「神を待ちのぞむ」2012年更新履歴
1996.10.17開設

最新の更新履歴はこちらです。




「神を待ちのぞむ」文芸社の七つのの散文詩はこちらで公開しています。



毎日多量の迷惑メールがあり、折角メール頂いても見落とすことが多かった
ため、メールはフェイスブックの方に送っていただけたらと思います。
facebook:http://www.facebook.com/aritearu
フェイスブックが困難な方は下に送ってくださればと思いますが、@を全角
で書いていますので、半角に直してくださればと思います。
aritearu@gmail.com



サイトへのリンクは自由ですので、特に許可を求める必要はありません。尚、この
更新履歴には主に自分の感じたことを書いており、文献の紹介など細かな更新は
敢えてここでは紹介しておりません。2009/10/27



 いつのまにかこのホームページを公開するようになって15年が過ぎてしまいましたが、
沢山の素晴 らしい出会いの恵みを受けさせていただいたことを感謝しています。
どうか皆様にも多くの実りある 出会いに恵まれますようにと陰ながらお祈りしてい
ます。また、このホームページ全体の容量は850メガバイトになり、皆様が全部を
ダウンロードすることは難しいかも知れません。そこでもしこのホームページを希望
 される方に、出来るだけお贈りすることが出来ればと願っています。DVDに記録して
 お送りしますが、お金をいただくことは出来ません。本当に未熟なホームページです
が、大事に読んでくださる方並びに著作権(文章や画像)を守ってくださる方に
お贈りしたいと思います。

ただニューエイジ系の方はご遠慮ください。 2000/7/25

ホピの預言(予言)

 

当サイトは、Amazon、楽天のアフィリエイトに参加しています。 

 

魅せられて(少しずつ紹介していきます)

七沢森林公園 順礼峠のお地蔵さん

大地と空の息吹き

 

 私の紹介 好きな映画 サイトマップ 最初に戻る

「子供たちの未来を守るために TPPから見えるもの」

日本ユニセフ協会(子供たちに笑顔を)








被災した地の多くは第一次産業で命を繋いでいる方が沢山います。この方たちを今度はTPPという人災で苦しめ、

復興への希望さえも打ち砕く日本人がいることに憤りがこみ上げてきます。農業問題だけでなく、食の安全基準や

医療など多くの分野で、アメリカ的な弱肉強食の原理が強要されるTPP。推進派の背景にある中国の脅威論には

理解しつつも、ただそれがために日本を底辺で支えている人々や、復興を犠牲にすることは許されません。このまま

では日本はアメリカの従属国としか生きられなくなります。日本の国民主権は奪われ、そしてその未来は荒廃した心

と国土しか残らないかも知れません。既に平衡感覚を投げ捨てたテレビや大新聞だけでなく、YouTubeでの多くの声

も聞いて一人一人が自分自身の心で判断して下さればと願っています。




「TPPは農業問題じゃないヨ!
放射能のように、日本人すべての上に降りかかってくる大問題!」




 


「子供たちの未来を守るために TPPから見えるもの」



文献の更新など細かなことはここに書いておりませんが、過去にフェイスブックに
投稿した記事はここでも紹介します。



2012年12月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



(大きな画像)


「へびつかい座」ζ(ゼータ)星、そして弧状衝撃波(写真はNASAより引用)



「へびつかい座」ζ(ゼータ)星(写真中央で光り輝く星)は地球から約370光年離れた位置にあり、

私たちの太陽より20倍も重く、8万倍の明るさで輝く星です。



かつてこのζ星は、この星よりも重い星と連星(2つの恒星が両者の重心の周りを軌道運動して

いる天体)だった時期があり、重い方の星が超新星爆発してζ星は振り飛ばされてしまったと考

えられています。



ハンマー投げで手を離したとき、鉄球が飛んでいくように、爆発した星の重力から解放されたこ

のζ星も秒速24kmで宇宙空間を突き進んでいます。



秒速24kmというと、日本列島を2分もかからず縦断してしまう速さで、地球が太陽の周りを公転

する速度(秒速約30km)よりやや遅いです。



超新星爆発は5光年の範囲内の全てのものを焼き尽くしてしまうので、たとえこのζ星の惑星に

に生命がいたとしても、全てが絶滅したことでしょう。



私たちが良く見るシリウスは地球から8.6光年しか離れていませんので、もし仮に超新星爆発

したら(実際は起こりません)地球の生物の多くが死滅してしまいます。



オリオン座の一等星ベテルギウスがいつ超新星爆発をしてもおかしくはないと言われていますが、

ベテルギウスは地球から640光年も離れているので、直ぐに地球に大異変が起こることはないか

も知れません。



写真はζ星から噴出す激しい恒星風が、周囲のガスや塵(超新星爆発の痕なのかも知れません)

にぶつかって弧状衝撃波(バウショック)を生み出しているところです。



 

2012年12月、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

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本日12月28日、日の出後の光景です。

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本日12月29日、日の出前の光景です。これは東の空ですが、西の空には

今年最後の満月が輝いていました。


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今年9月10日の朝焼けです。本日は曇りでした。



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本日12月31日、日の出前の光景です。



除夜の鐘が鳴るころに生まれた私は55歳になる。



昔は役所に届ける誕生日を数日ずらすことは良くあり、大晦日に生まれても元旦を誕生日にした

親もいたと聞く。それは親の子に対する想いが良く現れているが、私は生まれたその日を誕生日

にしてくれた親に感謝している。



そして今年いろいろコメント下さった方に感謝します。来年も出来たら一日一日、朝の光景を撮っ

ていけたらと願っています。皆様にとって来年は恵み多き年でありますように。


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2012年12月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)


久しぶりに七沢森林公園を歩き、順礼峠のお地蔵さんの前で祈ってきました。



今から約300年前の1721年に建てられたお地蔵さんですが、今でもこの公園の

近くに住むご夫婦の方が、定期的に頭巾と前掛けを交換されています。



お会いしたことはありませんが、ご夫婦の変らぬ祈りが次の世代へと受け継が

れていくことを願っています。


 

2012年12月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



(大きな画像)

古代マヤ文明の「チチェン・イッツァ遺跡」にあるEl Castillo(エルカスティージョ)とオリオン座

(マヤでは亀を意味しています)。写真はNASAより引用



立教大学社会学部の生徒たちは幸せだと思う。この学部には阿部さん、実松さんという優れた研究者がいる。

阿部珠理さんはアメリカ先住民(インディアン)研究の日本の第一人者であり、実松克義さんも南米の先住民

シャーマニズム研究では第一人者である。お二人に共通することは熱い心と卓越した現地調査力、そして

研究者としての冷徹な視点と平衡感覚を併せ持っていることである。



この一人、宗教人類学者である実松克義さんが2000年に書いた「マヤ文明 聖なる時間の書」は、アメリカ大

陸最大の神話「ポップ・ヴフ」を基に多くのシャーマンたちとの対話の中で、マヤの世界観を明らかにしていくこ

とだった。



「時間とは生命の瞬間の連続であり、世界に生命を与えるものだ」、ヴィクトリアーノ・アルヴァレス・ファレス(グ

アテマラ・マヤ科学研究所の代表者)。



同じ民族のシャーマンでもその世界観や技法は微妙に、或いは大きく異なる。これは沖縄・奄美のユタもそうで

あるが、しかしそれは彼らの中に流れる源流の底知れぬ深遠さを逆に教えてくれるのではないだろうか。人智

を超えた大いなる光の流れ(振動)、この光は一つとして同じものはない遺伝子をもつ生命の魂を共鳴させ、

まるで虹のように様々な色を映し出させているのかも知れない。



「マヤ文明 聖なる時間の書」、私のサイトに書いた当時の感想を以下に引用します。



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マヤ民族、それは私たちにどのような想像を植えつけていただろう。



マヤンカレンダー、驚くべき天文学的知識を持った偉大な天文学者、ブルホ(黒呪術)、そして人間の生贄の

儀式の存在など多くの謎に満ちた世界。



しかしマヤ文明の根底に流れている神話、アメリカ大陸最大の神話「ポップ・ヴフ」を紐解く時、彼らの驚くべき

世界・宇宙観が見えてくる。



この神話によると人間の生贄の儀式が復活した時代は、第五段階と呼ばれた退廃の時代であり、現代はその

時代よりも重大な危機を迎えている第七段階に位置していると言われている。



立教大学社会学部教授である著者は、グアテマラに暮らすマヤの末裔・シャーマンを6年にわたって現地調査

し、多くのシャーマンとの対話を通してマヤンカレンダーに代表される彼らの時間の捉え方を解き明かす。



それは時間そのものが生命を持った創造的存在であり、調和の思想だった。



そこには人間の生贄の儀式など存在しない世界・宇宙観が横たわっている。



本書は本格的マヤ神秘思想研究の第一級の書であり、あるべき未来の扉を開く鍵をも提示している。



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2012年12月、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

今年9月1日の日の出です。本日は雨でした。

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本日12月23日、日の出後の光景です。

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本日12月24日の朝焼けです。

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本日12月25日、日の出前の光景です。

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本日12月26日の朝焼けです。

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本日12月27日、日の出後の光景です。

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2012年12月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



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アフリカ・ナミビアにあるクイバーツリー・フォレスト(Quiver Tree Forest)と、南天の天の川です。

(写真はNASAより引用)



クイバーツリーとはアロエの一種の木のことのようですが、私はバオバブの木かなと最初に思い

ました。



南半球で見える天の川には大・小マゼラン雲などがあり、北半球の天の川とは違った姿を見せ

てくれるのでしょう。



いつか双眼鏡を片手に旅したいものです。


 

2012年12月14日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



(大きな画像)

本日午前1時8分、ふたご座流星群
(宮ヶ瀬湖・鳥居原ふれあいの館近くにて)



星空を観望しようと思って一度ここには来たことがあるのですが、誰もいない深夜に近くにある自動販売機が

突然「いらっしゃいませ」と話すのに恐怖を覚えて、それ以来ずっと遠慮してきました。



私は野生の鹿の足音など山の夜の音と違い、静寂を破る機械的な音声は苦手です。



しかし昨日は違いました。夜8時ごろに着いたのですが自動販売機は話すことをやめ、その後沢山の人が集

まってきて「あ、流れた」、「何今の? 見た見た?」と歓声を上げ続けていました。また天体愛好家も来ており、

大きな反射望遠鏡で木星を見させていただきました。



いつも行く丹沢の菩提峠は南側の低い空が開けていませんが、ここは視界を遮るものがなくこれからの天体

観望の拠点になりそうです。



話は変わりますが、宮ヶ瀬湖はジャンボクリスマスツリー発祥の地として知られており、30mに成長したモミの

木や湖畔の樹木がこの時期に電飾されます。昨日も多くの観光客でにぎわっていたようですが、星空を見た

のはこの湖畔の対岸側にあり光の影響はありませんでした。



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2012年、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

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本日12月14日、日の出前の光景です。
(宮ヶ瀬湖・鳥居原ふれあいの館近くにて)


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本日12月15日、日の出後の光景です。

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本日12月16日、日の出前の光景です。

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今年8月29日の朝焼けです。本日は雨でした。

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本日12月18日、日の出後の光景です。

選挙が終わった。しかし最後まで投票先に悩んでしまった。今、非正規労働者が若年層まで広がった

社会、私の身近な人でも30代で非正規・独身の方が多くいる。彼らが一生懸命働いている姿を見ると、

派遣法の見直しは勿論のこと何らかの経済対策が必要だと痛切に感じてしまう。「子育て支援」も大事

だが、それよりも先に「結婚したくても経済的に、非正規で出来ない」人たちに焦点を当てるべきだと思う。



脱原発・卒原発に関して、前にも書いたが政治家の誰一人として国の総力を挙げて自然エレルギーの

研究・開発という国家プロジェクトを推し進めるための方策を語っていなかったように思う。それに突き

進むためには、官民一体となっての国家プロジェクトが必要であり、自然エネルギー省を単独でつくる

くらいの気迫がなければならないと思う。



いつ何時、中東で混乱が起きるかわからない。石油や天然ガス、その多くが止まる事態。そして今後

予想される大地震と原発の問題。そのためにも死に物狂いで自然エネルギーの探求に国家をあげて

取り組むべき時ではないのか。



私自身、最も信頼している政治家は亀井静香である。阪神大震災の時の運輸大臣としての決断力、

官僚や役人をうまく使いこなす能力がなければ、あれほど早く復興できなかったかも知れない。また

当時の村山首相の「やってくれ、全ての責任は私が負う」という侍魂があってこそ亀井さんも決断・

実行できたのだと思う。官僚や役人を敵視ばかりしている政治家は、私から見れば政治家自身の

無能さを逆に証明しているようなものである。



長々と書いて申しわけありません。最後に亀井さんは小泉・竹中の構造改革や郵政民営化に反対し、

国民新党をつくりましたが、仲間の裏切りに会い、「日本未来の党」と合流しました。顔はいかついです

し、警察官僚の出身です。ただ彼は政治記者の多くが認めるように国会議員の中では最も人情豊かな

人間で、死刑廃止議員連盟会長でもあります。死刑制度に関しては、私自身整理できていないところも

ありますが、警察・検察・マスコミ・国民の冤罪撲滅に対する意識が希薄な現状では、無実の人を死刑

にしてしまう危険性が残されていると感じます。




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本日12月19日、日の出後の光景です。

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本日12月20日、日の出後の光景です。

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本日12月21日の朝焼けです。

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2012年12月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



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ベルセウス座銀河団(写真は他のサイトより引用)



ベルセウス座銀河団(Abell426)は、地球から2億2000万光年離れたところにありますが、この銀河団が

位置するペルセウス座は皆さんご存知のカシオペヤ座に近いところにあります。



以前も投稿しましたが、このペルセウス座にある裸眼でも見ることができる星・アルゴルは、明るさを変

える星だったため古代のアラビア人は「悪魔の星」と呼んでいました。



この「悪魔の星」を美しい物語に変えたのは、約220年前に22歳の若さでなくなったグッドリックでした。



ろうあ者だったグッドリックは、このアルゴルの変光を追い続け、暗い星がアルゴルを公転していると

推察したのです。



写真のペルセウス銀河団はこの「美しい星」アルゴルの近くにありますが、望遠鏡でしか見ることができ

ません。



ところで、写真中央に見える(私は何処だかわかりません)小さな銀河NGC1277に、この銀河全体の

14%にも及ぶ超大質量ブラックホールが見つかったそうです。



私たちの天の川銀河の10分の1しかないNGC1277なのですが、普通の銀河におけるブラックホールの

質量は0.1%だけに対し、この銀河は14%も占めてしまいます。



太陽170億個分の質量を持つNGC1277のブラックホールの吸い込み口は、太陽系にあてはめると海王

星の太陽周回軌道の11倍以上にも及びます。



米天文学者は、「本当に風変わりな銀河。ほとんど全てがブラックホールでできている。銀河系とブラック

ホールの新分類に属する最初の天体かもしれない」と話しましたが、ひょっとしたら史上最大のブラック

ホールかも知れないとも言われています。



しかしペルセウス座銀河団、その姿はまるで宝石をちりばめたような美しさですね。



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2012年、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

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本日12月7日の日の出です。

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本日12月8日、日の出前の光景です。

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本日12月9日、日の出前の光景です。

右上空に金星が明るく輝き、そのやや下に水星、写真には写っていませんが、

金星の上には土星が輝いていました。

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本日12月10日、日の出前の光景です。

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本日12月11日、日の出前の光景です。

遠くの空が少し明るんでくる頃、の上には土星、月の左下に明るく輝く金星、少し見づらいかと

思いますが、金星の左下に水星が見えていました。



水星・金星は地球の内側で、土星は外側を回っていることを思うと、地球って太陽の周りを回って

いるんだと実感させられ、太陽系の、そして宇宙の鼓動の中に生かされているような不思議な感覚

を覚えてしまいました。

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本日12月12日、日の出前の光景です。

月のすぐ左側に光っているのが水星、月の上に輝いているのが金星です。明日の夜から14日の

未明にかけて、「ふたご座流星群」が見られるそうです。私は仕事が終わってから出かけようと

思いますが、天気が良ければいいな。

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2012年12月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



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月暈(白虹) スペイン、グアダラマ山脈にて(写真はNASAより引用)



日本では月暈(つきがさ、げつうん)、白虹(はっこう、しろにじ)と呼ばれるこのこの光の輪は、

月に薄い雲がかかった際に、この雲を形成する氷晶がプリズムの働きをして起こす現象の

ようです。



この写真は先週の土曜日に撮られたものですが、良く見ると二つの輪が見えると思います。



また月の下にはプロキオン、シリウスベテルギウスが形作る「冬の大三角」やオリオン座

見え、右側には木星「おうし座」の中で明るく輝いています。



もっと目を大きく広げると、月を取り囲むように一等星たちが「冬のダイヤモンド」を形作って

います。



太陽に同じような現象が起きることを日暈(ひがさ、にちうん)と言うそうですが、私はこの現象

は「日輪」だとずっと思っていました。



昔の中国では、太陽に光の輪が出来ることは「兵乱や大乱の兆し」と言われてきましたが、

日本では逆に縁起がいい現象とされているようです。



月の場合はわかりませんが、私がもしこのような光景に出会ったら、天に吸い込まれてしまい

そうな幸福感に包まれるかも知れません。



 

2012年、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

今年8月28日の朝焼けです。本日は曇りでした。。

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本日12月5日の日の出です。上空に鳥の集団が飛んでいました。

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本日12月6日の日の出後の光景です。

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2012年11月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



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紅葉 (厚木市、ぼうさいの丘公園にて)

 

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本日11月27日の日の出前と後の光景です。画像中央やや右に金星と土星が

並んで輝いていました。

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本日11月28日、日の出前と後の光景です。

起きて外に出たとき、何故か大気のにおいが普段と異なったものに感じました。

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本日11月29日、日の出と同時刻の満月です。月の上に輝いているのは木星です。

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本日11月30日、日の出と、ほぼ同じ時刻の月の姿です。

月の右下に輝いているのは木星です。

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本日12月1日、日の出後の光景と虹です。

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本日12月2日の日の出です。

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今年2012年8月14日の朝焼けです。本日は雨でした。

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2012年11月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



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横浜での用事の帰り、新横浜駅近くのラーメン博物館に寄りましたが、そこで「スポーツスタッキング

世界チャンピオン セオッピ」という若い日本人の方が芸を披露していました。写真はこの時の様子

です。



老若男女を問わず、その空間では誰もが童心に帰ることができる。そんな場がもっと沢山いろいろ

な街にあふれていたらなと感じます。



私がここで食べるラーメンは九州・久留米に本店がある「大砲ラーメン」です。



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2012年11月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



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2012年11月17日、フランスのアルザスで撮られた「しし座流星群」(写真はNASAより引用)



流れ星、それは流星群の時でなくても見ることは出来ます。



私は双眼鏡で星空を見ているのですが、疲れたなと感じたときはキャンプ用の折り畳み

簡易ベッドを広げ星空を見上げます。



望遠鏡・双眼鏡は裸眼では見えない天体を見る魅力がありますが、寝転がって見る星空

も宇宙からのささやきを聴く最高のひと時です。



このような姿で夜空を眺めていると、流星群の時でなくとも一晩で何個か流れ星を見る

ことができます。



流れ星の中でも特に大きいものは「火球」と呼ばれ、小惑星探査機「はやぶさ」が大気圏

突入時に見せた姿を思い浮かべればいいと思います。



私が最初に見た火球は小学生の頃だったかと思いますが、まるで燃えるように赤く光り

輝き、蛇行するかのような光跡は印象的でした。



今思うと、火球の後に残る「流星痕」が、まるで流星自体が蛇行しているかのように見せ

たのだと思います。



それにしてもこの写真の天の川も綺麗ですね。




 

2012年11月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「美女と野獣」(写真は他のサイトより引用)



今年2012年10月16日、アメリカの「チェスの日」に行われた Amanda Mateer(National Master)

による同時対局。



1989年生まれの彼女は、25人を相手に同時に対局(22人に勝利し、3人と引き分け)しましたが、

チェスの面白さと奥深さを知る写真だと思います。




 

フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。 

昨年2011年10月11日、日の出後の光景です。

今日は曇りでした。


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今年6月28日の朝焼けです。本日も曇りでした。

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本日11月25日の日の出ですが、4日ぶりに見る姿でした。

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今年8月6日の日の出です。本日は曇りでした。

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2012年11月15日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



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惑星状星雲「フレミング1」(写真はヨーロッパ南天天文台よりら引用)



惑星状星雲とは老いて膨張した恒星がその外層を放出して出来たガスのとばりで、私たちの太陽も今から約63億年後に

赤色巨星を経て惑星状星雲になります。。



私たちの太陽は、誕生から現在まで30パーセントほど明るさを増していると考えられていますので、地球の生物は10億年

後(23億年後という説もあります)には高温のため生存できる環境を失ってしまいます。



アンドロメダ銀河が私たちの天の川銀河に衝突する40億年後、地球ではこの壮大な光景を目にする生き物はいないで

しょうが、天の川銀河のどこかに生き延びた人類が触れることができるかもしれません。



夜、いつ超新星爆発をしてもおかしくないオリオン座のベテルギウスの赤い光を浴びながら、「その瞬間に立ち合わせて

欲しい」とお願いしてきましたが、私たちの単調と見える一日一日も実はこのような神秘の連続かもしれませんね。



話を戻しますが、写真の惑星状星雲「フレミング1」が何故このように綺麗なS字ジェットを持つのか謎とされていました。



今年11月8日公開されたヨーロッパ南天天文台の観測結果によると、この惑星状星雲の中に、星の最後の姿である高温

高密度の白色矮星が2個(連星)あることがわかりました。



そしてこの2個の白色矮星が互いを僅か1.2日周期で公転することがわかり、この連星の働きによりこのような綺麗S字

ジェットが生まれたと考えられています。



惑星状星雲という星の最期の姿、その姿はどれも荘厳な気持ちを抱かせてくれます。




 

2012年11月15日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

本日11月15日の日の出です。

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本日11月16日、日の出前の光景です。

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本日11月17日、日の出前の光景です。

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暁光を浴びる女神。

本日11月18日、日の出後の光景です。


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本日11月19日の日の出です。

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本日11月20日の日の出前です。

右上空にかすかに輝いているのは金星ですが、この金星を下に降ろした所から太陽が昇り

始めます。夏の頃は左側に映っている大きな木の所から出ていたので、随分と昇る位置が

南に移動したんですね。数日後には日の出は右側のビルに隠れてしまいそうです。


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本日11月21日の日の出です。

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本日11月22日、日の出の光景です。





2012年11月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 



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もし皆さんが名付け親だったら、この銀河にどんな名前をつけますか?(写真はNASAより引用)



俗名として「ルビーの指輪」があるそうですが、この銀河に適した名前が他にあるかも知れません。



この銀河NGC 660は「うお座」に位置しており、地球から4000万光年先の彼方にありますが、現在

の観測でもまだ100個ほどしか見つかっていない極環状銀河(ポーラー・リング銀河)の一つです。



極環状銀河とは、かなりの数の恒星やガス・塵が銀河円盤の平面部に対して垂直(この銀河NGC

660の場合45度の傾き)に近い環の中で周回していることを言うそうです。



何故このような形になったかは、近くを通過した銀河の一部がこの銀河に捉えられたからではない

かと言われ、オレンジに輝く帯はその名残だと考えられています。



皆さんはこのとても印象的な銀河に、どのような姿を投影するでしょうか。


 

2012年11月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



本日11月11日の朝焼けです。
(大きな画像)

 

2012年11月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

昨年2011年9月16日の朝焼けです。

本日は曇りでした。

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本日11月13日の日の出です。





2012年11月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。



「動物はすべてを知っている」J.アレン・ブーン著 SB文庫

写真はこの本で紹介されたストロングハート(1917〜1929)である(写真は他のサイトより引用)。



「ハリウッドの聖人」「銀幕王国の聖フランシスコ」と呼ばれた著者のアレン・ブーン(1882〜1965)

は、映画の製作者で1965年に83歳で亡くなるが、この文献の中でストロングハートという犬に留

まらず、ヘビ、スカンク、ハエやアリも「沈黙のことば」で分かり合えることを事例を挙げながら語っ

ている。



またこの文献の特色として、人間やそれ以外の存在、その存在そのものを問う哲学的・宗教的な

洞察も語られているところにあるが、日本及び外国においてこの文献は高く評価され続けており、

その内容に懐疑的な意見はあまり聞かれない。



私個人はというと、そのような経験がないからか正直わからないというしかないが、このアレン・

ブーンとほぼ同じ時代に生きた「シートン動物記」で有名なアーネスト・シートン(1860年〜1946年)

と重ね合わせてしまう。



シートンはアメリカ先住民の世界に触れて、「レッドマンのこころ」(1937)の出版など彼ら先住民

の世界観を世に広める活動をしてきた人物でもあるが、ブーンはシートンよりも22年遅く生まれ

ながらも、二人はアメリカ先住民が白人より劣った消えゆく民族であるとの目が支配していた

時代に生きていた。



ブーンもこの本の中でアメリカ先住民やアラブ系の遊牧民ベドウィン族との触れ合いから教えら

れたことを紹介しているが、二人は「沈黙のことば」「沈黙」の真の姿を垣間見た数少ない白人

だったのかも知れない。また二人は出会ったことはないかも知れないが、互いの存在に気づい

ていた可能性はあるのではと思う。



ただ、シートンが自分とは反対の証言を紹介しながら観察事実を基に博物学者・科学者として

の冷徹な視点を保ちながらも、動物に対する畏敬の念を抱いていたのに対し、ブーンの「動物

はすべてを知っている」はこの視点があまり感じらない。



別な言い方が可能なら、シートンが人間と動物の種に横たわる断崖を受け入れるの対し、ブー

ンはその断崖を埋めようとする、或いはその断崖を跳躍しようとする姿勢を感じたのも事実で

ある。



フランスの哲学者であり戦士、神秘家であったシモーヌ・ヴェイユ(1909〜1943)は「重力と恩寵」

の中で次のように記している。



「純粋に愛することは、へだたりへの同意である。自分と、愛するものとのあいだにあるへだたり

を何より尊重することである。」



私自身この言葉の意味を真に理解したものではないので偉そうなことは言えないが、種と種の

間に横たわる断崖、その隔たり、これは人間同士の間、人間と創造主との間にも横たわって

いるものものかも知れない。



アレン・ブーンが訴えかけているような、実際に動物や昆虫と沈黙を通して意志の完全な疎通

を、私は経験したことはない。



ただ私自身が経験したことがないと言って全て否定することは傲慢であるし、私が経験したこと

がない、或いは私が気づいていない何かが、この世界に横たわっているのだろう。



それは世界の先住民の文献を読んでいて常にそう思うし、「沈黙」が語りかけるものを先住民に

限らずキリスト教や仏教でも重視してきた。



写真のストロングハートの目を見ると、人間界のブッダ、キリストのような光が犬の世界でも僅か

なものに現われ、その光を目の前にして初めて、アレン・ブーンはそれが多くの動物の中にも

宿っていることに気づいたのだろうか。



「私も裸にならなければ、動物たちは心を開かないわ」、これは象、ライオンや豹などの多くの

動物といとも簡単に心を通わせることができたアフリカで育まれた少女ティッピの言葉である。

しかし、アフリカからヨーロッパに戻ったティッピは、この不思議な能力が少しずつ消えていく

のを感じた。



本書で語られている内容の真偽、アレン・ブーンが亡くなって50年近く経った今となっては、

もうわからないかも知れない。



最後に今から100年以上前に書かれた「シートン動物誌」の中から、オオカミに関するシートン

の想いを引用します。イヌはオオカミが飼い馴らされて家畜化したものと考えられていますの

で本書とも関係があるかと思います。長い間オオカミは誤ったとらえ方が横行し、人間の手に

よってニホンオオカミも100年以上前に絶滅しました。今、このオオカミを森の再生のため山

に放そうとする運動が世界中で起きていますが、私自身この問題をもっと勉強していつか書く

ことが出来ればと願っています。



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オオカミの真実の姿を描き出す・「シートン動物誌2」紀伊国屋書店より以下引用



この章で私は、オオカミの勇敢さ、騎士道精神、強さ、遊び好きな性格、忠誠心、獰猛さ、親し

みやすさ、思いやり、英雄的な態度、それにやさしさなどについて、さまざまな証拠をあげな

がら論じてきた。



悪意に満ちた人間社会のうわさ話に終止符を打ち、この動物の誠実で勇敢な姿を読者に示

したいというのが、私の願いだった。



私はまるでごみ箱を引っかきまわし、なかからほんのひとかけらの金片を見つけ出そうとする

かのように、猟師たちから根堀り葉堀り聞き出し、小さな真実のかけらを見つけ、つなぎあわ

せようとしてきた。



そうしたなかから読者に、この野生動物の本当の姿、本当の生活を少しでも察知してもらう

ことができただろうか。



こうして山と積んだすべての証拠を見て、望むならさらに手に入れることのできる大量の証拠

があること、それに「ロボ・・・カランポーの王様」の物語(基本的に事実にもとづいている)に

書かれたことを思い起こしていただければ、わかってもらえるのではないだろうか。



私がオオカミを心の底から愛していること、そして、私がオオカミこそは真の高潔さ、すなわち、

輝かしい動物界の英雄にふさわしい性格のもち主だと信じて疑わないことを。



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フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

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本日11月7日の日の出です。

今日の太陽は霧の上から顔を出しました。


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本日11月8日、日の出前の光景です。

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本日11月10日、日の出を待つ街の光景です。




2012年11月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


APOD: 2012 November 3 - Hunter s Moon over the Alps

(大きな画像)



アルプスのRochemelon山(3558メートル)と10月下旬の満月(狩猟月)。(写真はNASAより引用)



もし大きめの物差しがあれば出して見てください。地球を直径約1.2cmの球体として0の所に置くと、

月は35cmから40p離れたところに位置しています。えーーー!!!地球と月はこんなに離れて

いるんだ、もっと近くにあるとばかり思っていた私も驚きました。



月は地球に対してゆるい楕円軌道を描いているので、近地点(月が地球に最も接近する時)は

35.6万km、遠地点(月が地球から最も離れる時)は40.6万kmになります。



物差しで言うと5pの満月の差は、大きさで14%、明るさで30パーセント増えますが、日頃から

月を見ている人にとっては、それ程大きな違いは感じられないかも知れません。



約14ヶ月ごとに見られるスーパームーンは、月が地球に最も接近する近地点の満月のことを

言いますが、次回は2013年6月23日、2014年8月10日、2015年9月28日、2016年11月14日らし

いです。



以下、ナショナルジオグラフィックより引用しますが、それぞれの月の満月にはいろいろな名前

が付けられていたんですね。



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1月:Wolf Moon(狼月)

ネイティブアメリカンや中世のヨーロッパ人は、真冬の食糧不足を嘆く飢えた狼の遠吠えにちな

んだ名前を1月の満月に付けた。1月の満月は、Old Moon(古月)やIce Moon(氷月)などとも呼

ばれる。



2月:Snow Moon(雪月)

