南アルタイルのオイラート人シャーマン


南アルタイルのオイラート人シャーマン

「図説 シャーマニズムの世界」ミハーイ・ホッパール著 青土社の画像から引用


数多くのシャーマンに関する写真の中で、

特にこの写真は私の胸を打ち続けている。




オオカミ(狼)の肖像を参照されたし



シャーマン的意識状態において習得すべきこととして、われわれが地球上の動植物、

さらには無機物にまで依存していることを謙虚に認識し、すべての生命形態に深い敬意を

払うということがある。シャーマンは、人間がすべての生命形態とつながっており、ラコタ・

スー族が言うように「みんな親戚」であることを知っている。シャーマン的意識状態と日常

的意識状態の両方において、シャーマンは家族的な配慮と理解をもって他の生命形態に

接する。彼はその歴史、連関性、特別な力を認識する。したがってシャーマンは、大自然、

野生の動植物の本来的な力、無窮の惑星的存在を通じて生存、繁栄する彼らの強い力

に対する尊敬の念をもってシャーマン的意識状態に入る。変性意識の中で尊敬と愛をもっ

て接すれば大自然は日常的意識状態では確かめえぬものをただちに明らかにしてくれる、

と彼は信じている。・・・・「シャーマンへの道」 マイケル・ハーナー著 平河出版社より


ナバホの治療儀式では、患者が神々や村落共同体と和解するのはもちろんだが、

それだけでなく、この段階を追っての和解が宇宙起源説をはじめいろいろな神話の

再演によって実現するのがミソである。さらにナバホ族は豊富さにかけて並ぶものの

ない芸術、音楽、詩、舞踊など高度の文化的営為に恵まれた部族で、この治療にも

それらが不可欠の構成分となっている。それは、これだけは現代の精神療法に対応

物がまったくない一種の“美による治療”である。(河合隼雄訳)・・・・エレンベルガー


 
 


シャーマニズムの定義(ロジャー・ウォルシュ)


シャーマニズムとは、実践者が自らの意志で変性意識状態に入り、

その状態において、自らもしくは自らの霊魂が自在に異界を旅し、

別の存在と交流を交わすことで共同体に奉仕することに焦点を合わ

せた伝統の一系譜である。

「シャーマニズムの精神人類学」より引用


 



アウア(イグルリック・エスキモー)の言葉

私は他人の力を借りてシャーマンになろうと努力したが、うまくいかなかった。

多くの有名なシャーマンを訪ね、すばらしい贈り物をしたのだが・・・・・・・・・・。

自ら孤独を求めておいてすぐにひどく落ちこんでしまった。時には涙が出てき

て、理由もなく不幸な気分になった。それから、なぜかすべてが急変し、言い

表しようのないほどの深い喜びを味わった。その喜びは抑えがたいほど強く、

ついには力強い歌となってほとばしった。ただ一つの言葉からなる歌。喜び、

喜び! 私は力の限り声をふりしぼって歌わざるを得なかった。そして、神秘

的で圧倒的な歓喜のさなか、私はシャーマンとなった。どのようにしてなった

かは知らない。だが私はシャーマンだった。目にするもの、聞くものがまった

く違っていた。私は自分のクアウマンエク、すなわち光明、もしくは心身に関

わるシャーマンの光を体得していた。それも、その光によって生の暗闇を見

通せただけではなく、同じ光が私の体から発していたのだ。それは人間の目

には見えなかったが、大地と空と海のすべての霊には明らかであり、彼らが

私のところにやってきて、私を助けてくれる霊となった。


「シャーマンへの道」マイケル・ハーナー著

吉福伸逸監修 高岡よし子訳 平河出版社 より引用


 


誰の力か?


