「Garry Kasparov on My Great Predecessors Part 3」






前述の第3巻

ペトロシアンスパスキー の各世界チャンピオンやこの時代を生きた名人達の名局

を詳細に分析している。






 「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」ガルリ・カスパロフ著 近藤隆文訳







Garry Kasparov - The Greatest Chess Player of All-Time



「人間対機械 チェス世界チャンピオンとスーパーコンピューターの闘いの記録」 より引用



1963年4月13日に旧アゼルバイジャン・ソビエト共和国の首都バクーで生まれた。元チェス世界チャンピ

オンのボトヴィニクに師事した。13歳で国際試合の世界に足を踏み入れた。初めて参加したソビエト連邦

外の試合・・・フランスのワティーニュで開催された第3回世界ジュニア選手権・・・では、第3位を分け合っ

た。西欧で開催される国際競技会で、わずか13歳の少年がソビエト連邦代表になったのは、このときが

始めてだった。



1979年、16歳のときには、ユーゴスラビアでの大会でプレイする機会を与えられた。そこには14人の手強

いインターナショナル・グランドマスターが参加していたが、ガルリはそのトーナメントで優勝し、未来の世

界チャンピオンの有力候補としての地位を確立した。21歳になると、ガルリは第12代世界チャンピオンの

アナトリィ・カルポフと初めて世界タイトルのかかった試合に臨んだ。最初の対戦は中止されたので、カル

ポフは世界チャンピオンの王冠を保持することができたが、その後、カスパロフは22歳でカルポフを破っ

て世界チャンピオンの座を獲得し、以来12年間そのタイトルを守りつづけている。1986年、1987年、1990

年にはカルポフの挑戦を退け、1993年にはイギリス人のナイジェル・ショートから、1995年にはインドの星

ヴィシュワナータン・アーナンドからタイトルを防衛している。



34歳の現在、ガルリはチェス史上最強のプレイヤーとして広く認められている。これまでに数多くの本を

書き、東欧の政治、教育、社会の改革に関する傑出したスポークスマンとしても国際的に評価されてい

る。慈善活動にも積極的に参加し、モスクワにカスパロフ基金を設立した(1917年の共産革命以後、初

めての個人基金)。またチェスを学校の教育科目にする運動を積極的に推進しており、カスパロフ・イン

ターナショナル・チェス・アカデミーを設立した。彼はロシア情勢の専門家として広く認められ、ウォール

ストリート・ジャーナルの最年少の寄稿者となっている。



1993年には、「プロフェッショナル・チェスの新時代のために、そして私たちのスポーツを家庭のゲームに

するために」、プロフェッショナル・チェス・アソシエーション(PCA)の設立に尽力した。また、スペインの

ダヴォスでのワールド・エコノミック・フォーラムやマドリッドでのクルソス・ヴェラノなどの国際大会に定期

的に講演者として招かれている。



(中略)



この本は、わが友ガルリ・カスパロフについて私が知っている通りに書いたものだ。ここに書かれたこと

について、あまりに主観的だと思う読者も多いだろうし、なかには反感を感じる人さえいるかもしれない。

何が真実であり真意だったのかという判断は、言うまでもなく読者に委ねられているが、私の目的は、

ガルリ・カスパロフを私の視点から、3つの歴史的事件というプリズムを通して示すことにある。この3つ

の歴史的事件とは、1995年の世界選手権であり、1996年と97年の2回にわたって繰り広げられたIBMの

スーパーコンピューター、ディープ・ブルーとの対戦のことである。このエキシビジョン・マッチは、チェス

だけでなく人類の進化の新時代を象徴するものとして世界の注目を集めた。



カスパロフがこの類を見ない挑戦を受けて立ったのは、私には意外なことではなかった。なぜなら、彼

はこれまでずっと新時代の象徴となるように運命付けられてきたからだ。ガルリ・カスパロフは世界一

のチェス・プレイヤーとして有名だが、かつて1980年代初期にはチェスの新時代の象徴だったこと、

そして1980年代後半にはソビエトの政治と社会の新時代の象徴だったことを多くの人は忘れてしまっ

ている。



22歳でチェス史上最年少の世界チャンピオンになったガルリ・カスパロフは、個人と精神の自由を勝ち

取るために共産主義体制と戦い、少し歳をとって早くも白髪まじりの頭になってからは、崩壊するソビエト

帝国の廃墟の中で難民の生命を救い、ロシアの身体障害児たちの環境を改善する仕事に力を貸した。

そして、34歳になってからすっかり風格の出てきたガルリ・カスパロフは、チェスの世界を変える男となっ

た。この本は、ガルリ・カスパロフによる序文および指手解説によって一層充実したので、彼にこのこと

を感謝したい。   (後略)



1997年、ミハイル・コダルコフスキー

 

この「Garry Kasparov on My Great Predecessors Part 3」に収録されている棋譜

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ガルリ・カスパロフ 「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」より引用

