未来をまもる子どもたちへ




上の画像は双眼鏡(倍率7倍の実視界約7°)で見る冬の星空・M50(散開星団) いっかくじゅう座

距離・・・3300光年



上の画像は光害のない、そして透明感ある最高の星空を再現したものです

ので、光害などが残るところでは実際にはこのように見えない場合があります。


 




今から3300年前の世界とは?(2011年基点)

遠い昔に船出した星の光は、今それを見ている人の瞳に
映し出され、そしてその心には何が刻まれるのでしょう。


 


前1800年頃 ハムラビ法典制定

前1500年頃 殷王朝の成立

前1050年頃 周王朝による華北の統一

前1000年頃 バラモン教の成立 →インドのカースト制度

前960年頃 ソロモン王(〜922)


 



バラモン教 vs ゾロアスター教 -いれかわる善と悪 - 政府紙幣を考えるブログ - Yahoo!ブログ より引用




ヴェーダの宗教 (Vedic Religions)は、古代インドの聖典であるヴェーダ群を起源とする宗教(単一神教)で、
英国人の名づけたバラモン教(Brahmanism、ブラフミンの宗教)がこれである。

バラモン教は、司祭階級バラモン(ブラフミン)を特殊階級として、神に等しい存在として敬う。ブラフミンは、
宇宙の根本原理ブラフマンと同一であるとされ、生けにえなどの儀式を行うことができるのはブラフミンだ
けだとされる。

紀元前5世紀頃に、北インドのほぼ同じ地域で、仏教やジャイナ教をはじめとした、アンチ・ヴェーダの新
宗教がいくつか誕生するが現在まで続いているのはそのうちの仏教とジャイナ教だけである。

ヴェーダに対峙する仏教は、バラモン教の基本のひとつであるカースト制度を否定した。すなわち司祭階級
バラモン(ブラフミン)の優越性も否定した。しかし、ゴータマ・ブッダの死後において、バラモン自身が仏教の
司祭として振舞うなど、バラモン教が仏教を取り込んで、バラモンの特殊な地位を再確保しようという政治的
な動きもあった。

また、ゴータマ・ブッダは唯一神の存在を自分の宗教の一部としては認めなかった。ただしゴータマ・ブッダ
の死後、バラモン教の神が仏法守護神や眷属として取り込まれて行った。従って仏教はバラモン教に対峙
して発展したが、民衆の間に広まっていくに連れ、バラモン教の神々を吸収して行ったのである。

もう一つのアンチ・ヴェーダであるジャイナ教の開祖マハーヴィーラは、彼以前に23人のティールタンカラ
(祖師)がおり、24祖とされた。ティルタンカラ自身はヴェーダの宗教の一部であったと思われる。マハー
ヴィーラが24人目のティールタンカラの生まれ変わりであると認定された後に、ジャイナはバラモン教から
独立したとする説もある。また、マハーヴィーラとゴータマ・ブッダは、同時代、同地域に生きており、ジャイ
ナ教の伝説ではゴータマ・ブッダ自身も24人目の最後のティルタンカラとなることを望んでいたと言われ、
マハーヴィーラに負けたとされている。

1世紀から3世紀にかけて、仏教に押されたバラモン教が衰退した後、4世紀頃にバラモン教を中心にインド
の各民族宗教が再構成されヒンドゥー教に発展する。この際、主神が、シヴァ、ヴィシュヌへと移り変わる。
バラモン教やヴェーダにおいては、シヴァやヴィシュヌは脇役的な役目しかしていなかった。 シヴァは別名を
1000も持ち、ヴィシュヌは10の化身を持つなど、民族宗教を取り込んだ形跡が見られる。

15世紀、イスラムにインドが支配された時代に、一般のヒンドゥー教徒はイスラムの支配にしたがったが、
イスラムへの従属をよしとしない一派としてグル・ナーナクによりシク教が作られた。


ヴェーダの宗教 - Wikipedia より引用

 



ダヴィデ像(Nicolas Cordier作、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)