われわれまじない師が、自分たちのことについてけっして言うべきではないと

されていることが二つある。一つは、自らを「メディスン・ピープル」とは呼ばな

いことだ。実際には、「メディスン・マン」とか「メディスン・ウーマン」と名乗りた

がる者も多いが、そもそも我々は薬(メディスン)を一から作るわけではない。

薬はすでにそこにあり、まじない師はそれを調合して成果をもたらすための

知識を持っているだけなのである。第二に、自分たちのことを「ヒーラー(癒し

手)」とは呼ばないこと、つまり、手を貸した患者がよくなっても、自分の手柄

にはしないということである。 ---- 我々はただ手伝うだけなのだ。癒し手は

ただ一人、我々を創りたもうた神だけである。神だけが、癒すことができるの

である。医学の学位を持つ医師も同じである。どんなに優秀であろうと、どん

なに豪華なオフィスを持っていようと、ただの「治療に携わる者」にすぎない。

癒すという観点から言えば、彼らは癒しているわけではなく、癒しが行われる

ように状況を整えているだけなのである。自覚しているかどうかはわからない

が、癒しを行うのに、ほかの力に頼っているのだ。一般的に「メディスン・パー

ソン」と呼ばれるのは、人のために神から助けと癒しを得られるように知識を

身につけた人である。その知識を活用するには、従わなければならない一定

のやり方がある。我々は、この手にゆだねられた聖なる義務を大切に守って

いかねばならない。聖なる知識の後見人 ---- それが我々の役目なのである。


ベア・ハート(ムスコギ・クリーク族長老 メディスン・マン)の言葉

「母なる風の教え」より引用


 


呪術師とはどんな人か? 薬草やテレパシーなどさまざまな知識と技を

駆使して、人々を癒し、心身の健康をもたらす。だが、それだけではな

い。植物を煎じて飲んで精霊世界と交信したり、大地、火、水、樹木、

動物、大気、雨や太陽など自然を活用する仕方を心得ている。人間は

これらすべての恵みを活かしながら生きるようになっている。よい呪術師

は、自然やそこに存在する霊性を尊び、信仰や神話世界を敬いなが

ら、人々を守り、霊的な教えを施す。霊的な世界について、より理解を

深めるように、教えを説く人なのだ。霊性というものは、私たちに必然な

ものだ。人間は霊的な存在なんだ。霊的な人格が形成されて人間に

なったのだから、人は本当は霊的なものごとを知りたいものなのだ。霊

性は物質よりも先に、まず初めにあるもんだ。私たちに考える能力を

与え、私たちを活気づける力だ。あらゆる言葉も霊的な存在で、それ

によって、愛とは何か、意志とは何か、慈悲とは何かを知ることが出来

る。よい呪術師はよく練られた人物でなければならない。つらいことの

浮き沈みに耐え、悪いことがらにも善意をもって前向きに対処すること

だ。自らよいことをつかむように修練が必要だ。もし悪いことに手を染

めたら、悪い呪術師に落ちぶれてしまうからね。いつでも人間は、嘘

をついたり、盗んだり、騙しとったり、殺したりしてきた。また、しょっち

ゅう、妬んだり、恨んだり、人に意地悪をしたい、という気持ちが起き

る。だから、私たちはいつも、うずうずしている悪い気持ちにとらわれ

ないように、自らを解放しておくのがよい。よい呪術師にとって重要な

三つの要素は、まず第一に謙虚なこと、そして愛があること、それから

高い霊性を持っていることだ。呪術師は学ぶための謙虚さ、悦びをも

たらすための愛、よりよく生きるための霊性を備えなければならない。

さらに、勇気があって強くなくてはいけない。強いまなざし、感情の強

さ、肉体の強さを備えていなければ、悪い呪術師や精霊に一撃を食

らわされ、殺されてしまうからね。


「アマゾンの呪術師(シャーマン)」

パブロ・アマリンゴ/語り 永武ひかる/構成・訳 地湧社より引用


 


