上の画像は双眼鏡(倍率7倍の実視界約7°)で見る冬の星空・M41(散開星団) おおいぬ座
左上に輝くのがシリウス。下に広がるのがM41。(シリウスの伝説に関してはこちら)
距離・・・2100光年
上の画像は光害のない、そして透明感ある最高の星空を再現したものです ので、光害などが残るところでは実際にはこのように見えない場合があります。 |
今から2100年前の世界とは?(2011年基点) 遠い昔に船出した星の光は、今それを見ている人の瞳に 映し出され、そしてその心には何が刻まれるのでしょう。 |
前133年 ティベリウス・グラックスの改革 前127年 武帝が匈奴を攻撃 前100年? カエサル(〜44) 前97年 司馬遷の『史記』なる 前91年 同盟市戦争(ソキイ戦争)〜同盟市のローマ市民権要求 前73年 スパルタクスの反乱(〜71) 前60年 第1回三頭政治〜ポンペイウス、クラックス、カエサル 前48年 ポンペイウスがエジプトで暗殺される 前44年 カエサルが暗殺される 前43年 第2回三頭政治〜オクタヴィアヌス、アントニウス、レピドゥス 前31年 アクティウムの海戦〜オクタヴィアヌスがアントニウスとクレオパトラの連合軍を破る 前30年 クレオパトラが自殺、プトレマイオス朝滅亡 前27年 オクタヴィアヌスが元老院からアウグストゥスの尊称を受ける〜ローマ帝政の開始 前4年頃 イエス・キリスト生まれる |
Sorry Liz, but THIS is the real face of Cleopatra | Mail Online より引用 イギリス、ケンブリッジ大学教授Sally Ann Ashton博士が、史実や発掘された彫像を元に復元した クレオパトラの顔 クレオパトラ7世フィロパトル(ギリシア語: Κλεοπ?τρα Φιλοπ?τωρ, ラテン語: Cleopatra VII Philopator, 紀元前70年12月/紀元前69年1月 - 紀元前30年8月12日)は、古代エジプトプトレマイオス朝最後のファラオである。父は プトレマイオス12世(アウレテス)、母はクレオパトラ5世であり、兄弟はベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイ オス13世、プトレマイオス14世(共に弟)が知られる。「クレオパトラ」の名はギリシャ語で「父の栄光」を意味する。 一般に「クレオパトラ」の名で知られる。「絶世の美女」として知られ、人をそらさない魅力的な話術と、小鳥のような美し い声であったと伝えられる。ただし、クレオパトラの肖像は治世当時、アントニウスが発行したとされている硬貨に横顔が のこされているのみであり、この評価は後世の作り話だとの説があるが、妹のアルシノエ4世の復元図から姉のクレオパ トラも美しかったとの説もある。 紀元前31年、アントニウス派およびプトレマイオス朝の連合軍とオクタウィアヌスが率いるローマ軍が、ギリシャ西岸の アクティウムで激突する(アクティウムの海戦)。この海戦の最中にクレオパトラ7世は戦場を離脱し、アントニウスもクレ オパトラ7世の船を追って逃亡し、ともにアレクサンドリアへ戻った。結局、アントニウス派およびプトレマイオス朝の連合 軍は、追跡してきたオクタウィアヌス軍に敗北を喫する。アントニウスは部下を置き去りにし、女を追って戦場を後にした と嘲笑されることになった。 クレオパトラ7世死去の誤報に接したアントニウスは自殺を図る。それを知ったクレオパトラ7世の指示により、アントニウス は瀕死の状態でクレオパトラ7世のところにつれてこられたが、息を引き取った。クレオパトラ7世自身はオクタウィアヌスに 屈することを拒み自殺した。贈答品のイチジクに忍ばせていたコブラに身体(胸)を噛ませて自殺したとも伝えられている。 オクタウィアヌスは彼女の「アントニウスと共に葬られたい」との遺言を聞き入れた。 エジプトを征服したオクタウィアヌスは、紀元前30年、「カエサルの後継者」となる虞れがあるカエサリオンを殺害してプト レマイオス朝を滅ぼし、エジプトをローマに編入して皇帝直轄地(アエギュプトゥス)とした。ちなみにクレオパトラがアン トニウスともうけていた3人の子供たちは、オクタウィアヌスの姉にしてアントニウスの前妻であるオクタウィアに預けられ、 養育された。 クレオパトラ7世 - Wikipedia より引用 |
『曠野のイイスス・ハリストス』(画:イワン・クラムスコイ) イエス・キリスト(紀元前4年頃 - 紀元後28年頃?)は、ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」 という意味である。すなわち、キリスト教においてはナザレのイエスをイエス・キリストと呼んでいるが、この呼称自体にイエス がキリストであるとの信仰内容が示されている。 イエス・キリスト - Wikipedia より画像・文とも引用 法王・ヨハネ・パウロ2世の祈りの部屋にあった十字架(詳しくはこちら) |