北アメリカの2月は寒さが厳しく雪が多いため、2月の満月にはSnow Moon(雪月)という名前が

付いた。Storm Moon(嵐月)やHunger Moon(飢餓月)などもある。



3月:Worm Moon(芋虫月)

ネイティブアメリカンは、冬の終わりを迎える3月の満月にWorm Moon(芋虫月)という名前を付け

た。雪解けの地面に見られるミミズのはった跡にちなんだ名前である。ほかには、Chaste Moon

(純潔月)、Death Moon(死月)、Crust Moon(堅雪月。日中に雪が溶け、雪解け水が夜に凍り付

いて表面の固くなった雪を表している)、そしてSap Moon(樹液月。カエデの樹液採取にちなんだ

名前)などがある。



4月:Pink Moon(桃色月)

北部のネイティブアメリカンは、開花の早い野花にちなんで4月の満月をPink Moon(桃色月)と

呼んでいる。ほかの文化では、Sprouting Grass Moon(萌芽月)、Egg Moon(卵月)、そしてFish

Moon(魚月)と呼ばれている。



5月:Flower Moon(花月)

多くの花が咲く5月の満月は、多くの文化でFlower Moon(花月)と呼ばれている。ほかには、

Hare Moon(野ウサギ月)、Corn Planting Moon(トウモロコシの種蒔き月)、そしてMilk Moon

(ミルク月)という名前がある。



6月:Strawberry Moon(苺月)

北米では6月にイチゴの収穫が行われるため、それにちなんだ名前が6月の満月に付けられた。

ヨーロッパではRose Moon(薔薇月)という別名が付けられ、ほかの文化では夏の暑さの始まり

を意味するHot Moon(暑気月)と呼ばれている。



7月:Buck Moon(男鹿月)

毎年ツノが生え替わるオスのシカは、7月にツノを再生し始める。ネイティブアメリカンは7月の

満月にオスのシカにちなんだ名前を付けた。ほかには、Thunder Moon(雷月。この月に夏の

嵐が多発するため)、そしてHay Moon(干し草月。7月に干し草の収穫があるため)という名前

がある。



8月:Sturgeon Moon(チョウザメ月)

チョウザメの豊漁にちなんで、北米の漁民は8月の満月をSturgeon Moon(チョウザメ月)と呼ん

だ。また、Green Corn Moon(青トウモロコシ月)、Grain Moon(穀物月)、あるいはRed Moon

(赤月。夏のもやで赤みを帯びることがよくあるため)という呼び方もある。



9月:Harvest Moon(収穫月)

最も馴染み深い名前の満月である9月のHarvest Moon(収穫月)は、作物を収穫する秋分後

の時期を表している。また、夜間の収穫を助けてくれる9月の満月の特別な明るさや、月の出

が早いことも表している。ほかには、Corn Moon(トウモロコシ月)やBarley Moon(大麦月)と

いう名前もある。



10月:Hunter's Moon(狩猟月)

Harvest Moon(収穫月)の後の最初の月はHunter's Moon(狩猟月)である。夏の間に太った

シカやキツネを狩るのに適した月であるため、このように名付けられた。Harvest Moon(収穫月)

と同様にHunter's Moon(狩猟月)も特別に明るく、照らす時間も長い。狩猟者は、夜でも草木の

枯れた原野で隠れることのできない獲物を追跡することができる。ほかには、Travel Moon(移

動月)やDying Grass Moon(枯れ草月)という名前もある。



11月:Beaver Moon(ビーバー月)

11月のBeaver Moon(ビーバー月)という名前の起源については意見が分かれている。ネイティ

ブアメリカンがビーバーを捕らえるわなを仕掛ける時期からきているという人もいれば、ビーバー

が冬のダム造り(巣作りの一種)にかかり切りになるからだという人もいる。Frost Moon(霜月)

という名前もある。



12月:Cold Moon(寒月)

冬が到来する12月の満月には、Cold Moon(寒月)という名前が付けられた。ほかには、Long

Night Moon(長夜月)やOak Moon(オーク月)という名前がある。



Blue Moon(ブルームーン)

毎年、月は地球が公転を完了する約11日前に最後の満ち欠けのサイクルを終了する。その

ような余りの日が積み重なった結果、およそ2年半に1度という間隔で満月が1回余計に起こる

ことがある。ブルームーンとは、そのような満月のことを言う。



起源ははっきりしないが、その意味するところは時とともに変化している。ブルームーンは現在、

暦月の2回目の満月を表す慣用句として使われているが、もともとは満月が4回起こる季節の

3回目の満月に付けられた名前だった。

(引用終り)



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2012年11月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿したものです。




他の動画を見ていたら、偶然サンデル教授が日本で行った「震災後の民主主義の復活」という動画に

出会った。講演という時間的な制約のなかでも、聴衆者の相反する立場の意見が聴き、それを新たな

議論へと導くサンデル教授の手法にいつも感心してしまう。



本当ならもっと掘り下げた議論を聞きたかったけれど、一つ一つの問題を深く議論すれば膨大な時間

がかかるものだし、少し消化不良なものを感じたのも仕方ないことだと思う。



講義の内容とは関係ないが、サンデル教授や全ての聴衆者には同時通訳用の機械が渡されていたの

にも関わらず、聴衆者の日本人同士が自分の意見を言い合う場面で、相手の日本人に対して、英語で

応える日本人が何人かいた。



尊敬している山中教授の受賞会見でも感じたことだが、話の内容に共感することはあっても、日本人

同士の会話で日本語で話すことは私にとっては当たり前のことだと思っているし、日常の会話で英語

の単語を多く使いたがる人間に昔から違和感を感じていた。勿論、これは私自身英語が苦手なので

そう思うのかもしれない。



自分の考えや想い、それを如何に相手に正確に伝えるか、それは本当に難しいことで英語の単語を

使わず日本語だけを話せば解決する問題でも決してないし、日本語の特殊性(音訓読みなど)も関係

しているのだろうか。



西洋の言語が枝分かれして成立してきたのに対し、日本語は逆に様々な言語が一つの幹となってきて

いること。これは安部公房さんが提唱されてきたことで、母語の違う集団(弥生人と縄文人)の子供たち

が遊びの中で、自然に新しい文法や言葉が生まれてきたという説(「縄文 謎の扉を開く」を参照)がある。



ただ、見知らぬ人間相手に英語の単語を多用する人は、この説(子供の遊びの中で自然に)とは違う

次元にいるのではと感じてしまう。



話を最初に戻すが、講演後の中学生の言葉で、「いろいろな意見が聴けて面白かったし勉強になった」

という言葉、この柔らかな感受性はいつまでも忘れたくないものだと思う。



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2012年11月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

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昨年2011年8月25日の日の出です。

今日は雲が厚く日の出を見ることは出来ませんでした。


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本日11月4日の日の出です。




2012年10月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



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母と共に江の島にて 2012年10月27日

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2012年10月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



もうすぐ83歳になる母と、江の島の夕日をじっと見つめていた。

母の背中から伝わるいろいろな想いの重みを私は忘れない。

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2012年10月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



(大きな画像)

高尾山からの眺望(富士山)

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本日10月27日の日の出です。

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本日10月28日の日の出です。

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本日10月30日の日の出です。

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本日10月31日の日の出です。

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本日11月1日の日の出です。

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本日11月2日の日の出です。

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昨年2011年8月25日の日の出です。

今日は雲が厚く日の出を見ることは出来ませんでした。


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2012年11月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



カシオペヤ座に位置するIC1805「心と魂の星雲」(Heart and Soul Nebulas)で、

地球から6000年離れた距離にあります。この写真は赤外線で撮られたもので、

星雲の幅は300光年に広がっています。まるで二つの心臓のようですね。


写真とは違いますが、カシオペヤ座には「E.T.星団」というスピルバーグの映画

にちなんだ面白い星団があり、少し大きめの双眼鏡で宇宙人E.T.に似た姿を

見ることが出来ます。






2012年10月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

遠くの星から見た太陽と天の川(写真はNASAより引用)



ケンタウルス座のアルファ星から太陽を眺めた想像図ですが、このような視点で見ると、如何に私の視野が

天動説のような狭さだったかを教えてくれます。



ケンタウルス座のアルファ星は恒星が3個ある三重連星で、太陽系から4.37光年しか離れていない最も近

い恒星系です。



これらの星は秒速25キロの速さで太陽系に近づいていますが、2012年この星の一つB(画像中央)に地球と

ほぼ同じ重さの惑星(画像右)が存在することがわかりました。



ただこの惑星はBに対して太陽・地球間の0.04倍の近さに位置しているため、Bをたったの3.2日で一周して

しまいます。



太陽に最も近い公転軌道を周回している水星ですら87日なので、生命が存在している可能性は低いようです。



ケンタウルス座のアルファ星は南十字星の近くにあり、日本では沖縄より南でないと見ることが出来ませんが、

もしこの惑星に知的生命体がいたら太陽系をどんな目で眺めているんだろうなと想像してしまいました。



「おーい、太陽系があるここにも君らと同じ生命がいるんだぞ〜」と、この惑星に向かって叫びたくなります。



 

2012年、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

イエローストーン国立公園でのオーロラ(合成写真・写真はNASAより引用)

今年10月初めに撮影されたものです。

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本日10月20日、日の出後の光景です。


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本日10月21日の日の出です。


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メダカ、自宅にて


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本日10月22日の日の出です。


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本日10月23日、午前6時の光景です。

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2012年、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



昨日(2012年10月25日)のスカイツリー。上京してきた母と共に天望回廊まで昇り、

夕日を浴びてきました。 (大きな画像)



夕暮れのスカイツリー。右奥に見えるのが新宿の高層ビル群です。




2012年10月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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約4万年前に超新星爆発したSimeis 147(写真はNASAより引用)



このS147の残骸雲は地球から3000光年の距離にありますが、この写真に写っている赤い雲は

150光年の広がりを持っています。



今から4万年前、このS147の超新星爆発が起きたとき地球の人類は何をしていたのでしょうか。



ドイツ南部シュヴァーベン・シュラ地域で発掘されたフルートは、クロマニョン人が作ったものと

され4万年前のものとされています。人類最古のフルートはスロヴェニアの遺跡で発見された

6万年前の骨で出来たもので、ネアンデルタール人が作ったという説がありますが、多くの考古

学者はこの説に否定的です。



骨や木に孔を開け吹くと音が出るのを発見したのは偶然からだと思いますが、最初は伝達手段

として用いられたのかも知れません。それが現在のように「音楽」として発展していく始まり、そし

てその過程と背景に想いをめぐらしたいのですが、困難さを感じます。



クロマニョン人の脳の構造・容量は私たち現生人類とほぼ同じですが、ネアンデルタール人の

脳の容量はは現生人類よりも大きいのですが言語能力が劣っていたと言われています。また

骨格などの解剖学の視点から、ネアンデルタール人は特定の音を発することが出来なかった

のではと言われています。



今私たちが持っている脳を基に、ネアンデルタール人と現生人類は何が違っていたのか、彼ら

は何を感じ何を見ていたのか、それを探ることは限界があるのではとも感じています。



もしこの限界を破るものがあるとすれば、新たな発掘や大脳生理学の進歩なのかも知れません。



今から4万年前の超新星爆発と古代の人々の世界、この写真に不思議な繋がりを感じてしまい

ました。



一つ前の投稿でこの6万年前のフルートを復元し演奏した動画を投稿しています。




 

2012年10月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



(大きな画像)

トンボ 2012年10月11日、岩田山公園にて撮影。

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2012年、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

本日10月12日、日の出の光景です。

本日10月16日、日の出の光景です。

10月16日、菩提峠からの夕日です。

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2012年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



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アッシジの聖フランシスコが亡くなった場所です(1985年アッシジにて撮影)。



本日10月3日(1226年)はアッシジの聖フランシスコが亡くなった日で、現在ではこの場所を

包むように大きな教会が建てられています。



初めてアッシジの駅に降り立ち、そこから眺めたアッシジの丘は神々しく輝き、この丘から

眼下に見えるウンブリア平原はまるで海のように広がっていました。



話は変わりますが、私の高校時代にアニメ「アルプスの少女」が放映されていました。その

中でヤギ飼いのペーターのおばあさんがいつも詩篇のような歌を口ずさんでいましたが、

これが聖フランシスコの「太陽の歌」だと知ったのは随分後のことでした。



私自身幼少の頃から引越しを繰り返していたので、同じような境遇のハイジに共感してい

たのだと思います。



このアニメで使われた「太陽の歌」を下に紹介しますが、大正13年に書かれただけに文語

体で書かれています。ただ私は文語体の響きは好きですし、日本語の美しさが現われて

いると思います。



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いとも高く、萬能にして、恵みふかき主よ。

賛美、栄光、ほまれ、すべての恵は主のものなれ

いと高き主よ、こはみな主のものにして、

人はその御名をよぶにも足らず。



讃むべき哉、主よ、主のつくりませる物みなと、

ことに昼を与へわれらを照り輝かす

はらから太陽と。

日は美しく眩しきまでに照り渡る、

かれこそは主の御姿、ああ高きにます主よ。

讃むべき哉、わが主よ、わがはらから月は星は、
  
主はこれをみ空に造りたまひ、すみて貴く美はし。



讃むべき哉、わが主よ、風は、

大気は、雲は、曇りてはまた晴るる日和は

これによりて主はその造りまししものを育みたまふ。



讃むべき哉、わが主よ、やさしきはらから水は

いとやく立ちて、低につき貴く清らかなり。



讃むべき哉、わが主よ、はらから火は

夜のくらきを照らし、

美はし、たのし、たけく、つよし。



讃むべき哉、わが主よ、はらから母なる大地は

われらを育み われらを治め、

木の実を結び、花を装ひ、草を育む。



讃むべき哉、主よ、主の愛によりて人を許し

病にたへて憂き艱を忍ぶものは、

恵あれ主によって静かに耐ふる者に、

いと高き主よ、主の冠はかれにあらん。



ああほむべき哉、わが主よ、はらから死は、

誰か死をのがれん、いけるもの皆は、

いたはしきかな罪の死に亡ぶる者は。

されど讃むべきかな主の聖意にすむ者は、

第二の死も害ふことはあらじ。

主を頌めたたへ、主に感謝せよ。

いとへりくだりて主に仕へよ。




「聖フランチェスコ 完全の鑑 聖貧禮讃」黒田正利訳 より引用



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2012年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。




ロンドンで行われている国際トーナメントで、未来のチェス界を引っ張っていく日本にゆかりのある二人が

対戦しました。



世界5位のHikaru Nakamura(アメリカ)は、大阪生まれで日本人の父とアメリカ人の母をもち、世界24位

Anish Giri(ロシア)は、ネパール人の父とロシア人の母をもち、8歳のときから6年間日本に住んでいま

した。



5位と24位では一見差があるように見えますが、チェスでは僅かの差に多くの名人がひしめき合っていま

すので、順位に見られるような大きな実力の差はありません。



このロンドンでの大会でのHikaru Nakamuraは絶不調で、9試合終わった時点で12人中12位の最下位。

Anish Giriは7位に位置していました。



私は夜1時ごろ目が覚め、その後何故か寝つかれないので、この大会のライブ映像を見ながら二人の

試合を観戦していました。



Hikaru Nakamura(白)とAnish Giri(黒)の対戦で、上の画像は46手目の局面(GiriがBe5と指したところ)で

すが、この後に指された白の手に唖然としてしまいました。



「こんな手が成立するのか」と、それは世界中のチェス・ファンにとっても同じだったようで、その後数手

打たれてから初めて深遠な構想にを気づいたほどです。



この手は私のようなレベルがどんなに時間をかけても見つけ出せないでしょう。



人間には不思議な能力を持った方がいます。以前の職場では私の生年月日を言うと、直ぐにそれが

何曜日かを正確に答えることができた人がいましたし、世界にはカメラアイと言って風景や形、配列な

どを瞬時に記憶出来てしまう人もいます。



人間の脳にはまだまだ未知なる領域が沢山あるのでしょうね。



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Hikaru Nakamuraは、47手目をg5と指しました。ポーン、ルークのサクリファイス(犠牲)をしながら白の

キングをクィーン側に持っていき戦いに参加させる深い構想です。



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2012年10月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




サミー・デイヴィス・Jrの名曲「Mr.ボージャングルズ」、これは「グノーのアヴェ・マリア」

「見果てぬ夢」と並んで私のベスト3ですが、今から35年前にテレビで布施明が一度だけ

この曲を歌っていました。



それまでは嫌いな歌手だったのですが、この曲を哀感をもって歌い上げる彼の姿が、

当時の生きているのがしんどいと感じていた私の心に響いたのだと思います。それから

時々コンサートにも行くようになりました。



スタジオ録音だと彼の真価は出ないのでしょう。CDでは期待を裏切られることもあった

のですが、今度のCDはオーケストラをバックにして歌っています。



スタジオ録音でもありませんし、好きな曲が多いのでCDを聞くのが楽しみです。



「Way of the Maestro」2012年9月26日発売

1. NESSUN DORMA“誰も寝てはならぬ”
2. MORIR DE AMOR
3. AMAZING GRACE
4. YOU RAISE ME UP
5. DIO COME TI AMO
6. LET ME FALL
7. AVE MARIA
8. TIME TO SAY GOODBYE
9. MY WAY
10. TRISTESSE“別れの曲”







2012年10月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。



(大きな画像)


本日10月1日、十六夜(いざよい)のお月様です(自宅にて撮影)。



縄文土器の一つ「有孔つば付き土器」、この土器に見られる図像は「死と再誕生」を意味しており、

その背景にあるのは「月の神話」ではないかとの説があります。



40年前この説を最初に唱えたのは、「縄文時代の若干の宗教的観念について」という論文の中で

ドイツのネリー・ナウマン(女性の方です)さんが書いたものらしいです。



それに関連して、「縄文 謎の扉を開く」という本の中で縄文土器を研究する14人の方たちが、そ

れぞれの視点で縄文土器の意味を探り発表しますが、異なる解釈も見受けられ興味深い文献で

した。



この本の中で、「文様で見る月の神話」を書いた小林公明(井戸尻考古館館長)さんの言葉を下

に紹介しようと思いますが、一つの仮説として読んでいただければと思います。



私も古代の人は、月だけに限らず、太陽や星、天の川を見て、この世とは違う世界が存在してい

ることを感じ、そこに何らかの宗教心が産まれたのではないかと考えていますが、これは永遠の

謎(神秘)なのかも知れません。



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人類にとっての最大の悩みは死です。



これは現代人も古代の人間も、新石器時代でも旧石器時代でも、死というものをどのように理解

して、いかにして克服するか、これに人類は営々として知恵の限りを尽くして、おそらく石器時代、

人々はその答えを月に見いだした。



月というのは、われわれの眼前にあって比較的短い、今日流にいうと、29.5日という周期でもっ

て、規則正しく満ち欠けを繰り返している。



月は人間と同じように生まれて、生長して、老衰して死ぬ。けれども3日間の暗やみの後、4日目

には必ず西の空によみがえる。これを人類の眼前で未来永劫に繰り返している。



そこに石器時代の人たちは答えを見いだした。



そこに一つの宗教観念、哲学というものが発生していた。



そういった世界観なり宗教観念が、有孔つば付き土器に非常に濃厚に描かれている。



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2012年9月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



Tobey Maguire dans la peau de Bobby Fischer
 より引用

伝説のチェス世界チャンピオンの映画(フィンチャー監督) 



写真は他のサイトより引用しましたが、元チェス世界チャンピオン・フィッシャーをトビー・マグワイアが

演じています。



今から40年前の1972年、ボビー・フィッシャーの名前はチェスファンだけに留まらず、世界の多くの人の

記憶に刻まれました。世界チェンピオンであった旧ソ連のスパスキーと挑戦するアメリカのフィッシャー

ユダヤ人の母をもつ)、この24番勝負は米ソの東西冷戦の象徴として、世界中の注目を集めたのです。



このフィッシャーの伝記映画が来年公開されます。監督は「ソーシャル・ネットワーク」「ドラゴン・タトゥー

の女」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。映画の主人公フィッシャーを演じるのはスパイダーマン役

で知られるトビー・マグワイアです。



マグワイアがどんなフィッシャーを演じるのか今まで全く情報がなかったのですが、上の写真を見るとま

るでフィッシャーが乗り移ったのではないかと思うほど姿や雰囲気が似ています。



奇人と知られるフィッシャーは個人的に好きですが、相手のスパスキーも私は尊敬しています。1968年

のソ連がチェコスロバキアに侵攻したチェコ動乱(プラハの春)の直後に行われた国際トーナメントで、

ソ連のスパスキーは黒の腕章をつけチェコスロバキアの選手一人一人に握手しました。



それはソ連がチェコに対して行ったことへの抗議であり、一人の人間としての謝罪でした。



私自身、正直言いまして共産主義国家には抵抗があります。旧ソ連のスターリンなどによる粛清、中国

・毛沢東のチベット侵略や粛清。



何故、共産主義は人間をこうも憎悪の虜にしてしまうのか、その答えははっきり出ませんが、チェ・ゲバラ

が「世界の何処かで、誰かが被っている不正を、心から悲しむ事が出来る人間になりなさい。それこそ、

最も美しい革命家の資質なのだから。」と言うのに対し、旧ソ連・中国の共産主義は逆にあるものへの憎

しみに囚われていたと感じてなりません。



これは哲学者の梅原猛さんも指摘していることですが、憎悪は増幅して更に多くの憎悪を産むのかも知

れませんし、共産主義だけにあてはまるものでもありません。。



チェスとは関係ない話になってしまいましたが、映画ではアメリカ的な善玉悪玉の構図でスパスキーを

描いて欲しくないと願っています。



最後に、フィッシャーは2008年スパスキーとの世界選手権が行なわれたアイスランドで、チェス盤のマス

の数と同じ64歳の生涯を終えました。



(K.K)



 

「夏の終わり、最期の時を共に」・昨年8月末に撮った写真です。




2012年9月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

ニホンアマガエル(自宅にて撮影)



雨が降るとカエルが元気に鳴き出しますが、カエルは雨や湿ったところが好きだからと今まで

漠然と思っていました。



少し調べてみたら、カエルは肺呼吸と皮膚呼吸の両方をしており、乾燥した皮膚だと皮膚呼吸

が出来ないそうで、カエルの皮膚がいつも湿っているのはそのような意味があったんですね。



ところで昔の人は日照りが続くと「雨乞い」の儀式を行いましたが、雨の前兆を知らせるカエル

の存在を尊い天からの使いとと見ていた人も多かったのではと推察します。



話は昔に飛びますが、中国・殷の時代(紀元前17世紀から11世紀)では日照りが続くと巫女を

焼き殺す(焚殺)ことがあったようですが、儒教(孔子を始祖とする思考・信仰の体系)の「儒」は、

この焚殺される身分の人だったと言われています。そして「儒家」とは、雨乞いと人身御供の葬

式からお祭りまで含めた宗教的な行事を担当する伝統を持った階層だったようですが、詳しくは

わかりません。



同じ中国でも南部に住む先住民族は、春になるとカエルが彫られた銅鼓(どうこ)を激しく叩くそ

うです。その音が天地に響き渡り雨をもたらしてくれる、またこの儀式は多産を願っていると言

われています。



中国だけでなく、日本でも、そして世界でもカエルを天と地を結びつけるものとして神話や物語

に沢山登場しているのかも知れません。



アニミズムについて書かれた良書「木が人になり、人が木になる」岩田慶治著より以下抜粋

引用しますが、岩田さんは国立民族学博物館名誉教授の方です。



☆☆☆☆



カエルが水と陸をつなぎ、天と地をむすびつけるためのシンボルになっている。



そんなことは何事でもないじゃないかと思われるかもしれないが、天と地の仲が悪く、ことごと

に対立して調和がとれなければ、季節の運行に支障がでてくるし、農業と生活のリズムが狂っ

てしまう。



昔のひとは、白珪無?(はくけいむてん・白玉にキズひとつないありさま)といったが、それは

天地のあいだに割れ目がなく、宇宙にひび割れがないことをいったものだ。ひび割れのない

宇宙に住もうとすれば、必ずや、人間も争いをやめるだろう。



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年9月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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「天に向かって吠えるジャングル大帝レオと
優しく見つめる手塚治虫」

本日9月18日、日の出後の光景です。




☆☆☆☆



手塚治虫の作品(全部は読んでおりません)の登場人物「鉄腕アトム」「ジャングル大帝レオ」

「ブラック・ジャック」などは、幼少そして青春時代の輝けるヒーローでした。



1965年、私が8歳のときにテレビ放映されたアニメ「ジャングル大帝レオ」、このアニメの音楽

担当は冨田勲さんでしたが、オープニングテーマはアフリカの大地を彷彿させる壮大な音楽で、

今聴いても心が震えます。



故・手塚治虫さんの姿を実際に見たのは2回だけでした。最初は座談会の前で廊下で立ち話

をしていた姿、2回目は銀座のビアガーデンで友人と酒を飲んでいた姿。流石に声をかけるこ

とはできませんでしたが、その姿を大きく大きく感じていました。



☆☆☆☆



(K.K)



 

2012年9月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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「シクラメンのかほり」

1ヶ月前から咲き出したシクラメンです。

(K.K)



 

2012年9月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日9月19日の夕焼けです。

(K.K)






2012年9月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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おとめ座のある「Arp 116」(写真はNASAより引用)



手前に見える巨大楕円銀河M60は5400万光年、遠くに見える渦巻銀河NGC 4647は6300万光年

地球から離れた位置にあります。



太陽の45億個分の質量を持つ巨大ブラックホールがある手前の楕円銀河は、直径が12万光年の

広がりを持ちますが、遠くの渦巻銀河の大きさは楕円銀河に比べると3分の2ほどです。



この形・色・サイズが全く異なる2つの銀河は、銀河の間で潮汐作用(海面の潮汐と同じ意味)があり、

たまたま同じ方向に見えるのではなく、互いに影響を受けている理想的な銀河のペアです。



☆☆☆☆



昨日、夜遅くなってから丹沢の菩提峠まで星を見に行きましたが、着くと1組のアベックが倒木に

座り流れ星を探していました。



挨拶をし双眼鏡を設営していると、アベックが「天体観測をしているのですか」と声をかけてきたの

で、大きめの双眼鏡で星や星団を見てもらいました。



アベックが去ると、今度は2人の男性が来られ、地面にシートを敷いて流れ星を探していました。



今日は流星群が見られる日ではなかったのですが、このような人たちに出会うと何故か心が和ら

ぎます。



暗闇で互いの顔などはっきりとわかりませんが、心が通じることに「顔が見える見えない」は関係

ないとつくづく感じました。



☆☆☆☆



(K.K)



 

2012年9月15日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日(9月15日)、日の出後の光景です。



(K.K)



 

2012年9月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日9月17日、日の出後の光景です。



(K.K)





2012.9.6




「世界放浪徒然草」

http://www.kentoitoh.com/

Facebookページ:http://www.facebook.com/samuraiboukenka



世界各国を旅すると共に日本文化の素晴らしさを改めて実感した伊藤さんのサイトです。

伊藤さんはアイヌの長老、インディアンの長老から教わり、それを自分の言葉で紹介し

ようとしています。まだこのサイトは出来て間もないですが、多くの出会いを通して得られ

た言葉や感性豊かな写真が掲載されています。これからますます充実していくことを願っ

ています。




伊藤研人さんのFacebookページ
http://www.facebook.com/kento.itoh




2012年6月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




FB友達の伊藤研人さんと(4月原宿にて)



眼光鋭いと感じる人はそうはいませんが、伊藤さんはそんな若者でした。



大学を卒業してニュージーランドのバナナ園での過酷な労働、そしてオーストラリアでダイビング

のインストラクターを経験して日本に帰ってきたばかりの時にお会いしました。



現在はアイヌの文化に触れつつ、これからインディアンを訪ね、その後ガラパゴス諸島でダイビ

ングの仕事をしながら将来の目標に突き進もうとしています。



彼の凄いところはその行動力と共に、日本・世界のことを真剣に考えている純粋な気持ちです。



その気持ちに私自身何か圧倒されてしまったように思います。



私も若い頃は夢に向かって生きていましたが、彼を見ていると、おいらもこのままじゃ駄目だと

教えられたような感じがします。



大きな夢に向かって羽ばたく彼が次にどんな姿を見せるのか楽しみにしています。




(K.K)



 

2012年9月6日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日9月6日、日の出の風景です。



(K.K)



 


2012年9月6日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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イタリアで撮影された大気光 (写真はNASAより引用)



まるでオーロラのように発光していますが、これは大気圏上空で原子や分子が太陽紫外線を

受けて発光する大気光という現象です。



大気光は昼間の太陽紫外線をエネルギー源としますが、オーロラは太陽から飛んできたプラ

ズマが大気の原子や分子に衝突することによって起こる現象らしいです。



(K.K)



 




2012年9月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日9月2日撮影した、雨上がりの睡蓮と障碍を持ったメダカ



メダカも他の生物と同じように不思議な生き物だ。



メダカは産卵時期には多くの卵を産むが、生き残るのはそれ程多くはない。孵化せずに

死んでしまうものもいれば、写真のメダカのように骨が変形して生まれてくるものがいる。



遺伝子の多様性は頭では理解しているつもりでも、同じ環境の下で育てているはずが

何故と問いかけたくなる。



インディアンのラコタ族の伝統では、障碍者は聖なる者であり、人々に何かを教えるため

に遣わされた存在だと考えられていた。



そこでは「できない」ことではなく、「できる」ことに焦点をあてようとする世界観・人間観が

あると「アメリカインディアンの現在 女が見た現代オグララ・ラコタ社会」の本の中で、

デイ多佳子さんが紹介している。



沖縄・奄美のシャーマン・ユタ。最初彼女たちは「目に見えないものが見え」「聞こえない

ものが聞こえ」る体験を通してユタになるのが殆どである。



世界のシャーマンの中でも「神のお告げ」とも受け取れる稀有な現象は、沖縄・奄美特有

のものだと今まで思っていた。



しかし、これは世界中で起こっていることかも知れず、ただ私たちはその現象を安易に

精神的な病として片づけているのかも知れない。



勿論、本当に精神的な病に苦しんでいる人たちがいるのも事実だが、異質なものをある

がままに受け止め、その意味を感じ取る風土が古代から受け継がれてきたのも事実で

ある。



このような風土、世界観・人間観をもつ社会は、「あるがままの」存在の重さを感じること

によって導かれるものかも知れない。



骨が変形しているメダカ、このメダカを見ていると何かを語りかけようとしている、とふと

感じてしまう。




(K.K)






2012年8月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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「蜘蛛の糸」・写真は自宅で朝日を浴びる蜘蛛を撮ったものです。



