ディープブルーvs.カスパロフ
ブルース・パンドルフィーニ著 河出書房新社 より引用







本書 まえがき より引用


時は1996年2月17日、場所はアメリカのフィラデルフィア。ガリ・カスパロフは、勝利と栄光を手に

して対局テーブルから立ち上がった。カスパロフは、人間対機械の究極の対決として注目されてい

た、IBMのスーパーコンピューター、ディープブルーとの6ゲームマッチの最終局で、その相手をう

ち負かしたのであった。人間が機械に4対2のスコアで勝利した。しかし内容はスコアの差以上の

ものがあった。



これまでの世界チャンピオンの中でも最強であるともいえるカスパロフは、コンピューターの暴力的

なまでのしらみつぶしの読みよりも、チェスへの理解と経験で培われた戦略の方がはるかに優れて

いることを世の中に知らしめた。ディープブルーは1秒に1億もの局面を評価することはできたが、

チェスへの本当の理解に必要な、局面の微妙な要素を把握することはできなかったのである。



そして1997年5月11日、ニューヨーク。われわれは前年とは違った光景を見ることになった。人間の

知恵という重荷を背負って戦ったカスパロフは、怒りと絶望をあらわにして対局テーブルから立ち

上がり、完全に打ちひしがれて対局場から立ち去ったのだ。



改良された新しいディープブルーが3.5対2・5のスコアで、最強の人間のライバルをうち破り、世紀

の再戦を制したのだ。最終局はディープブルーの圧勝。それがあまりにも大差だったので、この

結果はあらかじめ用意されていたものであり次のマッチへ興味を引かせる布石である、と発言す

る評論家も出るほどであった。しかし、その騒ぎはほどなくおさまった。IBMが次のマッチを行う

予定はないとニューヨークの記者会見で発表したのだ。IBMの株価の影響か、もしくはカスパロフ

の無礼な振る舞いがIBMの気にさわったのだろうか。



いずれにせよ、IBMはディープブルーで成功を収めた。世界的な巨大企業の全面的なバックアッ

プを得て、優秀なプルグラマーや技術者、そしてチェスのグランドマスターらの協力で開発され、

修正が加えられていったスーパーコンピューターが、最強の人間のチェスプレーヤーと互角に

戦えることを証明したのだ。どうして前年と結果が逆転したのか、チェスというゲームにこれから

どのような影響を与えるのか、人間の頭脳にどのような意味を与えるのか、と疑問はわき起こる。



まさにこれらの疑問が本書を書くきっかけとなったのである。これらのことについて考えているう

ちに、この歴史に残る対決を一手一手初心者にもわかるように解説していけば、その疑問をうま

く説明できるのではないかとひらめいた。



カスパロフが指し手を直感的に考えていく、いわば選別していく指し方であるのに対し、ディープ

ブルーはすべての指し手が力ずくの計算で評価していく。この対照的な2つの指し方が激突する

マッチは、チェスの基本と、どのようにして指し手が決まっていくのか、ということを説明するのに

うってつけなのである。その成果が本書である。このマッチでの差し手を詳細に説明するとともに、

チェスのおける基本的な概念やその応用についても随所紹介しよう。そして、ゲームそのものの

芸術性や美しさ、実践的な評価、チェスを指す楽しみについても触れていくつもりだ。



ブルース・パンドルフィーニ




 
 


