「狼が語る ネバー・クライ・ウルフ」ファーリー・モウェット著 小林正佳・訳 築地書店
オオカミ(狼)の肖像を参照されたし。
(本書より引用) 初めに女と男がいて、ほかには、歩いているものも、泳いでいるものも、飛んでいるものも、 世界にはいなかった。ある日、女が地面に大きな穴を掘り、そこで釣りを始めた。一匹ずつ、 女はすべての動物を釣りあげ、最後に穴から出てきたのはカリブーだった。天の神である カイラは女に、カリブーはすべての中で最も偉大な贈り物だ、なぜならカリブーは人間の食べ 物となるからだ、と告げた。 女はカリブーを解き放ち、行って地に満ちよと命じた。カリブーは女の言った通りにし、ほどなく 大地はカリブーであふれた。女の息子たちは、首尾よく狩りをすることができたし、食べ物、 衣服、住むための上等な毛皮のテント、すべてをカリブーから手に入れた。 女の息子たちは、大きく、太ったカリブーだけを狩った。というのは、弱いもの、小さいもの、 病気のものはいい食料にならないし毛皮も上等ではなかったから、狩りたいと思わなかった のだ。しばらくして、病気や小さいカリブーの方が、太って強いものより多くなった。そのことに うろたえ、息子たちは女のところに泣きついた。 そこで女は魔法を使い、カイラに話しかけた。あなたの働きぶりはよくない。カリブーは弱くなる し、病気になる。それを食べたら、私たちも弱く、病気になるに違いない。 カイラはそれを聞いて、こういった。私の働きぶりはよい。私は、オオカミの霊アマロックに告げ、 彼からさらにその子どもたちに告げさせよう。病気で、弱く、小さいカリブーだけ食べるように。 そうすれば、大地には、太った、よいカリブーだけが残るだろう。 そして、そうなった。これが、オオカミとカリブーはなぜ一体なのかという理由だ。カリブーは オオカミに食料を与える。しかし、カリブーを強く保っているのはオオカミなのだ。 私は、この物語にいささか唖然としてしまった。というのも、私の方にはまだ、たとえ寓話という 形をとったにせよ、文字ももたず教育を受けたこともないイヌイットから、自然淘汰の働きを 通して適者生存が実現するという理論を示す講義をしてもらっても、それを受け入れる用意が 整っていなかったからだ。 |
(本書より引用) 彼はまた、オオカミはオオカミの子どもに対し、イヌイットがイヌイットの子どもに対してもって いるのと同じ見方をしていると語っていた。すなわち、実際の親が誰なのかはたいして重要 ではなく、私たちがいう意味での孤児という言葉もない。 何年か前、当時オーテクが住んでいたキャンプから二、三キロのところで子どもを育てていた 雌のオオカミが、カヌーで通りかかった白人に撃たれて死んだ。オーテクは、自分とすべての オオカミの間には何か摩訶不思議な関係があると思っていて、その事件に気が動転してし まった。当時キャンプに子どもをもった雌のハスキー犬がいたので、彼は巣穴を掘り、オオカミ の子どもを取り出して雌犬に預けようと決心した。しかし、彼の父親が思いとどまらせた。そん な必要はない、オオカミたちが彼ら自身のやり方で問題を解決する、と言う。 オーテクの父親は偉大なシャーマンで、真実を語っていると信じることはできた。しかし、それ でも完全に納得していたわけではなく、オーテクは寝ずの番で巣穴を見張っていた。彼が言う には、そんなに何時間も隠れている必要はなかった。連れ合いをなくしたオオカミが見知らぬ 雄のオオカミと一緒にやって来て、二頭で巣穴に入って行った。再び姿を現すと、それぞれ 一頭ずつ子どもをくわえている。 オーテクは何キロも彼らの後をつけ、二頭が別のオオカミの巣穴に向かっていることに気が ついた。その場所なら彼も知っている。近道を通って一生懸命駆け、二頭がそこに着く前に 第二の巣穴に到着し、彼らが来るのを待つことにした。 二頭が現れると、自分自身一腹の子どもたちを抱えていた巣穴の持ち主の雌が入り口に姿を 見せ、運ばれてきた子どもたちの首筋を一頭ずつつかむと巣穴に運んで行く。二頭の雄はまた 出かけ、別の子どもを連れて戻ってきた。 全部終わったとき、第二の巣穴には十頭の子どもがいた。全部同じ大きさ、同じ年頃で、オーテ クが見るかぎり、後に残された雄を含むおとなたちに、同じ親切さで、みんな平等に扱われた。 |
