2012年1月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
画像省略
プロテスタント運動の先駆者ヤン・フスと、その時代のチェス
先に「聖ベルナデッタ」とバチカンのことを書きましたが、バチカンには闇が漂っていた時代が
ありました。その時代に行われた多くの悲劇は私よりも皆さんの方がご存知だと思います。こ
の闇で覆われていた時代とチェスのことを少し書いてみたいと思います。
写真はヤン・フスで、以下Wikipedia より引用抜粋します。
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ヤン・フス(Jan Hus, 1369年 - 1415年7月6日)は、ボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者。
彼はジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手した。彼の支持者はフス派として知られ
る。カトリック教会はそうした反乱を許さず、フスは1411年に破門され、コンスタンツ公会議に
よって有罪とされた。その後世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された。
フスはプロテスタント運動の先駆者であった。その広範な書物により、彼は、チェコ文学史に
おける突出した立場を得た。彼は、一つの記号でそれぞれの音を表すため、チェコ語の綴り
に特殊記号を使用し始めた人でもある。今日、ヤン・フスの言葉はプラハの旧市街広場で見
ることができる。
引用終わり
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ヤン・フスはチェス愛好者でした。しかし、処刑前そのことを後悔している記述があります。ヤン
・フスから100年後に生まれたアビラの聖テレサ(1515年〜1582年)も「完徳の道」という現代で
もカトリック霊性の最高峰と言われる本の中で、チェスにたとえた美しい話を書きますが、後に
削除することになります。これは当時のカトリック並びに修道院の中では世俗的な楽しみを極
端に排斥しようとしていた空気を感じ取ったからだと言われています。
前の「ケンブルの滝」でも紹介したモーリス・ズンデル神父は、「キリスト信者の徳とは、禁欲主
義の固い綱の上での曲芸ではない。キリスト教の徳とは、もし私たちが自分のすべての能力
の中にキリストを生きさせるなら、私たちをとおしてすべての人類にご自身を与えられるキリス
トのいのちである。大切なのは私の救いではなく、私たちの手の中に託された神のいのちなの
である。キリスト者の召命は神の顔となること。教会とは私たちであって、自分が生きた福音と
なる責任を感じながら、一人一人が他の人々にとって神の顔となるように努めるなら、今日の
世界には喜びがあるであろう。人が救われるのは説教によってではなく、現存によってである。
そしてこの現存は人間の顔をとおしてしか現れない。太陽が歌うステンドグラスになろう!」と
言っています。
もしズンデル神父のような視点が、当時のカトリックやバチカンの多くの聖職者に共有されて
いたら数多くの悲劇は避けられたかも知れません。話は少し飛躍しますが、第2バチカン公会
議(1962年〜1965年)で指導的な神学者であったカール・ラーナーは「無神論と暗黙のキリスト
教」の中で次にように書いています。
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「暗黙のキリスト教・・・・これは無記名のキリスト教と言いかえてよい・・・・とは、義とされ恩寵
のうちに生きていながらも、まだはっきりと福音が説かれるのに接したことがなく、したがって
おのれを「キリスト信者」と呼ぶような立場にない人間、そのような人間の状況を言いあらわ
すものである。あとで詳しく述べるように、このような人間が存在することは神学的に疑いよ
うがない。このような状況を「暗黙のキリスト教」と呼ぶべきかどうかは第二義的な問題である。
しかしこのような表現の真に意味するところが理解されたならば、先の問いにたいしてなんの
躊躇もなく肯定の答えを与えることができるであろう。 (中略) つまり公会議は、正常な大人
において、無神論が自覚的にかなり長い期間にわたって(極端な場合には死にいたるまで)
保持されていても、そのことは当の不信仰者が道徳的に罪過があることを立証するものでは
ない。(中略) 第二に、一般的なキリスト教の原理からして、われわれは、このような無神論
者が神の前において明らかに重大な罪過を犯している、などと裁く権利を有していないので
ある。」
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この流れを汲む現在のカトリックは、幸い人間活動の多様性の否定を引きずってはおりませ
ん。第2バチカン公会議より前の時代ですが、偉大な法王として今でも語り継がれているレオ
13世(1810年〜1903)はチェスの名局を残しておりますし、アウシュビッツで身代わりとして亡
くなられたコルベ神父もチェスの愛好者で神学生を相手にチェスを楽しんでいました。現代で
は故・マザー・テレサもインドの青少年チェス大会に出席し、表彰状を授けています。このこと
を思うと、ヤン・フスが生きていた時代の世界・カトリック教会には想像を絶するような閉塞感
が漂っていたのかも知れません。
ヤン・フスが生きた時代に船出した星の光が、今地球に届いています。ペルセウス座のメロット
20(散開星団)です。この散開星団は望遠鏡には不向きで、双眼鏡で見るのが適しています。
またペルセウス座にはアルゴルと言って「悪魔の星」と呼ばれていた星があります。アラビア語
のラス・アルグル「悪魔の頭」からきた名前ですが、アラビア人はときどき明るさを変えるこの星
を「最も不幸で危険な星」と呼んでいました。しかし、この食変光星の変光のメカニズム(明るい
星のまわりを暗い星が回っていて、暗い星が明るい星の前を通過するときに暗くなる)を提案し
たのは、イギリスの若者グッドリックでした。彼は、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体
をおして1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を熱心に追い続けたのです。1783年にロンド
ンの王立協会で研究成果を発表し、協会はコプリ・メダルを授与し、1786年4月16日には王立協
会会員に選出しましたが、グッドリックはわずか4日後に肺炎により22歳の若さで他界しました。
(K.K)
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