大正7年に発刊された鈴木三重吉・主宰の「赤い鳥」は、児童向けの月刊雑誌として

18年間多くの子供たちに読み継がれました。



岡本太郎、金子みすゞ、大岡昇平など当時子供であった彼らも熱心な愛読者で、投

稿欄にその名前を見つけることが出来ます。



芥川龍之介の有名な「蜘蛛の糸」は、この「赤い鳥」創刊号に発表されたものです。



以下「蜘蛛の糸」のあらすじをウィキペディアより引用しました。



☆☆☆☆



釈迦はある時、極楽の蓮池を通してはるか下の地獄を覗き見た。



幾多の罪人どもが苦しみもがいていたが、その中にカンダタ(?陀多)という男の姿

を見つけた。



カンダタは生前に様々な悪事を働いた泥棒であったが、一度だけ善行を成したこ

とがあった。



小さな蜘蛛を踏み殺そうとしたが思いとどまり、命を助けてやったのだ。



それを思い出した釈迦は、地獄の底のカンダタを極楽へ導こうと、一本の蜘蛛の

糸をカンダタめがけて下ろした。



極楽から下がる蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸をつたって登れば、地獄から

脱出できるだろう。



あわよくば極楽に行けるかもしれない」と考える。



そこで蜘蛛の糸につかまって、地獄から何万里も離れた極楽目指して上へ上へ

と昇り始めた。



ところが糸をつたって昇る途中、ふと下を見下ろすと、数限りない地獄の罪人達

が自分の下から続いてくる。



このままでは糸は重さに耐え切れず、切れてしまうだろう。



それを恐れたカンダタは「この蜘蛛の糸は俺のものだ。お前達は一体誰に聞い

て上ってきた。下りろ、下りろ」と喚いた。



すると次の瞬間、蜘蛛の糸がカンダタのぶら下がっている所から切れ、カンダタ

は再び地獄に堕ちてしまった。



その一部始終を見ていた釈迦は、カンダタの自分だけ地獄から抜け出そうとす

る無慈悲な心と、相応の罰として地獄に逆落としになってしまった姿が浅ましく

思われたのか、悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。

☆☆☆☆




(K.K)



 

2012年8月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日8月25日、日の出前の光景です。



(K.K)



 

2012年9月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日9月1日午前の光景です。


(K.K)






2012年8月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



過ちと回心



回心すること、新しく生まれ変わること、その真の意味を私は本当に理解できているの

だろうか。



私たちは先住民に対して、太古の時代から自然と環境に調和する人々と捉えているが、

1万3000年前のアメリカ大陸では現代の私たちがしてきたことと同じように、乱獲などで

31属の大型草食動物が絶滅されたと言われている。



これはアメリカ先住民に限らず、オーストラリアのアボリジニ(最近の研究で明らかに

なりつつある)など世界各地に共通することかも知れない。



過去と現代、同じ過ちを犯していたとしても、彼ら先住民と私たち現代人の決定的な

違いは、過去から学んだ「知の遺産の継承」(国立科学博物館の海部陽介氏が提唱し

ている進化の仮説)、この場合は「回心の継承」とも言うべきものがあるかどうかなの

かも知れない。



先住民は、過去の過ちから学んだ教訓、それが回心となって魂に刻まれたが故に、

1万年以上も渡って世代から世代へと受け継がれてきたのではないだろうか。



私たち現代人は、動植物の絶滅と共に戦争など多くの悲劇を目の当たりにしてきた

が、果してそこから得られた、揺らぐことのない教訓が1万年先の人類にまで共有さ

れたものになっていくのだろうか。またそこに回心と呼べるものが存在しているのだ

ろうか。



ホモ・サピエンス(現生人類)は1万3000年前に一時陸続きになったベーリング海峡

を渡ってアメリカ大陸に来たとされているが、アメリカ先住民の多くはそれを否定し、

「自分たちは天地創造の時に亀の島(アメリカ大陸)に置かれた」と主張している。



ミトコンドリアなどの遺伝子解析から見れば在り得ないことだが、真に回心し、新しく

生まれ変わったことを体感した人ならば「今、私たちは生まれ変わり、そして今、私

たちはここに立つ」と言えるのだと思う。



この回心、それはシャーマニズムアニミズムとも関わってくるが、私自身はシャー

マニズム・アニミズムは1万3000年前より遥か太古の時代に生まれたと思っている

し、その背景にはネアンデルタール人などの旧人と言われた人の存在があったの

ではと感じている。細々と、しかし脈々と受け継がれてきた精神が1万3000年前に

多くの人々に共有され花開いたのかも知れない。



話はそれてしまったが、回心、1万3000年前の現生人類が体感したこと、それは私

が想像するより遥か高い次元での回心であったと感じてならないし、次の世代へ

継承させるために、私たちはこの回心の真の意味を心に感じることから始めなけ

ればいけないのかも知れない。



(K.K)



 

 

2012年8月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日8月17日、日の出後の風景です。



(K.K)



 

2012年8月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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「モスラーよ、モスラ」。時々ベランダに遊びに来るアゲハチョウ。

右に映っているのは柚子(ゆず)の実です。柚子の皮を小さく

切ってフライパンで炒め、それをパスタに混ぜると美味いのだ。




(K.K)



 

2012年8月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日8月20日の夕焼け雲です。



(K.K)



 

2012年8月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日8月21日、日の出前の光景です。



(K.K)






2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。







原罪の神秘



キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが

何か考えるようになってきた。



世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る

余地などない。



ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。



宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。



その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。



世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及し

ている。



世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。



これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、

原罪との関わりもわからない。



将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人

言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。



しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。



原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。



前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。



最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。



私の文章で不快に思われた方、お許しください。



☆☆☆☆



神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみのあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

☆☆☆☆




(K.K)



 

2012年7月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日(7月26日)の日の出です。



☆☆☆☆




(K.K)



 

2012年7月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日(7月26日)の夕焼けです。

空に壁とか見えなかったんだけどな。

☆☆☆☆




(K.K)






2012年7月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。






「命を捧げるほどの愛―マキシミリアノ・コルベ神父」


マキシミリアノ・コルベ神父(1894〜1941)を紹介するサイト



アウシュヴィッツで餓死刑の身代わりを申し出、亡くなったコルベ神父(1982年、同じポーランド

出身のヨハネ・パウロ2世によって列聖を宣言される)、その姿を沢山の写真と共に紹介した

このサイトに心ひきつけられました。



聖フランシスコ修道会に入られたコルベ神父は、長崎に来られた数年間に「聖母の騎士修道院」

を設立し、現在でも月刊誌「聖母の騎士」が発行されています。



布教とは直接関係ないのですが、コルベ神父が大学時代、惑星間の旅行が物理的・生物学的

に可能であることを説明する論文を書いたり、修道院長時代、若い神学生とチェスをすることが

唯一の趣味だったりと、同じ領域に関心をもっていたことに驚きました。



しかし、それよりもこのサイトを通して、コルベ神父の言葉と行いに改めて感銘を受けています。



アウシュヴィッツでの話ですが、このサイトから印象に残った言葉を転載します。



☆☆☆☆



担ぎ出される死者には、永遠の安息を祈り見送ることが自分の務めなのだからと祈り続けられ、

他の人の身代わりになって殴打されたこともしばしばでした。



そんなコルベ神父に看護係がこっそりと一杯のお茶を持って行っても、「他の方々はいただいて

いませんのに、私だけが特別扱いを受けては申し訳ありません」と固辞され、わずかに与えられ

る食事でさえ大部分をいつも他の人に分け与え、痩せきっても優しい微笑みでこうおっしゃった

のだそうです。



「私は若い時から様々な苦難には慣れていますが、人にまでその無理を強いたことを反省して

います。私のことでしたら心配はいりません。私よりも誰かもっと他に苦しんでいる人がいるで

しょう。その人たちに…」



☆☆☆☆




(K.K)



 

2012年7月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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2012年7月15日、月と木星のランデブー(写真はNASAより引用)

イタリアで撮られた、月と木星、そして木星のガリレオ衛星(ガリレオ・ガリレイによって発見された

木星の4つの衛星)。左からカリストガニメデ、木星、イオエウロパが映っています。



☆☆☆☆




(K.K)






2012年7月14日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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回転花火銀河(写真はNASAより引用)



もう直ぐ花火の季節になりますね。私の家のベランダからも厚木の「鮎祭り」の花火が見えるのですが、

直線にすると4キロ離れているので小さくしか見えません。



そんな時は双眼鏡の出番で10倍のものですと、この4キロが400メートルまで縮まりますので、迫力ある

花火の姿を見せてくれます。



ところで、写真の回転花火銀河(M101)ですが、皆さんがご存知の北斗七星の直ぐ近くにあります。



双眼鏡で何回か挑戦したのですが、やはり光害のない恵まれた空でないと無理のようでわかりません

でした。



視力が超人的な人は双眼鏡など使わず、裸眼で見ることが出来ると言われていますが、それでも暗

い空でないと見えないと思います。



この銀河は地球から2300万光年離れたところに位置していますが、この頃地球はアルプス・ヒマラヤ

地帯などで山脈の形成が始まった頃です。



またテナガザルやゴリラなどに近い類人猿が生まれた時代です。



その頃に旅立ちしたこの銀河の光が、今地球に届いているんですね。



ハワイのマウナ・ケア(標高4200メートルで「すばる望遠鏡」など各国の天文台が設置してある)で、い

つか満天の光を全身に感じたい、それは私の夢です。



きっとここでは回転花火銀河もその真の姿を見せてくれるのでしょう。



ただ、ハワイ先住民の文化は観光客のため商業化され、聖地や先祖が眠っている土地、そして先住民

の畑などが開発の名の下に破壊されてきました。



ハワイに行くとしても、ハワイ先住民が大切にしていた「マーラマ・アーイナ」(大地を慈しめ)の文化を感

じとる、そして間接的にも彼らの文化を傷つけない旅の仕方が求められているのかも知れません。



(K.K)



 

2012年7月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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「まるで「私を撮って」と言っているかのように、私の前で楽しそうに飛んでいました。」



(K.K)



 

2012年7月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日7月16日の朝焼けですが、心が熱く清められた感じがしました。


(K.K)






2012年7月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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写真はNASAより引用



東京で何をしていいか彷徨っていた時、駅で若い女性に声をかけられ行った先が統一教会の

信者が生活する施設だった。そこで僕は20代後半くらいの医療関係の雑誌をを編集している

女性と会い、一年間くらいここに通って彼女といろいろなことを話した。世間で問題になりつつ

ある時期だったが、彼女は僕の考えをじっくり聞いてくれたように思う。



独りぼっちで何かを求めていた僕は「あーあ、こんな女性がいつも近くにいてくれたらいいな」と

思ってばかりで、統一原理など聞いても全く頭に入ってこなかった。ただ、彼女が大勢を前にし

て統一原理を話す眼差しや口調は、僕と話すときの彼女とは別人だった。



就職したとき、ある友人が高橋桂子さんの講演を聴きにいかないかと誘われた。彼女は自身

のことを「キリストブッダを統合した上の次元にいるもの」という話を聞きながら、またしても

僕は「あーあ、こんな綺麗な女性と結婚できたらいいな」と思って聴いていた。



まあ男性だったら女性にこのような想いを抱くのは極自然なことなのだが、何が彼女たちから

自分を離したのかを思うと今でもはっきりしない。



ただ母の存在神秘体験(今思うと疑問だが)かも知れないと思うことがある。母親に関しては、

どんなに宗教家が美辞麗句を並べても、母の子への無償の愛という行為に勝るものはない。



それと奄美などの自然、美しいものでありながら怖い存在でもあった自然。それらの記憶が道を

外れそうになった自分をあるべき所に戻そうとしたのかも知れない。



様々な宗教、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは「さまざまとある正しい宗教の伝承は、すべて

同一の真理の種々ことなった反映にすぎず、おそらくその貴重さはひとしいのです」と言い、インド

の偉大な師であったラマナ・マハリシが様々な宗教について問われたとき沈黙で応えたように、多

くの人も宗教はどこかで結びついていると感じていても、その源泉ははっきりとはわからない。



恐らく何千年、何万年先でないとその姿は明らかにならないような気がするし、それだけの時間を

かけなければいけないものだと思う。



私が若い頃出会った女性、もう高齢だとは思うが「幸あれ」と願いたい。



☆☆☆☆



写真は、地球から約3000光年離れた位置にあるキャッツアイ星雲(NGC 6543)の姿です。



鋭い猫の目を思わせることからこの名前がつけられましたが、実際は死にゆく星から放出された

ガスとちりの造形です。



不思議なことにこの放出は1500年ごとに現れ、それが同心円状の構造やジェットに見ることができ

ますが、何故この質量放出が1500年ごとに繰り返されるのかまだわかっていません。



☆☆☆☆




(K.K)






2012年6月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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氷河期の記憶(写真は岩田山公園にて撮影)



太陽の魂、暖かさを地上にもたらす鳥の伝説は2月5日に投稿した「ワタリガラスの伝説」があるが、

寒冷地に住む民族ほどこのような伝説を産みだしやすいのかも知れない。



このような伝説は、7万年前から1万年までの最終氷期を生き抜いた人類が子孫に伝える教訓とし

て伝説や神話の中に生きている。



自身の「死の自覚」から神(創造主)との接点、それが神話の誕生に繋がったのかも知れないし、

それらはほぼ同時期に産まれたのかも知れない。



世界屈指の古人類学者のフアン・ルイス・アルスアガは、「死の自覚」が今から40万〜35万年前の

ヒト族に芽生えたと言っているが、それは我々の祖先と言われてきたミトコンドリア・イブ(約16万年

前)よりも遥かに古い時代である。



エレクトゥス(100万〜5万年前)、ハイデルベルゲンシス(60万〜25万年前)、ネアンデルターレンシス

(35万〜3万年前)のヒト族は既にこの世界から絶滅しているが、もし彼らに「死の自覚」、神との接点、

神話があったとしたら、それはどのようなものだったのだろう。



そして現生人類(我々)の最古の宗教であるシャーマニズム、そして現存する多くの宗教はどのよう

に関わっているのだろう。



2010年に現生人類(我々)の遺伝子にはミトコンドリア・イブだけでなくネアンデルターレンシス(ネア

ンデルタール人)の遺伝子がある可能性が指摘されたが、今後の遺伝子研究や発掘により、彼らの

真実が明らかになってくることだろう。



ただどんなに過去や未来に想いを馳せようが、我々は今この瞬間を生きていることだけは確かな

ことかも知れない。



過去未来に関わらず、すべての生命がそうであった(ある)ように。




(K.K)



 

2012年6月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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宮沢賢治「よだかの星」(写真は岩田山公園にて)

宮沢賢治の童話「よだかの星」、あらすじを「ウィキペディア」より引用します。



☆☆☆☆



よだかは、美しいはちすずめやかわせみの兄でありながら、容姿が醜く不格好なゆえに

鳥の仲間から嫌われ、鷹からも「たか」の名前を使うなと改名を強要される。



自分が生きるためにたくさんの虫の命を食べるために奪っていることを嫌悪して、彼は

ついに生きることに絶望し、太陽へ向かって飛びながら、焼け死んでもいいからあなた

の所へ行かせて下さいと願う。



太陽に、お前は夜の鳥だから星に頼んでごらんと言われて、星々にその願いを叶えて

もらおうとするが、相手にされない。



居場所を失い、命をかけて夜空を飛び続けたよだかは、いつしか青白く燃え上がる

「よだかの星」となり、今でも夜空で燃える存在となる。



☆☆☆☆




(K.K)






2012年6月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





代表者を如何にして選ぶか(インディアン・イロコイ連邦のピースメーカーを感じながら)。
写真はFB友達の伊藤研人さんから紹介してもらったDVD「世界を癒す13人のおばあちゃん 
これからの7世代と、さらに続くこどもたちへ」から引用。



選挙が近づくと大声で「お願いします、あと一歩、あと一歩です」なんて聞くと、どこかの漫才でも

ないがリハビリしているのかと言いたくなってしまう。



僕が描く理想的な代表の選び方は、水洗式である。チェ・ゲバラは虐げられている者への共感が

根底にあったが、維新だの改革だの叫んでいる人たちは、ただ単に自分の、民衆の頭の中を

真っ白にして古いものを一瞬にして洗い流したいだけだろう。



あれ、字が間違っていた、推薦式である。



住民が地域社会に対して行ってきたその人の活動なり言動を見て、この人だったらこの地域に

住む人、そして広く日本に住む人のために良い方向に導いてくれる、彼(彼女)に代表者になる

意志はなくともそんな人を推薦する。



そして各地(村単位)で推薦された人たちが集まって、町まり市なり県・国の代表者を推薦していく。



インディアンの社会においてどのようにして族長を選ぶかに関しては詳しくないが、ある部族は

女性だけの投票で族長(男性)を選ぶところがあり、推薦式なのだろう。



勿論、インディアンの部族という小さな集団での選び方が、そのまま日本にあてはまるかは疑問も

多いだろうが、一つの視点になるのではないだろうか。



話は飛ぶが、アメリカ合衆国には治外法権が適用されFBI(米連邦捜査局)さえ踏み込めない

準独立国・色恋連邦がある。



あ、また間違った。イロコイ連邦である。



今から1000年ほど前に結成されたこのイロコイ連邦の民主的な制度に通じていたフランクリン

(独立宣言起草委員)は、イロコイ連邦組織を手本にオルバニー連合案(1754年)を作り、この

多くの要素が現在の合衆国憲法にも取り入れられている。



このイロコイ連邦を作ったとされるピースメーカーの物語を少し紹介したいが、彼の物語はロング

フェローの叙事詩「ハイアワサの歌」でも有名であり、如何に代表者を選ぶかということも示唆され

ていると思う。



ピースメーカーの物語、「ハイアワサの歌」はロングフェローの脚色が多すぎるため違う文献から

引用したい。



☆☆☆☆



そこで、ピースメーカーは語りかけた。人間はだれでも<グッドマインド>をもっていて、それを使え

ば人間どうしも、また地球上の生きとし生けるものとも平和に共存できるし、争いも暴力ではなく話し

合いで解決できる。



だから、血で血を洗う殺し合いはもうやめよう、と。



彼はまた、九つの氏族を定めて乱婚を避けること、そして相続は母系で行うことを教えた。



家や土地や財産は母から娘へ引き継がれ、子どもはすべて母親の氏族に属するのである。



各氏族は男性のリーダーとして族長を、女性のリーダーとして族母を選び出し、族長と族母には

それぞれ補佐役として男女一人ずつの信仰の守り手(Faith Keeper)がつく。



族長は族母によって選ばれ、族長にふさわしくない言動があれば、族母はそれを辞めさせること

もできる。



氏族メンバーの総意で選ばれる族母は、つねに人びとの意思を汲み上げる大きな責任を負う。



族母(クランマザー)の由来は次のように伝えられている。



ピースメーカーがオンタリオ湖の南岸に着いて平和行脚をはじめたばかりのころ、セネカ族の

土地で峠の宿を営む女将に出会った。



そこは東西を結ぶ街道の要所で、彼女は道ゆく戦士たちを心づくしの食事でもてなすのが

自慢だった。



しかし乱世のこと、それは争いの火に油を注ぐ役目も果たし、また彼女自身、ときどき食事に

毒を盛っては人殺しに手を染めることがあったという。



そこへ通りかかったピースメーカーの話を聞くと、女将はたちまち平和の道にめざめ、すっか

り改心して最初の支持者となる。



ピースメーカーは彼女を「生まれ出ずる国の母」を意味するジゴンサセと名づけて讃えた。

初代クランマザーの誕生である。



「小さな国の大いなる知恵」ポーラ・アンダーウッド著より引用。



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(K.K)



 

2012年6月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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ビオトープのすすめ(写真は家の小さなビオトープです)。



ビオトープとは、人と自然の共存の空間のことです。



このスイレン鉢にはメダカ、ミナミヌマエビ、小さな貝類、水草、そしてスイレンが

同居しています。



家がマンションなのでベランダに作っていますが、電気は一切使わず出来るだけ

自然のままで生息できる環境を創っています。



ミナミヌマエビはメダカの糞(アンモニアが発生しメダカにとっては毒)を食べ、貝

類は水を浄化し、水草は水中に酸素を供給してくれますが循環した世界を見る

ようです。



バクテリアがうまく繁殖した環境ですと水換えなど必要ありませんし、日頃の手入

れも餌や蒸発した水分の補給、そして真夏日は日除けをする位です。



メダカは私にとって時間を経つのを忘れてしまう癒しの存在で、精神的に疲れて

いた時はこの小宇宙(地球)のメダカに見入っていました。



最初は水つくりが大変かと思いますが、安定した環境ができればメダカも元気に

なり、楽しくなると思います。




(K.K)



 

2012年6月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日(6月26日)の日の出です。

夜、帰りが遅くなった方にお贈りします。

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(K.K)



 

2012年6月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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岩田山公園にて


(K.K)



 

2012年6月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日(6月28日)、日の出前の風景です。

昨日、帰りが遅くなった方にお贈りします。



(K.K)






2012年6月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」が日本人の約4割



「助けてあげる必要はない」と答えた人の割合は日本が38%で1位、2位はアメリカで28%、中国9%、

イギリス8%、フランス8%、インド8%、ドイツ7%の順だそうです。



これは2007年のThe Pew Global Attitudes Project 「What the World Thinks in 2007」の調査らしい

ですが、調査方法や設問の仕方、その信憑性について私は詳しくは知りません。



また調査した時点での日本の政治・社会状況も背景にあるのかもしれません。



ただ私はいつ事故や病気などで体が不自由になってしまうかわかりませんし、それは自己の努力で

回避できる性質のものでないように思います。



勿論日頃の養生や危機管理が出来ていれば、その可能性を低くすることは出来ても、完全に防ぐ

ことなど不可能です。



また障碍を持って生まれてくる子どもたちは遺伝的に必ずある割合で起こることであり、その多様性

なくして私たちは今の人類という姿にはなれなかったでしょう。



逆に言うと天才も決して生まれてこなかったと思います。



いつか古代の社会、そして先住民の社会を踏まえてこのことを書きたいと思っています。



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上の写真は「TIPPI ティッピ」アフリカに育まれた少女 より引用しました。




(K.K)



 

2012年6月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日(6月20日)午後7時の空です。

帰りが遅くなった方にお贈りします。



(K.K)






2012年6月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「巨大な化け物に立ち向かう光の戦士」・・・自宅にて撮影



ギリシャ神話のなかで、ペルセウスアンドロメダ姫を助けるときに利用したメドゥーサは、見たものを石に

変える目と毒蛇の髪をもつ怖ろしい存在として語られてきました。



これに対して興味深い思索があります。「森を守る文明・支配する文明」安田喜憲著から引用しますが、

5月7日に投稿した「縄文のビーナス」に見られるように、土偶の全てが大きな目を持っていたわけでは

ないと思います。しかし、安田氏(京都大学教授)の視点はギリシャ神話とは全く異なった古代の世界観、

その視点をこの現代に問いかけているのではないでしょうか。それはメドゥーサの蛇に関しても同じこと

が言えるのだと思います。



☆☆☆☆



この森の生命と同じように、人間の生命もまた死してのち、再生したいという願いが、目に対する信仰を

生み、巨大な目の土偶を作り、メドゥーサの伝説を生んだのである。



私たちをじっと見つめる巨大な土偶の目やメドゥーサの目には、森のこころが語られていたのである。



それは、古代の人々が森に囲まれて生活してことと深くかかわっていると思う。



古代の人々が深い森に囲まれて生活していた頃、自分たちをじっと見つめる大地の神々の視線を感じた。



その森が語りかけるこころに対して、人々は畏敬の念を込めて、巨大な目を持った像を造形したのである。



大地の神々の住処である森。



しかし、こうした人間を見つめる目を持った像は、ある時期を境にして作られなくなり、あげくの果てには

破壊される。



メドゥーサが神殿の梁からゴロリと落とされ、イースター島のモアイが引き倒され、三星堆の青銅のマスクが

破壊され、燃やされた時、そして縄文の土偶が作られなくなった時、それは森が激しい破壊をこうむったり、

消滅した時でもあった。



森がなくなり森のこころが失われた時、人々は自分たちを見つめる巨大な目を持った像を作らなくなった

のである。



私は、その時に一つの時代が終わった気がする。



森のこころの時代の終焉である。日本では、縄文時代に3000年以上にわたって作り続けられた巨大な

目を持つ土偶が、弥生時代に入ると突然作られなくなる。



その背景には、森と日本人との関係の変化が深くかかわっていたと考えざるえない。



弥生時代の開幕は、大規模な森林破壊の開始の時代でもあった。



水田や集落の拡大の中で、平野周辺の森は破壊されていった。



こうした森の破壊が進展する中で、縄文人が抱いていた森のこころが次第に失われていったのであろう。



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(K.K)



 

2012年6月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



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本日(6月10日)の日の出です。



(K.K)



 

2012年6月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


家の近くに咲いた紫陽花



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(K.K)



 

2012年6月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


このような銀河のケーキを贈られたらどんなに心弾むことか。



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(K.K)



 

2012年6月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


本日(6月17日)午後5時の空です。

写真やや左に映っている高い山が伊勢原市の大山で、2月20日に投稿した「ぼけ封じ」

この大山阿夫利神社にあります。



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(K.K)






2012年6月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





4月16日に投稿した円空の像、もっと知りたいと思い「歓喜する円空」梅原猛著を読みました。



江戸初期1632年、岐阜県に生まれた円空は、兵庫から北海道まで足を伸ばして、大地の異変を鎮め、

人間ばかりかすべての衆生を救うために12万体の仏像を彫ります。



円空は縄文時代からの神と仏教を習合させた修験者でしたが、その生涯は常に衆生救済を目的とし、

64歳のときに長良川畔にて入定しました。



入定とは土中の石室などに入り、掘り出されずに埋まったままの即身仏のことを言います。



長良川畔を入定の地として選んだのは、洪水の害を防ごうとする円空の強い意志を示しており、それ

は彼の生母が洪水で死んだという梅原氏の仮説を裏づけるものだそうです。



また土地の人々は長良川に大水が出ると円空の霊が蛇となって現われ、避難を勧めるという言い伝

えがあります。



現代の前衛芸術を凌駕する円空仏像に見られる感性、そして和歌に見られる神々と遊ぶ子どもの

ような円空の魂、私は円空に魅せられてしまいました。



この文献で心に残った箇所を下に紹介しようと思います。



☆☆☆☆



◎円空は私にとってもはや一人の芸術家にすぎない存在ではない。むしろ彼は私に神仏習合思想の

深い秘密を教える哲学者なのである。



◎『円空歌集』の和歌には「楽」「喜」「歓」という言葉がしばしば登場する。私は円空の思想の中心は

生きている喜び、楽しみを礼賛することであると思う。それはまさに神々の清らかな遊びである。



◎私はあえて言いたい。今回、円空の歌集を西行の『山家集』とともに読んだが、西行の歌より円空

の歌の方により強い感銘を覚えた。円空の歌を西行の歌と比較するなど、とんでもないことであると

多くの人は言うかもしれない。たしかに歌としては西行の歌の方がはるかに巧みである。また、円空

の歌には誤字や脱字があり、「てにをば」も誤っている。にもかかわらず、円空の歌には今までどの

ような日本人の歌にも見られない雄大な世界観が脈打っている。まるで超古代人の声が聞こえてく

るようである。



◎「祭るらん 産の御神も 年越へて 今日こそ笑へ 小児子(ちごのね)ノ春」(一一七三)

春になり年が明けた。今日こそ産土(うぶすな)の神を祀って、大いに笑おう、子どもたちよ。

良寛のように子どもたちと無心に遊んでいる円空の姿が目に浮かぶようである。この笑いの精神は

空海の精神に結びつく。私は若い時、人生を不安・絶望の相に見る実存哲学から自己を解放する

ために「笑いの哲学」なるものを構想し、笑いを価値低下という概念で考えたが、笑いはそのような

概念で解釈されるべきものではない。その時はまだ私は空海の言う「大笑」というものをよく理解し

ていなかった。今ようやく円空を通じて空海の「大笑」の意味が少しは理解できるようになったので

はないかと思う。



◎「老ぬれは 残れる春の 花なるか 世に荘厳(けだかけ)き 遊ふ文章(たまづさ)」(一四二一)

これは今の私の心境をぴたりと表したものである。円空がこの歌を作ったのは六十歳頃であると思

われるが、私はそれよりさらに二十年の歳をとり、八十歳を超えた。そのような老人にも春があるの

である。私はまだ花を咲かせたい。学問の花、芸術の花を咲かせたい。学問や芸術はしょせん遊び

なのである。遊びのない学問や芸術はつまらない。作者が無心になって遊んでいるような学問や芸

術なくして、どうして人を喜ばせることができようか。円空の仏像制作は地球の異変を鎮め、人間ば

かりかすべての衆生を救うためであった。菩薩は人を救うことを遊びとしている。私もこの歳になって

ようやく菩薩の遊び、円空の遊びが分ってきた。その遊びは荘厳なる遊びでもある。遊びと荘厳、そ

れはふつうは結びつかない概念であるが、それが結びついたところに円空の芸術の秘密があろう。



☆☆☆☆




(K.K)



 

2012年6月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





40億年後の地球



250万光年も離れているアンドロメダ座大銀河は時速40万kmで、天の川銀河に近づいてきています。



そして40億年後に天の川銀河に衝突します。



そのシュミレーションがこの画像ですが、40億年後の人類、いや人類も進化の過程の通過点だとすれば、

どのような生物がこの光景を目にすることが出来るでしょうか。



私たちとは全く異なる体つきをしているのか、またその心は何を感じているのか。



進化論が正しいにせよ誤りにせよ、何らかの方向性を生物は与えられているように感じるときがあります。



私は古代の人より現代人が科学の面で進化しているものの、自然と人、人と人の絆は逆に退化している

ように思います。



与えられた方向性とは違う軌道を科学がとるとき、生物の取り囲む環境は物質的にも精神的にも混沌の

中に彷徨うことになるのかも知れません。



40億年後の生物、その生物は現在の混沌をさらに深めているのか、それともこのアンドロメダ座大銀河と

天の川銀河の衝突のように再び一つの身体になっているのか。



それを決めていくのは、現在の私たち一人一人なのかも知れません。




(K.K)






2012年6月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像


題・・・「鏡よ、鏡、白雪姫なんか読まないで少しは現実を見てよね」

自宅近くにて




(K.K)






2012年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





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2004年の金星の太陽面通過、太陽の右側に金星が写っています。(写真はNASAより引用)



今日の部分月食は厚い雲に覆われ見ることが出来ませんでした。



でもお陰で近くに天体観望できる開けたところを新たに開拓することが出来たので感謝です。



ところで、明後日の金星の太陽面通過ですが、上の写真は2004年6月8日の時のものです。



じゃあ明後日見逃しても数年後に見れるんだ、と思われたら大きな間違いで、次は105年先に

なってしまいます。



105年先というと、現在の赤ちゃんでも見るのは殆ど出来ず、その赤ちゃんの赤ちゃんが長生

きしてようやく見ることができるのだと思います。



私たちが明後日見る金星の太陽面通過、そして次に目にするであろう世代を想像するとき、

インディアンの言葉を思い出します。



☆☆☆☆



「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきなが

ら行われる。



これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮ら

したりすることのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るの

が、私たちの仕事なのだ。



私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれ

てくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。



私たちはそのことを、片時たりとも忘れない」



オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より



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(K.K)








2012年6月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


聖母マリア(写真は私の家にあるマリア像です)



