未来をまもる子どもたちへ




上の画像は双眼鏡(倍率7倍の実視界約7°)で見る春の星空 M44 プレセペ(散開星団)。

距離 577光年 かに座



上の画像は光害のない、そして透明感ある最高の星空を再現したものです

ので、光害などが残るところでは実際にはこのように見えない場合があります。


 




今から577年前の世界とは?(2011年基点)

遠い昔に船出した星の光は、今それを見ている人の瞳に
映し出され、そしてその心には何が刻まれるのでしょう。


 


1414  コンスタンツ公会議(〜1418)

1419  ドイツでフス戦争が始まる(〜1436)

1429  フランスの少女ジャンヌ・ダルクがオルレアンの包囲を破る

1428  (日本)正長の土一揆

1450  ドイツのグーテンベルクが活版印刷術を発明

1452  レオナルド・ダ・ヴィンチ生まれる

1453  オスマン・トルコが東ローマ帝国を滅ぼす

1455  イギリスでばら戦争(〜1485)

1467  (日本)応仁の乱

1473  コペルニクス生まれる。

1475  ミケランジェロ生まれる。

1480  モスクワ大公国独立

1483  ラファエロ生まれる。

1485  (日本)山城の国一揆

1492  コロンブスが新大陸を発見



 


ジャンヌ・ダルク(Joan of Arc)
JOAN of ARC was Taking Action at VICTORY in Orleans May 8,1429 A Celebration of Women

ジャンヌ・ダルク(仏: Jeanne d'Arc、過去:Jehanne Darc[1]、英: Joan of Arc(ジョーン・オブ・アーク)、
ユリウス暦 1412年1月6日 - 1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」(仏: la Pucelle d'Orleans/英:
The Maid of Orleans)とも呼ばれるフランスの国民的英雄で、カトリック教会における聖人。



百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与
したとされる。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑に
なった。




ジャンヌは1425年、初めて「声」を聞いたとされる。後の処刑裁判での答弁によると、聖女カトリーヌと
マルグリット、そして大天使ミカエルの声であったという。「声」はジャンヌにヴォークルールの守備隊長
ロベール・ド・ボードリクールに会い、オルレアンの包囲を解いてフランスを救うよう告げた。ジャンヌは
「声」に従い、1428年5月にボードリクールの元を訪れたが追い返された。



到着直前に伝令使は、ジャンヌの手紙を持って一足先にシノンに入った。その知らせを聞いた王太子
シャルルは、ジャンヌと会う際にちょっとした芝居をしたと言われている。側近たちの中に紛れて王太子
らしくない服装でジャンヌを呼んだが、ジャンヌはすぐに本物のシャルルを見抜いた。ジャンヌとシャルル
は幕僚たちから離れ、二人きりで話をすることになった。そしてジャンヌはシャルルに、「声」から授かっ
たシャルルの王としての正統性を証明する秘密の話をしたと言われている。これは王太子の兆候(シー
ニュ)に関する話であったと伝えられている。ジャンヌは後の処刑裁判でも、この時の秘密の話について
の内容を証言することをかたくなに拒み続けたため、どのような内容だったのかは不明である。いずれ
にせよ、王太子であったシャルルはこの話を聞き、ジャンヌを信じることになった。ジャンヌを疑っていた
聖職者たちも、ポワティエでの3週間にわたる審理の結果、ジャンヌを認めた。



1429年4月、ジャンヌは「ラ・ピュセル」(la Pucelle:現代訳では「少女」の意味であるが、当時の語彙では
「女中」「メイド」程度の意味、前述の英語訳参照)と呼ばれることになり、ロワール川沿いの都市オルレ
アンに向けて出発した。当時オルレアンはイングランド軍に包囲されていた。ジャンヌはオルレアンの総
司令官であった「オルレアンの私生児」ジャン(後のデュノワ伯)、後に熱心な支持者となるアランソン公、
オルレアンの隊長「ラ・イール」、一説にはシャルル・ペローの『青ひげ』のモデルとも言われるジル・ド・レ
イたちとともに、イングランド軍と戦った。ジャンヌは勇猛果敢に突撃したが、左肩に矢を受けた。命に
別状はない外傷だったが、このときは未だ年若い10代後半の少女であるに過ぎず、不安のあまり泣き
出す始末だった。ジャンヌは人を殺したくないという理由から、旗持ちを好んでいたが、仲間の兵隊たち
を鼓舞する役目を堂々と果たし、戦闘においては進んで危険な突撃を敢行した。むろん、ジャンヌの鼓舞
により、オルレアンの兵隊たちの士気はいやがうえにもあがった。翌月、イングランド軍は撤退しオルレア
ンは7ヶ月以上にわたる包囲網から解放された。