メディスン・マンは、聖人であってはならない。普通の人間が人生で

味わう浮き沈みを全て体験し、虫けらのように身を低くすることもでき、

鷲のように高く舞い上がれなければならない。あばら家に住み、悪態

をつき、卑猥な冗談にも興じる。およそ白人の聖者のイメージとはかけ

離れているが、そんなことは、彼がメディスン・マンであることと何の関

係もない


「アメリカ先住民の精神世界」

阿部珠理著 日本放送出版会 より引用



メディスンマンは、伝統の儀式の執行に関わり、病人を治癒したりまた

相談者に指針を与えるなど、先住民精神文化伝承の要になる人物である。

彼らはそう呼ばれるくらいだから、さまざまなメディスンを持っていて人を癒

すわけだが、彼らのメディスンの大本は、大いなる存在、ワカンタンカとの交

信ができることにある。ワカンタンカが教えてくれるメディスンを、それぞれの

人に処方したり、人びとの夢を解釈してメディスンを教えたりするのだ。メディ

スンマンになる人は、特定のヴィジョンを見ると言われる。それは夜の夢に

現われることもあるが、白昼夢とも現実とも区別できないヴィジョンとして現わ

れることもある。20世紀まで生きた著名なメディスンマン、ブラック・エルクの

回想(『ブラック・エルクは語る』)によれば、彼のヴィジョンは少年のころ、昏

睡状態中に現れた。まず彼の意識は中空にのぼり、彼の住んでいたキャンプ

を俯瞰する。あたかも遊体離脱感覚である。それから天空で、四方から12頭

ずつ色とりどりの馬が現われ、その馬たちが突然バッファローやエルク、あら

ゆる種類の四本足や鳥に姿を変える。その後6人の老人が現われたり、四方

から地上のどんな女より美しい乙女が現われ、水を満たした杯やパイプを

ブラック・エルクに授けたりする。美しい歌声にあわせてすべてのものが踊る

と、雲が流れ、恵みの雨が降り、虹がかかる。この一大スペクタクルの場面

と場面の間に、明解な脈絡があるわけではないし、9歳の少年がそれぞれの

意味を知るはずもない。このヴィジョンに解釈を与えるのは、メディスンマンで

ある。四(東西南北)と六(プラス天地)という数字に込められた神聖性、老人

の象徴性、生命の象徴である水を満たした杯と聖なるパイプが示す役割、美

に満たされているべきこの世のあるべき姿を読み解くメディスンマンが、ブラッ

ク・エルクもまた、将来メディスンマンになるべき運命にあることを、諭すのだ。

メディスンマンは楽な役割ではない。自分を度外視して、部族や他者のために

人生を送らねばならないからだ。人々の尊敬は集まるが、私生活はないに等し

い。無報酬が建て前だから、経済的豊かさとも無縁だ。だから誰しもが、メディ

スンマンになりたいわけではない。だが、ヴィジョンの啓示によって、なるべき

宿命を認識しながら忌避すると、必ず禍事が起きると言われている。


「大地の声 アメリカ先住民の知恵のことば」

阿部珠理著 大修館書店 より引用


 



「Black Elk Speaks」 University of Nebraska Press の画像から


 