ダビデは古代イスラエルの王(在位:前1000年 - 前961年頃)。ダヴィドとも。羊飼いから身をおこして初代の
イスラエル王サウルに仕え、サウルがペリシテ人と戦って戦死したのち王位を継承するとペリシテ人を撃破して
要害の地イェルサレムに都を置いて民族の統一を成し遂げた。旧約聖書の『サムエル記』『列王記』に登場し、
『詩篇』の作者とされている。イスラム教においても預言者の1人に位置づけられている。英語圏の男性名デイ
ヴィッド(David)などは彼の名に由来する。



ベツレヘムにすむエッサイ(ジュッセ)の7番目とも8番目ともいわれる末っ子として生まれ、羊飼いをしていたが、
預言者のサムエルに見出されて油を注がれた。イスラエル王国の王サウルの家臣たちは、精神を病んで悪い
霊におびえるサウル王に対し、王が以前好んでいた竪琴を弾く者をさがすように進言した。金髪の巻毛の少年
であった羊飼いのダビデは竪琴の名手であったため、王命によってサウルのもとに呼ばれた[1]。ダビデの竪琴
の演奏は何曲にもおよび、一曲ごとにサウルの額からは苛立ちが消え、ついに悪霊が出て行ったとされる。
『旧約聖書』第一サムエル記16章のこの記事は、音楽療法の先駆けとみなされることがある。


跡を継いだのは、サウルの娘婿となったダビデであった。ダビデはユダの王となるとサウルの家来の軍勢と戦っ
て勝ち、やがてイスラエルの王となった。ダビデはペリシテ人との戦いを続け、エルサレムを確保して、「神の箱」
を運び上げた。







そのダビデも晩年には過ちを犯した。家臣ウリヤの妻、バト・シェバを見初め、彼女を妻にするため謀略によっ
てウリヤを戦死させたことである。預言者ナタンにとがめられてダビデも苦悩する。『旧約聖書』には、ダビデが
「こういう馬鹿なことをした男は悪人である」と述べ、さらに、


私は死をもって罰せられるのが適当である。


と懺悔した。神はこれを許さず、バト・シェバから生まれた子供の命を奪った(次にバト・シェバから生まれた子供
がソロモンである)。また、ダビデの長男でマアカから生まれたアムノンが妹タマルを犯した。それに怒った次男
のアブサロムは異母兄アムノンを殺し、やがて父ダビデに対し謀反を起こした。ダビデは一時都エルサレムを
追われた。ダビデはなんとかアブサロムの反乱を収めたが、アブサロムはダビデの意に反して殺害され、ダビデ
は自らの子の死という神のあたえた罰に苦しんだ。晩年のダビデはイスラエルの人口調査をおこなった。


ダビデは40年王位にあり、最後に息子のソロモンを次の王に立てて世を去った。人生の終わりに当たってダビデ
は、


主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが岩。わたしは彼に寄り頼む。わが盾、わが救いの角、わが
高きやぐら、わが避け所、わが救い主。あなたはわたしを暴虐から救われる。


とうたって、神を賛美した。

ダビデ - Wikipedia より画像・文とも引用






M50 散開星団・・・冬の天の川に双眼鏡でも観察しやすい星団・・・いっかくじゅう座と

おおいぬ座の境界近くにあり、冬の淡い天の川に位置する。双眼鏡でも観察しやすい星

団である。1772年のメシエによる発見の前に、1711年にカッシーニ(1625〜1712)がすで

に見つけていたようだ。


「Newton ニュートン別冊 メシエ天体のすべて」より引用



 