本書 あとがき より引用


これは何だったのか? 何が起こったのだ? これは何を意味しているのだ? ただの

チェスのマッチである。そして負けた。それ以外のなにものでもない。それは事実である。

しかし、誰が負けたかが問題である。世界チャンピオンが敗れたのだ。そして、誰に負け

たかが問題である。機械に敗れてしまったのだ。ディープブルーがマッチを制した。これ

は、IBMのスーパーコンピューターがカスパロフより強いチェスプレーヤーであることを意

味するのか。ほとんどの専門家はそうでないと考えているだろう。実際に自分のまわりに

いる専門家に聞いてみるとよい。きっと口をそろえたように、「カスパロフの方がまだ強い。

しかし、その差は縮まっている」と答えるだろう。


しかし、勝ったものが強いのではないのか。だがわれわれは、必ずしもその結果を信じ

うとはしない。特に負けた方が、自分のひいきのプレーヤーであったりチームであった場

合はそうだ。たまたま番狂わせが起こったと考えるであろう。チェスが団体競技ではない

のは誰もが認めるところだが、このマッチはディープブルーを勝たせようとするスペシャリ

ストの団体を相手にしていたのではないか。ある意味では人間対機械のマッチであった

が、別の意味では1人の個人が知性の集積に対して戦っていたのではないか。


実際なぜカスパロフは負けてしまったのだろう。確かにカスパロフの集中力は切れてい

た。変わったオープニングを指してコンピューターを陥れようとするあまり疲れすぎてしまっ

ただけだという専門家も多い。序中盤で有利な局面を得ていたが、普段指し慣れていない

戦形での複雑な変化を考える過程で消耗してしまったのだと。たった8日間ではあったが、

それまで一瞬たりとも気の抜けない5ゲームを戦ったカスパロフには、運命の最終ゲーム

に余力は残っていなかったのだ。そしてその通りの結果になったまでのことだ。


カスパロフにとってもう一つの問題は、対局中の感情である。対局中のプレーヤーを見る

時に、そのプレーヤーの顔の表情やボディー・ランゲージはどうしても気になるだろう。わ

れわれ観客はおもしろがって見ることができるが、対局相手から見ればそのしぐさは脅威

となっているのだ。しかし、コンピューターはこれには影響されない。しかもカスパロフは相

手の反応を見ることさえできないのだ。ディープブルーのオペレーターだけにしか脅威を与

えることができないのである。


ディープブルーそのもの、そしてオペレーターたちも称賛に値するだろう。ディープブルー

は1秒間に評価できる局面の数が前年の2倍となった。マッチの期間中のゲームとゲーム

の間でもプログラムの微調整が可能となっており、微妙で難解な局面も正確に評価できる

ようになっていた。


いろいろな理由を述べてきたが、やはり本当の理由はカスパロフが負けたのはカスパロフ

が最善を尽くさなかったからであろう。カスパロフは、カスパロフらしく指すことさえしなかっ

た。変わったオープニングを選び、過度に注意深く指したということは、カスパロフ最大の

武器である勇敢で華麗な指しまわしを使わずに戦ったことになる。そのような指し手を、こ

のマッチでは全然見ることができなかった。そしてそれらを使わなかったカスパロフにチャ

ンスが訪れることはなかった。カスパロフは、戦いにおける最も基本的な原理を忘れてし

まっていたのか。「自己に忠実になりなさい」を。これを忘れていたらどんなチェスのマッチ

であろうと勝つことは不可能であろう。

ブルース・パンドルフィーニ


 


目次

訳者まえがき

まえがき

第1ゲーム カスパロフ意地の先勝

第2ゲーム ディープブルーの逆襲

第3ゲーム カスパロフのセンス vs. ディープブルーの読み

第4ゲーム ディープブルーの驚異のねばり

第5ゲーム まさに「機械」のドロー

第6ゲーム 最終局でディープブルーに凱歌

あとがき

カスパロフ vs. ディープブルー


 


Kasparov vs Deep Blue

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ディープ・ブルーの全棋譜

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 「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」ガルリ・カスパロフ著

 