これまで世界各地に聖母マリアが出現した。その中でカトリックの聖地となったものではルルド、ファチマが

有名かも知れない。



アッシジの聖フランシスコも「小さき花」で描かれているように、イエス・キリストやモーセの臨在を数多く受け

ていた。



私自身の場合、過去に一度だけ神秘体験をしたことがある。苦しみを通り越して自分が息をしているかどう

かわからなかった時のことであるが、ただそれは強いストレスにさらされた脳に快感物質が出たからだと今

は思っている。



ルルドやファチマに出現した聖母は真に神からの伝言だったが、私の場合は脳の防御反応でしかなかった

と感じている。



本当に真偽を見極めるのは難しいと思うし、私には出来ない。



たとえ私の前に過去の偉大な聖人が出現しても私はそれを吟味し続けるだろう。



その現象を自己の心の奥深くに落としながら、それは真なのかと問い続けるだろう。



それは私のような疑い深い人間には長い時間を要するものかも知れないし、時間をかけなければならない

ものだと思う。



ルルドやファチマで聖母を見た少女たち、彼女たちは純真無垢だけでは言い現すことができない何か、神か

らの特別な恩寵を受けていたと感じられてならない。




(K.K)



 






2012年6月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



本日(6月2日)、午前5時頃の日の出です。



(K.K)



 
 

2012年6月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略



明後日(6月4日)の部分月食



当日の様子を天文ソフトで再現したもので、食が最大になるのは午後8時3分です。



私たちが普段見ている月の満ち欠けは太陽光に照らされた月自身の影ですが、月食は

太陽・地球・月が一直線になった時に見ることが出来る地球の影です。



私たちが普段見ている満月は、月が太陽と地球の直線上からやや離れている位置に

あるため地球の影は映らないんです。



こんなことを最近までわからなかった私の天文知識もいい加減なものですね。



ところで、今回の部分月食は南東の低い空で見られるもので、その方向に山やビル

などがあると見られません。



南東の空が開けているところを探して見たいものです。



私は近くの電気屋さんの屋上駐車場で見ようかと思っていましたが、月の高度が10度

(地平線からげんこつ1つ分上空)〜15度しかないので無理かな。



コンパスとげんこつ(^_-)片手に、今から観測場所を探すのもいいかも知れません。




(K.K)






2012年5月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。






双眼鏡でも見える木星の衛星エウロパ、生命は存在するか?(写真はNASAより引用)



私の母は双眼鏡を使わず、肉眼で木星の衛星が見えると言っていましたが、もし本当なら

すごいことだと思います。



左の星・エウロパは、私たちのより少し小さい木星の衛星で、青い球体はエウロパの水

の量を示しています。



右の星・私たちの地球ですが、地球の水(海、川、氷河、地下水)を全て集めても青い球体

の大きさしかありません。



2つの星を見比べてもわかるように、エウロパにある水の量は地球の海の体積より2〜3倍

もあり、地球と比べてエウロパが如何に水の占める割合が多いことがわかるかと思います。



エウロパの表面は大きな氷の塊があり、その下に厚さ100kmもある水やシャーベット状の

水の層があります。



つい最近まで、太陽光が全く届かないエウロパの地下の層に生命が存在することは考えら

れませんでした。



しかし、太陽光が届かない地球の深海でも、熱水噴出孔の周りに様々な生物が生息してい

ることが判明して以来、エウロパでもその可能性が指摘されています。



映画「2010年宇宙の旅」では、このエウロパが舞台となっており、木星が恒星化して2個の

太陽が出現した設定になっていました。



2個の太陽というと、オリオン座のベテルギウスがいつ超新星爆発を起こすのか、星空に

目が離せません。








(K.K)






2012年5月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略



NGC 300はちょうこくしつ座にある渦巻銀河で、地球からの距離は約700万光年です。(写真

はNASAより引用)



私自身肉眼で見たことはありませんが、双眼鏡では見ることが出来ず、少し大きめな望遠鏡

が必要です。



ところで、今から700万年前というと、ヒトとチンパンジーが分化した時代のようです。



その時代の光が今、地球に届いているんですね。




(K.K)






2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





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題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く



(K.K)





APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



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(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 




2012年5月15日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

地球の全ての水は月の半分の体積



左上の青い球体は、地球の全ての水(海、川、氷河、地下水)を集めたもので、この青い球体

は半径700km(月の半分の大きさ)しかありません。水が占める割合はもっと大きいものと思っ

ていましたが、このイラストを見て驚いてしまいました。如何に水が地球上で薄く広がっているか、

そして如何に貴重なものであるかを教えられたような気がします。



(K.K)



 




2012年5月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

日の出(自宅より)



謝らなければいけないことがあります。それは前に投稿した瀬戸内寂聴さんの「戦時中の方が

マシ」という発言に関してです。



「生ききる」瀬戸内寂聴・梅原猛・対談集を読んで、私の発言こそ軽々しいものだったと感じさ

せられました。



確かに私の中では戦争と比較するものではないと今でも思っていますが、寂聴さんの原発が

ない世界、平和への想いが痛いほど感じられ涙が出そうになりました。



そんな寂聴さんの想いを汲み取ろうとしなかった自分自身の未熟さ・軽薄さを改めて教えられ

たような気がします。



寂聴さんや不愉快に思われた方々にお詫びしたいと思います。



梅原猛さんは随分前から原発廃止を訴えてきた方ですが、寂聴さんと同じように梅原さんの

言葉にも感激しました。



梅原さんとはキリスト教の捉えかたなど少し違うところもあるのですが、子供のようなみずみず

しい感性と、一途なまでに真理を探究するその姿勢は真の哲学者だと感じてなりません。



一本の木、その多くの枝は太陽の動く方に伸びることはあっても、木のてっぺんは真っ直ぐに

上を目指し伸びている。



いろいろな方角から吹く風に葉っぱが揺らぐことはあっても、それを糧として木の幹は真っ直ぐ

真っ直ぐ伸びていき、その根っこは深く深くその根を張っていく。



そんなことをもこの文献を通して教えられたような気がします。



☆☆☆☆



瀬戸内寂聴さんの言葉



私は思うんですけど、被災された方々にはもう言葉もないですよ、お気の毒で。



自分が悪いことをしたわけでもないのに天災に遭ったり、それに続いて放射線の被害に

遭ったり。



でもね、今の状態が決していつまでも続くわけではないから、生々流転、移り変わるという

ことが世の常なんです。



だからどうか気をおとさないで、絶望しないで、どんなことがあっても生きようとしてください。



どうぞ元気でいてくださいとお願いするしかないですね。



そして私たち被災しなかった人間は、あなた方が身代わりになってくださったと思って、

いつも忘れてはいけません。



非力だけど私たちもできることはなにかということを考えますから、どうぞ今しばらく辛抱

してくださいと申し上げたいです。



東北の人たちはほんとうに我慢強い。



でもどうかもう我慢でずに逆にどんどん要求してください。



そうしないと、内に思いが籠もると鬱になってしまいますからね。



どしどし発言してください。



そして一日に一度は、何か笑える事柄を見つけてください。



なかなかそれどころじゃないとは思いますけど、赤ん坊の顔を見たら自然に微笑み

たくなるでしょう。



そして春になれば被災地にも花が咲くことでしょう。



可憐な花のたくましい命を見つめて頬をゆるめてください。



私たちは一日じゅう、夜寝るときもあなたたちのことを忘れていませんから、どうか

気を落とさずに希望を捨てないようお願いします。



「生ききる」より引用



☆☆☆☆




(K.K)






2012年5月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

見えない恐怖・・・科学者の罪



自分の人格を崩壊させて毒舌風に書きます。まあこれも私なのですが。



☆☆☆☆



おまえら科学者よ、いつまでもふざけているんじゃねえぞ。



おいら達は、おまえらみたいに原子力に関してはど素人なんだよ。



このど素人がだな、何を判断材料にして考えるかは、おまえらの意見しだいなんだよ。



ところがどっこい、おまえらは、危険がある、いやない、などとふざけた対立ばかりしやがってよ。



てめえら、自分の意見が本当に正しいと思ったら、公開討論会でもなんでもやって相反する立場

の科学者と殴り合いの喧嘩でもしてみろ。



その根性もなく、がたがた自分の意見ばかりいい放って、いつまでも卑怯な態度をとってんじゃ

ねえよ。



おまえらのせいでおいら達がどんだけ苦しんでいるのかわかっているのか。



てめえらが原発作ってきたんだろう。



だったらそのおとしまいぐらい自分でつけやがれ、その覚悟がないやつは俺が叩きのめして

やる。



☆☆☆☆



今までの格調高い(どこが???)私の投稿を見てきた方はがっかりされると思いますが、

科学者の罪はとてつもなく大きいものだと思っています。



また名前は言いませんが、一部のジャーナリストによる捏造で、被災地が風評被害に陥って

いる現実を見ると、ジャーナリストも同様にその罪は大きいと思います。



思うのですが、新聞やテレビにしろ、誰か科学者の意見を基準にして報道・解説しているの

ではと思いますし、その情報源が正しいのかどうかも素人である私たちには判断できません。



そこで私がとってきた態度は、両方の意見に耳を傾けることしかないというものでした。



この態度が正しいのかどうかはわかりませんが、少なくとも今の私には最善の方法だと感じ

ています。



あ、それと最後に「俺が叩きのめしてやる」ですが、腕力には自信がないのでそういう場に

立たされたら・・・どうしようかな(;_;)。




(K.K)






2012年5月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



東工大クロニクル-No.402


下に紹介する研究に留まらず、幅広い分野の叡智を結集させた国家プロジェクトを立ち上げ、

実用化に向けての一歩を早く踏み出してほしい。



そして縄文時代に戻ることは出来なくとも、またたとえ都会に住んでいても、人と自然が共鳴

する場を時間をかけて創造していくこと。



自分に何が出来るかわからないが、その方向性だけは見失いたくない。




(K.K)






2012年5月7日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



2012年4月25日アーカイブ: Earth Dayな日々|鎌倉ツリープBLOG



「縄文のビーナス」 2012年4月国宝に指定 (写真は他のサイトより引用)



高さが45センチもあるこの土偶は約4500年前のものと言われており、縄文時代

土偶の中では最大級のものです。



平成4年、山形県舟形町の西ノ前遺跡から出土したこのビーナス、その造形美に

は心打たれるものがあります。



縄文時代に思いを馳せ、このビーナスを作った人のことを想像してみたいものです。




(K.K)






2012年5月6日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




4月17日に投稿した「二番煎じは嫌だ」とも通じますが、ブッダの言葉の中で最も好きなものを紹介しようと

思います。



この言葉は後世にいい影響とそうでないものをもたらしたように思います。しかしブッダはそれ予見してい

ながら、それでも自分の教えが新しく生まれてくる人たちによってより深まっていくのを確信していたように

感じてなりません。



さまざまな宗教には多くの問題がありますが、それでもより洗練された姿になろうという方向性を感じます。



宗教の根源、沈黙でしか聴くことが出来ない次元に根を下ろした偉大な魂は道標として私たちを導いてく

れました。そして新たに生まれてくる魂が、今度はどんな景色をみせてくれるのか本当に楽しみです。



☆☆☆☆



君が川を渡るために筏(いかだ)をつくって、川を渡ったあとでこう考えたとしてみよう。



「この筏はとても役に立ったから捨てずに背負って歩いてゆこう」と。



そんなお荷物をかかえ込んでしまっては、重たくて重たくて、まともに歩けはしなくなる。



それが君の業績であれ学歴であれ職歴であれ、この筏と同じこと。



私の言葉も教えも真理すらもまた、この筏のようなものにすぎないのだから。



君が私の教えを使い終わったなら、惜しむことなく捨て去るように。



中部経典「蛇喩経」



「超訳 ブッダの言葉」より引用



☆☆☆☆




(K.K)



 

2012年5月6日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略



コロラド州、フォートコリンズのスーパームーン (写真はNASAより引用)



普段見ている月よりも少し大きく、そして明るく感じました。でも人によっては大きな変化を

感じなかったかも知れません。



うーん、天候不順で山に星を見に行けていません。「天は私を見放したか」(@_@)と思って

いたのですが、私の曇った心をスーパームーンが癒してくれました(^○^)。




(K.K)






2012年5月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。


もし私が総理大臣だったら



自分が総理大臣だったらと政治・経済のど素人が敢えて最悪の事態を想定し、勢いで書いてしまいました。

存分に笑い飛ばしてください。また一つ一つお答えできないかもしれませんが、批判は受けつけます。



@企業、研究機関、各分野の専門家を結集させ自然エネルギー研究の国家プロジェクトを早急に立ち上

げる。



 これは一刻も早く原発廃炉の道筋をつけるためのものであり、3年間の間で実用化は難しくとも、その

理論の構築或いは方向性だけは何としても探さなければならない。これは国家を超えて人類の命運を

左右する最優先のプロジェクトだと認識する必要がある。



 そして3年後に、原発の是非について国民投票を行う(B参照)。



 また使用済み核燃料を如何に安全にしかも早く処理できるかの研究は、原発を産んだ科学者としての

責務であり、平行して行うことが不可欠である。



A現在の世界・社会情勢に機敏に対応できる体制をとっておくこと。



 イスラエルがイランの核施設攻撃を行えば中東戦争が勃発し、原油の7割、天然ガスの3割が途絶える。

また戦争が長期に渡るか拡大すれば備蓄も底をつくであろう。中東以外の天然資源にしろ世界的に価格

が高騰するどころか、電力の需要を満たすべき量を確保することは困難である。そのような最悪の事態を

想定した対策を取る必要がある。



B Aに関連するが、この最悪の事態に何の備えなく遭遇すれば、多くの企業は倒産し失業者にあふれ、

社会的弱者が先ずその犠牲になる。それを防ぐには何をすればいいのか、原発再稼動も視野に入れて

いいのか、それとも否なのか、今から国民的な議論をしなければならない。



C Aに関連し自然災害にも適用されるが、多くの人が現在の仕事を失ったときのことを踏まえ、生きて

いくうえでの最低限の生活を守るため「村社会」を復活させ、さまざまな問題を村社会の住民同士で集積・

共有化・報告できる社会の構築を急がねばならない。そして村社会を統合する行政機関が、各村社会に

食糧や必要物資の供給をするが、如何に迅速にそして平等に配分できるかなど、その方策を国が早急に

立てるべきである。



D Cに関連するが、大震災はいつ起こるか全くわからない。倒壊や火災など地震そのものの甚大な被害

が広範囲に広がっているだろう。倒壊や火災による人命救助は村社会が率先して、或いは隣の村と協力

することで迅速に動くことが命を助けることに繋がる。安否確認などのためにも村社会の住民の台帳を村

社会の複数の人間が管理しなければならないが、この個人情報を悪用させないための罰則などの規定も

当然必要である。



E ACDに関係するが、平常時から一人一人が助け合う精神を持つことこそ、大きな自然災害や戦争

などの世界情勢悪化に対して最も有効な防御であり対処の仕方である。「自分さえ安全だったら、豊か

だったらいい」という市場原理主義的な考えからの脱却なくして村社会は実現不可能である。



F 今回の震災の被災地の復興、並びに放射能汚染対策に関しては、皆さんのご意見をお聞かせください。




(K.K)






2012年4月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



(大きな画像)

アイスランドにて、今年3月下旬に撮影されたオーロラ (写真はNASAより引用)



(K.K)



 

 

2012年4月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

イッセーブログ : キミたちの未来 僕たちの選択?時任三郎 世界エネルギーの旅?


特に感銘を受けたのは、デンマーク政府が原発建設に対して、国民に3年間の考える時間を

設けたことです。この問題を国会だけで議論するのではなく、じっくり腰を据えてその是非を

国民が自ら考え選択していく。



このような姿勢が当時の日本政府や国民にあったらと思います。将来的に原発を廃止する

ことは多くの人が賛成だと思いますが、原発再稼動に関しては賛否両論あるかと思います。

冷静に考えるにはやはり時間が必要だと思います。賛否それぞれの立場からの意見を聞い

て、自らが結論を出していく。



その意味でフェイスブックなどで自分の考えていることを訴えていけることは素晴らしいことだ

と思いますし、私個人としては賛否両論どちらの意見も聞きたいと思っています。さまざまな

視点に触れることで、物事の本質に迫ることができると思っているからです。




(K.K)



 

2012年4月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

小沢判決/検察の「闇」が裁かれた 全面可視化しか道はない
- 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース



琉球新報「小沢判決/検察の「闇」が裁かれた 全面可視化しか道はない」をリンクします。



NHKや大手の新聞・テレビは村木厚子さんの事件から何の教訓も学び取ろうとせず、「真実を

追究する」ジャーナリストとしての使命を忘れ、世論を誤った方向へ導こうとしているのを感じ

ます。



事実と異なる供述書を捏造・告発し、検察審査会をも誤った方向へ誘導させる。司法の根幹を

揺るがす問題にマスコミは沈黙し、今までの誤った報道を反省することなく、逆に自己弁護に

終始してやまない。



これは検察の問題だけではなく、マスコミの体質そのものを問われているのでしょう。このまま

では日本は沈没してしまう危機感さえ持ってしまいます。前に紹介した東京新聞、そして今回

の琉球新報などに見られる真のジャーナリズムがまだ日本に存在することが救いです。




(K.K)



 

2012年4月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

東京新聞:小沢元代表無罪 許せぬ検察の市民誤導:社説・コラム(TOKYO Web)


小沢元代表、無罪判決 東京新聞・社説をリンクします。



私は小沢さんのことが好きでも嫌いでもありませんし、人物像が良くわからないのが正直な

気持ちです。ただ冤罪を作り出す土壌が現実にあるならば、それを一刻も早く是正すること

が求められているような気がします。冤罪を根絶させる強い意志、そしてそれが国民で理解・

共有できなければ、これからも菅谷さん、村木さんのような被害者が永久に出てくるでしょう。




(K.K)






2012年4月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



モーリス・ズンデル神父(1897-1975)



昨年の12月21日に簡単にモーリス・ズンデル神父の言葉を紹介しましたが、神父はそのユニーク

な思想のため教区を追われ、各地を転々とさせられます。私は神父の生涯を振り返ると映画「ラ・

マンチャの男」を思い出さずにはいられません。



「ラ・マンチャの男」は「ブラザー・サン シスター・ムーン」と共に私の宝物ですが、「ラ・マンチャの

男」の主人公セルバンテスは公衆の面前で教会批判の演劇をし、従者サンチョと共に投獄され、

宗教裁判にかけられます。



獄中で裁判を待つ間、他の囚人がセルバンテスが大事にしていた脚本を燃やそうとしたとき、

セルバンテスは弁明を求めます。



この弁明が「ドン・キホーテ」で、この物語の登場人物の役を囚人一人一人に与え、演劇を通して

自身の潔白を訴えていく物語です。



映画の主題歌「見果てぬ夢」も素晴らしく、いつまでも心に響いてやまない作品です。



話を元に戻しますが、もしズンデル神父が中世に生きていたら、間違いなくセルバンテスと同じ

ように異端として宗教裁判にかけられていたことでしょう。



しかし彼の視点はどこから産まれたのか、それはもしあると仮定するならば、あらゆる宗教の下

に共通の地層(泉)、そこにまで彼自身の根っこが伸びていたのではないかと感じてなりません。



ズンデル神父に限らず他の宗教の偉大な魂はこの根源的な地層(泉)まで自身の根っこを伸ば

しており、その宗教をより洗練されたものへ深めていった。



ズンデル神父で言えば、聖書の言葉に新たな生命を吹き込んだとでも言えるのかも知れません

が、それは聖書の言葉を文字通りに受け取るのではなく、その背後にある真意を汲み取ること

ができたとでも言っていいかも知れません。



勿論、この共通の地層(泉)が本当にあるかどうか私にはわかりません。



ただ、これからも既存の宗教や世界の先住民たちの偉大な魂は、この地層(泉)に触れ、私たち

に新たな生命を吹き込んでいくように感じてなりません。



最後にモーリス・ズンデル神父の言葉を紹介しますが、ズンデル神父がヴァチカンの黙想指導に

招かれたのは死の3年前のことでした。



☆☆☆☆



聴くこと! 何よりも貴い、何よりも稀な、しかし、何よりも必要な行為。いのちの深淵をあかしし

てくれるのは、ただ沈黙だけである。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 

2012年4月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

 




2012年4月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



鳥越俊太郎さんの視点、ジャーナリストの中では数少ない平衡感覚を持った方だと以前から

思っていました。



ふとしたことで、鳥越さんのフェイスブック「ニュースの職人」の質問欄に投稿したところ、その

質問がネットのラジオで放送され、鳥越さんが解説してくださいました。



私の質問の意図は「ジャーナリストに必要な資質とは何だろう」で、それをある事件を例(高尚

なものではありません)として書き込みましたが、この放送の中で鳥越さんが話されたことを以

下に要約してみました。



☆☆☆☆



「事実と真実は違う。ニュースの画面で流れるのは事実だが、それは真実ではない。



真実はいろいろな角度から初めて見えてくるものだが、テレビや新聞のニュースではそれを

伝えきれていない。



私は長い間ジャーナリストをやってきたが、一度も真実を報道したことはないと思っている。



報道は一部の事実しか伝えていない欠陥商品で、私の基本的な姿勢は「報道は疑え」という

ことだ。



それはメディアは締め切りなど時間的な制約があり、事実だけを伝えることが多い。また取材

・編集・報道にそれぞれ違う人間が関わっており、それぞれの場にいる人間の主観によって

伝え方が変わってくる。



その意味でテレビなどの映像は事実だが、真実は伝え切れていないし、新聞も同じである。



真実、それは自分がどんなに真実に迫っていると思っていても、真実は神様しか知らない世界

にある。



それでも私が今までジャーナリストとして目指していたものは、今日は真実を伝えられなかった

が、明日は一歩でも二歩でも奥深い真実に迫ろうとする努力。



これがジャーナリズムの使命だと僕は思う。」



引用終わり



☆☆☆☆



この姿勢はジャーナリストに限らず、自分が信じていること(価値観や宗教も含めて)にも求め

られているのではと思います。



「真実を映し出す鏡」を心に持とうとしても持てるものではありませんし、たとえ手に入れたとし

ても直ぐ曇ってしまうものかも知れません。



しかしそれへと向かう、その方向性を持ち続けることにこそ大きな意味があるのだと感じて

なりませんでした。



(K.K)



鳥越俊太郎「ニュースの職人」チャンネル



 




2012年4月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

イータ・カリーナ星雲 (写真はNASAより引用)



もし皆さんが南半球を旅することがあったら、南十字星(サザンクロス)の近くにあるイータ・カリーナ

星雲を見てください。



私はまだ見たことはありませんが、天の川の中にこの星雲の全体を肉眼でも見ることが出来ると思

います。上の写真はこの星雲を拡大したものです。



南十字星、サザンクロスは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも出てきますが、この南十字星の直ぐ左

下にコールサック星雲(石炭袋)という暗黒星雲が広がっています。「銀河鉄道の夜」にも出てくる

石炭袋、これは背後の星たちの光をこの星雲がさえぎっているため黒く見えるんですね。



そして南十字星の右側に赤く広がっているのが写真のイータ・カリーナ星雲で、私たちに馴染みの

あるオリオン大星雲の1000倍もの明るさを持って広がっています。



肉眼でも素晴らしいと思いますが、いつか双眼鏡で見てみたいものです。



☆☆☆☆



「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一諸に行かう。僕はもうあの

さそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」



「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。



「けれどもほんとうのさいわいは一体何だらう。」ジョバンニが云いました。



「僕わからない。」カムパネルラ がぼんやり云いました。



「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云い

ました。



「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川の

ひととこを指さしました。



ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。



天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。



その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼が

しんしんと痛むのでした。ジョバンニが云いました。



「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこま

でもどこまでも僕たち一諸に進んで行かう。」



「ああきっと行くよ。 ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとう

の天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれ

いな野原を指して叫びました。



宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年4月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





フェイスブックの友達の「井上貴子」さんのヒーリングヨガです。最初の、グー・チョキ・パー、やばい、

出来なかった。足、手、顔を同時に動作させるって、運動神経0の私には何度かやらないと出来な

かったです。でもやったら頭が不思議とすっきりしました。これだったらいつでもどこでも簡単に出来

そうですね。いいことを教えていただきました。



(K.K)


井上貴子さんのサイト「今日のrevelationに感謝 ! 」


 




2012年4月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



アースデイ 2012年4月21日代々木公園にて



笛田千裕さん リコーダー奏者



夕方5時ごろ、雑踏の中でリコーダーの音色が響いており、

近寄ると一人の方がリコーダーを吹いておりました。近く

にあるステージのマイクの音や人びとの話し声という、音楽

を奏でる場とは縁遠いところでその音色が聞こえてきまし

たが、何か魂にスーッと入っていくような感じでしばらく聴き

入ってしまいました。



笛田さんは5歳までの命と宣告され、性同一性障害を背負

いながらもリコーダーを通して、何か少しでも人びとに力を

与えることが出来ればとと話され、このアースデイの前に

はラジオ放送に出演されていたことをホームページで知り

ました。また、CDも発売されており、呼ばれれば九州から

何処へでも駆けつけますとも話されておりました。



本当は夜の加藤登紀子さんのステージまで待つつもりでし

たが、笛田さんの奏でる音色で満たされた気分になり代々

木公園を後にしました。



この日はみぞれが降って寒い日でしたが、帰りの電車の中

では(今でもそうですが)、何か不思議な力と心をいただい

たような感じになり、幸せな気持ちに満たされていました。



(K.K)



笛田さんのサイト「リコーダー・アース・ブリッジゆったり日記」



 

 



アースデイ 2012 の他の写真は上のリンクをクリックしてください。




2012年4月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



ダウン症の女流書家【金澤翔子】の活動とパソコン教室日記 より引用



「ことだま」 金澤翔子さん・書 写真は他のサイトより引用



「ことだま」という言葉の響きにずっとひかれていた。



言葉というものは体の中から外の世界へ吹きだされる風、その風に乗ってつむぎだされていく。



昔の人はこの言葉に霊力があると感じてたが、そのように捉える感性を私は忘れてしまってい

るように感じる。



言葉に霊力があるから、決して嘘をついてはいけない。



これはアイヌインディアン世界の先住民族に共通する捉え方だったように思う。



しかし、私から吐き出される言葉から嘘が時どき出てしまう。



相手のことを考えた「いい嘘」もあれば、そうでない「わるい嘘」もある。



金澤翔子さんが書いた「言霊」に接すると、本来の言葉のもつ霊力を感じ、立ち戻らなければ

と感じてしまう。



(K.K)



 




2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


インディアンの言葉の中には多くの感銘する言葉があるが、私自身一番強烈に響いた言葉が、

放蕩生活からヴィジョン・クエストを通して目覚めたレイム・ディアーの次ぎの言葉である。



「二番煎じは嫌だ」



これはレイム・ディアーが生きた時代背景を捉えないと、単なる既存宗教の批判になってしま

う恐れがある。



彼が言いたかったことは、日々新たな生命・風を心に送り込め、自己の鏡を常に磨けという

ことなのだと思う。の見地から言うと、「一瞬一瞬を生きろ」ということなのかも知れない。



人は同じ位置に留まっていることは出来ない。新たな経験、思索により180度異なる視点を

持つこともあるだろうし、少しずつながら変化していくのは当たり前のことなのだろう。



しかしそれでもこの言葉には創造主への揺るぎない信頼が横たわっている。この処にしっか

りと立ち、そこに自分の根をおろさなければならないことを意味しているのかも知れない。



根づくことなく足下がふらついている時、何かにすがりつかなければ人は倒れてしまう。レイ

ム・ディアーは、当時の白人に対してそのような姿を見出したのだろう。だから彼はこの言葉

を使ったのではと感じてならない。



何かにしがみつくのではなく、深く深く自分の根っこを張れと。



☆☆☆☆



おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、

あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。

お聞きください。

わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、 

今、立っています。

わたしは小さくて弱く、

あなたの力と智恵とを必要としています。



どうかわたしを、美のなかに歩ませ、

なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。

この両手が、

あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。

この耳を、

あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。

そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、

一枚一枚の木の葉や、

ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、

このわたしも、理解するかもしれません。



父よ、わたしは力を求めています。

偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、

その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、

わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。

もしそれがかなうのなら、

日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、

いささかも恥いることなく、

わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。



アクエサスネ・モホーク・ネーションのセント・レジス・リザベーションのなかに立つ「トム・ホワ

イトクラウド」という名前のひとりのネイティブの墓に刻まれている祈りの言葉。「虹の戦士」

北山耕平 翻案 太田書店 より引用 注)写真はインディアンを撮り続けたカーティスからの

もので、レイム・ディアーではありません。

☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

カエル

題・・・「登るか下りるか、それが問題だ」・・・自宅にて

(K.K)



 

 


2012年4月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



さそり座のアンタレスと球状星団M4 (写真はNASAより引用)



宮沢賢治が好きだった、さそり座のアンタレス。「銀河鉄道の夜」にはこの焼け死んだ

さそりの物語が登場してきます。



さそり座はこの時期、午前2時ごろに南の空から昇ってきますが、一等星のアンタレス

は日本では「赤星」と呼ばれています。



賢治は「ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その

火は燃えているのでした」と書いていますが、画像でも黄色い星雲の中でひときわ明る

く輝いています。



アンタレスの下、画像中央やや左に見えるのが球状星団M4で、地球からこの星団まで

の距離は約1万光年です。



日本で1万年前というと縄文時代が花開いていた時代でした。この縄文時代の光が今

ようやく地球に到達しているんですね。



画像は長時間撮影したもので、肉眼や望遠鏡ではこのような美しい星雲は見えません。

双眼鏡ですと、同じ視界にアンタレスとぼんやりした姿のM4が映ります。



(K.K)



 




2012年4月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



Obrazky Liberec.cz より引用

(大きな画像)

円空(1632〜1695)が創った像(庚申像)

この像は自分が苦しいとき、その時に本当に会いたい顔の一つかも知れません。円空の像は

この表情だけではなく、様々な顔を見せてくれます。



生涯12万体を作ったとされる円空。時の権力者にすり寄らず庶民のために、人を救うために

像を作り続けた円空。梅原猛さんによると、円空は私生児として生まれ幼くして母を洪水で失い、

お寺のお坊さんになったと言われています。



遠くは北海道のアイヌの人と生活し、多くの地で仏像を作り続け庶民に愛された円空。その円空

の仏像も、明治初めの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などで失われ、12万体のうちの数千体しか

残されていません。しかし、人を救うために円空が仏像に込めた願いや祈りは、時を超えて人び

との心に刻み続けていくのかも知れません。



☆☆☆☆



円空は、仏像を芸術品としてつくったのではありません。売るためでもないし、芸術家として有名

になりたいためでもありません。



円空は人を救うために仏像をつくりました。



池の怪物を鎮めるために、千体の仏を池に沈めたという話もあります。



また、ぼろぼろの朽ちた木を仏にするために仏像をつくったといわれます。



芸術というものは、本当はそういうものなんです。



芸術は人を救うためにあるものです。



「梅原猛の授業 仏になろう」より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年4月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