「M50は、双眼鏡で見つけだすことができる。明るい6等の光として認められ、おお

いぬ座γ星(シリウスの東側約5°-指2本の幅-にある4等星)からちょうど7°北側の

天の川の濃い領域にとっぷりひたっている。いったんこの雪状のもやを発見したなら

ば、双眼鏡を下に置いて肉眼でながめてみるといい。あなたの望んでいる夜空が光

害を受けていないかどうかの判断材料となるだろう。この星団のほんとうの広がりを

見定めるには、低倍率ではかなりむずかしい。なぜならば、M50を囲んでいるあたり

の天の川には、星の集落や星くずがたいへん多いためである。これはほんとうでスキッ

フは、星団のごく近くに不規則に星々の集中した場所が数多くあるために、星団の赤緯

を決めることすらむずかしいといってる。ウォレンキストは、中心の14’の視野中に少な

くとも50個の星団に属する星を見つけた。スキッフは、10インチ望遠鏡を用いて25’視野

内に150個の星を数えた。だがアーキナルは、直径14’の視野の中に80個の星を記録

するにとどまった。問題は、いったいどこで星団が終わっているのかということである。

「メシエ天体カタログ」ステファン・ジェームズ・オメーラ著 より抜粋引用




「M50は明るく見やすい散開星団ですから、小型双眼鏡でも大口径望遠鏡でも、それ

ぞれの機材の特徴を活かした観察をしてみましょう。M50の見かけの大きさは15'、

明るさは5.9等ですから、ぎょしゃ座にある3つの散開星団M36、M37、M38といい

勝負です。これらの散開星団と見くらべたり、近くにあるおおいぬ座の散開星団

『M41』と比較してみると楽しめます。力強さを感じるM41の見え方に対し、M50は

繊細な見え方に感じます。」


「メシエ天体 ビジュアルガイド」 中西昭雄・著 誠文堂新光社 より引用


「このM50は満月の半分くらいのひろがりのある7等星くらいの小さな散開星団です

が、双眼鏡でも星雲状の光芒の上に3〜4個の明るい星がポツポツ浮かんでいるのが

わかります。双眼鏡で見るときには、ついでにシリウスの南にあるM41まで視野を移

し、これと比較しながら見てください。同じ散開星団でもずいぶん見え方が違うことが

わかります。

「星座ガイドブック 秋冬編」藤井旭著 より抜粋引用


「おおいぬ座のシリウスからθ星の方向に、2倍伸ばしたところにある、いっかくじゅう

座の散開星団。小さいわりには明るく、空が良ければ冬の銀河の中にぼんやりと肉眼

で認められる。双眼鏡で星雲状の中に数個の星が浮かび上がって球状星団のような

イメージ。8cm60倍で数十個の星が小さくまとまっているようすがわかる。

「エリア別ガイドマップ 星雲星団ウォッチング」浅田英夫著 より引用


「暗夜なら、目のいい人には肉眼でもボンヤリその位置がみとめられる。双眼鏡で小

さな球状星団のようにみえる。口径5pでなら星雲状の光の中にいくつかの星がみえて

くる。小粒だがピリッとからい感じの散開星団だ。シリウスとδの中間、δ→20→19→

M50とたどるのも一つの方法だ。

「ほしぞらの探訪 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡による」山田卓著 より引用


「光度6.9等、視直径30’、星数100の明るく目だつ散開星団です。7×50双眼鏡でたや

すくみられ、まるい淡い星雲状の光のなかに明るい星がまとまってうかび、まわりはくっ

きりしています。肉眼で暗夜みえるという人もいます。5p級以上では星がごちゃごちゃ

とまとまり、まるい外形またはハート型にまとまっています。7’南に赤い星が見えてきま

す。プロキオンとシリウスの間にありますが、おおいぬ座αをθの方にのばすと、かん

たんにみつかります。

「四季の天体観測 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で」中野繁著 誠文堂新光社 より抜粋引用



M50 より引用


APOD: 2012 March 8 - The Seagull Nebula

IC2177は、地球から1800光年にある散光星雲で、シリウスから北東に約7度の位置

にあるんだ。翼を広げた鳥の形から日本では「わし星雲」、英語では「Seagull Nebula

(かもめ星雲)」と呼ばれているんだよ。 (大きな画像)


「フラムスチード 天球図譜」恒星社編 より引用







双眼鏡で見る春の星空 双眼鏡で見る夏の星空

双眼鏡で見る秋の星空 双眼鏡で見る冬の星空

天体観測に適した小・中口径の双眼鏡

天体観測に適した大口径の双眼鏡

(映し出されるまで時間がかかる場合があります)

いい双眼鏡とはどんなもの

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