確かに人間はコンピューターに負けてしまった。人間の知性に追いつくことを目標に

コンピューターは進化し、チェスがその格好の試金石となった。時は1997年5月

11日、ニューヨークでの出来事である。この人間チェスチャンピオン・ガルリ・カスパ

ロフとスーパー・コンピューター「ディープ・ブルー」の対戦は、チェスファンに限らず

世界中の多くの人々の関心の的になった。コンピューターの虱潰しに探す戦略を

支えたのが高度に進化した演算速度である。「ディープ・ブルー」は一秒間に数億

の局面を評価することが出来る怪物である。そんな怪物に加えて過去の名人達の

膨大な棋譜も加えられ、カスパロフは目の前の怪物と共に過去の名人の亡霊とも

戦うことを強いられていた。その精神的圧力が彼を押しつぶしたと言っても過言で

はないだろう。この一秒間に数億の局面を評価する怪物とほぼ対等に戦った人間

の知性も賞賛に値するのだが、果たしてこれからチェスは何処へ向かおうとするの

だろう。チェスチャンピオンの座は完全にコンピューターに置き換わってしまうのか、

それとも人間の知性より高度な次元にある直感的な感性がより研ぎ澄まされ、虱潰

しに対抗できるようになるのか。ひょっとしたらこの人間の敗戦は、脳の未知なる

部分に光を当てる新たな試金石になるのかも知れない。人間という存在に横たわ

るまだ解明されていない深い領域に何かを見つけるかもしれない。これらの問い

は、次の世代によって明らかにされてゆくのだろう。そして人間の本質というもの

をも垣間見させてくれるに違いない。

(K.K)


2011年4月27日、チェス・アマチュア Andrew Slyusarchuk(Andriy Slyusarchuk)
が最強チェス・プログラム Rybka4 とのマッチを盲指しで破る



NicolaYvette | "Let your body be a testament to your health"




Kasparov, Garry: Kasparov playing against Deep Blue -- Encyclopedia Britannica Online






Category: Board Games



現存している「ターク」が指した棋譜(ナポレオンとの試合も含む)

1770年から1827年までの7試合

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「謎のチェス指し人形『ターク』」トム・スタンデージ著 服部桂・訳 NTT出版 より以下引用



