2011年〜2015年
最新の「夜明けの写真」は、こちらです。
2017年の夜明けはこちらです。
2016年の夜明けは、こちらです。
「夜明けの写真」抜粋したものは、こちらです。
2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |
2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (大きな画像) 題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く (K.K) |
2013年1月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 本日1月28日の夜明けです。雪を降らせた雲が遠ざかっていきます。 夜明けの光景に接すると、岸洋子さんの「夜明けのうた」を自然と口ずさんでしまいます。古いかな。 「夜明けのうた」 夜明けのうたよ あたしの心の きのうの悲しみ 流しておくれ 夜明けのうたよ あたしの心に 若い力を 満たしておくれ 夜明けのうたよ あたしの心の あふれる想いを 判っておくれ 夜明けのうたよ あたしの心に おおきな望みを 抱かせておくれ 夜明けのうたよ あたしの心の 小さな倖せ 守っておくれ 夜明けのうたよ あたしの心に 思い出させる ふるさとの空 作曲:いずみたく 作詞:岩谷時子 ☆☆☆☆ |
2013年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 本日10月3日の夜明け(4時46分〜6時38分)の光景です。 本日10月3日は、映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」でも有名なアッシジの聖フランシスコ (フランチェスコ)が亡くなった日ですが、彼がよく唱えていた「平和を願う祈り」を掲載させてい ただきます。私は頭では素晴らしい「祈り」と感じていても、実際に行動にうつすことができませ ん。しかし、この祈りを体現できている方は、たとえ世に知られていなくとも、聖フランシスコと同 じようにひとりの聖人であることは確かなことだと思います。 ☆☆☆☆ 神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように いさかいのあるところに、赦しを 分裂のあるところに、一致を 迷いのあるところに、信仰を 誤りのあるところに、真理を 絶望のあるところに、希望を 悲しみのあるところに、よろこびを 闇のあるところに、光を もたらすことができますように、 助け、導いてください。
神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。
自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ 永遠の生命によみがえることを 深く悟らせてください。 |
2014年1月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 風の年輪 遥か太古の時代に、慈愛の原型が生まれた。 それがどのようにして生まれたのか、生物が「死」を自覚したときからなのか、 それは永遠にわからないかも知れない。 しかしその原型は何十万年過ぎても、姿かたちを変えながら現代に息づいている。 波動、恐らく様々な波動がこの世界を飛び交っている。 存在をあるがままに受けとめる波動もあれば、存在を消そうとする波動もある。 どの波動をつかむか、ラジオの周波数を合わせるように、 それは私たちの自由意志に任せられているのかも知れない。 波動、それは決して一箇所に留まる性格のものではないと思う。 風のように、私たちの体を吹き抜け、そして私からはまた新たな波動が生まれる。 波動という風、それは大きな木の年輪のように、悠久の歴史を刻んでいる。 この世界が慈愛の風に包まれますように。 ☆☆☆☆ http://vimeo.com/22439234 |
2014年1月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。 「もし私が何か良いことをしたのなら、それらは全て神に帰するように」 この言葉は確か童話作家のアンデルセンの言葉だったと記憶しているが、今の私に欠けているもの、 それを全て現しているといっても過言ではない。 私に限らず人は、自身の名誉や成功に対する称賛の風を、自分の中にしまい込みがちである。 しかしそれでは風はさえぎられ、新たな風を産み出すことはできない。 アッシジの聖フランシスコが好んで唱えた「平和を願う祈り」、この祈りには、自身を「平和の道具」と して使われることへの揺るぎない自覚が横たわっている。 私に向かって吹いてくる風は、良いものも悪いものもある。 しかしそれらの風が私をすり抜けるとき、また違う風を産み出すことが出来ればと思う。 宗教を問わず、神を信じているか否かを問わず、新たな浄化された風を世界に送り出すことができる 人は、聖なる人なのかも知れない。 現代社会を見ていると、いい風ばかり吹いているとは決して思わないが、一人ひとりが新たな風を 産み出しつづけるなら、きっと世界は変わっていくのだろう。 ☆☆☆ 写真は、2012年8月25日の夜明けの光景ですが、まるで不死鳥のようですね。☆☆☆ |
2013年9月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 本日9月30日の夜明け(5時02分〜6時36分)です。 夜明けの写真を毎日撮るようになってから丁度1年が過ぎました。皆さんの暖かい言葉 や「イイネ」に励まされ続けてきたように思います。 夜明けが曇りや雨の日以外は撮ってきましたが、朝食の用意など家事をしながらの撮影 では決定的な瞬間に居合わせられなかったことも数多くあったかと思います。ただそれも ひとつの流れのような気がします。 今後も続けられるかわかりませんが、写真を投稿出来なくなったらご了承ください。 ☆☆☆☆ |
2015年11月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 (写真はNASAより引用) (大きな画像) このような写真を見ると、海の近くのキャンプ場で過ごした一時を思い出す。 私自身、小さい頃からキャンプなど行ったことがなかったが、山歩きを通して自然とキャンプにも関心がいったんだと思う。 千葉県・大原、そこがいつものキャンプ場だった。 10年近く同じキャンプ場、海が近くにあり星も綺麗。お盆の時期を外して行ったので人もさほど多くない。 朝早く起きたときは、キャンプ場すぐ前の砂浜で朝陽を拝み、海では古式泳法で泳ぎ、夜は双眼鏡で星空を見る。 毎年行っていると、近くの魚屋さんにも覚えられ、風邪気味だと話したら薬をもらうなど人の繋がりも心地よいものだった。 大原オートキャンプ場は2003年に32年の歴史に幕をおろし、その後「大原オートキャンプインそとぼう」として生まれ変わったらしい。 キャンプ場から木のトンネルを通って海に行き、帰る日は海に向かって「また来るよ」と叫ぶ。 海はいいものだ。波打ち際で子供のように波と鬼ごっこをし、じっと波音に耳を立てることで、何かを流し去ってくれる。 アメリカ先住民(インディアン)の好きな言葉のひとつ。 ☆☆☆ 「子供の訓練は、じっと座っていなさい、そしてそれを楽しんでごらん、という教えから、はじめられるものである。 子供たちは、嗅覚を敏感にして、なにも見るものがないところになにかを見たり、 まったくの静寂のなかに、じっとなにかを聞き取ったりするように、と教えられた。 じっと座っていることのできない子供は、ちゃんと成長していない子供だ」・・・ルーサー・スタンディング・ベア ☆☆☆ まだまだ私もちゃんと成長していない子供だ、と実感させられる。 |