〉で英国のF・ D・イエイツにとりこぼしたあと、カールズバッド・ホテルの自室でアリョーヒンが調度をこなご なにたたきこわしたというのは、さもありそうなことである。が、ラインフェルドが指摘するよう に、試合じたいは「空前のもっとも輝かしい棋士が勝ちとった、もっとも美しいもの」なのだ。 Alexander Alekhine vs Frederick D Yates Karlsbad 1923 ・ King's Indian Defense: Fianchetto. Karlsbad Variation (E62) ・ 0-1 alekhine_yates_1923.pgn へのリンク |
「楽しいチェス読本」 ロフリン著 日本チェス協会訳編 ベースボール・マガジン社 より引用 全生涯を通じて、チェスの王座を獲得することが唯一の念願であったというこのロシアの 非凡なプレーヤー、アレクサンドル・アリョーヒン(1892〜1946)は、1920年代の輝かしい 業績によって、彼はカパブランカと最高位を争う権利を手にしたのです。無敗のプレーヤ ーとしてのカパブランカの名は、彼に強い心理的な圧迫を与えていましたが、この試合が たんに2人の勝負という個人的な性格だけでなく、チェスの発展がかかっているということ も深く理解していました。世界中のプレーヤーたちが、1試合ごとにその結果を興奮して 待っている姿は、この対戦の歴史的意義を象徴していました。 第1戦から、早くもセンセーションがまきおこりました。黒のアリョーヒンは、フレンチディフェ ンスで応戦していましたが、相手のミスを利用して43手目で勝利をつかんだのです。その後、 カパブランカは10試合終了時点で、2勝1敗7引き分けとリードしていましたが、11、12試合で 手痛い敗北を喫し(これは彼の人生においてはじめてのことでした)、そして8つの引き分け の後、21試合目での敗北が致命傷となりました。戦いは続き、最後の34試合目をアリョーヒ ンが勝ち、6勝3敗25引き分けという結果で古今未曾有の対決に幕がおりたのです。 世界チャンピオンの座について以来、アリョーヒンはタイトルを保持し続けました。彼は生前、 87の競技会に出場し、62回の優勝をなしとげています。アリョーヒンの特徴について語るに は、まず第1に、理論、実践、心理といったチェス全般における彼の才能を指摘しておかなけ ればなりません。アリョーヒンスタイルといったものはありませんが、チェス技術とコンビネー ション構想の最高段階にあったといえるでしょう。1935年、アリョーヒンはオランダのエイベに 8勝9敗13引き分けで破れ、タイトルを奪われましたが、2年後に10勝4敗11引き分けでタイト ル奪回に成功しています。試合後、エイベは「チェス技術において、アリョーヒンに匹敵する プレーヤーはいない」と述懐したということです。 |
「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」 ガルリ・カスパロフ著 近藤隆文訳 NHK出版 より引用 世界チャンピオンはしばしば対を成して登場する。偉大なキューバ人チャンピオン、ホセ・ カパブランカのことを思い浮かべたら、アレクサンドル・アリョーヒンのことを考えずにいる のはむずかしい。カパブランカは1921年、ハバナでの決戦で初老のエマーヌエル・ラスカー に圧勝して第三代世界チャンピオンになった。“カパ”は無敵と思われ、10年間に1敗しか 喫しなかった時期もある。 ところが、彼は王冠を6年しか保持できず、1927年にブエノスアイレスでアリョーヒンに奪わ れることになる。動かぬ山はロシア人の破格の才気と鉄の意思によって動かされた。つづ く10年間、再試合を求めるカパブランカの努力もむなしく、アリョーヒンは二度とキューバ人 と対戦しようとしなかった。一方でアリョーヒンは格下エフィム・ボゴリューボフ(アリョーヒン と同じロシアからの亡命者)の挑戦を二度にわたって退け、その後オランダのマックス・ エーヴェとの対戦で“事故”に見舞われ、2年間タイトルを明け渡している。1946年、世界最 高のプレーヤーであった時代はとうに終わっていたものの、アリョーヒンはタイトルを保持 したまま死去した唯一のチャンピオンとなった。現在、ふたりはそれぞれが確立した棋風 の究極のシンボルとして存在する。よどみないポジショナル・プレーを得意とする棋士はか ならず「カパブランカのように指す」と言われ、鋭い攻撃を持ち味とする者はきまって「アリ ョーヒン2世」と称される。 カパブランカはいみじくもチェス史上最大の天才として記憶されている。彼は電光石火の 早業で局面を理解し、しかも誤ることはなかったといっていい。明快で整然としたプレーは 棋士仲間からも、のちの世代からも大いに称えられた。もっと早い時期にチャンピオンの タイトルに挑む実力があったのは間違いないが、第一次世界大戦と財政面の事情から、 その必然的な勝利は先延ばしされたのである。カパブランカはチェス盤を離れても、その 魅力と端麗な容姿で知られていた。故国から名誉職の外交特使に任命されたおかげで、 彼は自由に旅行して人生を楽しむことができ、その使命を存分に活用した。 アリョーヒンは多くの点でカパブランカの対極にあると考えられる。