世界で最も強いチェスの指し手を破るというケンペレンの夢は、ついにかなうこととなった。それは

奇術ではなくコンピュータに託すことで実現した。しかしディープ・ブルーの勝利は、本当に人間に勝っ

たということになるのだろうか。そうとは言い切れない。ちょうどタークがいつも物書きたちに検査され

ながら秘密を暴かれたようとしていたように、ディープ・ブルーもまた詳細な分析を受け批判されてきた。



フィリップ・シックネスが執拗に痛烈に批判したように、アメリカの哲学者ジョン・サールは、「ニューヨー

ク・オブ・ブックス」で、ディープ・ブルーが本当に知的であると見なす考え方に反駁するエッセイを書い

ている。サールはその中で、ディープ・ブルーはその膨大な計算機能力に加えて、人間の専門家が

組み込んだ何千ものルール、もしくは「戦術的重みつけ」を備えていることを指摘している。「本当の

戦いはカスパロフと機械の間ではなく、カスパロフと、技術者とブログラマーのチームとの間で行なわれ

たのだ」と彼は結論づける。ディープ・ブルーもタークのようにイリュージョンを使って、考える機械のよう

に見せているが、実質的には人間の専門家がその中にいるのと同じなのだ。



しかしディープ・ブルーはタークのようなまやかしは使っていない。それを作った技術者は、そのイリュー

ジョンがどのように働いているのかを公開しているし、彼らの作ったものに知能があるなどとは主張して

いない。「私はどっちみちディープ・ブルーに知能があるとは考えていない」とその創造者の1人マレイ・

キャンベルは言っている。「それはある特別な領域で問題を解く優れた道具だ。もしディープ・ブルーが

自己学習する能力を持っていて、試合をすることから学んでいけばいいのだが、しかしそれは1ステップ

ずつ非常な苦労をしながらプログラムされていただけだ」。そしてディープ・ブルーの能力は、その膨大

なルールのデータベースに加えて、力づくの計算能力に依存したものであり、人間の専門家が行ってい

るようなチェスの動きを本能的に読み解く能力は持っていない。





「猫を抱いて象と泳ぐ」 伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの密やかな奇跡 小川洋子著

は、このトルコ人のチェス指し人形「ターク」を題材とした小説です。








Garry Kasparov - The Greatest Chess Player of All-Time



「人間対機械 チェス世界チャンピオンとスーパーコンピューターの闘いの記録」 より引用



1963年4月13日に旧アゼルバイジャン・ソビエト共和国の首都バクーで生まれた。元チェス世界チャンピ

オンのボトヴィニクに師事した。13歳で国際試合の世界に足を踏み入れた。初めて参加したソビエト連邦

外の試合・・・フランスのワティーニュで開催された第3回世界ジュニア選手権・・・では、第3位を分け合っ

た。西欧で開催される国際競技会で、わずか13歳の少年がソビエト連邦代表になったのは、このときが

始めてだった。



1979年、16歳のときには、ユーゴスラビアでの大会でプレイする機会を与えられた。そこには14人の手強

いインターナショナル・グランドマスターが参加していたが、ガルリはそのトーナメントで優勝し、未来の世

界チャンピオンの有力候補としての地位を確立した。21歳になると、ガルリは第12代世界チャンピオンの

アナトリィ・カルポフと初めて世界タイトルのかかった試合に臨んだ。最初の対戦は中止されたので、カル

ポフは世界チャンピオンの王冠を保持することができたが、その後、カスパロフは22歳でカルポフを破っ

て世界チャンピオンの座を獲得し、以来12年間そのタイトルを守りつづけている。1986年、1987年、1990

年にはカルポフの挑戦を退け、1993年にはイギリス人のナイジェル・ショートから、1995年にはインドの星

ヴィシュワナータン・アーナンドからタイトルを防衛している。



34歳の現在、ガルリはチェス史上最強のプレイヤーとして広く認められている。これまでに数多くの本を

書き、東欧の政治、教育、社会の改革に関する傑出したスポークスマンとしても国際的に評価されてい

る。慈善活動にも積極的に参加し、モスクワにカスパロフ基金を設立した(1917年の共産革命以後、初

めての個人基金)。またチェスを学校の教育科目にする運動を積極的に推進しており、カスパロフ・イン

ターナショナル・チェス・アカデミーを設立した。彼はロシア情勢の専門家として広く認められ、ウォール

ストリート・ジャーナルの最年少の寄稿者となっている。



1993年には、「プロフェッショナル・チェスの新時代のために、そして私たちのスポーツを家庭のゲームに

するために」、プロフェッショナル・チェス・アソシエーション(PCA)の設立に尽力した。また、スペインの

ダヴォスでのワールド・エコノミック・フォーラムやマドリッドでのクルソス・ヴェラノなどの国際大会に定期

的に講演者として招かれている。



(中略)



この本は、わが友ガルリ・カスパロフについて私が知っている通りに書いたものだ。ここに書かれたこと

について、あまりに主観的だと思う読者も多いだろうし、なかには反感を感じる人さえいるかもしれない。

何が真実であり真意だったのかという判断は、言うまでもなく読者に委ねられているが、私の目的は、

ガルリ・カスパロフを私の視点から、3つの歴史的事件というプリズムを通して示すことにある。この3つ

の歴史的事件とは、1995年の世界選手権であり、1996年と97年の2回にわたって繰り広げられたIBMの

スーパーコンピューター、ディープ・ブルーとの対戦のことである。このエキシビジョン・マッチは、チェス

だけでなく人類の進化の新時代を象徴するものとして世界の注目を集めた。



カスパロフがこの類を見ない挑戦を受けて立ったのは、私には意外なことではなかった。なぜなら、彼

はこれまでずっと新時代の象徴となるように運命付けられてきたからだ。ガルリ・カスパロフは世界一

のチェス・プレイヤーとして有名だが、かつて1980年代初期にはチェスの新時代の象徴だったこと、

そして1980年代後半にはソビエトの政治と社会の新時代の象徴だったことを多くの人は忘れてしまっ

ている。



22歳でチェス史上最年少の世界チャンピオンになったガルリ・カスパロフは、個人と精神の自由を勝ち

取るために共産主義体制と戦い、少し歳をとって早くも白髪まじりの頭になってからは、崩壊するソビエト

帝国の廃墟の中で難民の生命を救い、ロシアの身体障害児たちの環境を改善する仕事に力を貸した。

そして、34歳になってからすっかり風格の出てきたガルリ・カスパロフは、チェスの世界を変える男となっ

た。この本は、ガルリ・カスパロフによる序文および指手解説によって一層充実したので、彼にこのこと

を感謝したい。   (後略)