ブラック・エルク(インディアン)の祈り



ヘーイ・ア・ア・ヘーイ! ヘーイ・ア・ア・ヘーイ! 先祖よ、偉大な精霊よ、もう一度、

地上の私を見て、私の弱った声を身を乗りだして聞きたまえ。あなたは最初に住み、

そしてすべての願いよりも、またすべての祈りよりも古い。二本脚も四本脚も、空の翼

も、地に生えるすべての緑も、すべてあなたのものだ。あなたは四つの方角の力をた

がいに交わらせ、よい道も苦難の道をも交わらせたが、それが交わるところは神聖

だ。日が昇りまた落ちて、来る日も来る日も永遠にあなたは万物の生命だ。だから

偉大な精霊よ、私の先祖よ、私は、宇宙の星や大地の草花、あなたが造られたなに

ものをも忘れずに、あなたに祈るのだ。私がまだ若く望みをもつことができたとき、

あなたは私に、苦難の日に、大地の各々の方角に各一回ずつ四たび祈れ。そうすれ

ば、あなたは私のいうことを聞くだろう、と言った。今日、絶望の淵にある部族のため

に、私はあなたに祈る。あなたは私に聖なる煙管を、私がそれで、あなたに献げもの

をするようにと授けた。今それを、あなたは西からの命の水の茶碗と聖なる弓、生か

す力と破壊する力を私に授けた。あなたは私に、白い巨人の住むところから聖なる風

と薬草 --- 清める力と癒す力 --- を授けた。東からは暁の明星と煙管とを授けた。

そして、南からは民族の聖なる輪と花の咲く木とを授けた。あなたは世界の中心へ私

をつれて行き、唯一の母なる緑に染まる大地の善と美と力とを示し、そこでまた、万物

本来の姿である霊の姿を私に示し、私はそれを見た。あなたは、この聖なる輪の中心

で、私に木に花を咲かせるようにと言った。涙を流しながら、おお偉大な精霊よ、偉大

な精霊よ、私の先祖よ、涙を流しながら私は木に花を咲かせなかったと言わなければ

ならない。私はここに哀れな老人となって立っている。そして、私は衰えてしまった、

何もできなかった。ここは、私の若い日に、あなたが私をつれてきて私に教えた世界

の中心、ここにいま私は年老いて立っている。木は萎れている。先祖よ、私の先祖よ。

いま一度、そして、おそらくこの世では最後に、私はあなたが授けた偉大なビジョンを

思いおこしている。あるいは聖なる木のどれか小さな根がまだ生きているかもしれな

い。もしそうならば、それが葉を出し花を咲かせ、さえずる鳥で満ちあふれるように

なるようにその根を養いたまえ。私のためではなく、私の民のために聞きたまえ。私

は年老いている。聞きたまえ、彼らがまた聖なる輪に立ち帰り、善なる赤い道と、盾と

なる木を見つけることができるように! おお、世界の六つの力よ。悲しみのなかで

わたしは弱々しい声で祈っている。悲しんでいる私の声を聞きたまえ。なぜなら、私は

もう二度と祈らないかも知れないから。おお、なにとぞ、私の部族を生きさせたまえ!


「終りなき夢と闘い あるインディアンの生涯」

J・G ナイハルト著 大島良行訳 合同出版 より


 


(大きな画像)


赤ちゃんは喜びながら生まれてくる



青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて

来た産婆術(イコインカル)、診察、治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(ク

スリ)、整体手法、あるいはシャーマンとしての技量(ウエインカラツス)をも駆使

(ウエポタラ)して、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍した。



本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見て、その言葉の一つ一つを丹念

に記録した、アイヌの信仰と文化の実態に迫る伝承の知恵の書。



「アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ 伝承の知恵の記録」
青木愛子 述 長井博 記録 樹心社
 







2012年8月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



過ちと回心



回心すること、新しく生まれ変わること、その真の意味を私は本当に理解できているの

だろうか。



私たちは先住民に対して、太古の時代から自然と環境に調和する人々と捉えているが、

1万3000年前のアメリカ大陸では現代の私たちがしてきたことと同じように、乱獲などで

31属の大型草食動物が絶滅されたと言われている。



これはアメリカ先住民に限らず、オーストラリアのアボリジニ(最近の研究で明らかに

なりつつある)など世界各地に共通することかも知れない。



過去と現代、同じ過ちを犯していたとしても、彼ら先住民と私たち現代人の決定的な

違いは、過去から学んだ「知の遺産の継承」(国立科学博物館の海部陽介氏が提唱し

ている進化の仮説)、この場合は「回心の継承」とも言うべきものがあるかどうかなの

かも知れない。



先住民は、過去の過ちから学んだ教訓、それが回心となって魂に刻まれたが故に、

1万年以上も渡って世代から世代へと受け継がれてきたのではないだろうか。



私たち現代人は、動植物の絶滅と共に戦争など多くの悲劇を目の当たりにしてきた

が、果してそこから得られた、揺らぐことのない教訓が1万年先の人類にまで共有さ

れたものになっていくのだろうか。またそこに回心と呼べるものが存在しているのだ

ろうか。



ホモ・サピエンス(現生人類)は1万3000年前に一時陸続きになったベーリング海峡

を渡ってアメリカ大陸に来たとされているが、アメリカ先住民の多くはそれを否定し、

「自分たちは天地創造の時に亀の島(アメリカ大陸)に置かれた」と主張している。



ミトコンドリアなどの遺伝子解析から見れば在り得ないことだが、真に回心し、新しく

生まれ変わったことを体感した人ならば「今、私たちは生まれ変わり、そして今、私

たちはここに立つ」と言えるのだと思う。



この回心、それはシャーマニズムアニミズムとも関わってくるが、私自身はシャー

マニズム・アニミズムは1万3000年前より遥か太古の時代に生まれたと思っている

し、その背景にはネアンデルタール人などの旧人と言われた人の存在があったの

ではと感じている。細々と、しかし脈々と受け継がれてきた精神が1万3000年前に

多くの人々に共有され花開いたのかも知れない。



話はそれてしまったが、回心、1万3000年前の現生人類が体感したこと、それは私

が想像するより遥か高い次元での回心であったと感じてならないし、次の世代へ

継承させるために、私たちはこの回心の真の意味を心に感じることから始めなけ

ればいけないのかも知れない。



(K.K)



 

 

2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)



 