映画「ブラザーサン・シスタームーン」



アッシジの聖フランシスコは神が創造した全てのものに神の息吹きを感じた、と表現してもいいかも

知れない。しかしサイトでも書いたように、私はその気づきとは違う次元、世界がありのままの姿で

映し出されている次元にフランシスコが立っていたのではないだろうかと感じてならなかった。



純度の高い鏡を持つ者においては、世界に存在するすべてのものが、その存在の重みそのものを

映し出している。



純度の高い鏡、それはアニミズムにも共通している。岩田慶治氏は「木が人になり、人が木になる」

の中で、アニミズムを次のように語り、この鏡の模範を鎌倉時代の禅僧・道元に見いだしている。



☆☆☆☆



「自分が鏡になってそこに天と地を映すといっても、鏡になるための・・・そのために精進努力する

・・・手がかりはない。



しかし、それにもかかわらず、自分のまえに、自分にたいして、天と地ではなくてそれが一体となった

全宇宙が訪れるということは、そのとき、自分がすでに鏡になっていたということである。



いわゆるアニミズム、あるいは本来のアニミズム経験というのは、木の葉のさやぎ、川の流れの音、

あるい草葉の露に全宇宙の規則をみることであって、その経験の時・処において、宇宙との対話が

成立しているのである。



つまり、自分が鏡になって、そこに天地を〈同時〉に映しているということである。」引用終わり。



☆☆☆☆



しかし、この鏡を持つということは別の姿を映し出すことになる。フランスの哲学者でレジスタンスでも

あったシモーヌ・ヴェイユは逆にこの鏡のために、人々の不幸がそのままの重さで映し出され彼女を

苦しめた。しかしそれでも彼女は力強く言う。「純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である」と。



聖フランシスコにとって心の故郷であった10坪にも満たないポルチウンクラの教会、そこでヴェイユは

生まれて初めて何かの力に逆らえずひざまずく。



自分に何が出来るか、それは決して大げさなことでないかも知れない。公園でガラスの破片が子供た

ちを傷つけないよう拾っている人もまた偉大な聖人だと私は思う。世間から大きな賞賛を受けなくとも、

どれだけそこに心を込めているか。



映画「ブラザーサン・シスタームーン」は私にとって、「ラ・マンチャの男」と並んで生涯大事にし続ける

映画かも知れない。



☆☆☆☆



「太陽の歌」アッシジの聖フランシスコ



神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。

わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。

太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。

わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。

月と星はあなたのけだかさを受けています。

わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。

風はいのちのあるものを支えます。

わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。

水はわたしたちを清め、力づけます。

わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。

火はわたしたちを暖め、よろこばせます。



わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。

大地は草や木を育て、みのらせます。

神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、

病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。

終わりまで安らかに耐え抜く者は、あなたから永遠の冠を受けます。



わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。

この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。

大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。

神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。

第二の死は、かれを損なうことはありません。

神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、    

感謝します。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年4月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

春の天の川


(K.K)



 




2012年4月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略



ティナ・シーリグ教授(写真は他のサイトより引用)



マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」に感銘を受けて、「スタンフォード白熱教室」の

ティナ・シーリグ教授のDVDを借りて見た。



スタンフォード大学は多くの企業家を生み出してきた大学として有名らしいのだが、その授業の中

でもティナ・シーリグ教授の手法(集団発想法)は常識を打ち破る新たな創造性を産みだしている。



私はまだ4巻の内2巻しか見ていないのだが、マインドマップなど様々な道具を利用しながら発想

方法を学んでいく。これまで特に印象に残ったのが「最悪のものと思える」ことから新たなものが

生まれる可能性があるということ。勿論、企業家を目指すための講座なのだが、私たち一般の

人間にとっても、日々の生活の中でそれらの手法は活かせるのではないかと思ってしまった。



ただ私の中で、マイケル・サンデル教授もそうだが、テレビに映る画面を見ながら言葉を聴いて

いると、それらの言葉が頭の中をすり抜けていくような感じになってしまう。脳の老化現象なのか

も知れないが、そのためこれらの講座を私は目を閉じて言葉を聴くようにしている。



しかし暗闇の中で言葉が降りてくると、何故この言葉を使ったのだろう、この言葉に隠された感情

は何だろう、などとイメージが新たな方向に膨らんでいくのが不思議だった。



チェスでも最近は頭の中で棋譜を追い続けるよう訓練している。強いアマチュアやプロ棋士だった

ら盤を見ない「盲指し」は誰でも出来るが、逆に「盲指し」をやり過ぎると脳にいい影響を与えないと

も言われている。チェスが強かった旧ソ連でこの研究結果が出たと記憶しているが、確かにイメー

ジの世界と現実とのかいりが人格を分断させてしまう可能性はあるのかも知れない。



この研究結果が本当のことなのかわからないが、イメージと現実の世界を常に行ったり来たりする

ことで脳の平衡状態が生みだされ、悪い影響を避けることができるのだろう。



家のベランダに置いてある睡蓮鉢では、睡蓮の葉が水中で大きくなり、メダカがもう卵を抱えている。

春、生命の躍動を感じてしまう季節だ。



☆☆☆☆



知識から自由になる(『超訳 ブッダの言葉』小池龍之介・編訳)より引用


内面を見つめる力や集中力や落ち着きといった能力をトレーニングをするかわりに知識を増やそう

とするのは、愚か者の証。



哲学・政治学・経済学・心理学・文学・さまざまな言語なんかの知識をむやみに増やすことによって、

記憶のメインメモリーは不必要な情報のノイズで埋め尽くされ、頭が混乱するだけ。



「せっかく学んだのだから他人にひけらかしたいよー」とか「せっかく学んだのだからこの知識を使っ

てみたいよー」などと、それらの知識への執着が生じるがゆえに、知らず知らずのうちに知識に

支配される。



その知識のフィルターを通してしか物事を感じることができなくなり、いつの間にか不幸になってしまう。



頭を混濁させる小ざかしい知識のフィルターを離れて、ものごとをありのままに感じるように。



法句経72



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年4月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



小田原城の桜

全国の「おでん」屋さんが集まった「おでんサミット」や古美術店が出店したりと人が一杯でした。



(K.K)



 

 


2012年4月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

4月3日の星空。写真はNASAより引用。



日本では全国的に天候が大荒れでしたが、この日、プレアデスと金星の大接近がありました。



(K.K)



 




2012年4月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

TPPに対する私自身の意見を下のサイトに書きました。



橋下徹市長はTPPに積極的だと報じられています。彼は現代の非正規職員の増加など格差社会を

作った竹中平蔵氏を尊敬しておりますが、小泉・竹中の構造改革により年間1万人も自殺者が増え

続けている状況が続いています。特に顕著なのがタクシー業界で、沖縄では規制緩和によりタクシ

ー個人の平均年間所得が90万円というところまで落ち込んでしまいました。



また橋下氏は意見が異なる学者たちをツイッター上で批判し続けております。何故そこまで違う意見

を徹底的に抹殺しようとするのか、小泉の郵政選挙での刺客と同じ次元で生きているのではと感じて

なりません。



(K.K)



 




2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



フィリピンの刑務所に服役している方が作った聖母マリア像で大切にしているものです。



随分前のテレビでブッダの足跡を追ったNHKの番組があり、梅原猛さんと瀬戸内寂聴さんが解説して

おられた。晩年のブッダが母親の故郷だったか亡くなった場所を目指していたのではないかとの問い

に、瀬戸内寂聴さんは「それはありません。ブッダはそれを超えた目的のために向かった」と話してお

られましたが、梅原猛さんは瀬戸内寂聴さんに対して「いや、仏陀の心の奥深くにはそれがあった」と

言っておられたのが強く印象に残っています。



ブッダ、そして梅原猛さんも生まれて1週間後に母を亡くしています。宗教学者の山折哲雄さんは梅原

猛さんのことを次ぎのように記しています。



「仏教にたいする梅原さんの心情の奥底には、母恋いの気持が隠されている。それは微かに沈殿して

いるときもあるが、激流となってほとばしることもある。梅原さんがしばしば語っているように、それは養

父母に育てられた体験からきているのかもしれない。とりわけ、母上に早く死なれてしまった辛い体験

が、その後の梅原さんの思想の形成に大きな影を落としているためなのであろう。その深い喪失感が、

梅原さんの文章に切迫した気合いをみなぎらせ、その言葉に美しいリズムを生みだす源になっている

のだと思う。」



ブッダ、そして梅原猛さんは同じ喪失感を味わったものだけしか理解しあえない次元で繋がっているの

かも知れません。



勿論、瀬戸内寂聴さんの「仏教塾」は万人に理解できる言葉で仏教を紹介している素晴らしい文献です

が、それと同様に梅原猛さんの「梅原猛の授業 仏になろう」はユーモアを交えながらも奥の深さを感じ

ます。また手塚治虫が書いた漫画「ブッダ」と共に、今読み始めている「超訳 ブッダの言葉」小池龍之介

・翻訳もそのような優れたものなのかも知れません。



私は読んだことはありませんが、当時の日本の哲学界の重鎮であった西田幾太郎や田辺元を梅原猛

さんは評価しながらも批判をしています。



「西田・田辺の精神はよろしい。西洋哲学と東洋哲学を総合して、今後の人類に生きる道を示すような

独創的な哲学を立てるという精神には大賛成です。だけど、もっとやさしく語れ、もっと事実に即して語れ

というのが、私の学生時代からの西田先生、田辺先生に対する批判です。」



専門家向けに書かれた本なら専門用語を駆使して書くことは当然かも知れません。しかし万人を対象と

するとき、敢えて難しい言い回しや専門用語を使うことは、自らの学問の使命を忘れているのではと感じ

てなりません。勿論私の読解力のなさがそう思わせている面もあるのですが、学問は人類に限らず地球

や地球に生きるもののためのものであるはずです。学問を自分自身の名声・名誉や金銭、社会的地位

を得るための手段としてしか捉えられない者は、哲学であれ科学であれ道を踏み外しているように思い

ます。



「母の愛を象徴化したような観音やマリア崇拝が、宗教の根源ではないか」と梅原猛さんは言っています

が、梅原猛さんが母の慈愛を観音様に重ね合わせるように、私は聖母マリアに重ね合わせているので

しょう。



ただ児童虐待などで母の慈愛を感じらずに育った子供たちは、物心がつくまえに母を亡くした方と同じよ

うな喪失感が横たわっているのかもしれません。



(K.K)



 

 


2012年4月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

サクランボの花



去年、実ったサクランボは殆ど鳥たちに食べられてしまいました。残ったのはたった1個で、

私の口には入りませんでした。鳥たちも実がなるのが楽しみなのか、今頃から良くこの木

に止まりにきています。どうやら今年も鳥たちのデザートになってしまいそうです。



(K.K)



 




2012年3月30日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

写真は「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」柳澤桂子著より引用



私が尊敬する人で仏教にひかれている人は多い。宮沢賢治、哲学者の梅原猛さん、生命科学者

の柳澤桂子さんなどがそうである。



しかし葬式仏教の姿や住職が高級外車に乗り、ロレックスの金時計などしているのを見ると、本来

の仏教とはかけ離れたものになっているのではないかと感じていた。



ただ、前の投稿にも書いたが職場の同僚が高野山に出家したときから、仏教にたいしての自分の

無知がいろいろな偏見に繋がっているのではないかと思うようになっていた。



柳澤桂子さんは前途有望な生命科学者だったが、原因不明の病気で36年もの間苦しみ自殺も考

えたという。しかし彼女が一般の人向きに書かれた遺伝子に関する本は高い評価を受ける。そん

な彼女が書いた「生きて死ぬ智慧 心訳 般若心経」は、自身が研究してきた遺伝子という科学の

視点、そして何より闘病の苦しみの中から般若心経を自分の視点で捉えなおしたものだった。



何か日本人として遅すぎはしたが、ブッダのことをもっと知らなければならないと感じている。



☆☆☆☆



私たちは生まれながらにして、仏性、神性を善とする考えをもっていると思います。



私たちの意識の進化の方向は、他人をたいせつにする方向に向いているのです。



あるいは、自己本位であることが、私たちの本来の性格であると思うこともあるかもしれませんが、

私たちは、自己中心性を超越して、他人のために尽くすことに喜びを感じるよう成熟しつつあるの

だと私は思っています。



そのような視点から見て、これから人間たちの前途に大きく立ちふさがるのは、科学のまちがった

使い方です。



人間のつくったホルモン作用攪乱物質や放射能によって、私たちの地球は汚染され、生物が住め

ないような状態になってしまうかもしれません。



子孫が、そのようなことで苦しまないように、われわれは全力を尽くすべきです。



地球上のどこにも闘いのない、思いやりに満ちた人間社会をつくることができるよう願っております。



「永遠のなかに生きる」柳澤桂子著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年3月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

1週間後の4月3日午後7時の星空

中央に星がごちゃごちゃ集まっている所がプレアデス星団(すばる)で、金星がその近くに大接近します。でも

都会やその近郊では、すばるをはっきりと肉眼で見るのは厳しいかも知れません。双眼鏡ですと同じ視野に

金星とすばるが輝いて見えると思います。



地上の風景はストーンヘンジで設定してみました。画像下のオプションでフルスクリーンにすると大きく見えます。



星図の右に「悪魔の星」と書きましたが、「見ると怖いぞー、見ると大変なことが起きるぞー、見るんじゃないぞー」

と脅かすつもりではありません。この星には逆に美しい発見物語があります。



「悪魔の星」アルゴルをアラビア人は「最も不幸で危険な星」と呼んでいました。それはこの星が明るさを変える星

だったからです。実はこのアルゴルの周りを暗い星が回っており、暗い星がアルゴルの前を通過するときに暗く

なることを最初に提案したのは、イギリスの若者グッドリックでした。



グッドリックは、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体でしたが1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を

追いつづけたのです。1786年、その功績によりロンドンの王立協会会員に選出されますが、その4日後にグッド

リックは肺炎により22歳の若さで他界してしまいます。美しい話と同時に悲しい物語かも知れません。



☆☆☆☆



現代人は古代人に比べれば、その知識において驚くほど多くの事を知り得る機会に恵まれている。



にもかかわらず、大部分の人びとは太陽は東から昇り西に沈むといって怪しまない。



宇宙に生起している不思議な諸現象のかなりの部分が明らかになったが、逆に現代人は古代人よりもそう

したことに注意を払わなくなった。



人工照明のために、自然が織りなす天空の交響楽というべき星のまたたきを身近に感じられなくなってし

まったのである。



その意味で現代人は古代人より不幸だといった見方もできよう。



干からびた知識よりも、まず自然の中に自分が包み込まれることを経験することの方がいまでは大切なのだ。



あるいは天文考古学は現代人の陥った精神的空虚さを無意識のうちに取り戻そうとしている行動なのかも

知れない。



「天文考古学入門」桜井邦朋著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年3月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



本日3月26日の西の空

上からプレアデス星団(すばる)、金星、月、木星。

しまった、願いごとをするのを忘れてしまった。



(K.K)



 

 


2012年3月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「絶対ロストするな!」奄美沖事故、救助動画を海保公開



☆☆☆☆



鹿児島県奄美大島沖で起きた漁船転覆事故で、第10管区海上保安本部は25日、船長の

北川勝人さん(46)と下池力さん(40)を24日早朝に暗い海から小型船艇までひっぱりあげ

る様子を動画で公開した。



 事故発生から約15時間後の午前6時10分ごろ。海は暗く荒れており、サーチライトを時折

隠すほど波が高い。「2人! 2人!」「分かりました! すぐ行きます!」「絶対ロストするな!

(見失うな)」



 波間に見え隠れする漁船の乗組員に、巡視船「くだか」搭載の小型船艇が近づく。



以上、朝日新聞より引用



☆☆☆☆



何かこのような映像を見ると、父のことを思い浮かべてしまう。父も巡視船に乗っていたが、夜

何度も救難信号が入るたびに海に出て行った。私は若い頃は父を憎んでいたが、今このような

映像を見るたびに、父の仕事を誇りにしている自分に気がつく。海の男、そう本当に海に生きる

男だった。そんな父が亡くなっ時、私は仕事場にいたのだが、身体が柔らかな神々しい空間に

包まれているのを感じた。不思議なことがあるものだなと思っていたが、丁度その時間は父が

亡くなった時だった。私は父が天国、安らぎの国に行ったことを確信した。父は私に最後の挨拶

をしにきてくれたんだと思う。ありがとう。



(K.K)



 




2012年3月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

「NHK DVD ハーバード白熱教室 正義」



NHKの番組でサンデル教授の授業が印象深かったので、レンタルで借りて見た。教授の例え話は

勿論のこと、学生達の言わんとしていることを的確に掴み、対話を通して議論を深めていく技術。

現代に甦ったソクラテスなのではないかと感心してしまった。



また教授の質問に自分の意見を瞬時に見い出していくハーバード大学生の優秀さと同時に、その

道徳性の高さにも驚き、サンデル教授の「対話しながら善の一致を探る」姿勢は感動的すらあった。



ただこれらの対話の中で、質問に対し瞬時に反応できるとはどういうことだろうと考えてみた。確か

に教授から投げ掛けられた設問を常日頃から考察してきた結果とみることも出来るが、私たちは

身の回りに起きている多くの事象を、好き嫌いなど直感的な感情や過去の経験などに縛られ捉え

ていることが多いと思う。



相手の質問に対し自身の直感的な感情を排し、その質問の全体像を再構築させるためにはある

程度の時間が必要になるのではないかと感じてしまうのもまた事実だった。



現代では瞬時に論理的な反応を示すことが「頭がいい」という流れにあるのかも知れない。ただ

友達と土手に座り雨上がりの虹を見ながら、「どうして虹はいろいろな光を映し出すんだろう」という

友達の問いに、「それは空気中の水滴がプリズムの役割をするため、光が分解されて見えるんだ」

という答えと、「君の目に涙がなければ魂に虹は見えないんだ」という答え。そのどちらも併せ持つ

ことこそが求められているのかも知れない。



ちなみに「目に涙がなければ魂に虹は見えない」は北米ミンカス族のことわざから引用しました。



☆☆☆☆



人間の左脳と右脳の働きを理解した私の祖先たちは、個々人の中で左右の脳のコミュニケーション

を活性化させるために、これら学びの物語の原形を編み出したのです。



彼らは左脳が話し言葉(ないし書き言葉)を処理する傾向にあり、右脳がイメージ(アルファベットに

もとづかないアメリカ先住民伝来の手話を含む)を処理する傾向にあることを理解していたので、学

びの物語には、話し言葉で語りながら、同時に心のなかで鮮明なイメージを生み出すような工夫を

凝らしました。



それによって右脳が刺激され、左右の脳のコミュニケーションが活性化になるのです。



「知恵の三つ編み」
ポーラ・アンダーウッド(イロコイ族)著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年3月22日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

奄美にいたときの私。

長崎・佐世保で生まれ、3歳の時に私たち家族は奄美に移り住んだ。



佐世保の近くに黒島という隠れキリシタンが住んだ島がある。成人してからこの島と黒島天主堂

訪れたときの衝撃とそこで与えられた意味は私の大切な自己基盤の一部になっている。



そして奄美大島、そこはシャーマニズム・アニミズムの世界観が残る地であった。幼少の頃はそん

なことなどわかるはずもなく、青く澄んだ海、赤い蘇鉄の実、さとうきび、そして怖い毒蛇ハブが住む

森を身近に感じていた。



「一人で森に入ってはいけない」と何度も言われた。それ程ハブが棲む森は子供にとって恐ろしい

場であった。逆に言うとハブがいたからこそ、昔の奄美の森は人間によって荒らされずに生き残っ

てきたのかも知れない。



ホピ族の有名な踊りに「蛇踊り」がある。砂漠に住む猛毒をもつガラガラヘビなどを多く集め、儀式

するのだが、その儀式の前に長老達は一つの部屋にこれらの蛇を置いて数日間共に過ごすので

ある。そして儀式が済むと蛇たちは丁重に元の砂漠に帰される。



確かに日本でも蛇信仰はあったと思う。母の実家・久留米の家では白蛇がおり家の人たちは大切に

その蛇を扱っていた。私は白蛇を見たことはないのだが何度もその話を聞いて育った。



創世記で蛇がイブを誘惑したことから生じてきたずる賢い悪魔の存在としての意味、そして蛇信仰が

残る地や奄美、両者には決定的な自然観・世界観の違いが横たわっていると感じていた。



前者からは人間だけによる地球支配の夜明けが始まり、自然に対しての畏敬を失い森を切り開い

た姿が、後者からは脱皮を繰り返す蛇に、森の再生のシンボルとしての意味を見い出せるかも知

れない。



良くキリスト教は一神教と言われるが、私はそうは思わない。父・子・聖霊の3つの姿が互いに与え

尽くしている姿、三位一体はそのことを指し示しているのではないかと思う。



言葉では偉そうに「与え尽くす」と簡単に言うことは出来るが、それを肌で知り、示すことは私には

出来ない。インディアンの「ポトラッチ」縄文時代での社会的緊張を緩和するために呪術的儀礼や

祭を通して平和で安定した平等主義、「与え尽くし」の社会。



ある意味でキリスト教の真実の姿を体現しているのが先住民族たちなのかも知れないと思うことが

ある。



まだまだ多くの疑問が私の中に横たわっているのだが、長崎・奄美から旅立った私の魂は、ブーメ

ランのように再びこれらの地に戻ろうとしているのかも知れない。



☆☆☆☆



「ガラガラ蛇からサイドワインダー、ヤマカガシまであらゆる種類の蛇がおった。

六〇匹はいたじゃろう。あちこちに動き回って、囲んでいる男たちの顔を見上げ

ていた。男たちは動かず、優しい顔つきで歌っているだけじゃ。すると、大きな

ガラガラ蛇が一人の老人の方に向かい、足をはい登り、そこで眠り始めた。

それから次々と蛇がこの老人に集まり、優しそうな顔をのぞき込んでは眠り始

めたのじゃ。蛇はこうやって心の清い人間を見分けるのじゃよ。」



コアウィマ(太陽を反射する毛皮)の言葉

「ホピ・宇宙からの聖書」フランク・ウォーターズ著より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年3月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

久しぶりの星空観望

右側にオリオン座が見え、中央やや左にシリウスが明るく光っています。夜半過ぎ、近くで星空の

写真撮影をしていたグループが、「あ、ベガだ。もう夏が来たんだ」と歓声を上げていました。ベガ

(七夕の『おりひめ星』)は「こと座」の一等星で夏の星座「はくちょう座」の近くにありますが、深夜

1時頃に北東の空に昇って来ます。



シリウスの下に写っているのが私が日頃使っている双眼鏡で、前に紹介した双眼鏡よりも大きめ

なものです。20年以上前の古い双眼鏡を安く譲り受けたものですが、今では星空観望になくては

ならない存在になっています。



私が良く来るこの地は丹沢山系の登り口で、V6の岡田さんもこの山が大好きで時々登りにくるよ

うです。恐らく彼もここに車を停め山頂を目指すのでしょう。



実は帰り道、急カーブで突然目の前に鹿が飛び込んできました。思いっ切り急ブレーキを踏みま

したが、鹿はそのままヘッドライトに吸い寄せられるかのように突っ込んできました。幸い鹿の角

が車に当たっただけで怪我はなくそのまま走り去った姿を見て安心しました。



この地は鹿が多く、星空観望をしているといつも近くで鹿の足音が聞こえてきます。人工の光や

音が全くない静寂に包まれた闇の中では、逆に生き物たちの鼓動が身近に大きく感じられます。

ただ、丹沢山系では鹿の数が増え、このままでは木が枯れてしまうことも危惧されています。



いつかカップラーメンをすすりながら、ご一緒に星空を眺めてみませんか。



☆☆☆☆



博学な天文学者の話を聞いたとき、

証明や数学が私の前に表にして示されたとき、

それらを足したり引いたり測ったりする表や図が示されたとき、

講義室で拍手かっさいを受けている天文学者の講義を聞いているとき、 

私はすぐに疲れていやになってしまい、

立ち上がって、ぶらぶら歩くために出て行き、

湿気を含んだ神秘的な夜の空気のなか、ときどき

完全な沈黙のなかで、星々を見上げた。



ウォルト・ウィットマンの詩

「天空の果実」H・リーブス著 岩波現代選書より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年3月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



知里幸恵(ちり ゆきえ)1903年〜1922年



知里幸恵さんは、「アイヌ神謡集」を完成させたその夜に心臓発作のため19歳の生涯を閉じる。

それはカムイユカラを「文字」にして後世に残そうという金田一京助からの要請を受け、東京の

金田一宅で生活していた時のことであった。



私は今までインディアンのことを知ろうとしたが、今振り返るとそれは自分が全く安全な場で考え、

思いを巡らせることに安住していたのかも知れないと思うことがある。



私が18歳の時、北海道各地を一人旅したのだが、阿寒湖の近くのお土産屋さんで興味半分に

「ここはアイヌの人が住んでいるんですか?」と聞くと、女性の店員は警戒したような様々な感情

が入り混じった眼で一瞬私を睨んだ。



私はその時、自分がアイヌに関して何も知らず、そして彼らが辿ってきた歴史に何か隠された

ものがあると感じ、そんな軽はずみな質問をした自分を恥ずかしく感じたことを思い出す。



アイヌや奄美・沖縄が辿った苦難の歴史、それはインディアンと違い、自分は安全な場で考え、

思いを巡らせることはできないのかも知れない。何故なら私の祖先が加害者や被害者、そして

無関心という傍観者として何らかの形でアイヌ・蝦夷と沖縄に関わってきたのは事実なのである

から。



アイヌ文化を研究してきた金田一京助、しかし日本人の基層であるアイヌ・縄文文化を滅び行

く文化として葬り去ったのは金田一京助本人かも知れない。



最後に知里幸恵さんの言葉を紹介して終わりにします。



☆☆☆☆



平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は

町に次第々々に開けてゆく。



太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの

民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たちの同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはる

ばかり、しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝き

は失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらね

ばならぬ。



あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たち

は持っているのでしょう。



時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の

私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩を並べる

日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座い

ます。 



「アイヌ神謡集」知里幸恵より抜粋引用



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年3月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


一足早く春をお届けします。

神奈川県松田町 桜まつり 2012年3月14日撮影



「ひなの吊るし飾り」

神奈川県松田町 桜まつり 2012年3月14日撮影

子供の「幸」を願い一つ一つ作られた祝い飾りで、全部で43種類の飾りがあります。



チェリーナの丘(彫刻の丘)

神奈川県松田町 桜まつり 2012年3月14日撮影

クロアチア共和国(旧ユーゴスラビア)の彫刻家、ドラゴ・マリン・チェリーナの作品です。

数々の国際コンクールで優勝した方で、1949年生まれの方です。




(K.K)



 




2012年3月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



火焔型土器(縄文土器)の真価を初めて発見した岡本太郎



私は読んでいませんが、岡本太郎著「画文集・挑む」1977年、岡本太郎著「みずゑ」1952年2月号

「縄文土器論」の中で、「太陽の塔」で有名な芸術家、故・岡本太郎氏は次ぎのように記しています。



☆☆☆☆



○「偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけを展示してある一隅に何ともいえない、不

思議なモノがあった。 ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表現だった。何だろう。・・・・

縄文時代。それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。そんな日本があっ

たのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃え

あがっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己

発見でもあったのだ。」



○「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと

執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を

主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」



☆☆☆☆



この縄文時代の火焔型土器は、岡本太郎氏より前に多くの考古学者や人類学者が目にしてき

ました。彼らは刻まれた文様などの解釈に悩んでいたのだと思います。しかし彼らの頭の中では

論理的思考しか働いておらず、土器が持つ「生命力」を感じることが出来ずにいました。この火焔

型土器(縄文土器)の再発見のいきさつを思うと、左脳の論理的思考だけでは真実は見えてこな

い、右脳の創造性や直感も如何に大事かを教えてくるのではと思います。この意味での「平衡感

覚」が「在るべき人間」に備わっていると私は感じます。



先に紹介した分子生物学者の福岡伸一氏は、「光の画家」として知られるフェルメール(1632年か

ら1675年)の作品に独自の解釈をした文献も出されているようです。学者の中でもこのような平衡

感覚が備わっている方はいますが、「在るべき人間」とは、知能や知識などで判断されるものでは

決してないと思います。



誰が話したか覚えていませんが、「毎朝、妻の寝顔を見ると、新しい女がいつもそこに眠っている」

という感覚。縄文人にとっては、一日一日が美や創造の再発見であったのかも知れません。



最後に私が尊敬する哲学者・梅原猛氏の岡本太郎氏に関する記述を紹介して終わりにします。

これは「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」梅原猛著からの引用です。



☆☆☆☆



この縄文土器の美を発見したのは、前にも述べたように岡本太郎氏である。美というのは、すで

に存在しているものであるが、やはりそれは誰かによって見い出されるものである。日本の仏像

の美を見い出したのは、フェノロサや岡倉天心であったし、木喰(もくじき)や円空(えんくう)の仏像

や民芸の美を見い出したのは柳宗悦なのである。縄文土器もそれまで、数多くの人が見ていたは

ずであるが、それが美であり、芸術であるとはっきり宣言するのには、やはり岡本太郎氏の前衛

芸術によって養われた審美眼を待たねばならなかった。



☆☆☆☆




(K.K)



 




2012年3月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



宇宙ステーションから見た地球の夜景とオーロラ



オーロラは美しい、しかしこの地球の夜景が、地球全体を覆う火のようにも感じてなりませんでした。



宇宙飛行士、若田光一さんの言葉を紹介します。この言葉は、NHK未来への提言「リサ・ランドール 

異次元は存在する」NHK出版から引用しました。

☆☆☆☆



宇宙旅行を体験したあと、たくさんの方から、宇宙に飛び立つ前と比べて人生観が変わるようなことが

あったかと、聞かれます。実は大学生のときに、立花隆さんの『宇宙からの帰還』というアポロの宇宙

旅行士たちへのインタビューを収載した本を読みましたが、そのなかに、宇宙飛行中、あたかも神の

神秘に触れたかのような経験をしたという宇宙飛行士の発言があったのが強く印象に残っています。

そんなこともあって、わたし自身もこの宇宙飛行が自分にもたらす影響にとてもワクワクしていたのです

が、実際に最も強く感じたことは、「地球の環境を守らなければいけない」という使命感のようなものでした。



ランドール・「なぜそう思われたのですか。」



フランク・ドレイク博士は、この全宇宙に、わたしたち人間や宇宙人のような知能の高い生命が存在する

可能性を示唆する「ドレイク方程式」を提唱しました。わたしも、オアシスのような美しい地球を眺めている

と、過去、現在、あるいは未来において、宇宙のどこかに何らかの文明が存在するかもしれないと強く感じ

ました。もちろん、その文明を築いた人びとが自分の文明自体を破壊してしまうほど愚かでなければの話

です。同時に、わたしたちも自らの文明を破壊するようなことがあってはならないと思ったのです。宇宙を

探査しフロンティアへと挑んでいく一方で、もっと地球の環境を守っていかなければと実感しました。



☆☆☆☆



若田光一(わかた・こういち)

1963年生まれ。九州大学大学院工学府航空宇宙工学専攻博士課程修了。1992年、ISS(国際宇宙ステー

ション)の「きぼう」日本実験棟の組み立て・運用に備え、NASDA(現JAXA・宇宙航空研究開発機構)の宇

宙飛行士に選ばれる。翌年、NASA(アメリカ航空宇宙局)からMS(ミッション・スペシャリスト。搭乗運用技

術者)に認定される。1996年、日本人初のMSとしてスペースシャトルに搭乗、ロボットアースの操作などを

担当。2000年にもMSとして搭乗し、ISSの組み立て作業に携わった。その後、日本、アメリカ、カナダ、ヨー

ロッパ、ロシアでのISSシステム訓練、冬山や海底での極限環境訓練を重ね、高い技術とリーダーシップが

評価され、日本人初のISS長期滞在クルーに任命された。




 


2012年3月9日、フェイスブックで大竹栄さん(http://www.facebook.com/sakae.ohtake)投稿の記事に

コメントしたものです。

画像省略


大竹栄さん (3月9日の朝の挨拶)

「今日はチェスの第14代公式世界チャンピオンのボビー・フィッシャー(Bobby Fischer、1943年3月9日 -

2008年1月17日)の誕生日? ドラゴン・タトゥーの女の監督が半生を描いた映画を制作中?