1997年、ミハイル・コダルコフスキー








歴代世界チャンピオンの肖像Serkan Ergun
serkan-ergun-the-world-chess-champions-by-serkan-ergun | Serkan Ergun

(大きな画像)


歴代チェス世界チャンピオン

名前 チャンピオン在位期間 その時の年齢 
 1 Wilhelm Steinitz 1886〜1894  50〜58
2 Emanuel Lasker  1894〜1921  26〜52
3 Jose Raul Capablanca 1921〜1927 33〜39 
4 Alexander Alekhine 1927〜1935  1937〜1946 35〜43 45〜54
5 Max Euwe 1935〜1937 34〜36 
6 Mikhail Botvinnik  1948〜1957 1958〜1960 1961〜1963 37〜46 47〜49 50〜52
7 Vasily Smyslov  1957〜1958  36 
8 Mikhail Tal  1960〜1961  24 
9 Tigran Petrosian  1963〜1969  34〜40 
10 Boris Spassky  1969〜1972  32〜35 
11 Bobby Fischer  1972〜1975  29〜32 
12 Anatoly Karpov  1975〜1985  24〜34 
13 Garry Kasparov  1985〜1993  22〜30 
14 Vladimir Kramnik  2006〜2007  31〜32 
15 Viswanathan Anand  2007〜2013  38〜43 
16 Magnus Carlsen  2013〜present  22〜




ガルリ・カスパロフ 「決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」より引用

『わが偉大ななる先人たち』の仕事を進めるうちに、私は世界チャンピオンたちの実績に

対する敬意を深めるだけでなく、チェスプレーヤー全般に、そしてチェスというゲームが

人間の知性の粋を引き出すやり方にいままで以上に感服するようになった。プロのチェス

トーナメントほど人間の能力に負担をかける活動はまずない。記憶力は酷使され、すば

やい計算が欠かせず、どの指し手にも結果はついてまわり、それが何時間も何日も、世

界じゅうに見守られながらつづいていく。心身を崩壊させるには絶好のシナリオだ。


そんなわけで、歴代世界チャンピオンの対局の分析をはじめたとき、私は多少寛大にな

る準備ができていた。分析に関してではなく、先人たちのミスに対する姿勢としてである。

こちらは21世紀にいて、いつでもギガヘルツのチェス処理能力をもつ巨人に頼ることが

できる。そんな優位で後知恵という客観性も保証される立場から、先達を厳しく裁いてい

いはずがない。そう自分に言い聞かせた。私にしても、戦いの熱気のなかで犯したミスは

容赦してもらいたいのだから。


このプロジェクトの肝となる部分は、こうした過去の対局に対する関連の分析を網羅する

こと、とくにプレーヤー本人や同時代の人々による発表ずみの分析を集めることだった。

シリーズの眼目はチェスの進化を示すことにある。したがって、当時の注釈はその時代の

棋士の考え方を明らかにする点で、ゲームそのものに劣らず貴重なのだ。


分析する者は静かな書斎で作業し、駒を動かす時間に制限がないのだから、プレーヤー

本人に較べてずっと仕事がしやすいと思われるかもしれない。結局のところ、あとから振り

返れば何でも見えるはずなのだ。だが、私は早い段階にこんなことを発見した。前コンピ

ューター時代(おおよそ1995年以前)におこなわれたチェスの分析に関するかぎり、あとか

ら振り返るときは遠近両用眼鏡が必要なのである。


矛盾しているようだが、通常、名手たちが雑誌や新聞のコラムで対局について書く場合、

注釈のなかで犯すミスは盤を前にしたときよりはるかに多い。自分の対局の分析を発表

したときでさえ、往々にして実際のプレー中より説得力に欠けるのだ。


(中略)