2012年4月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



ダウン症の女流書家【金澤翔子】の活動とパソコン教室日記 より引用



「ことだま」 金澤翔子さん・書 写真は他のサイトより引用



「ことだま」という言葉の響きにずっとひかれていた。



言葉というものは体の中から外の世界へ吹きだされる風、その風に乗ってつむぎだされていく。



昔の人はこの言葉に霊力があると感じてたが、そのように捉える感性を私は忘れてしまってい

るように感じる。



言葉に霊力があるから、決して嘘をついてはいけない。



これはアイヌインディアン世界の先住民族に共通する捉え方だったように思う。



しかし、私から吐き出される言葉から嘘が時どき出てしまう。



相手のことを考えた「いい嘘」もあれば、そうでない「わるい嘘」もある。



金澤翔子さんが書いた「言霊」に接すると、本来の言葉のもつ霊力を感じ、立ち戻らなければ

と感じてしまう。



(K.K)



 

 


2012年3月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



奄美にいたときの私。

長崎・佐世保で生まれ、3歳の時に私たち家族は奄美に移り住んだ。



佐世保の近くに黒島という隠れキリシタンが住んだ島がある。成人してからこの島と黒島天主堂

訪れたときの衝撃とそこで与えられた意味は私の大切な自己基盤の一部になっている。



そして奄美大島、そこはシャーマニズム・アニミズムの世界観が残る地であった。幼少の頃はそん

なことなどわかるはずもなく、青く澄んだ海、赤い蘇鉄の実、さとうきび、そして怖い毒蛇ハブが住む

森を身近に感じていた。



「一人で森に入ってはいけない」と何度も言われた。それ程ハブが棲む森は子供にとって恐ろしい

場であった。逆に言うとハブがいたからこそ、昔の奄美の森は人間によって荒らされずに生き残っ

てきたのかも知れない。



ホピ族の有名な踊りに「蛇踊り」がある。砂漠に住む猛毒をもつガラガラヘビなどを多く集め、儀式

するのだが、その儀式の前に長老達は一つの部屋にこれらの蛇を置いて数日間共に過ごすので

ある。そして儀式が済むと蛇たちは丁重に元の砂漠に帰される。



確かに日本でも蛇信仰はあったと思う。母の実家・久留米の家では白蛇がおり家の人たちは大切に

その蛇を扱っていた。私は白蛇を見たことはないのだが何度もその話を聞いて育った。



創世記で蛇がイブを誘惑したことから生じてきたずる賢い悪魔の存在としての意味、そして蛇信仰が

残る地や奄美、両者には決定的な自然観・世界観の違いが横たわっていると感じていた。



前者からは人間だけによる地球支配の夜明けが始まり、自然に対しての畏敬を失い森を切り開い

た姿が、後者からは脱皮を繰り返す蛇に、森の再生のシンボルとしての意味を見い出せるかも知

れない。



良くキリスト教は一神教と言われるが、私はそうは思わない。父・子・聖霊の3つの姿が互いに与え

尽くしている姿、三位一体はそのことを指し示しているのではないかと思う。



言葉では偉そうに「与え尽くす」と簡単に言うことは出来るが、それを肌で知り、示すことは私には

出来ない。インディアンの「ポトラッチ」縄文時代での社会的緊張を緩和するために呪術的儀礼や

祭を通して平和で安定した平等主義、「与え尽くし」の社会。



ある意味でキリスト教の真実の姿を体現しているのが先住民族たちなのかも知れないと思うことが

ある。



まだまだ多くの疑問が私の中に横たわっているのだが、長崎・奄美から旅立った私の魂は、ブーメ

ランのように再びこれらの地に戻ろうとしているのかも知れない。



☆☆☆☆



「ガラガラ蛇からサイドワインダー、ヤマカガシまであらゆる種類の蛇がおった。

六〇匹はいたじゃろう。あちこちに動き回って、囲んでいる男たちの顔を見上げ

ていた。男たちは動かず、優しい顔つきで歌っているだけじゃ。すると、大きな

ガラガラ蛇が一人の老人の方に向かい、足をはい登り、そこで眠り始めた。

それから次々と蛇がこの老人に集まり、優しそうな顔をのぞき込んでは眠り始

めたのじゃ。蛇はこうやって心の清い人間を見分けるのじゃよ。」



コアウィマ(太陽を反射する毛皮)の言葉

「ホピ・宇宙からの聖書」フランク・ウォーターズ著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年4月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