『わが偉大ななる先人たち』の仕事を進めるうちに、私は世界チャンピオンたちの実績に

対する敬意を深めるだけでなく、チェスプレーヤー全般に、そしてチェスというゲームが

人間の知性の粋を引き出すやり方にいままで以上に感服するようになった。プロのチェス

トーナメントほど人間の能力に負担をかける活動はまずない。記憶力は酷使され、すば

やい計算が欠かせず、どの指し手にも結果はついてまわり、それが何時間も何日も、世

界じゅうに見守られながらつづいていく。心身を崩壊させるには絶好のシナリオだ。


そんなわけで、歴代世界チャンピオンの対局の分析をはじめたとき、私は多少寛大にな

る準備ができていた。分析に関してではなく、先人たちのミスに対する姿勢としてである。

こちらは21世紀にいて、いつでもギガヘルツのチェス処理能力をもつ巨人に頼ることが

できる。そんな優位で後知恵という客観性も保証される立場から、先達を厳しく裁いてい

いはずがない。そう自分に言い聞かせた。私にしても、戦いの熱気のなかで犯したミスは

容赦してもらいたいのだから。


このプロジェクトの肝となる部分は、こうした過去の対局に対する関連の分析を網羅する

こと、とくにプレーヤー本人や同時代の人々による発表ずみの分析を集めることだった。

シリーズの眼目はチェスの進化を示すことにある。したがって、当時の注釈はその時代の

棋士の考え方を明らかにする点で、ゲームそのものに劣らず貴重なのだ。


分析する者は静かな書斎で作業し、駒を動かす時間に制限がないのだから、プレーヤー

本人に較べてずっと仕事がしやすいと思われるかもしれない。結局のところ、あとから振り

返れば何でも見えるはずなのだ。だが、私は早い段階にこんなことを発見した。前コンピ

ューター時代(おおよそ1995年以前)におこなわれたチェスの分析に関するかぎり、あとか

ら振り返るときは遠近両用眼鏡が必要なのである。


矛盾しているようだが、通常、名手たちが雑誌や新聞のコラムで対局について書く場合、

注釈のなかで犯すミスは盤を前にしたときよりはるかに多い。自分の対局の分析を発表

したときでさえ、往々にして実際のプレー中より説得力に欠けるのだ。


(中略)


このゲームに関する当時の一般的な論調はつぎのようなものである。黒番のシュタイニッツ

は明らかに勝てる局面にあった。ラスカーは黒のキングに無謀な攻めをしかけ、ピースをサク

リファイスする。若干のプレッシャーを受けたものの、まだ優勢だったシュタイニッツがここで

致命的なミスを犯し、そのゲームを落とす。大悪手を指したショックはあまりに大きく、シュタイ

ニッツはその後の4局と世界タイトルを失った。


19世紀の分析の大半はそんな筋書きであり、以来、同じような説明がくりかえされてきた。こ

れを改訂するとしたら、つぎのようになるだろう。シュタイニッツは客観的に勝勢の局面にあっ

たが、いくつかミスをしてラスカーに危険な攻撃を許し、局面はがぜん複雑化した。挑戦者の

その後のプレーと駒捨てから、黒は多くの現実的な問題をかかえることになった。プレッシャー

を受けつづけるシュタイニッツは的確な守りができずに敗北する。最後にミスを犯した局面で、

シュタイニッツはすでに敗勢にあった。一見単純な勝勢の局面から逆転されたことで心理的

打撃を受け、この対戦中に立ち直ることができなかったのだ。この敗北に揺らいだのは彼の

自信だけではない。シュタイニッツは大切に育んできた堅実で論理的なチェスの原理に裏切

られたように見えた。勝利を確信し、みずからの哲学に従ってプレーした自負がありながら、

彼は敗れたのである。


ラスカーがゲーム中に感じたこと、多くの名手たちが分析時に見落とすとはどういうことだろう?

当のラスカーでさえ、のちの所見で公式の解釈に異議を唱えなかったが、直感はゲーム中、彼を

的確に導いたのである。これは1世紀後の私の対局と私の分析を含めて考えても、決してめず

らしいことではない。ゲーム中に達する集中のレベルを再現するのは不可能だとういうのが、ひと

つの理由だ。駒を動かすことが杖となり、それを支えとして精神のかわりに目を使うようになること

がある。盤を前に座るとき、われわれに選択肢はない。


こうした伝説の人物たちは何度となく、キャリア上の重要な場面で直感的に最善の手を見つけて

きた。競争の重圧が彼らを深く追いこんだのだ。プレッシャーがないとき、私たちの感覚の一部は

スイッチが切れている。分析とは、目の見える人が点字を学ぶようなものだ。私たちの考える優位

・・・・時間、情報・・・・はときにもっと大事なものを、すなわち私たちの直感をショートさせるのである。



カスパロフが上に解説した試合(1894年 ラスカー対シュタイニッツ 世界選手権第7局)