このゲームに関する当時の一般的な論調はつぎのようなものである。黒番のシュタイニッツ

は明らかに勝てる局面にあった。ラスカーは黒のキングに無謀な攻めをしかけ、ピースをサク

リファイスする。若干のプレッシャーを受けたものの、まだ優勢だったシュタイニッツがここで

致命的なミスを犯し、そのゲームを落とす。大悪手を指したショックはあまりに大きく、シュタイ

ニッツはその後の4局と世界タイトルを失った。


19世紀の分析の大半はそんな筋書きであり、以来、同じような説明がくりかえされてきた。こ

れを改訂するとしたら、つぎのようになるだろう。シュタイニッツは客観的に勝勢の局面にあっ

たが、いくつかミスをしてラスカーに危険な攻撃を許し、局面はがぜん複雑化した。挑戦者の

その後のプレーと駒捨てから、黒は多くの現実的な問題をかかえることになった。プレッシャー

を受けつづけるシュタイニッツは的確な守りができずに敗北する。最後にミスを犯した局面で、

シュタイニッツはすでに敗勢にあった。一見単純な勝勢の局面から逆転されたことで心理的

打撃を受け、この対戦中に立ち直ることができなかったのだ。この敗北に揺らいだのは彼の

自信だけではない。シュタイニッツは大切に育んできた堅実で論理的なチェスの原理に裏切

られたように見えた。勝利を確信し、みずからの哲学に従ってプレーした自負がありながら、

彼は敗れたのである。


ラスカーがゲーム中に感じたこと、多くの名手たちが分析時に見落とすとはどういうことだろう?

当のラスカーでさえ、のちの所見で公式の解釈に異議を唱えなかったが、直感はゲーム中、彼を

的確に導いたのである。これは1世紀後の私の対局と私の分析を含めて考えても、決してめず

らしいことではない。ゲーム中に達する集中のレベルを再現するのは不可能だとういうのが、ひと

つの理由だ。駒を動かすことが杖となり、それを支えとして精神のかわりに目を使うようになること

がある。盤を前に座るとき、われわれに選択肢はない。


こうした伝説の人物たちは何度となく、キャリア上の重要な場面で直感的に最善の手を見つけて

きた。競争の重圧が彼らを深く追いこんだのだ。プレッシャーがないとき、私たちの感覚の一部は

スイッチが切れている。分析とは、目の見える人が点字を学ぶようなものだ。私たちの考える優位

・・・・時間、情報・・・・はときにもっと大事なものを、すなわち私たちの直感をショートさせるのである。



カスパロフが上に解説した試合(1894年 ラスカー対シュタイニッツ 世界選手権第7局)



LaskerSteinitz1894.pgn へのリンク

 


カスパロフの名局


Smbat Gariginovich Lputian vs Garry Kasparov
"Gulliver and the Lputian" (game of the day Jul-29-09)
Tbilisi 1976 ・ King's Indian Defense: Saemisch Variation (E80) ・ 0-1


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




lputian_kasparov_1976.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Lajos Portisch
"Very Garry" (game of the day Jun-26-07)
Niksic 1983 ・
Queen's Indian Defense: Kasparov-Petrosian Variation. Petrosian Attack (E12) ・ 1-0


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



「1980年代スタイルのキング・ハント。カスパロフは、近年で最も輝かしいゲームを

つくりあげた。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用




kasparov_portisch_1983.pgn へのリンク





Anatoli Karpov vs Garry Kasparov
"The Brisbane Bombshell" (game of the day Nov-05-08)
Karpov-Kasparov World Championship Match 1985 ・
Sicilian Defense: Paulsen Variation. Gary Gambit (B44) ・ 0-1


