「生ききる」日本人の生き方
梅原猛・瀬戸内寂聴 著 角川 one テーマ21
瀬戸内寂聴 × 梅原猛 特別対談 東北に送るメッセージ より引用
瀬戸内寂聴 × 梅原猛 特別対談 東北に送るメッセージ より写真引用 梅原猛 (本書より引用)
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瀬戸内寂聴 × 梅原猛 特別対談 東北に送るメッセージ より写真引用 瀬戸内寂聴 (本書より引用)
行かなかったけれども、戦争を経験した人間とそうでない人は違うと思います。 あの当時は、みんな学生の頃から男の子は自分はやがて死ぬってことを考えていました。 それはすごいことだと思うんですよ。私たち女は、そこまでは考えられない。恋人が死んだり、 許婚が死んだりしてますけどね。結婚してすぐ夫が戦死したりね。それから戦争に行くから 結婚しようって、一晩か二晩寝て、それで死なれたり。そういうことはたくさんありましたけど、 自分が殺されるっていう気持ちはなかったですね。 戦争が終わっていろんな人の話を聞くと、その差があります。強いんではなくてね、たまたま 女だから生き残ったってことですね。 だけども、特攻隊の話を後になって聞くでしょう。その頃はわからないですから。その話を聞 くとまあ、どんなに辛かったかと思いますよ。それを辛いと思わずに勇んで死んでいったこと になっていますけどね。そんなもんじゃないと思う。死ぬってわかって飛び立つなんて、ちょっ と考えられないですね。女の我々には考えられない。でもそういう時代を経てきていますから ね。幸か不幸か私は空爆を知らないって言いましたけど、空爆を受けた人の悲惨な経験は 今でも残っていると思います。その経験をした人は今、本当に一握りです。もうみんな死んで しまった。 そして、残っている人がどんなに声を大にしても、今の若い子に戦争はいけないとか恐いって 言ったってピンとこない。人間の想像力っていうのは非常に頼りない、希薄なものです。だか ら自分が経験しないとわからないんですよね。 その人たちが震災に遭って、びっくりしている。経験して初めてわかるんです。だから「阪神・ 淡路大震災」の時に、若い人たちが初めてそれをわかって、今、東北へ、その時の経験を 生かして恩返しをしようと、たくさんボランティアで行っているでしょ。人間っていうのは本当に 経験しないとわからない情けないもんなんです。 「よみがえり」のことをおっしゃいましたけど、死んでしまってそれっきりということでは、私た ちは生きていかれないないんじゃないですか。やっぱり自分のもっとも愛する人に死なれた 人はね。その人がどこかにいるって思っていますよ。私もこの年になると本当に親しい人は みんな死んでいるんです。一緒に話したり、一緒にお酒呑んだりした人はみんな死んでいま す。じゃあその人たちの存在がまったくなくなったかっていうと、そうでもないんです。じっと 思いを凝らしているとね、真夜中仕事をしててうたた寝でもしそうな時ね、ふと肩の辺りが あたたかいような気がするんです。「あ、今夜はあの人が来たかな」なんてね(笑)、思うんで すよね。誰か来て守ってくれているんです。そういう気配がある。これは私だけじゃなくてね、 みなさん愛別離苦を味わった人は、そういうことがあるから生きていかれるんじゃないですか。 ご先祖なんて言ったって、姿もわからないですよ。だけどご先祖があるから私たちの今があ るんでね。亡くなった人の魂っていうのはお墓でじっと眠っているわけでもないんでしょう。い つでもこの世に残した一番愛する人の所に心配で来てくれていると思う。それは自分でそう 感じるから言えるんですけどね。だから自分の知らない遠い祖先たちね。その人たちも心配 してきてくれているんですよ。 だから私は「あの世」があるかないかと聞かれた時は、まだ一度も死んでないから、断言は できないけれど、あると思うと答えます。もしも私が死んだら教えてあげるからねって言いま す。その頃には向こうにもコンピューターができてね、通信できるかもしれないって言うと、み んなどっと笑います。 