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カスパロフの名局

Garry Kasparov vs Veselin Topalov
"Kasparov's Immortal" (game of the day Aug-23-08)
It (cat.17), Wijk aan Zee (Netherlands) 1999 ・ Pirc Defense: General (B06) ・ 1-0
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Anatoli Karpov vs Garry Kasparov
"The Brisbane Bombshell" (game of the day Nov-05-08)
Karpov-Kasparov World Championship Match 1985 ・
Sicilian Defense: Paulsen Variation. Gary Gambit (B44) ・ 0-1
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Garry Kasparov vs Vladimir Kramnik
It (cat.19) 1994 ・
Sicilian Defense: Lasker-Pelikan. Sveshnikov Variation Chelyabinsk Variation (B33) ・ 1-0
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Anatoli Karpov vs Garry Kasparov
"Rated G" (game of the day Mar-26-11)
Linares ;CBM 34 Anand 1993 ・
King's Indian Defense: Saemisch Variation (E86) ・ 0-1
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Garry Kasparov vs Lajos Portisch
"Very Garry" (game of the day Jun-26-07)
Niksic 1983 ・
Queen's Indian Defense: Kasparov-Petrosian Variation. Petrosian Attack (E12) ・ 1-0
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Garry Kasparov vs Anatoli Karpov
"Tossed on the Flohr" (game of the day Aug-15-10)
Karpov-Kasparov World Championship Rematch 1986 ・
Spanish Game: Closed Variations. Flohr System (C92) ・ 1-0
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カスパロフの名局集
Garry Kasparov's Best Games
Compiled by KingG

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Chessgames.com

カスパロフの全棋譜集はこちら

 



ガルリ・カスパロフが過去に国際チェス連盟と騒動を起こし、イギリスのショートと共にチェス界を分裂さ

せたことを忘れることができません。1993年、チャンピオン・カスパロフと挑戦者・ショートは、彼らの世界

選手権を乗っ取り、彼らが作ったプロチェス協会(PCA)の元で行なうことを宣言しました。彼ら理由として、

「国際チェス連盟(FIDE)の規則では、世界選手権決勝マッチの開催地はFIDE、世界チャンピオン、挑戦

者の3者の合議で決定することとなっていた。しかし、カンポマネス(FIDE会長)はこれらの規則を破って、

開催地をマンチェスターと宣言した」からだとしていますが、確かにFIDEの官僚体制などいろいろ問題が

あったかも知れません。しかし、彼らカスパロフとショートが動いた根本動機は私利私欲であった面は否定

できないと思います。カスパロフは以前からカンポマネスに不信感をもっており、自分主導でチェス界を

引っ張っていく想いが強かったのかもしれませんが、ただ言えることは、彼が現在のチャンピオンになる

ことが出来たのは、地方・国など多くのチェス組織があってこそだと思います。会長への憎しみだけのため、

今まで自分を育ててくれた組織を分裂させてしまったカスパロフとショートの行動は批判されるべきかも

知れません。カスパロフは最近、あの行動は間違っていたと語り、その責任の多くがショートにあると主張

していますが、これもチェス界の悲しい遺産の一つです。



2013年月.30日 (K.K)

 



チェスの歴史上、最強の人間は誰だったか、それは人の感性や棋力により答えが異なるのは当然かと

思います。現在のレーティング(強さの数値)で判断すると、必ず現在の棋士がトップに来ますが、それは

チェスのイロレーティング(Elo rating)が年に数%づつインフレを起こしているためです。ですから最も公平

な見方は、同時期に存在した多くの名人たちとの比較などでしか判断できないかも知れません。例えば時

代別にA・B・Cの名人を並べると、AとB、BとCは対戦が多く優劣の判断はできるが、AとCは対戦したこと

がない。このような場合、AとC、どちらが強いかを判断するには、Bの存在で測ることも可能です。AとBの

勝率、BとCの勝率などで、AとCの力関係を推察することができる。しかし、この比較も名人と言えども全盛

期とそうでない時期、そして相性の問題も当然あるのでやはり確定することはできないように思います。私

個人としては、モーフィーカパブランカフィッシャーがチェス史上最強かと思いますが、カスパロフに関し

ては序盤研究のプロ集団を雇っていた彼にはその資格はないと思います。そして大事なことは、たまたま

チェスに接することがなかっただけで、その素質は彼らより上という人間も人類誕生から今日まで沢山いた

ことを忘れてはいけないと思っています。


2013年1月31日 K.K











元世界チャンピオンのガルリ・カスパロフと将棋の羽生義治のチェス対局が2014年11月28日、

六本木ニコファーレにて行なわれました。持ち時間は各25分で一手につき10秒加算する方式

です。結果はカスパロフの2戦2勝でした。



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