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



「驚くべき(もしかすると成立していないかもしれない)8手目のポーン・サクリファイスはアンソロジーに

収録されることを決定づけた。ガルリーは対戦相手を手も足も出ない状態に追いこんでいる。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用




karpov_kasparov_1985.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Anatoli Karpov
"Tossed on the Flohr" (game of the day Aug-15-10)
Karpov-Kasparov World Championship Rematch 1986 ・
Spanish Game: Closed Variations. Flohr System (C92) ・ 1-0


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



「カスパロフによると1986年のマッチにおける最高のゲーム。懐疑的な論評も多いが、

ガルリーは32手目からすべて読みきっていたと主張する。」

「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用




karpov_kasparov_1986.pgn へのリンク





Jeroen Piket vs Garry Kasparov
"Crossing the Piket Line" (game of the day Aug-14-10)
Tilburg 1989 ・
King's Indian Defense: Orthodox Variation.
Classical System Neo-Classsical Line (E99) ・ 0-1


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




piket_kasparov_1989.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Anatoly Karpov
"Garry Garry Quite Contrary" (game of the day Nov-08-08)
Kasparov-Karpov World Championship Match (1990) ・
Spanish Game: Closed Variations. Flohr System (C92) ・ 1-0


「1990年の世界選手権試合の第2戦での素晴らしい勝利は、カスパロフがタイトル保持に

向いつつあることの証明のようであった。」


「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」
から引用




kasparov_karpov_1990.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Anatoly Karpov
"Special K" (game of the day Nov-26-07)
Kasparov-Karpov World Championship Match (1990) ・
Spanish Game: Closed Variations. Flohr System (C92) ・ 1-0


Nunnの名著「Understanding Chess move by move」、この試合を一手ごと詳しく解説。



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Anatoli Karpov vs Garry Kasparov
"Rated G" (game of the day Mar-26-11)
Linares ;CBM 34 Anand 1993 ・
King's Indian Defense: Saemisch Variation (E86) ・ 0-1



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Garry Kasparov vs Nigel Short
"French Toast" (game of the day Nov-23-12)
8th Euwe Memorial (1994) ・ French Defense: Steinitz. Boleslavsky Variation (C11) ・ 1-0


Nunnの名著「Understanding Chess move by move」、この試合を一手ごと詳しく解説。



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Garry Kasparov vs Vladimir Kramnik
It (cat.19) 1994 ・
Sicilian Defense: Lasker-Pelikan. Sveshnikov Variation Chelyabinsk Variation (B33) ・ 1-0



kramnik_kasparov_1994.pgn へのリンク





Garry Kasparov vs Alexey Shirov
Horgen SWZ 1994 ・
Sicilian Defense: Lasker-Pelikan. Sveshnikov Variation Chelyabinsk Variation (B33) ・ 1-0


Nunnの名著「Understanding Chess move by move」、この試合を一手ごと詳しく解説。



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Garry Kasparov vs Viswanathan Anand
Kasparov-Anand World Championship Match (1995) ・
Spanish Game: Open Variations. Karpov Gambit (C80) ・ 1-0


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Garry Kasparov vs Ivan Sokolov
32nd ol, Yerevan ARM 1996 ・ Scotch Game: Mieses Variation (C45) ・ 1-0


Nunnの名著「Understanding Chess move by move」、この試合を一手ごと詳しく解説。



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Garry Kasparov vs Veselin Topalov
"Kasparov's Immortal" (game of the day Aug-23-08)
It (cat.17), Wijk aan Zee (Netherlands) 1999 ・ Pirc Defense: General (B06) ・ 1-0


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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Rustam Kasimdzhanov vs Garry Kasparov
XXII Torneo Ciudad de Linares (2005) ・
Semi-Slav Defense: Meran. Wade Variation (D47) ・ 0-1


この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。




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カスパロフが負けた名局

Nigel Short vs Garry Kasparov
Brussels 1986 ・ Sicilian Defense: Scheveningen Variation. English Attack (B80) ・ 1-0