映画「ブラザーサン・シスタームーン」



アッシジの聖フランシスコは神が創造した全てのものに神の息吹きを感じた、と表現してもいいかも

知れない。しかしサイトでも書いたように、私はその気づきとは違う次元、世界がありのままの姿で

映し出されている次元にフランシスコが立っていたのではないだろうかと感じてならなかった。



純度の高い鏡を持つ者においては、世界に存在するすべてのものが、その存在の重みそのものを

映し出している。



純度の高い鏡、それはアニミズムにも共通している。岩田慶治氏は「木が人になり、人が木になる」

の中で、アニミズムを次のように語り、この鏡の模範を鎌倉時代の禅僧・道元に見いだしている。



☆☆☆☆



「自分が鏡になってそこに天と地を映すといっても、鏡になるための・・・そのために精進努力する

・・・手がかりはない。



しかし、それにもかかわらず、自分のまえに、自分にたいして、天と地ではなくてそれが一体となった

全宇宙が訪れるということは、そのとき、自分がすでに鏡になっていたということである。



いわゆるアニミズム、あるいは本来のアニミズム経験というのは、木の葉のさやぎ、川の流れの音、

あるい草葉の露に全宇宙の規則をみることであって、その経験の時・処において、宇宙との対話が

成立しているのである。



つまり、自分が鏡になって、そこに天地を〈同時〉に映しているということである。」引用終わり。



☆☆☆☆



しかし、この鏡を持つということは別の姿を映し出すことになる。フランスの哲学者でレジスタンスでも

あったシモーヌ・ヴェイユは逆にこの鏡のために、人々の不幸がそのままの重さで映し出され彼女を

苦しめた。しかしそれでも彼女は力強く言う。「純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である」と。



聖フランシスコにとって心の故郷であった10坪にも満たないポルチウンクラの教会、そこでヴェイユは

生まれて初めて何かの力に逆らえずひざまずく。



自分に何が出来るか、それは決して大げさなことでないかも知れない。公園でガラスの破片が子供た

ちを傷つけないよう拾っている人もまた偉大な聖人だと私は思う。世間から大きな賞賛を受けなくとも、

どれだけそこに心を込めているか。



映画「ブラザーサン・シスタームーン」は私にとって、「ラ・マンチャの男」と並んで生涯大事にし続ける

映画かも知れない。



☆☆☆☆



「太陽の歌」アッシジの聖フランシスコ



神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。

わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。

太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。

わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。

月と星はあなたのけだかさを受けています。

わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。

風はいのちのあるものを支えます。

わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。

水はわたしたちを清め、力づけます。

わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。

火はわたしたちを暖め、よろこばせます。



わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。

大地は草や木を育て、みのらせます。

神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、

病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。

終わりまで安らかに耐え抜く者は、あなたから永遠の冠を受けます。



わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。

この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。

大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。

神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。

第二の死は、かれを損なうことはありません。

神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、    

感謝します。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2012年6月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

氷河期の記憶(写真は岩田山公園にて撮影)



太陽の魂、暖かさを地上にもたらす鳥の伝説は2月5日に投稿した「ワタリガラスの伝説」があるが、

寒冷地に住む民族ほどこのような伝説を産みだしやすいのかも知れない。



このような伝説は、7万年前から1万年までの最終氷期を生き抜いた人類が子孫に伝える教訓とし

て伝説や神話の中に生きている。



自身の「死の自覚」から神(創造主)との接点、それが神話の誕生に繋がったのかも知れないし、

それらはほぼ同時期に産まれたのかも知れない。



世界屈指の古人類学者のフアン・ルイス・アルスアガは、「死の自覚」が今から40万〜35万年前の

ヒト族に芽生えたと言っているが、それは我々の祖先と言われてきたミトコンドリア・イブ(約16万年

前)よりも遥かに古い時代である。



エレクトゥス(100万〜5万年前)、ハイデルベルゲンシス(60万〜25万年前)、ネアンデルターレンシス

(35万〜3万年前)のヒト族は既にこの世界から絶滅しているが、もし彼らに「死の自覚」、神との接点、

神話があったとしたら、それはどのようなものだったのだろう。



そして現生人類(我々)の最古の宗教であるシャーマニズム、そして現存する多くの宗教はどのよう

に関わっているのだろう。



2010年に現生人類(我々)の遺伝子にはミトコンドリア・イブだけでなくネアンデルターレンシス(ネア

ンデルタール人)の遺伝子がある可能性が指摘されたが、今後の遺伝子研究や発掘により、彼らの

真実が明らかになってくることだろう。



ただどんなに過去や未来に想いを馳せようが、我々は今この瞬間を生きていることだけは確かな

ことかも知れない。



過去未来に関わらず、すべての生命がそうであった(ある)ように。




(K.K)









シャーマニズム(シャーマン)に関する文献

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

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