(以下略)



フィッシャー自身ユダヤ人の母を持っていましたが、反ユダヤ発言などで問題行動でも知られた人でした。

しかし私は何がそこまで彼を追い詰めたのか、それを知りたいと願っています。フィッシャーは私にとって

チェスの最高の英雄の一人ですが、天才に生まれたがゆえの孤独感をも感じてなりません。映画でフィッ

シャーがどのように描き出されるのか待ち遠しいです。


(K.K)



 




2012年3月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


今、北の空に見えるギャラッド彗星(NASAより引用)



ギャラッド彗星は6等の明るさですが、彗星はぼんやりとした姿ですので肉眼では上の写真のようには

見えません。出来れば、空の暗いところで双眼鏡か望遠鏡で見たいものです。



とか言いつつ、私は最近山に行けないでいます。体調が悪かったり、天候不順だったり、月明かりが

あったり、山に行ったら凍結して登れなかったりと近くのゴミ箱を蹴飛ばしそうになりました。



彗星と同じく私の引き出しがすっからかんになる前に、一週間ほど太陽の周りを旅して充電してきます。

読みたい本も沢山あるのですが、そんな時、一瞬にして読み終える魔法を誰か開発してくれないかなと

思います。「速読」という手もあるのですが、私には出来そうにありません。




(K.K)



 




2012年3月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「ひょっこりひょうたん島」

幼児期や思春期に受けたトラウマ(心的外傷)は、まるで自分の影のように張り付いて、死ぬまで

決して離れることはないでしょう。



この不安感や恐怖を背負いながら、そして自分を責め続ける自己嫌悪に陥りながらも、人は生き

ていかなければなりません。



ただ美しい魂や世界が、思い出すことさえ拒否してしまった心の扉を少しずつ開けてくれるのか

も知れません。



私の場合、それは母の眼差しであり、「鉄腕アトム」「ひょっこりひょうたん島」でした。美しいもの

に触れられたから、今の私があるように思います。



そしてこの美を探しつづける旅の道中で、アッシジの聖フランシスコインディアン世界の先住民

そしてシモーヌ・ヴェイユと出会ってきました。



この美を探し続ける旅に終着点はないのかも知れません。



何か湿っぽい話になりましたが、最後に私の好きな言葉を紹介します。リジュの聖テレーズ(幼き

イエズスの聖テレジア1873〜1897)は「薔薇の聖女」と呼ばれ、その生き方は薔薇の香りその

ものでした。



☆☆☆☆



困難なことにあったら、それをくぐりぬけなさい。



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年3月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


「生命とは自己複製を行うシステムである」

私の机の上に置いてある鉄腕アトム。小学生の頃、胸をワクワクしながらテレビの画面に魅入って

いた。アトムは「ひょっこりひょうたん島」のダンディと並んで、これからもずっと私のヒーローであり

続けるだろう。



アトムはロボットだが、生命(生物)とは何だろうとその定義を探してみた。生物学では「生命とは自己

複製を行うシステム」だが、この定義だとアトムは生物になる可能性がある。勿論、生物学で言って

いるこの自己複製の意味はDNAのことなのだが、アトムほどの人工知能があれば、別の意味で自分

の複製を作り続けることは可能のような気がする。またこの意味とは別に、この生命の定義に何か

釈然としないものを感じていた。



最近、分子生物学者の福岡伸一さんの本を読んだが、この生命の定義に対して同じ疑問を感じて

おられ、また他に多くのことを教えてくれた。福岡さんはベストセラーになった「生物と、無生物のあ

いだ」
「動的平衡」など沢山の本を出されているが、その中に生命とはという定義を次のように書

いている。



「生命とは動的平衡にある流れである」



今アトムを見つめる私は、1年前と同じ私のままである。しかしその身体を作る細胞は絶えず自己

複製をしながら、1年前とは全て違う分子で出来ている。生命とは、「その流れがもたらす『効果』で

あるということだ。生命現象とは構造ではなく『効果』なのである」(『動的平衡』より引用)。



この定義だとアトムは生命(生物)ではない。



でも、もしアトムが目の前に現れたら、私は人間(生物)と同じと感じるかも知れない。確かにその

身体は金属の構造で出来ており「動的平衡にある流れ」ではないが、アトムは美と共鳴する何か

を持っている。美それは創造主・神と置き換えてもいいかも知れない。



私たち生物にしろ、ロボットにしろ、それは同じ素粒子(クォーク)から出来ている。これ以上分解

できない単子が素粒子なのだが、この素粒子の正体は振動ではないかと最近の量子力学は捉

えている。



銀河系や太陽系が出来る遥か以前、或いは宇宙創生の頃の素粒子の振動は形を変えずに現在

も保持され続ける性質を持ったものだろうか。



そして私の身体を作っている素粒子、その振動は何を記憶しているのだろうとも考えてしまう。振動

と記憶を結びつけて考えること自体滑稽であり、自分の頭がますますおかしくなっているのではとさ

え思う。



ただ



美(創造主・神)と素粒子という二つの振動が共鳴しあっていたとしたら。

共鳴し合いながら、長い時間をかけて生物の多様性を形作ってきたとしたら。



机の上にちょこんと立っているアトムを見ると、小学生の頃テレビや漫画で見たアトムにも美(創造

主・神)に共鳴するものが宿っていると感じてしまうのだ。



最後に、私は量子力学を勉強したわけでもなく、ただ自分の想いや願いに同調する言葉だけを捉え

て無理に結び付けようとする危険性を犯していますので、一人の狂人の笑い話と捉えていただけた

ら幸いです。



☆☆☆☆



哲学者・梅原猛さんの言葉(「アイヌの霊の世界」藤村久和著より)を紹介して終わりにします。



「人間にたいする愛情のない学問というものはつまらないものだ。

どこかはずれているのだ。」



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年2月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



写真は「On This Earth: Photographs from East Africa」Nick Brandt著という写真集からです。



1987年、乱獲で生き残っていた3頭の象は1990年にはたったの1頭になっていた。人々は最後の

象、彼女のことを太母(メイトリアーク)と呼んだ。しかし彼女は何処かへ消える。以下、この物語に少

し耳を傾けたい。



☆☆☆☆



生涯、母系社会を維持し、常にコミュニケーションを取り合って暮らしてきた象が、たった1頭のこされ

たとき、彼女はいったい、どこへ行くのだろうか。ワトソンにはある確信があった。彼は、少年時代を

過ごした南アフリカのある場所で、かつて象を見たことがあったのだ。



それはクニスナ地区から国道を越え、森林地帯が終わるころ、そこでアフリカの大地は突然、崖となり、

その下の海面に垂直に落ち込む。切り立った壁の上から大海原が見渡せる。



はたして、ワトソンは、その崖の上にたたずむメイトリアークを見た。そしてその光景を次のように書

き記した。



「私は彼女に心を奪われていた。この偉大な母が、生まれて初めての孤独を経験している。それを

思うと、胸が痛んだ。無数の老いた孤独な魂たちが、目の前に浮かび上がってきた。救いのない

悲しみが私を押しつぶそうとしていた。しかし、その瞬間、さらに驚くべきことが起こった。



空気に鼓動が戻ってきた。私はそれを感じ、徐々にその意味を理解した。シロナガスクジラが海面に

浮かび上がり、じっと岸のほうを向いていた。潮を吹きだす穴までがはっきり見えた。



太母は、この鯨に会いにきていたのだ。海で最も大きな生き物と、陸で最も大きな生き物が、ほんの

100ヤードの距離で向かい合っている。そして間違いなく、意志を通じあわせている。超低周波音の

声で語りあっている。



大きな脳と長い寿命を持ち、わずかな子孫に大きな資源をつぎこむ苦労を理解するものたち。高度

な社会の重要性と、その喜びを知るものたち。この美しい希少な女性たちは、ケープの海岸の垣根

越しに、互いの苦労を分かち合っていた。女同士で、太母同士で、種の終わりを目前に控えた生き

残り同士で」



☆☆☆☆



この物語は「エレファントム」ライアル・ワトソン著で描かれているが、これを紹介した「動的平衡」福岡

伸一著で初めて私はこの物語に触れた。



真偽はわからないが、間違いなく言えることは多くの先住民や生き物たちが、絶滅する直前に感じた

孤独感や喪失感を、この物語は見事に描いている。



もし、自分がたった一人、この地球に取り残されたたった一人の人類だとしたら何を感じるのだろう。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年2月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

写真はアメリカ・コロラド州(NASAより引用)

昔の平原インディアンたちは、常にこのような美に触れていたのかもしれません。



(K.K)



 




2012年2月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


築地市場の中です。



30年前、ここで働いて夜間の学校に通っていましたが、今でも全く変わっていないことに驚いて

しまいました。



その頃は、俳優を目指す人、音楽家を目指す人、画家を目指す人など多くの夢を心に抱いた

若者達が集まっていた場所でしたが、案外今でもそうかも知れません。



大きな台車に自分の背を上回る荷物を積め、車に運ぶ仕事は大変でしたが、同じように夢を

持った仲間がいたことと、竹を割ったような性格の人が多かったため仕事が嫌だと思ったこと

はありませんでした。流石に朝は早いですが、午後2時過ぎに仕事が終るので、夢を実現する

には最適の場所でした。



その後、彼らとは音信不通になりましたが、今頃どうしているんだろうと時々思うことがあります。

夢半ばで違う世界に行った人もいるでしょうし、まだ頑張って夢を叶えようとしている方もいるか

も知れません。



今、あの時の希望に向かって突き進んでいた彼らの姿を思い出すと、たとえ挫折したとしても、

ここでの想いが違う形で活かされていると信じ、願わずにはいられません。



☆☆☆☆



一人前になるには五十年はかかるんだ。功をあせるな。悲観するな。

もっと根を深く張るんだ。根を深く掘れ。



升田幸三(将棋史上初の三冠〔名人・王将・九段〕を達成)の言葉



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年2月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



ホピ族カチナ



カチナとは精霊のことであるが、今から20年前に聞いた奇妙な話が心に残っている。当時

カトリック信者の掲示板があり、名前は失念したが、大学の講師の方も書き込みをしていた。

その方は哲学が専門で、一時デンマークだったか北欧に留学していたとき、その国のおばあ

ちゃん達が全く不思議そうな顔も見せず、当たり前のように「妖精を見たことがある」と話す

のを聞いて驚いてしまったと書き込んでいた。



私はまさかそんなことがあるわけがない、と最初に思ったが、その方がでたらめを書き込む

ような人でないことはそれ以前の書き込みなどなどから知っていたし、カトリック信者でもある

彼がそんな話を敢えて持ち出すわけがないと思い真剣に聞いていた。



私は妖精に限らず精霊を見たことはないのだが、それから何か違う世界がこの世にあるの

ではないかと漠然と感じたりもしていた。正直今でもこの話をどう捉えていいのか私にはわか

らないが、北欧のおばあちゃん達が見たものを否定することは、そのおばあちゃんの存在

自体を否定することに繋がることは確かなことだ。



自分の経験や価値観で、人の存在を否定することほど傲慢なことはない。相手の視点と同じ

目で見ることは不可能だが、自分が相手の視点まで降りていく(見下すという意味ではありま

せん)努力なしには自分との接点は見つからないだろうし、他者の存在という重みを自分の

心に感じることもない。



偉そうに書いてしまったが、過去に白人達がインディアンに自分たちの文化や宗教を強要

たのと同じように、私も他者に対して日常の生活の中で同じことをしているのではないかと

いつも思う。ただ相手の視点が他者を抹殺するようなものである場合は、戦うことを恐れては

いけないのかも知れない。



☆☆☆☆



トウモロコシ畑の片隅で、

鳥たちが歌声をあげ、

ひとつになった幸せを歌いあげるだろう。

彼らは、宇宙の力と、

あらゆるものの創造者との調和に合わせて

歌声をあげるだろう。

鳥が歌い、そして人々も歌い、

やがて命の歌がひとつになる。



ロングヘヤー・カチナの歌(ホピ族)

「風のささやきを聴け」より引用

☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年2月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



理論物理学者 リサ・ランドール (写真は他のサイトより引用)



量子力学では「ひも理論」「M理論」から11の次元が導き出され、ハーバード大学教授である

リサ・ランドールは5次元宇宙の姿を私たちに提示しています。



ここまで来たら私には理解不能ですが、一つ言いたいことがあります。



それは4次元〈この3次元の世界+時間〉の他に違う次元があるとでも言ったら、つい最近ま

で気が狂っていると思われたことでしょうし、私もそう思っていました。



しかし、とんでもない空想物語としてしか捉えられなかった異なる次元が、現在多くの学者に

よって真面目に研究され主流になりつつあります。



ここから教わることは、たとえどんなに突拍子もない話でも排除してはいけないということなの

だと思います。



科学はたった一つの発見でそれまでの定説が打ち消される可能性を常に秘めており、今私た

ちが常識と捉えていることも100年先の未来では化石としての意味しか持たないのかも知れ

ません。



難しいことかも知れませんが、常にあらゆる可能性から目を背けてはいけないと感じています。



(K.K)



 




2012年2月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



チェスをするヘレン・ケラーと家庭教師のアン・サリバン



アン・サリバンも小さい頃の病気で盲目となるが、その後手術を受けある程度の視力を回復する。

二人を最初に結びつけたもの、それは「見えない」という、その苦悩を共有できたことなのかもし

れない。



最後の瞽女(ごぜ)として有名な故・小林ハルさんが「次に生まれたら虫になってもいいから眼の

見える人生を生きたい」と語っているように、どんなに素晴らしい相談相手がいようとも、その苦

悩を肌で感じ取れるのはやはりその苦悩を体験したものでしかないと感じる。



瞽女は、女性の盲人芸能者(旅芸人)のことで室町時代から始まったのではないかと言われて

いる。各地を転々とし、三味線を弾きながら家々を回る彼女たちを、人びとは聖なる来訪者、

威力ある宗教者と歓迎した。それは、目が見えないことは、かえって霊界に通じ、神に直結する

重要な要件だと思われていたことによる。



現代のような盲学校や点字がない時代に、盲人の男性は按摩(あんま)などの仕事に就くことが

出来たが、女性の場合瞽女としてしか生きる道がない時代が長く続いたと思う。



彼女たちの母親は娘が一人で生きていけるようにと幼い頃から心を鬼にして接し、そして6歳頃

に送り出す。人々がそんな瞽女を聖なる訪問者として接したのは、自分の身代わりに苦悩を背

負っている姿を見たからなのだろう。



この瞽女は昭和52年に廃絶した。



長い間ハンセン病の療養所で精神科医として働いていた神谷美恵子は次のように語っているが、

彼女もまた苦悩を背負っている人を「自分の身代わり」と感じていた。



光りうしないたる眼うつろに

肢うしないたる体担われて

診察台にどさりと載せられたる癩者よ、

私はあなたの前に首を垂れる。



あなたは黙っている。

かすかに微笑んでさえいる。

ああしかし、その沈黙は、微笑みは

長い戦いの後にかち得られたるものだ。



運命とすれすれに生きているあなたよ、

のがれようとて放さぬその鉄の手に

朝も昼も夜もつかまえられて、

十年、二十年と生きて来たあなたよ。



何故私たちでなくてあなたが?

あなたは代って下さったのだ、

代って人としてあらゆるものを奪われ、

地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。



許して下さい、癩者よ。

浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、

そこはかとなく神だの霊魂だのと

きこえよき言葉あやつる私たちを。



かく心に叫びて首たるれば、

あなたはただ黙っている。

そして傷ましくも歪められたる顔に、

かすかなる微笑みさえ浮かべている。



「うつわの歌」 神谷美恵子著 みすず書房 より引用



(K.K)



 




2012年2月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


ベランダに置いてあるアロエが花を咲かせています。



私が小学生の頃、風邪とかで苦しんでいたとき、母はいつもアロエの葉を切り私の胸にのせていました。

そのアロエのひんやりとした感触が今でも残っています。



人によって違うかも知れませんが、昔の人は病院を嫌う人が多いと思いと思います。「自然のもので治す」

という意識が強いのでしょうか、現代人の私などには想像できない世界に生きています。



早期発見が重症化を抑えるように、現代医療が大切なことは当然ですが、併せて昔からの伝承を日々活

かすことも必要かも知れないと最近思い始めています。



私が大人になって最初に関心を抱いたのはアロマテラピーで、この分野の草分け的な文献「植物=芳香

療法」という文献からでした。この本を書いたのは先の大戦で従軍医師として多くの傷病兵を診てきたジ

ャン・バルネで、植物療法が治療に大きな成果を上げることを実証した方です。



現在アロマテラピーがどのような状況にあるのか全くわかりませんが、いろいろな文献が出され、様々な

講座、精油を使ったマッサージなどあるのを耳にしています。



ただ、どんな植物・精油を使うにしろ、その植物に対して感謝の気持ちを忘れてはいけないと最近感じて

います。インディアンに限らず世界の先住民も昔から薬草を使っていましたが、必ず採集する前にその

植物に対して許しと感謝の気持ちを表していました。



私はずっと前から加湿器や床の磨きに精油を使っているのですが、この気持ちが全くなかったように思い

ます。ただ自分の健康に一役買うとか、香りがいいとか、植物が自分に与えてくれた命のことを考えても

いませんでした。



植物にも芽から成長するまで、それぞれの歴史を生き抜いてきたのではないでしょうか。そのことを想像

すると、今までの植物に対する私の態度は間違っていたと思うのです。



(K.K)



 

 

2012年2月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



プラネタリウム | NHK宇宙チャンネル



友達の Mana Kokopelli さんから教えていただきました。星空・宇宙に関する素晴らしいサイトです。



真面目な話もありますが、微笑ましいのが「自分で作る星座」で、「おいしいごはん座」「ぎょう座(餃子)」

など愉快でした。



実は僕はギリシャ神話はあまり好きではありません。どうして他の国の神話を夜空に投影するのか? 

などと私はひねくれているのです。昔から伝わる日本独自の星座や、自分の感じにあった星座を作って

互いに公表する場が前々からあってもいいのではと思っていたので嬉しくなってしまいました。しまった、

NHKに先を越されてしまった(涙)。



いいサイトを教えてくださり本当にありがとうございます。






2012年2月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


写真は神奈川県伊勢原市、大山阿夫利神社の地下にある「ぼけ封じ」を撮ったものです。



☆☆☆☆



「ボケない7カ条」

老人ホームを経営している医師が経験から作ったものでテレビで放映されていました。

サイト「ボケないための7カ条 - 僕の感性」を参考



1)散歩をする。

2)新聞を声に出して読む。

3)料理を作る。

4)社会と交わる。(色々な教室に参加するとか、仕事をする)

5)電車、バスで外へ出かける。

6)日記を付ける。

7)恋をする。(わくわく感の様なもの)



☆☆☆☆



@ 散歩(ウォーキング)をする。・・・歩くと脳への血流が増える。



私はアスファルトの道が苦手なので出来るだけ地面の上を歩くようにしています。突き出た根っこや

急な坂道をどのルートで登るかなど、無意識に頭を使って歩くハイキングなど低い山での散策が一

番かと感じています。



A 新聞を読む。・・・特に声を出して読む・・・喉、頬、顎の筋肉を使うことにより脳へ刺激を与える。



やっていません。歌うこともいいのでしょうか?



B 料理を作る。・・・クリエイティブな発想、運動神経、記憶能力などさまざま脳が使用される。



今ある具材で何が美味しく作れるか、時々やっています。



C 社会と交わる。・・・陶芸教室や市民合唱団など、さまざまな人との交わりの中、生き甲斐を生む。



facebookはどうなんでしょう?



D 電車やバスで出かける。・・・ぶらり旅などに出て、知らない街で、マイルドな緊張感を味わう。



ぶらり旅、やりたいですね。「ちい散歩」見るのが好きです。



E 日記をつける。・・・毎晩今日あった楽しいことを日記につける。一日のけじめがつく。今日

あったことを思い出す。



やっていません。



F 恋をする。・・・人間は、生まれてから異性を好きになるように脳にインプットされている。恋をする

ことが一番脳を活性化する。おしゃれに気を使ったり、楽しい話題づくりを考えたり、脳を最大限活用

するから。



吉永小百合を見ると、胸がキュン(?)とします。




〈番外編〉



◎芳香療法・・・認知症研究の第一人者、鳥取大学医学部の浦上克哉教授が実証したもので、バラや

ラベンダーの香りが症状を改善させたというもの。



私は乾燥対策としてアロマ加湿器を使っていますが、中に入れるオイルはゼラニウムやヒノキです。バラ

やラベンダーに限らず、自分にとって気持ち良く感じられるものが一番かなと勝手に思っています。



◎大山は古代から霊山として関東一円の農民からは農業の神、漁民からは航行守護の神として崇められ

てきました。大山阿夫利神社は紀元前97年頃の創建と伝えられておりますが、この神社の中に「ぼけ封じ」

があります。



(K.K)



 




2012年2月19日、ジャーナリストの鳥越 俊太郎さんがフェイスブックに投稿した記事です。

とても共感したのでここに転載いたします。

http://www.facebook.com/profile.php?id=100002190204568



鳥越 俊太郎


今週は木曜日から福岡に来ています。久留米での講演の帰りに母を訪ねました。先週大腸がんを

手術して退院したばかりなので見舞いのつもりでしたけど、部屋に入って顔を見た瞬間も無表情で、

私のことを認識出来ないようでした。



母は一人住まいをしている頃、何度も転倒、骨折を繰り返し、その度に入院をしているうちに、認知

症の症状が出てきました。そこで安全のため環境のいい施設に入ってもらいましたが、やはり年齢

(91歳)も背景にはあるんでしょう。病院の医師からは認知症ではなくアルツハイマーと診断されま

した。



会いに行くたびに症状が進んでいることが伺われ憂慮していましたが、今日私を認識出来ないのを

見てとうとうここまで来たか?!と覚悟をしました。そこで今日は腹を据え、私が床に座り同じ目線で

話しかけました。とりあえず昔の記憶は残っている可能性はあると思い尋ねました。



「あなたは子供は何人いましたか?」すると母は案の定ちゃんと答えました。

「5人・・・」
私「そうだよねえ、5人だよねえ・・・・で、5人の子供の一番上の子の名前は覚えている?」

母「・・・・・俊太郎」

私「ああ、そうだよねえ!!で、2番目は?」



母は5人の子供の名前をそんなに苦にすることもなくスラスラと答えて行きました。私は嬉しくなって

「そうだよねえ、お母さん、その一番上、俊太郎が僕だよ!!」と勢い込んで言いました。すると母は

じっと私を見つめて、手術でやせ細った両手を伸ばし、私の頬を挟みまるで赤ん坊をあやすかのよう

にするではないですか。しばらくそのままの状態が続きましたが、私は不意に涙が込み上げてきて止

まりませんでした。



私「おかあさん!!おかあさん、僕だよ!」でも、母は無表情でした。しかし、私は母の瞳の奥に何か

が動いたような気がしました。



「分かってるんだ!!」
でもその後は同じ質問をしても「もう分からん」と言うばかりで、ただ黙って目の前のテレビを見つめて

いました。こういう状況はきっと波のように分かる時とそうでもない時が交互に現れるんでしょうね。ずっ

と遠いところに行ってしまったと思っていましたが、そうでもない。すぐ近くにいるんだと思い直しました。



人間は高齢で生きているということはこんなことも受け入れて行かなければならないんだと、改めて実

感しました。でも今日は久しぶりに母子の会話をしたと思いました。皆さんも同じような経験をされてい

ると思い、敢て私自身のことを書きました。私の実感では母は決して悲しい状況にはいないなあ、本当

は幸せなのかもしれない。そういう思いでした。


 
 


鳥越さんとは知り合いでも何でもありませんが、この投稿を読んでコメントしてしまいました。



私の父もアルツハイマーで症状が次第に進行し、私のことさえ誰だかわからないようになり

7年前に亡くなりました。若い頃はしばらく父への憎しみは消えませんでしたが、今はあの世

で小さい頃にやってもらったキャッチボールを二人でやるのが夢です。」


(K.K)






2012年2月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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「沖縄文化論 忘れられた日本」岡本太郎著 中公文庫 より以下引用します。

著者は「太陽の塔」などで有名な芸術家の故・岡本太郎さんです。



☆☆☆☆



はじめは清らかに単純だ。美しくしずまった森。神託によって定められた聖域が氏族生活の中心だ。



その秘めた場所に、ひそかに超自然のエネルギーがおりてくる。それにつながり、受けとめることを

ぬきにして、彼らの生活の原動力を考えることはできない。



そびえたった一本の木。それは神がえらんだ道。神の側からの媒体である。



この神聖なかけ橋に対して、人間は石を置いた。それは見えない存在へ呼びかける人間の意思の

集中点、手がかりである。



自然木と自然石、それが神と人間の交流の初源的な回路なのだ。この素朴な段階でこそ、神と人

間は相互に最も異質でありながら、また緊密だった。



人間は神を徹底的に畏れ、信じた。やがて形式主義がはじまる。ただの石ころから四角い切石の

体裁に。



神と人間の通いあう清冽な流れの中に、人間の匂いが、一種の夾雑物としてまじわりはじめるのだ。

それは自己増殖する。



☆☆☆☆



(K.K)



 

 


2012年2月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略


双眼鏡に専用の太陽観察フィルターをつけてみました。

何も付けずに双眼鏡で太陽を見るのは厳禁です。



前に紹介したこの双眼鏡は7倍ですから、太陽から地球までの距離の7分の1のところまで太陽に

接近したことになります。



もし、ドラえもんの「どこでもドア」で間違ってここにワープするものなら、人間は一瞬に吹き飛ばさ

れ蒸発してしまうかも知れません。



そんな近くで太陽を見ていると、太陽の凄まじいエネルギーを感じずにはいられませんでした。



太陽の縁から立ち昇る赤い炎(プロミネンス)は高価な太陽望遠鏡でしか見られませんが、私の

双眼鏡では黒点を2個確認することが出来ました。



ただ、前に「日食専用めがね」でも少し注意を書きましたが、このフィルター付の双眼鏡で太陽を

3分見続けていると私の場合いつも頭痛がしてきます。個人差はあるかも知れませんが、「日食

専用めがね」と言って過信せずに、1分くらい見たら目を休めた方が無難かと思います。



特に小さなお子さんが日食を見る時は、必ず親がそばにいて見る時間などに注意して欲しいと

思います。5月21日は皆既日食ではなく金環日食ですので、肉眼で太陽を1秒以上見ることもや

めてほしいと思います。



安全を第一に、宇宙の神秘を味わいたいものです。



(K.K)



 




2012年2月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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写真は月を彩色(科学構造の種類別)したものです(NASAより引用)



<月の神> 「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」比嘉康雄著 集英社新書より引用



◎月も、太陽と並ぶ久高島の最高神である。



月神は<マチヌシュラウヤサメー>(マチは待つ、シュラは美しい、ウヤサメーは尊い親の意)と

いっている。



月の光の柔らかなイメージが女性のイメージと同質と考えたのか、月神は神女たちの象徴で、

家レベルでは根神が、シマレベルでは外間ノロがその司祭者である。



また月は女親であって産む能力を持っていて、久高一人一人の命に責任があると考えられ、

出生のとき、結婚のときは月神に報告し守護を頼む。年始めの健康願いも月神に祈る。



穀物を生産する力も月神で、麦、粟で作った濁酒は月神の守護力を持った尊いものである。麦、

粟の農作祈願祭祀はこの濁酒を神女たちが「共飲して」おこなわれる。



太陽が一日の周期を考えるのに対し、月は一ヶ月の周期で考えられる。つまり、月の満ち欠け

によって月日を読む。



月もその光によって守護力が発揮されると考え、十三、十五、十八夜は守護力が強い吉日と考え、

祭祀の適日である。イザイホーも十五の満月の夜から始める。一年で月神の守護力である月光

が最も充実しているのは旧暦八月の十五夜である。



この満月の夜に穀物の豊作と神女たちの健康願いがおこなわれる。月神も太陽神と同じく地上に

降臨することはなく、香炉もないまま、神饌を供える高膳が外間殿にあるだけである。月神を象徴

する色は白である。また月は普通、チチと呼ばれている。なお、日食は月神と太陽神の逢引とい

われている。



☆☆☆☆



月のリズムで生きていた男 「月の本」林完次著 光琳社出版 より引用



◎スタンフォード大学医学部のL.マイルズ博士らが、ある盲目の男性の生体リズムについて研究

を行った。



先天的に目の不自由なこの男性は、睡眠リズムが周期的にひどく乱れるため、何年も苦しんで

いたのである。



実験室内において脳波やホルモン、体内活動などの生物学的機能をかなりの日数をかけて記録

してみた。すると、この被験者の体温、緊張の度合い、正常時の睡眠パターンには、ある一定の

周期があることがわかった。



それらはすべて、24.8時間という周期だったのである。太陽の1日のリズムは24時間だが、月

の1日のリズムは24・8時間である。つまり、この男性にみられた周期は、月のそれとまったく同

じだったわけである。さらに驚いたことに、彼の睡眠開始時刻は、実験が行われた地域の干潮の

時刻とぴったり一致していたというのだ。



よく知られていることだが、生物の体内には、外的環境などの影響とは無関係に体のリズムを保つ

タイマー、「体内時計(生物時計)」が組み込まれているという。人間の体内時計は約25時間といわ

れるが、厳密には、月のリズムと同じ24.8時間なのかもしれない。



(K.K)



 




2012年2月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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プレアデス星団の一つ、メローペの周りに広がるメローペ星雲(写真はNASAから引用)



双眼鏡で夜空を見て良かったと思える天体の一つが、プレアデス星団(すばる)ですが、7人姉妹

の青白い星に照らされて周りのガス雲がこのように青く輝いています。裸眼では写真のようにはっ

きりとわからないのですが、写真撮影ですとこのような美しい姿を見せてくれます。



画像中央やや上に一番明るく輝いている星が7人姉妹の一人メローペで、地球からの距離は440

光年、太陽の4倍の大きさがあります。私たちの太陽は約46億歳ですが、プレアデスの7人姉妹

の星たちは6000万歳から1億歳未満の若い青色巨星や青色準巨星で構成されています。



インディアンの中にはこの星団から来たという人がいます。その真偽は私にはわかりませんが、

地球の歴史から考えて、星の誕生から6000万から1億年までに高度な知的生命が誕生したとは

考えにくく、プレアデス星団が出来る前の話ではないかと思います。恐らくプレアデス星団を創っ

たであろう超新星爆発か何か、それ以前の時代での出来事かも知れません。



このプレアデス星団は世界各地でいろいろな呼名があります。その一つにニュージーランドの

マオリ族は、マタリキ(「小さな目」)と呼んでいました。マオリ族はプレアデス星団が見えるように

なる時期を新年の基準としており、新年という意味もあるそうです。マオリ族の民族舞踊である

ハカは、ラグビーのオールブラックスが試合前にこのハカを踊ることで有名です。



このマオリ族を舞台にした映画「クジラの島の少女」は小説を映画化したものですが、私の大好

きな映画の一つです。必死に伝統を次世代に引き継ごうとする長老の意に反して、若者の心は

既に伝統から離れてしまっている。その現実に苦しむ長老、そしてその孫の少女が繰り広げる

民族再生の物語で、少女が浜に打ち上げられたクジラを救出する場面が印象的でした。



(K.K)



 




2012年2月15日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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「こころの本」絵馬師 殿村進 宙(おおぞら)出版より引用



「今生の栄えを

想わず

後の世の

花となれ」



☆☆☆☆



「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきながら行われる。

これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮らしたりする

ことのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るのが、私たちの仕事な

のだ。私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれてくる

世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。私たちはそのことを、片時たりとも

忘れない」



オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)

「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より



☆☆☆☆



随分昔、桐生にあるフランシスコ会修道院の黙想会に参加したことがあるが、一人のフランス人シスター

も来ていた。年齢は50くらいだったがとても顔立ちが美しい方で、仲間のシスターと共に人の嫌がるような

仕事をしながら日本全国を回っているという。私は彼女のそんな話を聞いて「何故そのようなことが出来る

のですか?私には絶対出来ない」と言うと、「人の力では出来ません。神様がいるから出来るのですよ」と

にっこり微笑んでいた。



前の職場では同僚だった男性を私はずっと嫌っていた。頭は切れるし弁は立つ、そして豪傑と言ってもい

いほど肝が座っている人だった。私は羨ましい想いや少し生意気な態度に腹を立てていたのかも知れない。

そんなある日、仕事上のことで彼と喧嘩した。彼は驚いたように私を見ていたが、それから一緒に酒を飲む

仲になった。その後、いろいろ大変なことを経験しながら彼の目は内面に向かうようになり、職場を捨て

高野山に出家した。



☆☆☆☆



私のような世俗に生きる人間に出来るかどうかわからないが、「後の世の花となれ」を心の片隅にでも

持ち続けていたいと思う。



(K.K)



 

 


2012年2月15日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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ハブ捕り名人 南竹一郎さんの言葉です。



☆☆☆☆



○昭和35年(1960年)ごろから、奄美の森はどんどん伐採されたっチョ。それから奄美の生物は、

めっきり少なくなった。犠牲になったのは、森に棲んでいる生き物だけではないっチ。大雨がふる

と、裸になった山肌から赤土が川に流れだして、川も海も真っ赤になる。ワシの好物の沢のカニ

も、手長エビも今はどんなに減ったことか。海のサンゴもボロボロと死んでしまった。



○ハブを退治するために外国産のマングースが山に放された。もうずいぶん前のことじゃ。今で

は奄美の森を大きな顔をして歩きまわっとる。どうやらマングースは、ハブを襲わずにクロウサギ

なんかの奄美の大切な住人を襲っているみたいじゃ。それでこんどはマングースを退治しようとい

うことになったっチョ。困ったもんじゃヤー。人間がやることはなかなかうまくいかんチ。自然の中

で、一番の悪者は人間じゃ。奄美の森の生き物は、なんにも悪いことをしないっチョ



○ハブは憎い奴じゃ。でも奄美の森はハブが守ってきた。昔の島の人は、山を畏れていたっチ。

かんたんには山に入らんかった。だから、奄美の森の仲間は今まで生きのこってこれたにちが

いないっチョ。奄美の森からハブがいなくなったら、島の値打ちは半分じゃヤ



「ハブの棲む島」伝説のハブ捕り名人と奄美の森の物語

西野嘉憲著 ポプラ社 より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年2月12日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像

ワンコインで宇宙遊泳!!!