その後、ジャンヌはロシュ城にいた王太子シャルルの下に馳せ参じ、ランスにてシャルル7世として正式
の戴冠式を挙げることを強く主張した。ランスはフランク王国メロヴィング朝の王クローヴィスが洗礼を
受けた町で、歴代のフランス王がこの地で戴冠式を挙げていた。そのため、シャルルの王位継承権の
正統性を世に知らしめるためには何としてでもランスで戴冠式を挙げる必要があった。だが、ランスまで
行くにはイングランド軍を打ち破らねばならなかった。そのため反対する者もいたが、最終的にはジャンヌ
の提案が受け入れられ、シャルルはランスへと向かった。途中にあった都市を次々と傘下に入れ、途中
に宮廷筆頭侍従のドゥ・ラ・トレムイユと犬猿の仲であったリッシュモン大元帥の救援を受け入れ、1429年
6月18日のパテーの戦いで大勝利を収めた。これによってランスへの道が開け、7月17日にシャルルは
ノートルダム大聖堂で戴冠式を挙げ、正式なフランス国王シャルル7世となった。これによって、ジャンヌ
の神託であるオルレアンの解放とランスでの戴冠式の両方が成し遂げられたことになる。



この戴冠式には、本質的には敵対勢力であるはずの、北部フランスのブルゴーニュ派の人々も招かれて
いた。シャルル7世の顧問官たちは、この時すでに新たなる外交政策の布石を打ち始めていた。あくまでも
戦闘と武力によるフランスの解放を主張するアランソン公らジャンヌの属するタカ派勢力は徐々に邪魔者
になり始めていたといえる。ジャンヌが誰よりも頼りにしようとしたリッシュモン大元帥はランスでの戴冠式
にさえ参加できず、これはシャルルの義母ヨランド・ダラゴンらによるラ・トレムイユの排除まで続くことにな
る。ジャンヌはすでに役目を終えていたのであるが、シャルル7世としてはカリスマ的な人気を得ていたジャ
ンヌを放り出すわけにもいかず、引き続き従軍を命じたものの、複雑な政治情勢や王と顧問官達の思惑の
犠牲になった。


ジャンヌ・ダルク - Wikipedia より抜粋引用








M44 散開星団・・・「プレセペ」とよばれ、紀元前から知られている星団・・・紀元前からぼんや

りとした星雲状の天体として知られていたが、星の集まりであることを確認したのは、ガリレオ・

ガリレイ(1564〜1642)である。距離が近いために大きな広がりをもつまばらに見える星団のため、

双眼鏡での観察が適している。ヨーロッパのヒッパルコス衛星の観測から、M44までの距離が

精密にわかり、星団の固有運動や年齢も正確に推測された。その結果は、おうし座の散開星団

ヒアデスと非常によく似ており、空間的には大きく離れているが、これら二つは同じ星間雲を起源

とした星団の可能性も考えられている。


「Newton ニュートン別冊 メシエ天体のすべて」より引用



 