したがって歴史上ふたり が対になるのは当然であり、避けることはできない。アリョーヒンのチェスは奔放で、たいが い奇怪なほどむずかしく、他に類のない複雑な意図に満ちていた。私が最初に手に入れた チェスの本のひとつはアリョーヒンの名局集だった。彼のゲームは何度再現しても、そのたび に驚きと新しい発見がある。向こう見ずなスタイルは恐れる敵を圧倒した。こういうチェスがや りたいと私は思ったものである。 アリョーヒンはチェスのことばかり考えていた(飼い猫までチェスと名づけたほどだ)。プレー しないときは執筆に励み、残りの時間は研究に費やす。およそ魅力的な人物とはいえなかっ たが、当人はどこ吹く風だった。だが過度の飲酒で健康とキャリアを損ない、1935年の衝撃 的(で短期的)な失冠は、オランダ人挑戦者マックス・エーヴェの強力なプレーと周到な準備 に加えて、飲酒癖も大きな原因になったとされることが多い。以後、敵を見くびることなく、 牛乳を飲んで摂生したアリョーヒンは2年後にタイトルを奪還した。 |
アリョーヒンの名局 Akiba Rubinstein vs Alexander Alekhine Semmering (1926) ・ Queen's Indian Defense: Capablanca Variation (E16) ・ 0-1 この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献 「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。 rubinstein_alekhine_1926.pgn へのリンク Alexander Alekhine vs Karoly Sterk "Sterk Raving Mad" (game of the day Oct-23-2014) Budapest (1921), Budapest HUN, rd 4, Sep-09 Queen's Gambit Declined: Barmen Variation (D37) ・ 1-0 alekhine_sterk_1921.pgn へのリンク Efim Bogoljubov vs Alexander Alekhine "The Triple Queen Sacrifice" (game of the day Sep-10-08) Hastings (1922) ・ Dutch Defense: Nimzo-Dutch Variation (A90) ・ 0-1 「『チェスボードの上で創りだされた最高の傑作』とアーヴィング・チェルネフは言う。」 「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用 bogoljubov_alekhine_1922.pgn へのリンク Alexander Alekhine vs Frederick D Yates London (1922) ・ Queen's Gambit Declined: Orthodox Defense. Main Line (D64) ・ 1-0 「いちばん学べる名局集」アーヴィング・チェルネフ著 水野優訳では、この試合の詳しい 解説がされています。「とどめの一撃・・・他の誰よりも多くの華麗な名局を残した強豪アリョ ーヒンといえでも、何もないところからコンビネーションを生み出すことはできない。彼でさえ、 ラスカーの格言を受け入れるしかなかった。それは『序盤では、コンビネーションを探したり 乱暴な手を指すことは慎み、小さな優位を積み重ねることを目指しなさい。それを達成して 初めて、意志と知性を駆使してコンビネーションを見つけられる。どんなに深く隠れていても コンビネーションは存在するはずだから。」 アリョーヒンが好機を逃さず、ピースを拠点に 配置し、開いたファイルを制圧し、7段目にルークを並べ、キングをセンタリングする方法に 注目しよう。まさかキングのセンタリング? アリョーヒンのキングは、中盤戦の終わらぬ白 昼堂々とルークの目を盗んで進撃する! コンビネーションが存在し(そしてラスカーが存在 を確証するなら)、それを見つけられるのがアリョーヒンだ。」・・・本書より抜粋引用 「アリョーヒンのポジショナル・スタイル。オープン・ファイルを支配し、7段目にルークを おき、そしてガツン!と一撃。」 「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用 alekhine_yates_1922.pgn へのリンク Ernst Gruenfeld vs Alexander Alekhine "Sixth Sense" (game of the day Apr-21-12) Karlsbad (1923) ・ Queen's Gambit Declined: Orthodox Defense. Rubinstein Attack (D64) ・ 0-1 この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献 「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。 「アリョーヒンのもうひとつのスペシャル。