「あの世」があるという思想で宗教は成り立っている。どの宗教でも「あの世」は認めています よね。人間なんて弱いから、死んで「あの世」がないと思ったら死ねないもの。「あの世」があっ て、みんなが待ってくれていると思うから死ねる。 私は思うんですけど、被災された方々にはもう言葉もないですよ。お気の毒で。自分が悪い ことをしたわけでもないのに天災に遭ったり、それに続いて放射線の被害に遭ったり、でもね、 今の状態が決していつまでも続くわけではないから、生々流転、移り変わるということが世の 常なんです。だからどうか気を落とさないで、絶望しないで、どんなことがあっても生きようと してください。どうぞ元気でいてくださいとお願いするしかないですね。 そして私たち被災しなかった人間は、あなた方が身代わりになってくださったと思って、いつも 忘れていません。非力だけど私たちもできることはなにかということを考えていますから、どう ぞ今しばらく辛抱してくださいと申し上げたいです。 東北の人たちはほんとに我慢強い。でもどうかもう我慢せずに逆にどんどん要求してください。 そうしないと、内に思いが籠もると鬱になってしまいますからね。どしどし発言してください。そし て一日に一度は、何か笑える事柄を見つけてください。なかなかそれどころじゃないとは思い ますけど、赤ん坊の顔を見たら自然に微笑みたくなるでしょう。そして春になれば被災地にも 花が咲くことでしょう。可憐な花のたくましい命を見つめて頬をゆるめてください。私たちは一日 じゅう、夜寝るときもあなたたちのことを忘れていませんから、どうか気を落とさずに希望を捨て ないようにお願いします。
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目次 一世一代の対談――翁と嫗の語り もうひとつの故郷「東北」――忍耐の国 東北の漁民の孤児――「私」と重なる東北の子どもたち 相手の哀しみを想像するということ――思いやるということ 詩と仏教の国「東北」――秘めたる情熱 死の覚悟――戦争で死ぬということ 終戦直後の北京――赤子を守る 第二章 仏教に今、何ができるのか、心を癒すということ 仏教の力――地涌の菩薩となる 行基、空也、一遍――遊行聖たちの救済事業 親鸞と妻帯――玉日観音 第三章 「日本人」のアイデンティティとは何か 日本の文学、文化――日本の文明を考える 天皇制・象徴天皇――道徳的シンボルとしての天皇家 日本神話『古事記』――ヤマトタケル、軽皇子と衣通姫 ラフカディオ・ハーンの日本――日本文化の光と闇 文学の原点――人形浄瑠璃の語り 日本人の誇り――ものつくり日本 文明の傲慢――作っていいもの・作ってはいけないもの 「岡本太郎」という思想――「太陽の塔」と原爆図「明日の神話」 第四章 『源氏物語』の新しい読み方、苦難を乗り越えるために 『源氏物語』異聞――文学少女・私の生い立ち 私の文学体験――万葉と川端と…… 『源氏物語』逸話――能と庶民、『源氏』と貴族 『源氏物語』の平和――ミソギ・再生、「明石」 『源氏物語』の怨霊――六条の御息所と源氏 『源氏物語』「浮舟」――八宮の娘・宇治の姫 第五章 震災後のめざすべき日本、よみがえりの思想 「あの世」へ往く――黄泉がえり 極楽から還ってきた――還相廻向 人災は文明災――愛国者となる 代受苦――死んだ人の魂の救済 希望のメッセージ――子どもたちへ