「春がすみの中ではちょっとつらいが、暗夜なら肉眼でよくみえる。うすボンヤリとひかる

大きなかたまりが、正体不明の不気味な印象をあたえたのだろう。中国では“積尸気(し

しき)”とよんで、人の死がいからたちのぼる妖気がここに集まっていると考えた。双眼鏡

でみるプレセペには、まったく不気味な感じはなく、プレセペという名前のかわいいひびき

にふさわしい可憐な星団だ。ところで、このプレセペの星を肉眼でいくつか数えられるとい

う人もいるが、あなたの視力ではどうだろうか? すばらしい夜にでっくわしたら、一度挑

戦してほしい。双眼鏡や口径5cmクラスの低倍率では色のちがったいろいろな星がみら

れて楽しい。」

「ほしぞらの探訪 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡による」山田卓著 より抜粋引用




「空の暗い場所なら肉眼でも大きく広がった星雲状に見ることが出来ます。このため世界中

でさまざまな愛称が付けられ、飼い葉桶という意味の「プレセペ」、みつばちの巣という意味

の「ビーハイブ」などが有名です。(中略) 春の星雲・星団ウォッチングでは小さく暗い銀河

が主体となるので、肉眼で見るほど大きく明るいM44は貴重な存在です。もちろん小型

双眼鏡でとてもよく見えます。」

「メシエ天体 ビジュアルガイド」 中西昭雄・著 誠文堂新光社 より引用


「満月の3倍もある大きな星団で、大部分の星が10等星よりも明るいので、4.2cmの

双眼鏡でも都会で十分楽しめます。プレセペ星団には7.5等よりも明るい星が13個

あり、そのうち4個は白色、残り8個はオレンジ色で、7p16倍の双眼鏡では色の

対比がみごとです。」

「双眼鏡で星空ウォッチング」白尾元理著 より抜粋引用


「かに座のγ〜δ〜η〜θ星がつくる四角形の真ん中にある散開星団で、「プレセペ」

にニックネームがある。よく晴れた夜には肉眼でもぼんやりと見えるので探すのは簡単。

この星団は双眼鏡で見るのが最も美しい。望遠鏡では倍率を上げると星々がバラバラ

になってしまい、星団らしさがなくなるので、30倍以下で見よう。ケフェウス座を小さくした

ような五角形の星の配置が印象的だ。」

「エリア別ガイドマップ 星雲星団ウォッチング」浅田英夫著 より引用


「ところでこのプレセペ、双眼鏡で見れば約100個あまりの星が群れている散開星団で

あることがすぐにわかりますが、肉眼ではどんなにがんばってもぼんやり雲のようにし

か見えません。ですから昔の人びとはその正体をつかみかねたらしく、中国ではぼうと

青白い人魂のようだというので、プレセペのことを積尸気(ししき)とよんでいました。尸

というのは死体のことですから、プレセペが死がいから立ちのぼる妖気といって気味悪

がっていたわけです。そして縁起の悪い星座として、かに座を鬼宿と名づけていました。

ところが、所かわれば品かわるで、インドでは釈迦が生まれたときに月がこの星座に

あったというので、中国とはぎゃくにたいへんめでたい星座とし、プレセペを釈迦の胸に

ある卍に似ているといってあがめていたといわれます。一方、ギリシャでは哲学者の

プラトンの一派が、プレセペを人間が生まれるとき、その身体に宿る魂が天上より降り

てくるときの出口だと説いていました。」

「星座ガイドブック 春夏編」藤井旭著 より抜粋引用


「かに座の名所は、甲羅の上でキラキラ輝くプレセペ星団だ。肉眼でも、ボヤーッと雲のよ

うに見えるほどの明るさだ。双眼鏡なら、空にちりばめられた細かいダイヤモンドのように

見えて、最高に美しい。プレセペは、昔から雲のような天体として知られていて、ギリシャ時

代には「小さな雲」と呼ばれていた。中国では「積尸気(ししき)」といって、人が死んだとき

に立ち昇るガスに見立てた。またインドでは、釈迦が生まれたときにここに月が輝いていた

というので、プレセペをめでたい星としている。イギリスでは「蜂の巣」と呼んでいる。プレセ

ペとはラテン語で、馬やロバが食べるまぐさを入れる「まぐさ桶」のことだ。だからアラビアで

は、δ星には「南のロバ」、δ星の北のγ星には「北のロバ」という名前がついている。

「星空フィールド日記」浅田英夫著 より引用


「よく晴れた月のない夜、かに座の中ほどに注目すると、肉眼でもぼんやりした光芒が見えて

いるのに気づくことがあります。そこでさっそく双眼鏡を向けると、これがたくさんの星が群れ集

まるプレセペ星団だとすぐ正体がわかります。春の夜空では、まずこのプレセペ星団に注目して

みてください。プレセペ星団の位置・・・しし座の1等星レグルスと、ふたご座の1等星ポルックスを

結んだ、ほぼまん中のあたりにかに座がありますので、プレセペ星団の光芒は肉眼でもすぐ見

つけれれます。市街地では肉眼ではわかりませんが、双眼鏡を向ければすぐ星の集団としてと

らえられます。」

「双眼鏡で星空を楽しむ本」藤井旭著 より抜粋引用


「有名なプレセペ星団です。プレセペの意味は、かいばおけ(秣槽)です。またビーハイブ(ハチ

の巣)ともよばれています。ふたご座のαをβの方にぐっとのばしたところで、γηθδの四角

形の中に、ちょうど夜霧の中にまたたく燈火といった感じの、おぼろな光がうつります。ときに彗

星とまちがえそうにも思われます。目のよい人ならばよく晴れた夜に、数個の微星を見出すかと

思いますが、この中の重星の分離は肉眼ではおよびません。7×50双眼鏡で、視野にγηθδ

の四角形がすっぽり入ってきます。視野に輝く明るい星ぼしはまるで真珠のようで、そのまわりが

うすいベールにつつまれているようにみえるでしょう。星の配列も双眼鏡ではっきりしてきます。」

「四季の天体観測 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で」中野繁著 誠文堂新光社 より抜粋引用



M44



Astronomy Picture of the Day Archive APOD: 2018 February 3 - Earthshadow and the Beehive

2018年1月31日の皆既月食。右上に見えるのはプレセペ星団




2013年11月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



APOD: 2013 November 9 - Comet Lovejoy with M44


地球に近づきつつあるアイソン彗星(写真はNASAより引用)



肉眼でも見えるだろうと予測されているアイソン彗星。太陽最接近(11月29日)まであと19日だそうですが、

予想通り見ることが出来ればいいですね。



写真の右側の星の星団はプレセペ星団(M44)と呼ばれています。



中国では青白い人魂のようで不気味な存在と映っていたようですが、イギリスでは「蜂の巣」と呼び、インド

では釈迦が生まれた時に、月がこの星団の星座(かに座)に位置していたというので、とても崇められてい

るようです。



M44までの距離は約577光年。ジャンヌ・ダルク、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロなどが脚光を浴びた

時代に、この星団から船出した光が今、地球に届いています。



かに座は冬の大三角の一つ、こいぬ座のプロキオンの近くにあります。




]

「フラムスチード 天球図譜」恒星社編 より引用







双眼鏡で見る春の星空 双眼鏡で見る夏の星空

双眼鏡で見る秋の星空 双眼鏡で見る冬の星空

天体観測に適した小・中口径の双眼鏡

天体観測に適した大口径の双眼鏡

(映し出されるまで時間がかかる場合があります)

いい双眼鏡とはどんなもの

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