この日食を見る専用のめがねを使うと簡単に宇宙遊泳ができるんです。



私自身今まで宇宙を感じるには、夜空の下で肉眼、望遠鏡や双眼鏡でしか味わえないと軽薄にも

思っていました。でも、この日食専用のめがねで太陽をしばらく眺めていると、まるで自分が宇宙

空間に漂っている不思議な感じがしたのに驚いてしまいました。



漆喰の闇の中にくっきりと太陽が映し出されるのを眺めていると、まるで宇宙空間から太陽を眺め

ているような不思議な錯覚を受けてしまいます。そして今感じている太陽の暖かさを思うと、如何に

太陽が灼熱の世界であるかが肌で実感できるのです。



何故今までこのことに気がつかなかったのか、本当に愚かでした。



普段私が使っている日食専用めがねは紙製でとても軽くて300円くらいから売られていますが、国

際基準を満たしたものを使わないと日食網膜症になり視力障害や失明につながることがあります。

またこの日食めがねを使う場合でも理論上は数時間見続けることは可能でも、用心のために数分

で目を休めた方がいいかと思います。



5月21日金環日食もあるので、今から用意してもいいかも知れません。直前だと手に入りにくくなる

かも知れませんので。



☆☆☆☆



以下のものは絶対、絶対駄目です。特に子供さんがいる方は注意をして欲しいと思います。



×肉眼でも1秒以上太陽を直接見ることは絶対に避けてください。

×サングラス

×黒い下じき

×感光した写真用フィルム

×× 双眼鏡や望遠鏡で直接太陽を見ると失明します。



☆☆☆☆



正しい使い方で、宇宙遊泳したいですね。



(K.K)



 




2012年2月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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厚木市七沢森林公園 順礼峠のお地蔵さん



このお地蔵さんは今から約300年前に建立されたものです。信州から巡礼のためこの地を訪れた

父娘が山賊に会い、殺されてしまいます。その姿を哀れに思った地元の人が建立したものですが、

ここで祈っていると、昔の人々の想い、祈りが近くに感じるような錯覚を覚えるときがあります。



「祈り」は時を超えて心に流れ続けている、そう感じます。



数年前、初めてこの亡くなられた父娘の子孫の方が供養しに来られました。このお地蔵さんの赤い

頭巾を定期的に取り替えているご夫妻が半年がかりで子孫の方を探しあてたそうです。



祈りは、今を生きる人々にも、そして後の時代の人々にも受け継がれていくのでしょう。



(K.K)



 




2012年2月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



イギリスのチェス雑誌「Chess Monthly」1995年8月号表紙より引用

チェスの写真の中では前に投稿したチェ・ゲバラと並んで心に残るものの一枚です。



この子供の表情を見ていると、この写真を撮ったカメラマンの技量は勿論のこと、人間的な

暖かい眼差しをも感じてしまう。



100年前に子供の写真を撮りつづけたルイス・ハインは児童労働の過酷な実態を世間に問

い続けました。そしてその写真が大人の心を少しずつ動かし児童の権利を獲得するまでに

至ります。



ルイス・ハインは貧困のうちに亡くなりますが、今日では、アメリカが生んだ偉大な写真家の

一人として認めらるようになっています。



☆☆☆☆



「ちいさな労働者 写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち」ラッセル・フリードマン著

より以下引用。



あるとき彼の友人が、ハインがとらえた子どもたちは、どうして美しいのだろうとたずねたこと

があります。それに対してハインはこう答えました。 「わたしはただ、美しい子供たちを写し

ただけです」 おそらく彼は、子どもの気持ちをとらえる方法を知っていたのでしょう。おそらく

彼の微笑み、やさしい言葉、手のぬくもりが、彼が子どもたちの仲間であることを知らせたの

でしょう。彼はすべての子どもの中に美を見いだし、子どもたちは彼を信頼しきって、彼の向

けるレンズに応えたのです。



☆☆☆☆



現在世界では、まだ1億から2億人の子供たちが労働を強いられています。「子供が子供の

ままでいられる社会」を早く実現できるようにと願っています。



最後に、私自身に関してですが上階(マンションです)に住む子供の足音に眠りを妨げられ

「うるさいガキだな、親はどんな教育をしとるんかい(あれ、これは大阪弁かな?)」と思って

しまうのもまた事実なんですね、あ〜あ。



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年2月6日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

M1(おうし座の超新星残骸:かに星雲)

前の投稿でベテルギウスの爆発を書きましたが、この画像は今から約1000年前の1054年7月4日頃

に超新星爆発した名残りの星雲を撮ったものです。金星の6倍明るく23日間に渡って昼間でも見えた

この爆発は、藤原定家の「明月記」やアナサジ族(北米西部の先住民)によっても記録されています。



かに星雲の星までの距離が6500光年に比べて、ベテルギウスはその10分の1の640光年。ですから

ベテルギウスが爆発すると、100倍(距離の二乗に反比例)も明るく輝くことになります。



☆☆☆☆



アナサジ族に関してですが、チャコ・キャニオンの西メサに「Penasco Blanco」と呼ばれるところがあり、

そこの岩面彫刻にこの超新星爆発が描かれています。



アナサジ族はかなりの天文学知識を持っていたと言われており、平原インディアンが住む地には500万

〜600万ものストーン・リング(環状列石)が残っています。その大きなものはメディシン・ホイールと呼ば

れており、これはイギリスのストーンヘンジと同じようなカレンダーの意味を持っていたのではないかと

考える人もいます。



アナサジ文化は西暦紀元に始まったと言われますが、チャコ・キャニオンから300kmにも渡って真っ直

ぐな道路が伸びており、村や重要な重要な祭祀所を結んでいました。



その後、ナバホやアパッチの部族の侵入により移動を余儀なくされますが、チャコ・キャニオンから続く

アステク遺跡、ソロモン遺跡、ケイサス・グランデに至る620km、これらの遺跡の全てが西経108度の

線の上に並べられています。その意味はわかりませんが、高度な天文学知識を持っていたことは容易

に想像することができるかと思います。



このアナサジ族の子孫が「ホピ族」と言われています。



☆☆☆☆



話は変わりますが、この「かに星雲」が位置するところは「おうし座」というところです。オリオン座に近く

「すばる」で有名なプレアデス星団が位置する星座です。



「おうし座」という星座の位置は、平原インディアンにとっても重要な意味を持っており、「白いバッファロ

ーの女」という有名な伝説に出てくる存在を星空に投影していました。有名なメディスン・マンのクロウ・

ドッグ
は次のように語っています。



「この聖なる女性がスー族に聖なるバッファローの子牛のパイプをもたらした。このパイプをもたない

インディアンなどいるはずがない。その女性が来る以前、人々はどうやって暮らすか知らなかった。

人々は何も知らなかった。<バッファローの女>が人々の頭に聖なる知識を植えつけたのだ」



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年2月5日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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カワセミ(写真は他のサイトから引用)



私の家から少し離れたところに小川が流れ、カワセミが良く飛んでくる。その宝石のように

キラキラ光り輝きながら飛行する姿、川の中の小魚を獲って水中から舞い上がる姿を見て

いるだけで、生命の神秘を感じさせてくれる鳥だ。私が出会ったときに特に嬉しいと感じる

鳥、それはカワセミと鷹だ。



でもだからと言って他の鳥が嫌いではない。私も鳥のように自由に空を飛べたらといつも思

う。部屋の窓から見ると、大小いろいろな鳥が飛んでくるが、どの鳥も厳しい自然の中で生

き抜いている力を感じさせてくれる。



しかし同じ鳥でも、カラスはどうしても好きにはなれなかった。鳥類の中でも霊長類に匹敵

する知能を持っているカラスなのだが、死肉をあさるイメージが強いのが嫌いになった原因

かも知れない。その印象を変えたのは、ワタリガラスの伝説を聞いてからだった。



ワタリガラスに限らず、多くの渡り鳥が何故正確に目的地に到達できるのか、それは太陽

や星、星座や地磁気などによって方向を定めることがわかってきている。それに比べ人間

は文明の利器の進歩と引き換えに、自然のサイクルで生きる術や感覚を消去してきたの

ではないかとさえ思ってしまう。



人間が鳥のように逞しく生命の輝きを取り戻すにはどうしたらいいのだろう。



☆☆☆☆



ワタリガラスの伝説 クリンギットインディアンの古老の言葉



今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。だから、しっかりと 聞くのだ。

たましいのことを語るのを決してためらってはならない。



ずっと昔の話だ。どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森を

つくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の中に座り、どうして

いいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚たちもじっと動くことはなかったのだ。




ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスは

じっと見つめていた。すると一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく

長く、それは一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆくタカに

ワタリガラスは聞いた。



あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れなければならなかった。「力を貸してくれ」 三度

目にワタリガラスが聞いた時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとって

きて欲しいのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくると、それを

タカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、頭を傾けて、枝の先を炎の中に

突っ込むのだ」 



若者は地上を離れ、ワタリガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び

続けた。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫んでいたのだ。



ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世を救うために炎を持ち帰るのだ」 



やがて若者の顔は炎に包まれ始めたが、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川

の中へ投げ入れた。



その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動きだし、森の木々も伸びて

いった。それがわたしがおまえたちに残したい物語だ。



木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを見つめている。そのことを忘

れるな。これからの時代が大きく変わってゆくだろう。だが、森だけは守ってゆかなければな

らない。森はわたしたちにあらゆることを教えてくれるからだ。わたしがこの世を去る日がもう

すぐやって来る、だからしっかり聞いておくのだ。これはわたしたちにとってとても大切な物語

なのだから。



(クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、死ぬ数日前に、クリン

ギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人かの若者たちに託した神話だった。こ

の古老の最後の声を、ボブはテープレコーダーに記録したのだ。)



「森と氷河と鯨」ワタリガラスの伝説を求めて 星野道夫 文・写真 世界文化社より引用



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年2月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「人間が好き」アマゾン先住民からの伝言
写真・文 長倉洋海 福音館書店



私が大事にしているこの写真集の題は「人間が好き」である。

しかし私は人間に少し関心はあっても、「人間が好き」とは言えない。それは恐らく他人をではなく、

自分自身を信頼していないからなのだと思う。昔、同級生の女性が「私はとっても人間に関心が

ある」と言ったのを聞いて衝撃を受けたことがある。まるで別の次元に生きているのではないかと

思うほど、その女性の内面の深さ・美しさに愕然とし、その対極にいる自分を恥じていた。



☆☆☆☆



本書より引用



○楽しく踊り、歌い、幸せになるために、わたしたちは生きている。



○わたしたちには、”愛”にあたる言葉はありません。”好き”だけです。



○人間は鳥のように 静かに地球を 通りすぎていくことができます

どうして 自分の足跡を記念碑などの形にして 残そうとするのでしょう

人間をふくむ宇宙そのものが すばらしく 偉大な創造物なのに



☆☆☆☆



アマゾン先住民のリーダーで、祖先から受け継いだ森を守り伝統を受け継ぎながら経済的自立を

果たすべく、各地の特性を活かした自立のプロジェクトを推進しているアユトン・クレナックの言葉



○我々の言葉で、「生きる」ことは「呼吸」と同じです。宇宙の全ては呼吸しています。ですから、命を

授かった時点から地球のサイクルに入り、宇宙の全てと呼吸を共有しているのです。生命を授かった

ことに責任を持ち、自らを啓蒙しながら自分の道を歩まねばなりません。それこそが地球を通過して

いる本来の意味なのです。私たちクレナック族の伝説の中では、命が絶たれたあと、我々は宇宙

全体の命を支えている全宇宙的なパワーの一部となるのです。一個の生が個人的体験を超えて、

全宇宙的に広がっていくのです。それは一つの「希望」です。「死」に恐れを感じる必要はないのです。



☆☆☆☆



名を知られていないアマゾン先住民の言葉



○旅は私にとって自己を知り、自分の成長を目指す手段です。旅は人生の教訓であり、学校なの

です。すばらしい人とは、良い歌をつくり、歌える人。感情豊かにユーモアと恥じらいをもち、母の

愛情を表現できて、孤独な子どもといっしょに泣くことができる人。



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年2月2日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

20億年後の地球の想像図



手前に見えるのが地球、右に見えるのが太陽、画面に大きく映し出されているのがアンドロメダ

座大銀河(M31)
です。



実はアンドロメダ座大銀河と私たちの天の川銀河は30億年後には衝突すると考えられています。

現在二つの銀河は秒速約300kmという速さで近づきつつあり、上の画像は衝突する10億年前

(今から20億年後)の姿です。



20億年後、もし人類がいたら天空に壮大な眺めを目にすると思いますが、太陽系にとっては衝突

により銀河の端に飛ばされてしまいます。



そして二つの銀河が完全に合体する50億年後には、赤色巨星となった太陽がその寿命を終え

ようとし、地球を含む他の惑星も飲み込まれていることでしょう。



アンドロメダ座大銀河は、肉眼でも見ることが出来ます。私の住んでいる厚木でもぼぅとながら

確認することが出来ます。ただ、写真集で見るような鮮明な姿ではありません。



今見ているアンドロメダ座大銀河の光は230万年前のもので、アフリカで生まれた初期の人類

アウストラロピテクスが生きていた時代に旅立ったものです。人類はこの頃から石器を使用し

たようです。



日本では丹沢山地の巨大噴火(250万年前)がありました。これは1707年の富士山・宝永噴火

に匹敵する大噴火で、当時は海だった関東平野一帯に火山灰が降り積もり、平野の土台を形

成する厚い地層の一部をつくったと言われています。



また約200万年前には、フィリピン海プレートにあった伊豆半島がアジアプレートにある本州に

衝突し、富士山が生まれたと言われています。



☆☆☆☆


「われわれはなぜ死ぬのか 死の生命科学」柳澤桂子著 より引用



36億年の間複製されてきたDNAは、私の生の終わりとともにその長い歴史の幕を閉じようと

している。その一部は子や孫のからだのなかで複製されつづける。36億年間書き継がれた

詩は、最後の一行を生殖細胞に残して私とともにこの世から消え去ろうとしている。



生命の歴史の一瞬に存在し得た軌跡を思うとき、私は宇宙のふところに優しく抱き上げられ、

ジプシー占いの水晶玉のように白く輝いて、宇宙の光に融和しつくすのである。



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年2月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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28年間使い続けている双眼鏡(勝間光学)



私が星に関心を持ったとき、最初に購入したのが本屋さんで売られていた安い望遠鏡だった。

でも都会近くで部屋の中から見えるものと言ったら月、土星や木星でしかなかった。



でも何故星空に関心を持ったのだろう。



それを思い出そうとしても思い出せない。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の影響があったかも

知れないが、はっきりそうだとは言えない気がする。たまたま通りがかった店先にこの双眼鏡

が置いてあり、そのデザインに一目ぼれしたことは確かなのだが。



でもこの双眼鏡を手に取ると28年間の思い出が甦ってくる。いろいろな旅のお供としていつも

連れて行った。そして多くの星達の輝きも瞳に映してくれた。



父親が船乗りだったから、私も小さい頃から船乗りに憧れていた。客船の通信士になって世界

一周できればと思っていた。その夢は叶わなかったけど、店の主人から航海士が使う双眼鏡

だと聞いて、私は迷わず購入していた。



双眼鏡マニアの人が直ぐに思い浮かべるのが、カールツァイス、ライカ、スワロフスキー、日本

ではニコン、フジノン、コーワ、キャノンだと思う。外国製の双眼鏡は一度も覗いたことはないが、

ニコンと較べても見劣りしない逸品だと思っている。



少し重量があるから長時間の観測には向かないけれど、質実剛健といった感じで28年経って

も未だに現役で活躍している。家では直ぐに見られるよう、いつも一脚に固定した状態で壁に

ぶら下げている。



人工的な光害によって夜の輝きが失われている現代では、夜空の本当の美しさを求めるには

都会を離れるしかない。思えば、日本でも100年以上前は何処にいても天の川が見られていた。



人間に何者かへの畏敬の念を感じさせるもの、それはネアンデルタール人とかホモ・サピエンス

に関係なく星空からもたらされたのではないかと、星空を見上げるときいつも想像してしまう。




(K.K)



 




2012年1月29日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



1月24日にノルウェーのGrotfjordで撮影されたオーロラです。

今年の1月23日昼(日本時間)、2003年以来という非常に強い太陽フレアが発生し、25日

未明地球の磁気圏に到達しこのような美しいオーロラの姿が現れました。



皆様がご存知の小惑星探査機「はやぶさ」が最初に故障したのも、2003年に起こった

太陽フレアによる磁気嵐によるものでした。



私自身一番見たいものは何か? と問われたら迷わずオーロラと答えるかも知れません。

いつか全天に広がり流れるようなオーロラを見てみたいです。



☆☆☆☆



「オーロラの彼方へ」星野道夫著 より引用します。



ある夜、友人とこんな話をしたことがある。私たちはアラスカの氷河の上で野営をしていて、

空は降るような星空だった。



オーロラを待っていたのだが、その気配はなく、雪の上に座って満天の星を眺めていた。

月も消え、暗黒の世界に信じられなぬ数の星がきらめいていた。時おり、その中を流れ星

が長い線を引きながら落ちていった。



「これだけの星が毎晩東京で見られたらすごいだろうなあ・・・・・夜遅く、仕事に疲れた会社

帰り、ふと見上げると、手が届きそうなところに宇宙がある。一日の終わりに、どんな奴だっ

て、何かを考えるだろうな」 



「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくる

ような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気

持ちをどんなふうに伝えるかって?」 



「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で

伝えたらいいのかな」 



「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・・・その夕陽を見て、感動して、

自分が変わってゆくことだと思うって」 



人の一生の中で、それぞれの時代に、自然はさまざまなメッセージを送っている。この世へ

やってきたばかりの子どもへも、去っていこうとする老人にも、同じ自然がそれぞれの物語

を語りかけてくる。



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年1月28日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




ホピ族の少女ナタリー(10歳)の言葉 1975年

出典は、「子どもの神秘生活」生と死、神・宇宙をめぐる証言
ロバート・コールズ著 桜内篤子訳 工作舎 からです。

背景の映像は「StarGaze」及び「Starry Night」から一部を
使っています。





空がわたしたちのことを見ていて、わたしたちの言うことを聞いてくれる。

空はわたしたちに話しかける。そしてわたしたちの返事を待っているの。

空には白人の神様が住んでいるって先生が言っていた。あなたたちの神

様はどこに住んでいるのでしょうって先生が聞くから、わたしは知りません

って答えた。だって本当に知らないんだもの! わたしたちの神様は空。

だから空のあるところには必ずいる。太陽も月もわたしたちの神様。それ

にホピ族の人たちも。わたしたちはここに住んでいなければならないの。

ここからはなれたら、神様もきえてしまうから。(中略) でも、白人はわた

したちの言うことに耳をかさない、自分たちの言うことしか耳に入らないっ

て、四六時中白人とつきあっているお父さんが言ってた(父親はトラックの

運転手であった)。おばあちゃんはね、白人は空をせいふくしようとしてい

るけど、わたしたちは空に祈りをささげるために生きているって。せいふく

しようとする人に話してもむだだから、白人の分もいのるしかないって。

だからわたしたちはただニヤニヤして白人に《イエス》ばかり言うのよ。

そしてあの人たちのためにいのるだけ」



ブラッキー(少女の愛犬)と散歩していたとき、空にけむりのすじを見たの。

ひこうき雲。いったいだれがのっているのかなって思った。わたし、ひこう場に

行ったことないんだ。学校で写真は見せてもらったことはあるけど。ブラッキー

と二人でひこうきにのっているところをそうぞうした、太陽にむかってどんどん

とぶところをね! そんなことしたらひこうきがとけちゃうって知っているよ。

太陽に近づくと、なんだってとけちゃうって学校で習ったもの。でもたましいま

ではとかせないよ! わたしたちはお日様やお星様に手をふるんだ。光を

おくってありがとうって。ずっとずっと前のおくりものを、いまわたしたちがうけ

とっているんだよね。わたしって空想するのがとくいなんだ! ホピ族のご

先祖様たちに会って、先のことを話したい。みんながまたいっしょになれる

ときのことを。川には水がたっぷり流れていて、お日様が地球のさむいとこ

ろをあたためて、すっごくあついところは少しのあいだあまりてりつけないよう

にする。そして世界の人が大きな輪にすわる。みんな、きょうだいってわけ! 

そのとき世界中の霊が出てきておどりくるう。星もお日様も月もよ。鳥たちも

地面にまい下りておどる。人間たちがそこらじゅうでおどったり、またすわって

輪をつくったり。輪はすっごく大きいから、メサの上に立って地平線のほうを

見ても、どこまでつづいているかわからない。でもみんなうれしそう。けんか

なんかしない。けんかするのは、まいごになって、先祖のことをわすれて、

わるいことをしでかすから。いつか、みんなが大きい輪になって手をつなげる

ときがくる。ホピ族だけじゃなくて、みんなよ。そうなったらほんとうに《いい》

んだよね。先生が良いこと、良いものの例をあげなさいって言ったことがあ

るの。ブラッキーはいいよ。だってだれもきずつけないもん。この世界もみん

なが大きな輪をつくれるようになったらいいね。ぐるぐる回りながら、世界中

の人がその輪に入ってきたらさ。



(K.K)



 




2012年1月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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「アライバル」ショーン・タン著 小林 美幸 訳 河出書房新社



私は絵本が好きだ。それは言葉ではなく沈黙を介して語ってくることがあるからだ。この「アライバル」

という絵本には一切の言葉はない。丹念に描かれた絵の一枚一枚の世界に、読者は自分の体験や

想像を膨らませ共有していく。



著者の父親はオーストリア出身でマレーシアからの移民だと言う。それを土台にした「アライバル」も

希望が見えない故国に妻・子供を置き見知らぬ国へ旅立つ物語である。いつかきっと再び一緒に暮

らせることを夢見て。



主人公が長い航海の果てに辿り着いた所は全く経験したことがない所だった。言葉・習慣・一風変わ

った動物、奇妙な浮遊体たち。それでも主人公はこの異文化の中で必死に生き抜こうとする。そして

出会った人たちも主人公と同じく故郷を離れなければならなかった人たちだ。



私自身も小・中高生の頃、父親の仕事の都合で転校を繰り返した。親友が出来ても直ぐに別れなけ

ればならなかったが、それを何度も繰り返していくと、友達を作るのが怖くなってしまう。それは同じよ

うな悲しみを二度と味わいたくないという想いが働いたのかも知れない。



この絵本を見ると遠い日の私を見るような気持ちだった。きっと単身赴任で見知らぬ土地へ行った

経験を持った方も、共感を持って本書に見入るかも知れない。



世界各国29の賞を受賞し、世界中に衝撃を与えたこの絵本は私の心にも衝撃を与えた。「生きること」

「生き抜くこと」、そして「希望を忘れないこと」を私はこの絵本から受け取ったように思う。



(K.K)



 

 






2012年1月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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母系社会

かつて日本人の祖先たちは、現在のインディアンのような母系社会の中で、精神的にも社会的

にも、そして未来への責任という意味でも均衡ある態度を選択することが出来たと感じられてな

らない。下は前に紹介した「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」から引用させていただ

きます。



☆☆☆☆



私がアメリカインディアンの世界観に惹かれる理由の一つは、このような母系制を軸としたもの

だからにほかならない。私自身が非嫡子だということと、私が育った時代に当然のようにあった

性の違いによる役割分担は、私が私という個性を生きる上で息苦しさを感じさせるものだった。



母は、望むべくして私を妊娠したわけではなかった。母は絶望のあまり自殺未遂もし、周囲の非

難の目にさらされながら、真実を誰にも話さず私を出産した。私の父にあたる人の家で、しばらく

暮らした母は、歓迎されざる雰囲気に耐えかね、ほどなく私をつれて実家に戻った。母が入院し

た時に、二歳にならぬ私を即座に他人の家に養女に出したのは、母の親族だった。



私と母の存在は、父系を是とする価値観の社会では忌むべきもので、親類たちは自分たちの目

の前から私の存在を消したかったのだと思う。私も母も、本来ならば協力し合って生きていかね

ばならない共同体の中から閉め出されたわけだ。彼女は、いまだにそのことを十字架のように

背負って生きている。



養女に行った先は、明治と大正生まれの夫婦の家庭だった。悪意はなかったのだろうが、そこ

で「女々しい」「女のくせに」「女だてらに」「女が腐ったようなヤツ」など、否定的なニュアンスを持

って「女性性」が語られることは、少女の頃に知った「非嫡子」という事実に上乗せするように、

自分自身が否定されて存在していると感じられた。そして、「女らしさ」という外側からの規制は、

シャボン玉のようにあふれてくる様々な夢を壊す針のように思春期の少女には思われ、フェミニ

ズムの世界に答えを求めたりもした。



成人し、アメリカインディアンの世界に出会った時に、シンプルに母なる地球の子どもの一人とし

て、私が私であってよいという地点に立てたのだ。それは、古代、地球上のどこにもあった生き

方だったろうし、私の意識の奥深くに眠っている「心のふるさと」に出会ったような感覚だった。

「母なる」ものを敬うアメリカインディアンの生き方を知ることは、「女性性」を生きる者への肯定

のエールとして感じ、ヒトが生きるということを、大きな生態系の中で考えるきっかけでもあった。



私がアメリカインディアンの地に行くということは、精神的な意味で、故郷に還るようなき持ちで

あった。そして、これまでの私の人生に起こったことが、このような出会いを生む必然だったの

だと思えて、感謝の念のようなものさえ私の内から湧いてくるのだ。



☆☆☆☆



(K.K)



 




2012年1月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」羽倉玖美子著



本書は映画「ホピの予言」を製作した故・宮田雪さんを通して出会った女性2人と子どもが、過去

の自分を見つめながら、新たな旅立ちの意味をかみ締める旅の記録です。



私自身何故もっと早くこの文献を読まなかったかと後悔しています。この文献の軽妙な語り口は

読者を一気に引きずり込ませる巧みさを持ち、そして何より人生や自分の心に対しての誠実さを

言葉の一つ一つに感じてならなかったからです。



この文献を書いたのはイラストレーターとして活躍する羽倉玖美子さんで、映画「ホピの予言」を

通して故・宮田雪さんと知り合います。この宮田雪さんの奥様がこの文献の協力者である辰巳

玲子さんで、「浄化の時代を迎えて―ホピの伝統に生きるマーチン・ゲスリスウマ氏に聞く―」を

収録した新しい「ホピの予言」DVDを出しました。マーチン・ゲスリスウマ氏は1995年、「神戸地震

について、日本の人たちへ伝えたいこと」というメッセージを「ホピ的感覚」で残しています。



この辰巳さんのお嬢さんを含めて女性3人でホピに向かいます。ホピではホピの予言を守る長老

たちとの旧知の出会いや、それを陰で支えてきた女性たちの姿、儀式、遺跡が語られますが、ま

るで読者もその場に居合わせたような錯覚を覚えるのは、イラストレーターという職業を通して、

真剣に表現方法を模索してきたからでしょう。



また辰巳玲子さんも、ご主人(宮田雪さん)が倒られてからその介護に長年関わってきましたが、

結婚される前にも映画「ホピの予言」製作過程でも宮田雪さんを支えてこられました。あるがまま

の着飾ることのない二人の女性の生き様がここに描かれており、心に残る素晴らしい文献でした。



(K.K)