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2012年5月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 画像省略 日の出(自宅より) 謝らなければいけないことがあります。それは前に投稿した瀬戸内寂聴さんの「戦時中の方が マシ」という発言に関してです。 「生ききる」瀬戸内寂聴・梅原猛・対談集を読んで、私の発言こそ軽々しいものだったと感じさ せられました。 確かに私の中では戦争と比較するものではないと今でも思っていますが、寂聴さんの原発が ない世界、平和への想いが痛いほど感じられ涙が出そうになりました。 そんな寂聴さんの想いを汲み取ろうとしなかった自分自身の未熟さ・軽薄さを改めて教えられ たような気がします。 寂聴さんや不愉快に思われた方々にお詫びしたいと思います。 梅原猛さんは随分前から原発廃止を訴えてきた方ですが、寂聴さんと同じように梅原さんの 言葉にも感激しました。 梅原さんとはキリスト教の捉えかたなど少し違うところもあるのですが、子供のようなみずみず しい感性と、一途なまでに真理を探究するその姿勢は真の哲学者だと感じてなりません。 一本の木、その多くの枝は太陽の動く方に伸びることはあっても、木のてっぺんは真っ直ぐに 上を目指し伸びている。 いろいろな方角から吹く風に葉っぱが揺らぐことはあっても、それを糧として木の幹は真っ直ぐ 真っ直ぐ伸びていき、その根っこは深く深くその根を張っていく。 そんなことをもこの文献を通して教えられたような気がします。 ☆☆☆☆ 瀬戸内寂聴さんの言葉 私は思うんですけど、被災された方々にはもう言葉もないですよ、お気の毒で。 自分が悪いことをしたわけでもないのに天災に遭ったり、それに続いて放射線の被害に 遭ったり。 でもね、今の状態が決していつまでも続くわけではないから、生々流転、移り変わるという ことが世の常なんです。 だからどうか気をおとさないで、絶望しないで、どんなことがあっても生きようとしてください。 どうぞ元気でいてくださいとお願いするしかないですね。 そして私たち被災しなかった人間は、あなた方が身代わりになってくださったと思って、 いつも忘れてはいけません。 非力だけど私たちもできることはなにかということを考えますから、どうぞ今しばらく辛抱 してくださいと申し上げたいです。 東北の人たちはほんとうに我慢強い。 でもどうかもう我慢でずに逆にどんどん要求してください。 そうしないと、内に思いが籠もると鬱になってしまいますからね。 どしどし発言してください。 そして一日に一度は、何か笑える事柄を見つけてください。 なかなかそれどころじゃないとは思いますけど、赤ん坊の顔を見たら自然に微笑み たくなるでしょう。 そして春になれば被災地にも花が咲くことでしょう。 可憐な花のたくましい命を見つめて頬をゆるめてください。 私たちは一日じゅう、夜寝るときもあなたたちのことを忘れていませんから、どうか 気を落とさずに希望を捨てないようお願いします。 「生ききる」より引用 ☆☆☆☆ (K.K) |
2013年1月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (大きな画像) 本日1月9日、夜明け前の光景です。 冬の思い出、私が小学1年の頃だったか、火鉢の沸騰したヤカンを足に落としたことがあった。 足が真っ赤に腫れ、母は私をおんぶして遠くの病院まで連れて行ったが、当時は救急車など なかったのだろう。 鹿児島市内に火傷に関しては名医がいるというので、その病院に行ったのだが、そのお陰で 大きな火傷の跡は残っていない。ただ、おんぶされて何度も病院に通ったとき感じた母の背中 の温もりや想いは、私の心に刻まれている。 児童虐待など、母や父の想いを感じられず育った子供は、その穴を、長い人生をかけて何ら かの方法で埋めていかなければならない。昔の人が言った「三つ子の魂百まで」は、幼いころ の性格は年をとっても変らないことを意味しているが、自我が確立しておらず、無意識の中に いる3歳までの時期は、その後の長い人生を形作るといってもいいのかも知れない。 異論はあると思うが、少なくとも3歳までは周りの人たちの助けを借りながら、親の想いを浴び つづける満たされた時期であってほしい。 ブッダ、日本各地に赴き12万体の仏像を彫った円空、そして私が尊敬する哲学者・梅原猛さん は幼いときに母親を亡くした。この深い喪失感は体験した者だけしかわからないのだろう。ブッダ、 円空、多くの人々を救ってきた彼らの光は、私には垣間見ることさえ出来ない深みから発せられ ているのかも知れない。 ☆☆☆☆ |