完璧なコンビネーションによる収束。」 「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用 gruenfeld_alekhine_1923.pgn へのリンク Richard Reti vs Alexander Alekhine "Roughin' Reti" (game of the day Jan-22-05) Baden Baden (1925) ・ Hungarian Opening: Reversed Alekhine (A00) ・ 0-1 この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献 「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。 「後手の26手目から投了に至るまでのチェス史上空前の瞠目すべきコンビネーション。」 「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用 alekhine_reti_1925.pgn へのリンク Jose Raul Capablanca vs Alexander Alekhine Capablanca - Alekhine World Championship Match (1927) ・ Queen's Gambit Declined: Orthodox Defense. Henneberger Variation (D63) ・ 0-1 Master Class Vol. 3: Alexander Alekhine | Chess News capablanca_alekhine_1927.pgn へのリンク Alexander Alekhine vs Geza Maroczy Bled (1931) ・ Queen's Gambit Declined: Traditional Variation (D30) ・ 1-0 この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献 「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。 maroczy_alekhine_1931.pgn へのリンク Alexander Alekhine vs Grigory Levenfish "St. Petersburg Spilled Blood" (game of the day Sep-28-11) St Petersburg 1912 ・ Benoni Defense: Benoni-Indian Defense (A43) ・ 1-0 levenfish_alekhine_1912.pgn へのリンク Alexander Alekhine vs Frank James Marshall "In a New York Minute" (game of the day Nov-09-2012) New York (1927), New York, NY USA, rd 18, Mar-19 Indian Game: Dory Indian (E10) ・ 1-0 alekhine_marshall_1927.pgn へのリンク Alexander Alekhine vs Lajos Asztalos Kecskemet (1927), Kecskemet HUN, rd 9, Jul-05 Queen's Gambit Declined: Hastings Variation (D43) ・ 1-0 alekhine_asztalos_1927.pgn へのリンク Alexander Alekhine vs Conel Hugh O'Donel Alexander Nottingham (1936), Nottingham ENG, rd 11, Aug-22 Bogo-Indian Defense: Grunfeld Variation (E11) ・ 1-0 alekhine_h_alexander_1936.pgn へのリンク |
アリョーヒンの名局集(106局) 棋譜を見るにはブラウザ「Internet Explorer」が必要で、 「Google Chrome」では出来ません。 またJAVA アプレットがインストールされていないと棋譜が表示されません。 Javaコントロール・パネルでのセキュリティ・レベルの設定 Alekhine_Best.pgn へのリンク (チェス棋譜再現ソフトをご用意ください) アリョーヒンが解説した局 棋譜を見るにはブラウザ「Internet Explorer」が必要で、 「Google Chrome」では出来ません。 またJAVA アプレットがインストールされていないと棋譜が表示されません。 Javaコントロール・パネルでのセキュリティ・レベルの設定 Alekhine_annotated_All.pgn へのリンク (チェス棋譜再現ソフトをご用意ください) アリョーヒンの全棋譜はこちら |
chessplayer: Memorial Alekhine -Victoire de Levon Aronian