(本書より引用) 約四百年前まで、人間に次いでオオカミは、北アメリカで最も成功し、最も広く分布する哺乳 動物だった。広範な証拠が示すところによれば、世界中でオオカミと狩猟者は、憎悪や対立 どころか、一方の存在が他方の存在の利益となるような共生に向かう生活を謳歌していた。 しかし、ヨーロッパとアジアの人々が農業者や牧畜民になるため、自らの狩猟伝統の遺産を 捨てはじめて以降、人間はオオカミに対する古代的な共感能力を失い、根深い敵対者となっ た。いわゆる文明化された人間は、事実、集合的観念の中から本当のオオカミをすっかり 取り除き、代わりに、でっちあげられたイメージ、すなわち、ほとんど病的なまでの恐れと嫌悪 を引き起こす悪魔的相貌を埋めこむことに成功した。 ヨーロッパ人はこうした一連の観念をアメリカにもちこんだ。そしてわれわれ現代人は、報奨金 や報酬に動かされ、毒薬と罠とペテンと鉄砲を手に、さらには賢明な技術がもたらしたヘリコプ ターや破砕擲弾(てきだん)などの武器とともに、オオカミに対する殲滅戦を遂行してきた。 ヨーロッパ人が侵略する前に北アメリカに生息していた二十四種のオオカミ亜種のうち、七種 が絶滅し、そのほかもほとんど絶滅の危機に瀕している。カナダ内陸地域の南部、メキシコ、 アメリカ合衆国のアラスカより南のほぼ全域から、オオカミは効率的に駆除された。しかしなお、 およそ二万頭が、ムース、シカ、カリブー、エルク(北アメリカではオオシカを指す)と森林や 北極圏のツンドラを共有している。 今では、飛行機、スノーモービル、オフロード車の使用により、多くのスポーツ・ハンターたちが これまで比較的侵入が難しかった地域に入りこむことが可能になり、そこにいた「大型狩猟 動物」たちは危険な水準にまで激減した。この事態が、狩猟者、運動用具業者、ガイド、 ロッジ経営者、そのほか経済的利点に関わる陣営の、オオカミに対する怒りに満ちたいかさま の声に火をつけた。 「オオカミが狩猟動物を壊滅させている。われわれの狩猟動物を! オオカミを滅ぼさなければ ならない」 こうした非難に誰が耳を貸しているのか。 政府は、耳を貸す。すべてではないにせよ、大部分の地方政府・州の漁業狩猟局は、ほとんど スポーツ・ハンティング・ロビイストにとってのトロイの木馬(トロイア戦争の際、ギリシャの将 オデュッセウスは巨大な木馬を作り、その中に兵を潜ませ、トロイアを欺いて勝利した)といって もよい。しかもロビイストはじつに巧みに組織化され、潤沢な資金をもっている。メンバーたちは、 狩猟動物を自然の捕食者から守り、スポーツとして動物を殺す者たちが高性能は武器で殺戮 するに十分な数の生きた標的を確保することができるよう、政府に対しておよそ抵抗できない 影響力を行使する。 政府狩猟局の飛び道具として雇われた生物学者たちとは異なるという意味で独立した大勢の 専門家たちの意見によると、オオカミはその餌となる動物種にとって、長期的安泰を維持する ことに決定的な役割を果たしているという。また、人間にとっては何の脅威でもなく、家畜被害 についてはほんのわずかな影響しか及ぼさず、ほとんどの場合、人間の居住地域や農業地域 に生息さえしていないことに同意している。これは、重要な真理である。 オオカミの運命は、実際のオオカミのあり方によってではなく、われわれが故意に、しかも 誤って押しつけたイメージ、残忍さの権化として神話化された無慈悲な殺し屋という、現実には 私たち自身の反転された自画像以上のものではないイメージのせいで追いこまれてきた。 私たちは、贖罪の山羊ならぶ贖罪のオオカミを作り出してきたのだ。 |
2016年5月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 森を、そして結果的に、そこに生きるものたちの調和あふれる世界を創ってきたオオカミ。 しかし彼らオオカミの存在は、人間にとって自らの獰猛性を葬り去るための身代わりでしかありませんでした。 世界各地の先住民もオオカミも、西欧人にとって自身の「真の姿を映す鏡」だったが故に、そして自身のおぞましい 姿を見せつけてくるが故に、この鏡を叩き壊さなければいけないものだったのかも知れません。 オオカミは森の、そしてそこに生きるものたちに必要不可欠な存在だけでなく、私たち自身は何者かと問う存在 なのだと思います。 ☆☆☆ 2年前に上の文章をサイトに書きましたが、今でもその想いはあまり変化しておりません。 オオカミ自身が、人間の持つ残虐性を敏感に感じ取っているからこそ、逆に人間を恐れているのかも知れません。 熊や大型犬が人間を襲ったことが時々ニュースに出ますが、オオカミが人間を襲うことなど、それらに比べると 限りなく低いのです。 また、丹沢の山中で星を見ていたとき、鹿の足音がすぐ近くに聞こえておりましたが、増えすぎた鹿のため山が 死にかけています。 生態系をあるべき姿に戻すという意味に限らず、人間自身が「何者か」と、オオカミを通して問われている 気がします。 写真(他のサイトより引用)は「ロミオと呼ばれたオオカミ」、アラスカ・ジュノー町の多くの人々に愛された野生の オオカミは、「町の人々の嘆き悲しむ姿が見たい」という理由で2人のハンターに殺されます。 誰しもが持っている残虐性、ヴェイユは「純粋に愛することは、へだたりへの同意である」と言いますが、 「へだたり」の重さに耐え切れないところから、残虐性は生まれてくるのかもしれません。 |