2014年5月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 独り言なのでコメントは不要です。 科学者、教壇で教える立場の学者、彼らに「地球に生きる全ての生命に思いを馳せる」資質が欠けているなら、 決して彼らを人々の上に立たせてはいけない。 原子力に限らず、他の学問(政治・経済・医学・哲学など)に対しても言えることだと思いますが、たとえそれに よって人類の進歩が遅くなっても、後に生み出される多くの災難に比べると小さなことではないでしょうか。 頭が切れる、知能指数が高いのは優れている、その判断基準がまかり通った結果が現代の世界かも知れま せんね。 |
2014年5月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 表現の自由(問題となっている漫画のことではなく、以前から感じていることを書きます) 私にはとても出来そうにはありませんが、真剣に真実を追究する心構えがあるのなら、先入観を捨て相反 する立場の意見も真剣に聴く。 それでも「真実は違う」と確信したら、たとえ身のの危険が迫っても追求の手をやめない。 平衡感覚と覚悟、それが欠如している人間が「表現の自由」を盾に正当化すること、それは「表現の自由」 の姿をおとしめ、逆に言論統制へと突き進む扉を開くようなものです。 「表現の自由」とは関係ありませんが、社会福祉研究の第一人者であった故・一番ケ瀬康子さんの言葉が 心に残っています。 「熱き心と、冷めた頭の2つが必要不可欠」 最後に「表現の質」に関してですが、どんな情報にしろ先ず疑うように心がけています。 全てを疑うことなど人間不信に陥りそうで出来ませんが、偏向報道を見るにつけ、その心構えだけは心の 片隅に持っていたいものだと思います。 |
2015年8月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 縄文のヴィーナス(2012年、国宝に指定された土偶の3分の1のレプリカ) (大きな画像) 実物の「縄文のヴィーナス」はこちら 土偶が何故創られたのか様々な説がある。生命の再生、災厄などをはらう、安産のための身代わり、大地の豊穣を願うなどなど。 今後も新たな説が生まれてくると思うが、時代の背景を踏まえながら全ての先入観を捨て(完璧には不可能だとしても)、純度の 高い目で土偶に向き合う姿が求められているのかも知れない。 今から30年前、この土偶に関しての衝撃的な見解が「人間の美術 縄文の神秘」梅原猛・監修に示された(私自身、最近になって 知ったことだが)。 殆どの土偶(全てではない)に共通する客観的な事実、「土偶が女性しかも妊婦であること」、「女性の下腹部から胸にかけて線が 刻まれている(縄文草創期は不明瞭)」、「完成された後に故意に割られている」など。 アイヌ民族や東北に見られた過去の風習、妊婦が亡くなり埋葬した後に、シャーマンの老婆が墓に入り母親の腹を裂き、子供を 取り出し母親に抱かせた。 それは胎内の子供の霊をあの世に送るため、そして子供の霊の再生のための儀式だった。 また現在でもそうかも知れないが、あの世とこの世は真逆で、壊れたものはあの世では完全な姿になると信じられており、葬式の 時に死者に贈るものを故意に傷つけていた。 このような事実や背景などから、梅原猛は「土偶は死者(妊婦)を表現した像」ではないかと推察しており、そこには縄文人の深い 悲しみと再生の祈りが込められていると記している。 「縄文のヴィーナス」、現在でも創った動機は推察の域を出ないが、そこに秘められた想いを私自身も感じていかなければと思う。 縄文人に限らず、他の人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)や、私たち現生人類の変遷。 過去をさかのぼること、彼らのその姿はいろいろな意味で、未来を想うことと全く同じ次元に立っていると感じている。 |