M41 散開星団・・・中心部に赤い星がふくまれる比較的見つけやすい星団・・・シリウス の南およそ4°に位置し、明るく大きく広がった見つけやすい星団である。夜空では肉眼で も確認することができ、双眼鏡でも美しい姿を堪能できる。およそ100個の星からなり、中心 部には赤やオレンジ色の明るい星、巨星が確認されている。明るい星団であるため、紀元 前からその存在が知られていたとされる。 「Newton ニュートン別冊 メシエ天体のすべて」より引用 |
「オリオンの猟犬おおいぬは、冷涼な冬の景色の上に上ってくるので、散開星団M 「メシエ天体カタログ」ステファン・ジェームズ・オメーラ著 より抜粋引用 「7倍程度の双眼鏡やファインダーの視界では、M41とシリウスをいっしょに見ることが できます。M41はシリウスの強烈な輝きに負けることなく、とても美しい眺めです。小型 双眼鏡から大口径の望遠鏡でも楽しむことが出来ます。」 「メシエ天体 ビジュアルガイド」 中西昭雄・著 誠文堂新光社 より引用
「これはシリウスの約4°南にある5等級の散開星団で、よく晴れた晩には肉眼でも 「星座ガイドブック 秋冬編」藤井旭著 より抜粋引用
「おおいぬ座のシリウスの南4°に位置する明るい散開星団。よく晴れた夜なら肉眼 「エリア別ガイドマップ 星雲星団ウォッチング」浅田英夫著 より引用
「シリウスの南、約4°のところに“夜目にもクッキリ”星雲状の光斑がみとめられる。 「ほしぞらの探訪 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡による」山田卓著 より引用
「全天一明るい恒星シリウスの南4°にあり、シリウス、π星、M41で二等辺三角形 「双眼鏡で星空ウォッチング」白尾元理著 より抜粋引用
「ぜひみておきたい散開星団のひとつで、全光度5等、視直径30’。明るい25個の星 「四季の天体観測 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で」中野繁著 誠文堂新光社 より抜粋引用
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APOD: 2016 December 15 - Seagull to Sirius
左上の星雲は日本では「わし星雲」、英語では「Seagull Nebula(かもめ星雲)」と呼ばれている。
明るいシリウスの右下にM41(NGC 2287)が見えている。 (大きな画像)
Sirius with M41 star cluster Astrophotography at the Veluwe より引用
2012年12月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 月暈(白虹) スペイン、グアダラマ山脈にて(写真はNASAより引用) 日本では月暈(つきがさ、げつうん)、白虹(はっこう、しろにじ)と呼ばれるこのこの光の輪は、 月に薄い雲がかかった際に、この雲を形成する氷晶がプリズムの働きをして起こす現象の ようです。 この写真は先週の土曜日に撮られたものですが、良く見ると二つの輪が見えると思います。 また月の下にはプロキオン、シリウス、ベテルギウスが形作る「冬の大三角」やオリオン座が 見え、右側には木星が「おうし座」の中で明るく輝いています。 もっと目を大きく広げると、月を取り囲むように一等星たちが「冬のダイヤモンド」を形作って います。 太陽に同じような現象が起きることを日暈(ひがさ、にちうん)と言うそうですが、私はこの現象 は「日輪」だとずっと思っていました。 昔の中国では、太陽に光の輪が出来ることは「兵乱や大乱の兆し」と言われてきましたが、 日本では逆に縁起がいい現象とされているようです。 月の場合はわかりませんが、私がもしこのような光景に出会ったら、天に吸い込まれてしまい そうな幸福感に包まれるかも知れません。 |
2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2013年3月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 (大きな画像) フランス・アレシアで3月13日に撮られたパンスターズ彗星(写真はNASAより引用) アレシアは、紀元前52年のローマ軍とケルトのガリア族との戦いの場所で、現在はアリーズ・サント・レーヌ と呼ばれています。 ローマ軍との戦いに敗れたガリア族の指導者ヴィルサンジェトリクスは、他のガリア人たちの助命を願い、 ただ一人カエサルの前に投降しました。彼はローマに連行され6年後に処刑されますが、19世紀フランス 皇帝ナポレオン三世がアレシアの遺跡を発掘し、この丘にヴィルサンジェトリクスの像を建てることになり ます。 20歳前後で族長になったヴィルサンジェトリクスは、ガリア諸部族(ガリア人[ガリアのケルト人]諸部族)を、 対ローマ統一部隊としてまとめ上げた優れた指導者であり、近代まではフランス最初の英雄、ガリア解放の 英雄とされていました。 ジャンヌ・ダルク、インディアンのテクムセ(テカムシ)、日本の天草四郎を思い起こさせます。 |
「フラムスチード 天球図譜」恒星社編 より引用
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