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2013年8月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 本日8月23日の夜明け(6時14分)です。 夜明けが雲で覆われていたり、雨のときは投稿しませんのでご了承ください。 神奈川県でも地域によって異なると思いますが、厚木ではここ3週間ほど雨は殆ど降っていません。 夜明けの写真を撮る時間帯は、ベランダの植物の水やりも行っていますが、近所の畑の作物は 完全に参っています。 厚木には「阿夫利(あふり)神社」がある大山(1252m)があるのですが、川崎・宮前区の土橋という 地域には大山詣でとともに「雨乞い」の儀式が伝えられてきました。 「オオカミの護符」小倉美恵子著によると、日照りが続いた時は、朝早く若い衆が片道40キロもある 大山までの道をリレー方式で行き、大山山頂の滝から「お水」をいただき、昼過ぎには土橋に戻って 雨乞いをしたと書かれています。 リレー方式とは言え、昔の人の健脚には驚かせられます。 土橋にも息づいていた「オオカミ信仰」は埼玉の奥秩父や奥武蔵が源なのですが、若い頃に山に 夢中になっていた私は奥秩父や奥武蔵の山々が好きでした。標高はそれほど高くはないのですが、 周りの自然と自分が一体となっているという不思議な感覚をもたらしてくれたからです。 100年以上前、この山奥では「オオカミの遠吠え」がいたるところで聞かれていたことでしょう。映像 で見聞きする「オオカミの遠吠え」を聞くと、昔の人が何故オオカミを神と崇めていたのか分かるよう な気がします。いつかこの耳でオオカミの遠吠えを聞けたらと思います。 ☆☆☆☆ |
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2014年4月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 APOD: 2014 April 2 - Mars Red and Spica Blue (大きな画像) 火星が地球に最接近(写真はNASAより引用) 明日4月14日に火星が地球に再接近(マイナス1等級に輝く)しますが、お月様とも接近した姿が見られます。 写真は、3月末にスウェーデンで撮影された火星と「おとめ座」の1等星・スピカで、オークの木のすき間から 赤と青の対比する輝き(「はくちょう座」のアルビレオを思い起こさせます)が見えています。 アイヌの方は、スピカを狼(おおかみ)星という意味の「ホルケウノチウ」と呼んでいますが、日本語での語源 は大神(おおかみ)で、山の神として山岳信仰とも結びついてきました。 「かしこき神(貴神)にしてあらわざをこのむ」と日本書紀に記述されているようですが、ヨーロッパやイエロー ストーン国立公園で成功したように日本の森に狼を放すこと、それに対して異論や不安(恐怖)はあるかと 思います。 ただ私は、かつて日本の森を守っていた狼、彼らの遠吠えをこの日本で聞いてみたいと思います。 100年以上前に絶滅したと言われる日本狼、何処かで生き抜いていて欲しいと願っています。 |
2014年6月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (大きな画像) 種を植えて4年目で咲いた合歓の木(ネムノキ)の花 前に住んでいた近くの山にあった合歓の木、その優雅な木に魅せられ、その種を集めていました。 こちらに引っ越し、そしてしばらくしてこの種を鉢に植えましたが、それは丁度4年前のことです。 合歓の木は葉に特徴があるのですが、咲く花も優雅さを湛えています。 山にあった合歓の木は、いつの間にか枯れていましたが、10年前この木の下で拾った種が、違う場所で新た生命を咲かせる。 子孫という形あるものだけでなく、「受け継ぐ」という神秘も感じさせられます。 ☆☆☆☆ そして、まだ寒さの厳しい夜、 彼が鼻面を星に向け、 長々とオオカミのように遠吠えをするとき、 声を上げているのは彼の祖先たちだ。 彼を通じて、もう死んで塵となってしまった祖先たちが、 鼻面を星に向け、何世紀もの時を超えて遠吠えしているのだ。 ジャック・ロンドン 「オオカミたちの隠された生活」ジム&ジェイミー・ダッチャー著 より引用 ☆☆☆☆ |