「ナイジェルは世界チャンピオンに対してセンセーショナルな勝利を

記録した。はたしてこれがタイトル戦の行方を占う一局となるか?。」

「完全チェス読本2 偉大なる天才たちの名局 ラスカーからカスパロフまで」から引用




short_kasparov_1986.pgn へのリンク





カスパロフが負けた名局

Deep Blue (Computer) vs Garry Kasparov
"Sacre Blue!" (game of the day Jun-05-08)
Match 1996 ・ Sicilian Defense: Alapin Variation. Barmen Defense Modern Line (B22) ・ 1-0



この試合は、チェスの歴史上最も偉大な125試合を詳しく解説した著名な文献
「The Mammoth Book of the World's Greatest Chess Games」に掲載されている。



kasparov_deep_blue_1996.pgn へのリンク

 


カスパロフの名局集
Garry Kasparov's Best Games
Compiled by KingG

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カスパロフの全棋譜集はこちら

 



ガルリ・カスパロフが過去に国際チェス連盟と騒動を起こし、イギリスのショートと共にチェス界を分裂さ

せたことを忘れることができません。1993年、チャンピオン・カスパロフと挑戦者・ショートは、彼らの世界

選手権を乗っ取り、彼らが作ったプロチェス協会(PCA)の元で行なうことを宣言しました。彼ら理由として、

「国際チェス連盟(FIDE)の規則では、世界選手権決勝マッチの開催地はFIDE、世界チャンピオン、挑戦

者の3者の合議で決定することとなっていた。しかし、カンポマネス(FIDE会長)はこれらの規則を破って、

開催地をマンチェスターと宣言した」からだとしていますが、確かにFIDEの官僚体制などいろいろ問題が

あったかも知れません。しかし、彼らカスパロフとショートが動いた根本動機は私利私欲であった面は否定

できないと思います。カスパロフは以前からカンポマネスに不信感をもっており、自分主導でチェス界を

引っ張っていく想いが強かったのかもしれませんが、ただ言えることは、彼が現在のチャンピオンになる

ことが出来たのは、地方・国など多くのチェス組織があってこそだと思います。会長への憎しみだけのため、

今まで自分を育ててくれた組織を分裂させてしまったカスパロフとショートの行動は批判されるべきかも

知れません。カスパロフは最近、あの行動は間違っていたと語り、その責任の多くがショートにあると主張

していますが、これもチェス界の悲しい遺産の一つです。



2013年月.30日 (K.K)

 



チェスの歴史上、最強の人間は誰だったか、それは人の感性や棋力により答えが異なるのは当然かと

思います。現在のレーティング(強さの数値)で判断すると、必ず現在の棋士がトップに来ますが、それは

チェスのイロレーティング(Elo rating)が年に数%づつインフレを起こしているためです。ですから最も公平

な見方は、同時期に存在した多くの名人たちとの比較などでしか判断できないかも知れません。例えば時

代別にA・B・Cの名人を並べると、AとB、BとCは対戦が多く優劣の判断はできるが、AとCは対戦したこと

がない。このような場合、AとC、どちらが強いかを判断するには、Bの存在で測ることも可能です。AとBの

勝率、BとCの勝率などで、AとCの力関係を推察することができる。しかし、この比較も名人と言えども全盛

期とそうでない時期、そして相性の問題も当然あるのでやはり確定することはできないように思います。私

個人としては、モーフィーカパブランカフィッシャーがチェス史上最強かと思いますが、カスパロフに関し

ては序盤研究のプロ集団を雇っていた彼にはその資格はないと思います。そして大事なことは、たまたま

チェスに接することがなかっただけで、その素質は彼らより上という人間も人類誕生から今日まで沢山いた

ことを忘れてはいけないと思っています。


2013年1月31日 K.K











元世界チャンピオンのガルリ・カスパロフと将棋の羽生義治のチェス対局が2014年11月28日、

六本木ニコファーレにて行なわれました。持ち時間は各25分で一手につき10秒加算する方式

です。結果はカスパロフの2戦2勝でした。



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