この美しい聖母像は1868年にフランスから贈られ、開国後、初の
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開港後日本最初の聖堂 カトリック山手教会 に戻る。
2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年6月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 聖母マリア(写真は私の家にあるマリア像です) これまで世界各地に聖母マリアが出現した。その中でカトリックの聖地となったものではルルド、ファチマが 有名かも知れない。 アッシジの聖フランシスコも「小さき花」で描かれているように、イエス・キリストやモーセの臨在を数多く受け ていた。 私自身の場合、過去に一度だけ神秘体験をしたことがある。苦しみを通り越して自分が息をしているかどう かわからなかった時のことであるが、ただそれは強いストレスにさらされた脳に快感物質が出たからだと今 は思っている。 ルルドやファチマに出現した聖母は真に神からの伝言だったが、私の場合は脳の防御反応でしかなかった と感じている。 本当に真偽を見極めるのは難しいと思うし、私には出来ない。 たとえ私の前に過去の偉大な聖人が出現しても私はそれを吟味し続けるだろう。 その現象を自己の心の奥深くに落としながら、それは真なのかと問い続けるだろう。 それは私のような疑い深い人間には長い時間を要するものかも知れないし、時間をかけなければならない ものだと思う。 ルルドやファチマで聖母を見た少女たち、彼女たちは純真無垢だけでは言い現すことができない何か、神か らの特別な恩寵を受けていたと感じられてならない。 (K.K) |
2013年4月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 「男は女の力を恐れている」 (写真は『アメリカ先住民女性 大地に生きる女たち』から引用しました。) 中東やインドで起きている女性の悲劇を見るにつけ、私はそれを感じてならない。 恐らく太古の時代では多くが母系社会(母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度)で あり、調和ある共同体をつくるために母系社会は最も基礎となるものだった。 縄文土器に見られる女性像などから、儀式を執り行ったのは主に女性だったのではないかとの説が あるが、沖縄・奄美のユタ(殆ど女性)を除いて、世界各地のシャーマンは圧倒的に男性が多い。これ はもともと女性は生まれながらに偉大な神秘が宿っていることを男性自身が認識しており、治癒など の儀式や部族の指導者(女性の意見だけで決める部族もある)は男性に任せるというのが自然の流 れになってきたのかも知れない。 母系社会の中では性犯罪が起きることは考えられないことであった。例えばアメリカ先住民と白人が 憎み戦っていた時代の証言「インディアンに囚われた白人女性の物語」の中でも、白人男性の捕虜と は異なり、女性捕虜が如何に大切に扱われてきたかを読むとることができる。 このアメリカ先住民の社会では、女性が男性の荷物を家の外に置くだけで離婚は成立し、その逆は なかった。 ただ現代のアメリカ先住民社会は、子供を親から無理やり引き離し、言葉・生活習慣・宗教などの 同化政策がなされた影響で、アルコール中毒、自殺、家庭崩壊、貧困が深刻な問題になっているが、 虐待や育児放棄の被害にあった子供たちを母系の集団の中で世話するため、現在でも孤児は存在 しない。 母系社会がいつから父系社会に転換したのか、、定住とそれによる近隣との闘争という説もあるが、 私の中ではまだ答えは見つけられないでいる。しかし肉体的な力による服従が次第に母系社会を 崩壊させ、それが暗黙のうちに様々な宗教に伝統として紛れ込んだのは事実かも知れない。 日本では菅原道真などに象徴される「怨霊」や「祟り」を鎮めるために、迫害者に近い人が神社などを つくり、祭り上げることで鎮めてきたが、同じように卑弥呼の時代は既に女性の力の封印が始まった 時期だと思う。また中世ヨーロッパにおける「魔女狩り」も、宗教が関わりを持つ以前から民衆の間で 始まった説があるが、女性の力を封印させる側面もあったのだろう。 「男は女の力を恐れている」 無意識の次元にまで下ったこの感情を、あるべき姿へと開放させ、母系社会の意味を改めて問う時代 だと思う。 「アメリカ先住民」に限らず、「聖母マリア」、「観音菩薩」の存在は、暗にその意味を私たちに教えている ような気がしてならない。 ☆☆☆☆ 「女性が死にたえるまで、部族が征服されることはない。」 (チェロキの言い伝え) 「先住民族女性と白人の女性開放論者のちがいは、白人フェミニスト たちは権利を主張し、先住民女性は負うべき責任について主張し ているところだ。このふたつは大きく異なる。わたしたちの責務とは この世界にあるわたしたちの土地を守ることだ。」 ルネ・セノグルス(Renee Senogles) レッド・レイク・チペワ(Red Lake Chippewa) 「女は永遠の存在である。男は女から生まれ、そして女へと帰っていく。」 オジブワ族(Ojibwa)の言い伝え 「この星は、われわれがずっと生活してきた家である。 女性はその骨で大地を支えてきた。」 リンダ・ホーガン(Linda Hogan) チカソー(Chichasaw)族 詩人 「女性を愛し、大地は女性なのだと教えられ育ってきた男たちは、大地と 女性を同じものだと考えている。それこそ本当の男なのだ。生命を産む のは女性である。女性が昔から感じとっていた眼にみえない大きな力と の関係を男たちが理解し始めるなら、世の中はよりよい方向に変化し 始めるだろう。」 ロレイン・キャノ(Lorraine Canoe) モホークの指導者 ☆☆☆☆ |
2013年5月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (大きな画像) テントウムシ(天道虫)とネムノキ(合歓の木) 5月26日ベランダにて撮影 テントウムシはアブラムシ類や、種類によってはカイガラムシ類やハダニ類、うどんこ病菌を 食べる益虫として昔から尊ばれてきました。また太陽に向って昇り、枝の先端からでないと 飛び立たないことから、日本では「天道虫」として親しまれていました。 英語では「聖母マリアの使い」、ドイツ・スペイン語では「マリア様の虫」、フランス語では「神様 の虫」、イタリア語では「神の雌鳥」との意味があり、イタリアやアメリカでは、テントウムシが体 にとまると幸せが訪れると言われているようです。 ヨーロッパのある伝承では、無実の罪で処刑されそうになった男の肩にテントウムシが留まり、 男は息を吹きかけて逃がしてやりますが、そのテントウムシは違う男の肩に留まります。その 男はこのテントウムシを叩き潰してしまいますが、それを見ていた領主が不審に思い再調査し たところ、叩き潰した男が真犯人だとわかったことから「無実の人を救う虫」となったというもの もあります。 ネムノキ(合歓の木)、何故「合歓の木」と呼ばれたのかは、夜、葉を閉じる姿が眠っているよう に見えるとか、夫婦の交わりを意味すると言われていますが、私は手を合わせる行為、祈りの 姿に似たものをそこに感じます。 日の出とともに咲き、日の入りとともに花をしぼめる蓮や睡蓮は、エジプトやヒンズー教、仏教 では聖なる花ですが、合歓の木の姿を見て、そこに蓮や睡蓮と同じように太陽と共に生きたり 眠ったりする姿を重ね合わせた人がいたのかも知れません。 自然の営みを通して思い起こさせてくれる「祈り」の姿は、あるべき道から離れた心を呼び戻そ うとしているかのようです。 |