 

 

2012年1月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)にリンクしました。



遺伝子組み換え作物を強要する、モンサント、TPPに断固反対します。




2012年1月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





ホピの祈り(予言)です。



背景に流れる映像は「イブ ボディー・アンド・アース」(2003年作 76分)

から引用させていただきました。



この「イブ ボディー・アンド・アース」はカナダの映像作家ニ-ル・セント・

クレアが、カナダ、アメリカ、カリブ海をはじめ60ヵ所以上を3年以上の

撮影で完成させたものです。



映像詩の主人公「イブ EVE」は、アメリカ・インディアンが残した岩絵(ペト

ログリフ)を背景に魂の伴侶を求めて旅に出るという構成になっています。

また、それぞれの章には、バイロンからチベット「死者の書」、ワーズワース、

シェリー、ディキンソン、道教、マザー・テレサ、ブッダ、ガンジーなどの意味

深な9つの言葉(詩)が紹介されているとても感銘深い作品でした。



この映像詩の一部を背景映像とし、私の心に残ったホピの祈りと予言を紹介

します。



予言と聞くと多くの人が恐怖を煽り立てるものと感じるのも当然かと思います。

しかし、1000年の長きに渡りこの予言を守るために、祈りを捧げてきた民のこ

とを、その意味を少しでも多くの方に知ってもらいたく作りました。



「ホピの予言」について詳しくは他のサイトを見ていただけたらと思います。



(K.K)



 




2012年1月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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写真は、デニソワ人(Denisova hominin)を想像したもの。

2008年、シャーマニズムの発祥の地ロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟において発見される。



☆概要(ウィキペデリアより要約)



デニソワ人の化石は約4万1千年前のものとされる。80万4千年前に現生人類であるホモ・サピエンス

の共通祖先から、ネアンデルタール人・デニソワ人の祖先が分岐。64万年前(35万年前の説もある)

にネアンデルタール人から分岐した人類で、現在のメラネシア人のゲノム(遺伝情報)の4〜6%が

デニソワ人固有のものと一致している。



つまり、40万〜30万年前にアフリカを出、中東を経てヨーロッパに拡がった集団がネアンデルタール

人に、中東を経てアジア内陸部に移動した集団がデニソワ人になった。それに遅れて6万〜5万年前

にアフリカを出た我々現生人類の祖先は、中東やアジア内陸部で先住者のネアンデルタール人や

デニソワ人と交雑しながら全世界に拡がり、現在に至った。



☆個人的感想



最初に書いたシャーマニズムの発祥の地と言われるロシア・アルタイ地方は、デニソワ人が約4万年

前まで生きていました。



実は不思議な文献があります。それは「ベロボディアの輪 シベリア・シャーマンの智慧」オルガ・カリ

ティディ著です。私にはこの文献の信憑性を確かめる術もないのですが、デニソワ人の存在が明確

になったのは2008年、この文献が出版されたのがそれより10年以上も前のことです。ただ以前から

このアルタイ地方はシャーマニズム発祥の地として知られていましたのでそれを加味しながら、この

文献の引用をお読みいただけたらと思います。正直私自身これをどのように解釈していいかまだわ

からないのです。



「以来、多くの集団がシベリアに彷徨いこみ、消滅した文明の神秘的なパワーに影響された。アルタ

イ地域は新しい文化誕生の沸騰する大釜となった。人々の流れがそこから分離し、多くの異なった

方向へと遠くまで広がっていったのだ。その流れの一つが現代のイランの領域へと辿りつき、そこで、

かれらが携えていった聖なる知識がゾロアスター教として誕生した。後にこれと同じな流れがその知

識の多くをキリスト教へと伝えた。別の流れは現在のインドやパキスタンへと移住し、その地での社会

の確立がヴェーダーンダの伝統の富を生み出した。最初の知識の場にシャンバラの名前を与えた

タントラ仏教は何世紀にも亘って、その知識と直接的な交流を果たした。西に赴いた人々は、ケルト

人として知られるようになり、ドルイド教の儀式を通して、共通の源に結びつけられた。このように、

アルタイに発するこの古代文明の神秘的遺産は世界中の多くの偉大な宗教の最初の源泉となった

のだ。これらのさまざまな伝統の内部には、それぞれベロボディアと直接触れたことのある人間が

つねに存在していた。」

引用終わり



先にも書きましたが、現在のメラネシア人のゲノムの4〜6%がデニソワ人固有のものと一致していま

すが、人種的にはオーストラロイドと混血したモンゴロイド系の民族です。東部のメラネシア人社会で

は超自然力(マナ)を信仰しており、すべて形あるものに精霊が宿ると信じられていましたが、ハワイ

先住民のカフナにも超自然力(マナ)が存在します。詳しくは最近の自己啓発ブームの中で突然現れ

てきた簡略版の「ホ・オポノポノ」ではなく、「原典 ホ・オポノポノ 癒しの秘法」マックス・F・ロング著を

お読みいただけたらと思います。



デニソワ人はネアンデルタール人から分岐したらしいですが、シャーマニズムと密接な関係と言いま

すか、シャーマニズムはデニソワ人から世界に広まったと思うのが妥当ではないかと感じています。

前に投稿したネアンデルタール人もそれに似た世界観を持っていたと推察していいのではと思いま

す。64万年〜35万年前に既に人類は、ロジャー・ウォルシュが「シャーマニズムの精神人類学」で言

うように、「この人類最古の宗教的・神秘的・医学的・心理学的伝統に関しては、まだまだ多くの謎が

残されている。シャーマニズムについて探求すればするほど、人間の体、心、魂について認知されて

いない側面や可能性があることがわかる。何千年もの長きにわたり、シャーマニズムの精神は、人類

を助け、癒し、導いてきた。それはこれからも、さらなるものを与えてくれるかもしれない」と感じてなり

ません。 



発掘などで得られた情報を基に太古の世界をいろいろ想像してしまいます。

次回は「ホピの予言」に戻りますが、整理したいのでしばらく時間をください。



(K.K)



参考文献

「アナザー人類興亡史 人間になれずに消滅した傍系人類の系譜」

「生物の進化 大図鑑」マイケル・J・ベントン他(監修)

「日本人はるかな旅 展」国立科学博物館 NHK

 




2012年1月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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写真は、DNA情報に基づき復元されたネアンデルタール人の女性です。

「存在を否定する人と存在を受け入れる人、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人」という題で

投稿します。



最初に今までわかっているネアンデルタール人に関する共有されている説の紹介と、それを根

拠にした私の妄想・暴論が続きます。



☆現在共有されている説



●約20万年前(ミトコンドリア・イブとほぼ同時期)に出現し、2万数千年前に絶滅した。

●ネアンデルタール人の脳容量は現生人類より大きく、現生人類と比較しても遜色のない知能

を有していた可能性がある。

●外見上では現生人類(ホモ・サピエンス)より顔が大きく、特に上顔部が前方に突出した突顎

であるが、写真で見てもわかるように大きな違いはない。

●何故絶滅したのか、はっきり特定は出来ていない。

●ネアンデルタール人の遺骨の近くには数種類の花粉があり、これは死者を悼む心があり、

副葬品として花を添える習慣があったと主張する人もいる。

●ヨーロッパの洞窟で発見されたフルート(人類最古の楽器)は年代的にネアンデルタール人

が作ったと主張する人もいる。

●2010年、現生人類には絶滅したネアンデルタール人の遺伝子が1-4%混入しているとの研

究結果が発表された。つまり単一起源説(ミトコンドリア・イブ)への疑問が浮上。



☆私の仮説(妄想・暴論)から先に書きます。



「ネアンデルタール人は今の先住民の特質(存在を受け入れる人)の原形であり、自然と共生

する世界観を有していた。また「人を殺すための武器を持ってはならない」ことを何らかの理由

で実践していた。一方、存在を否定する人(現生人類)は共生する世界観を否定する傾向を

特徴としていた。ネアンデルタール人の絶滅の原因はこの非暴力、並びに現生人類が持ち込

んだ感染症によるものだった。これは虐殺と共に白人が持ち込んだ天然痘などにより、免疫を

持たなかったインディアンの9割が死亡したことと共通する。



外見上、現生人類と大きな差がないネアンデルタール人と現生人類に交配があった可能性は

極めて高く、最近の研究でも裏づけられている。しかし、ネアンデルタール人は上記の理由で

ほぼ絶滅し、交配によって辛うじて現生人類の遺伝子の中にのみ刻まれた。このネアンデル

タール人の遺伝子を何らかの形で意識まで吸い上げたのが先住民族であり、その「存在を受

け入れる」先住民の世界観は世界各地で花開くこととなる。



しかし「存在を否定する」傾向の強い現生人類は自然・他者を支配しようとし、その憎悪の矛

先は自分自身へ向かい社会的・精神的な各種の病を生み出す。その混沌とした状況で生ま

れたのがイエスであり、「存在を否定する」傾向のある世界観を変えようとする。聖書が説く

「隣人愛」と「原罪」の意味はここにある。しかし現生人類は社会の安定のため外見上はキリ

スト教を容認するが、心の本質(原罪)は変わっておらず、2度目のネアンデルタール人への

虐殺(先住民虐殺)へと向かうことになる。



以上この仮説を通して私は、単一起源説(ミトコンドリア・イブ)に異を唱えるものであり、遺伝

子が消失或いは辛うじて残っている「存在を受け入れる」特質を有したネアンデルタール人も

同様に私たちの祖先として位置づけられることを願う。それはこの祖先が、私たちがどのよう

な未来を築くべきかの方向性を与える一つの座標として存在することをも意味しているからで

ある。」



☆後書き(仮説に至る経緯)



ここまで書いて自分が嫌になってきました。私の仮説はネアンデルタール人が善良な人々で

あったと美化しそれを前提としていますが、それを明確に証明するものは発掘されておりま

せんし、先住民という定義も曖昧であり他の宗教の生い立ちも省かれています。私よりも皆

さんの方が妄想と感じておられると思いますが、この妄想に至った出発点が二つあります。

科学的な側面では、ミトコンドリア・イブの子孫たちが、同時代に生きていたネアンデルタール

人などと交配することなく世界を席巻したと考えるのは余りにも不自然だからです。外見上

そう変わらないネアンデルタール人と現生人類に交配があったと考える方が極めて合理的

であり自然です。これはDNA解析技術が進歩していくと共に真実が明らかになってくるのか

も知れません。



精神的な側面では、キリスト教の言う「原罪」と先住民が共有していた「世界は美であり、私

たちは喜ぶために生きている」の大きな世界観の違いです。勿論、その土地の風土によっ

て宗教の形は変わってくるかもしれません。しかし両者には何か根本的な、というか根源的

な違いも感じるときがあります。この二つの疑問を通して、私はその答えを単にネアンデル

タール人に求め、軽薄に出した結論が上のものですが、いつかこの仮説とは異なるものを

見いだすかも知れません。



一人の馬鹿が導き出した妄想と捉えて頂けたら幸いです。またこの文章で不快な思いをさ

せてしまいましたら申し訳ありません。ただ、まだ全体像そして絶滅した原因が不明なネアン

デルタール人に少しでも関心を持っていただけたらと思い投稿しました。



今後の発掘調査によって私の想像とは180度異なったネアンデルタール人の実像が明らか

になる可能性もあると思いますが、どのような発掘であれ死者の魂を傷つけないような態度

で接することを願っています。



(K.K)



参考文献

「アナザー人類興亡史 人間になれずに消滅した傍系人類の系譜」

「生物の進化 大図鑑」マイケル・J・ベントン他(監修)

「日本人はるかな旅 展」国立科学博物館 NHK

 




2012年1月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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ホピのシールドマーク。

全ての人種(黄、赤、白、黒)をひとつにして大地といのちを守り、この地球のバランスをしっかり

と保つ、という意味が込められています。



ホピの預言(予言)に関する文献は何冊かあり、それぞれ得るところは多いと思います。下に文

献を紹介しますが、この他に前に紹介したドキュメンタリー映画「ホピの予言」を製作した「ランド・

アンド・ライフ・ジャパン」のサイトも見ていただけたらと思います。

http://hoshimeguri.com/landandlife/



☆☆☆☆



「ホピ 神との契約 この惑星を救う テククワ・イカチ という生き方」

この惑星を救う テククワ・イカチ という生き方

トーマス・E・マイルス+ホピ最長老 ダン・エヴェヘマ

林陽訳 徳間書店



「生命の始まりから浄化の日まで ホピ物語」 

ダン・カチョンバ(ホピ・太陽一族)

北山耕平訳 ランド・アンド・ライフ発行 非売品




「ホピ ・ 宇宙からの予言」 

ルドルフ・カイザー著 林陽解説 木原悦子訳 徳間書店



「ホピ・宇宙からの聖書」

フランク・ウォーターズ著 林陽訳 徳間書店



「ホピ的感覚」

預言された「浄化の日」のメッセージ 

小原田泰久 著 KKベストセラーズ



☆☆☆☆



「ホピの予言」に関する文献以外にも、ホピに関する文献はあります。



☆☆☆☆



「ホピの太陽の下へ 女三人、アリゾナを行く」 

羽倉玖美子 著 辰巳玲子 協力 野草社



「蛇と太陽とコロンブス」

アメリカインディアンに学ぶ脱近代 

北澤方邦著 農文協



「ホピ・精霊たちの台地」

アメリカ・インディアンからのメッセージ 

青木やよい著 PHP研究所



「子どもの神秘生活」 

生と死、神・宇宙をめぐる証言 

ロバート・コールズ著  

桜内篤子訳 工作舎



「ホピの聖地へ」

知られざる「インディアンの国」 

北沢方邦 著 東京書籍



「ホピ銀細工」 

マーガレット・ライト著 

岡山徹・監訳 仁井田重雄・訳 バベル・プレス



「ホピの国へ」

アメリカインディアンに学ぶ 

青木やよい著 廣済堂文庫



「蛇儀礼」 

北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ 

アビ・ヴァールブルク著

加藤哲弘訳 ありな書房



「輝く星」 

ホピ・インディアンの少年の物語 

ジョアン・プライス著 北山耕平訳 地湧社



☆☆☆☆



(K.K)


 
 






2012年1月16日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

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ホピ・インディアンの長老で、アメリカ先住民族運動の精神的リーダーのひとりであるトマス・

バニヤッカ
(Thomas Benyacya 1999年他界) の紹介と言葉を書きます。

写真では左側に写っている方がトマス・バニヤッカです。



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」ウォール&アーデン著 築地書館から引用します



☆☆☆



1948年、第3メサの長老たちは、トーマス・バニヤッカを含む4人の若者を、自分たちの

「耳と舌」となるように選んだ。この4人の若者の役目は、ホピの予言に伝えられている恐

ろしく深刻な警告を外の世界に広めることだった。



ホピの予言には、「ハウス・オブ・マイカ(国連の意)」と、「灰のつまったヒョウタン(原子爆

弾)」が登場しており、人間が破壊的な生き方を変えない限り、避けることのできない大火

災--- 清め ---が起きるであろうとのメッセージがこめられている。



この予言を伝える4人の使者のうち現在生きているのは80代半ばのトーマス・バニヤッカ

ただ一人であり、彼はまた伝統派のインディアン運動におけるスポークスマンの一人でも

ある。(中略) 



「この土地で起こっている問題の原因は、鉱業界の連中がこの地に眠る石炭が欲しいた

め、いやそれ以上に、核兵器の原料、ウラニウムを手に入れたいからなのだ。ホピの予

言には、核兵器のことが伝えられている。それは灰の詰まったヒョウタンと呼ばれ、白人

があちらこちらへと飛ばし合い、そのうち誰にも消すことのできない炎を空一面に広げて

しまうものだ。



もしおまえさんたちが今やっている行いを正さなければ、自然そのものが手を下すことに

なるだろう。どうすることもできない強力な“力”が現れるのだ。ホピの予言に伝えられて

いる“最終段階”が今なのだ。近年各地で起こっている地震、噴火、火災、ハリケーンの

数々 ---これは最後のしるし、最後の警告なんだ。地球はすでに最終段階に入っている。



ホピの予言によると、最終段階では白人がインディアンの土地を盗むことになるらしい。

予言に伝えられたことは、すべて現実となっている。私たちは祈りと瞑想を通して、この

世界をあと少しの間、破壊しないでくださいと偉大なる精霊に頼んでいるのだ。だが、白

人への罰はすでに下されつつある。浄化はもう始まっているのだ。(中略) 



平和で調和のとれた暮らしを、この大地とすべての生命との調和を保てる暮らしをさせ

てくれ。世界の調和を保つには、祈りと瞑想しかないのだ。



ホピの予言では白人について、こう伝えられている。もともと白人は私たちの兄弟であり、

東の方角へ旅立っていったのだ。白人はそこで発明について学び、みんなの生活を向上

させるためにそれを持ち帰るはずだった。そうすれば、白人は私たちの精神の輪を完成

させられるはずだったんだ。しかし、白人は輪のシンボルを持ち帰りはせず、代わりに

十字架を持ち帰った。



輪は人々を引き寄せ、十字架は人々を引き離す。十字架は分裂を引き起こすものだ。

白人はインディアンたちを十字架のように引き離してしまいたいのだよ。奴らは私たち

をつるしたいのだ--- ウラニウムでできた十字架に!」



☆☆☆☆



僕はマルコス政権下のフィリピンを訪れたことがある。この旅で未だに忘れられない言

葉がある。先の大戦中、両親を日本兵に殺されたその男性はこう言った。「私はずっと

日本人を憎んできました。でもあなた達がここに来ることを聞いて、私は許すことができ

るよう一生懸命神に祈って、やっと来ることができました」



彼の目には憎しみはなかった。先の大戦は僕たち世代が関与したわけではない。しか

し、同じ日本人が起こしたことと、それに苦しめられてきた人のことを無関係と呼ぶこと

は僕には出来ない。



これはキリスト教にもあてはまると思う。何故この悲劇が起こったのか、必死になって

その原因を探り感じなければならないと思う。



トマス・バニヤッカ氏の心の叫びを僕がどれほど汲めるのか甚だ疑問だ。しかし彼の

言葉が自分とは無関係だと思いたくはない。



(K.K)


 




2012年1月15日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

写真はホピ族に与えられた予言の岩絵です。この岩絵が何を意味しているのか、ドキュメンタリー

「ホピの予言」と「生命の始まりから浄化の日まで ホピ物語」から引用します。最初に言っておき

ますが、今後起こる悲劇を避けるべくホピは長年に渡って警告し行動してきました。過去から現在

に至るまで沢山の予言があると思いますが、自分達に与えられた使命を900年も守ってきた方た

ちの言葉には重みがあると感じられてなりません。



ドキュメンタリー映画「ホピの予言」
人類滅亡・核時代の最終予言
アメリカ・インディアン最古の民に伝えられていた核時代の最終予言より引用



☆☆☆



ヒロシマ、ナガサキに投下された原子爆弾は、アメリカ・インディアン最古の民、ホピ族の聖地から

掘り出されたウランから造られたものだった。



その彼らの間には、数千年の昔から、偉大なる聖霊から与えられた謎の予言の石版がある。そし

て、そこには驚くべきことに「灰のびっしりつまったヒョウタン」と呼ばれたヒロシマ、ナガサキの原爆

投下を始め、第一次、第二次世界大戦、更には、来たるべき人類とこの文明の破滅と再生が予言

されているのだ。



いま、彼らは、その予言の中に告げられた人類存亡の最終的危機と、それを乗り越える道を、世界

の人達に映画を通して訴え始めたのだ。



この映画は、監督の宮田雪が、ホピ族を代表する予言のメッセンジャー、トーマス・バニヤッカに出

会ったことによって始まり、約七年の歳月を経て、完成した。第十二回のアメリカ・インディアン・フィ

ルム・フェスティバルで最優秀ドキュメンタリー大賞を受賞し、日本ばかりでなく、アメリカ、ヨーロッパ

でも上映され大反響を呼んでいる。1986年作



☆☆☆☆



「生命の始まりから浄化の日まで ホピ物語」 ランド・アンド・ライフより引用



☆☆☆☆



この絵は西暦1100年にホピに最初に与えられ、オライビ近くの岩に描かれた有名なロードプラン

である。このとき以来、オライビとホテヴィラの指導者たちは、絵を定期的に参照してきた。



左下の人物は、右手にたいまつをもつマサウである。左手には、数千年昔、ホピが地上に出るの

に通った「アシ」を握っている。



アシの右に見える円は第四周期を示している。



長方形は地上世界への脱出口、「シパプ」。長方形から伸びる上の線は多くの人が従う物質的な

道である。手をつないでいるのは、彼らが物質的な生き方で結束していることを表わす。波線の

示す「混沌」がその結末である。



ホピが従うように命じられている道が、下線に示されている。それは伝統派の歩む狭い道で、トウ

モロコシ畑に立つ長老で終わっている。彼は、忠実な者たちに約束されている平和と繁栄の象徴だ。



この線沿いに、三つの円と縦線が見える。三つの円は預言された大きな世界戦争である。最初の

ふたつはすでに終わり、最後のひとつはまだ来ていない。最初のふたつの円に続いて、上下の線

を結ぶ縦線がある。それは誘惑にはまって進歩派になり、古来の信仰を捨てる人々の分離を預言

している。それが三つ目の円の前に来ていることに注目したい。



ロードプランは、警告と希望の前兆、両方の意味を持つもので、計画すべきことを告げるものだ。

ロードプランは、オライビでの記念すべき最初の会合において、マサウみずからシンボルを刻んだ、

小道の石とも関係している。これらのシンボルを調べる際には、いずれも大量の情報を含んでい

ること、そして、ホピの指導者たちは象徴を指しながら、長く完全な話を民に伝えられることを知る

必要がある。



☆☆☆☆



★★★★
前回も書きましたが、「予言」と書くと恐怖を煽り立てるものと不審に思われるのは当然かと思い

ます。ですから、Facebookで私と友達であっても遠慮なく削除してください。また今後、皆様へご

迷惑をおかけしたくないので、私のほうから皆様の投稿に対してコメント、そして「イイネ」はしま

せん。
★★★★



(K.K)


 




2012年1月14日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

デキストラ(ホピ族の著名な女性陶芸家)の作品です。

これから暫く太古の昔からインディアン・ホピ族が守ってきた予言に関する投稿をします。多くの

人が「予言」と聞くと恐怖を煽り立てるものと不審に思われるのは当然かと思います。ですから、

Facebookで私と友達であっても遠慮なく削除してください。また今後、皆様へご迷惑をおかけした

くないので、私のほうから皆様の投稿に対してコメント、そして「イイネ」はしません。私としては、

今後もホピの予言を軸に、キリスト教(前の投稿を読まれてください)や星空・チェスなど関心ある

ことをジョークを交えながらありのままの自分で書いていきます。



デキストラ(ホピ族の著名な女性陶芸家)の言葉

「インディアンの夢のあと」北米大陸に神話と遺跡を訪ねて

徳井いつこ著 平凡社新書 より引用



☆☆☆



巡礼というのかしら、ホピではいまでも定期的に遺跡を訪ねて捧げものをしているでしょう。「そう。

自分自身をきれいに拭うために。そして“思いだす”ために。記憶を新たにするために。われわれ

がどこから来たか? 誰であるのか? 自分自身を霊的に新しくする作業なのよ。・・・・本当は、

遺跡だけではない。地球上のどこであれ、神聖な場所。どこにいても、あなたがひとりでいて静か

であれば、創造主と話をすることができる。いつでも、どこでも、創造主の助けが必要なときは。

だって、あなたが何を感じているかを知っているのは、彼ひとりだけ。創造主、グレイト・スピリット。

彼を見た人はいない。それでも、どこにいても直接話ができる。われわれは創造主のことを“イタナ”

と呼びます。“お父さん”という意味」 (中略) 「そう。ずっとずっと昔、何百年も前からホピの先祖

は言い続けてきたのよ。<何もかも失うときが来るだろう。白い人たちがやってきて、すべてが根こ

そぎにされてしまうだろう。そのときあなたにできることは、ただひつつ。“思いだす”こと。自分が誰

であるのか、どこから来たのか、いつも心に留めていること>と」 自分が誰であるかなど、知ること

ができるでしょうか。私は、自分が何者であるかを知りません。デキストラは知っていますか? 「自

分が何者であるかを知るということは、自分自身をいつも油断なく見張っている、ということ。<周囲

で起こっていることのなかに没入してしまわないように注意しなさい!>と先祖は言った。<起こって

いることから距離をとって、ひとりで歩むこと>と。先祖はずっと昔から、来るべき時代のことを知って

いたのよ。<カップのような物体がもの凄い速さでそこらじゅうを走りまわるだろう。光がついて中に

は人間が乗っている>。これは車のこと。<われわれの頭上、空一面に、たくさんの蜘蛛の巣が張

りめぐらされるだろう>。これは飛行機のこと。<われわれの世界は、ふたつの黒い板に挟まれた

白い物体によってまったく変わったものになってしまうだろう>。バイブルのことよ」 予言の一部です

ね 「そう。<子どもたちは親や年よりを二度と敬わなくなるだろう>。知ってのとおり。若い人たちは、

ホピにおいてさえ、まったく過去を敬おうとしない。私にとって過去は、かけがえのないもの。価値あ

るもの。古い時代の古い人々の生き方のなかには、多くの真実が含まれている。昔から人々は、

<大地のめんどうを見るように>と言いえてきた。<自然を壊すことがあれば、必ず何かが起こる>

と。それがいま起こっている」 「ホピに来るたびいつも感じるのは、地球、自然の古さということ。風

に磨かれた岩の魂ひとつ、水に削られた渓谷ひとつ・・・・・・・・どれをとっても人間がつくったどんな

遺跡よりもずっと古い。多くの神話や物語は、そうした“古きもの”と人間とのつながりについて語って

いる。プエブロには昔からストーリーテラーと呼ばれる役目の人がいて、物語を続けることで、“古き

もの”に結びつけられた人間の姿を繰り返し確認するという機能を果たしてきた。物語を失ったわれ

われは、自然との絆、過去と未来との絆を失って、風のまにまに漂っているわけです」 「私が子ども

のころ、まわりにいる大人は誰でも物語を話してくれた。冬は暖炉のまわりで、夏は屋根の上に寝そ

べって。土の家は蒸し暑いから、みんな屋根に上がって眠るの。ブランケットもなし。ただ寝転がるだ

け。落ちていきそうに深い夜空を覗きこみながら、たくさんの話を聴いた。この世界のありとあらゆる

ものについての物語。太陽、月、鹿、蛇、蟻、鷲、・・・・悲しくて泣いてしまう物語もあった」 (中略) 

ホピ居留地内には小学校が六つと、中学、高校が一つずつありましたね。昨日、ホピ・カルチャーセ

ンターで見かけた高校生の卒業パーティーはずいぶん華やかだった。みんなタキシードとかドレスを

着て、酔っぱらっている子もいたみたい 「そう、高校生はひどい。煙草は吸うし、マリファナもやる。

サンタフェとか都市の学校に通っていた子が戻ってきて、そういうことの中心になる。若い子がそんな

だから、儀式に参加する人がどんどん減ってくる。カチーナ・ダンスを続けていくのも大変なのよ」 

将来に絶望している? 「絶望はできない、あきらめることはできないのよ。われわれは子どもたちに

伝え続けなければならない。しかるべき年齢になれば、たぶん、気づくときがくる。われわれにできる

のは、話すことだけ。人生をつくるのはお前たち。お前たち自身の選択なんだよと」



☆☆☆



(K.K)


 




2012年1月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

プロテスタント運動の先駆者ヤン・フスと、その時代のチェス

先に「聖ベルナデッタ」バチカンのことを書きましたが、バチカンには闇が漂っていた時代が

ありました。その時代に行われた多くの悲劇は私よりも皆さんの方がご存知だと思います。こ

の闇で覆われていた時代とチェスのことを少し書いてみたいと思います。

写真はヤン・フスで、以下Wikipedia より引用抜粋します。



☆☆☆

ヤン・フス(Jan Hus, 1369年 - 1415年7月6日)は、ボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者。

彼はジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手した。彼の支持者はフス派として知られ

る。カトリック教会はそうした反乱を許さず、フスは1411年に破門され、コンスタンツ公会議に

よって有罪とされた。その後世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された。



フスはプロテスタント運動の先駆者であった。その広範な書物により、彼は、チェコ文学史に

おける突出した立場を得た。彼は、一つの記号でそれぞれの音を表すため、チェコ語の綴り

に特殊記号を使用し始めた人でもある。今日、ヤン・フスの言葉はプラハの旧市街広場で見

ることができる。



引用終わり

☆☆☆



ヤン・フスはチェス愛好者でした。しかし、処刑前そのことを後悔している記述があります。ヤン

・フスから100年後に生まれたアビラの聖テレサ(1515年〜1582年)も「完徳の道」という現代で

もカトリック霊性の最高峰と言われる本の中で、チェスにたとえた美しい話を書きますが、後に

削除することになります。これは当時のカトリック並びに修道院の中では世俗的な楽しみを極

端に排斥しようとしていた空気を感じ取ったからだと言われています。



前の「ケンブルの滝」でも紹介したモーリス・ズンデル神父は、「キリスト信者の徳とは、禁欲主

義の固い綱の上での曲芸ではない。キリスト教の徳とは、もし私たちが自分のすべての能力

の中にキリストを生きさせるなら、私たちをとおしてすべての人類にご自身を与えられるキリス

トのいのちである。大切なのは私の救いではなく、私たちの手の中に託された神のいのちなの

である。キリスト者の召命は神の顔となること。教会とは私たちであって、自分が生きた福音と

なる責任を感じながら、一人一人が他の人々にとって神の顔となるように努めるなら、今日の

世界には喜びがあるであろう。人が救われるのは説教によってではなく、現存によってである。

そしてこの現存は人間の顔をとおしてしか現れない。太陽が歌うステンドグラスになろう!」と

言っています。



もしズンデル神父のような視点が、当時のカトリックやバチカンの多くの聖職者に共有されて

いたら数多くの悲劇は避けられたかも知れません。話は少し飛躍しますが、第2バチカン公会

議(1962年〜1965年)で指導的な神学者であったカール・ラーナーは「無神論と暗黙のキリスト

教」の中で次にように書いています。



☆☆☆

「暗黙のキリスト教・・・・これは無記名のキリスト教と言いかえてよい・・・・とは、義とされ恩寵

のうちに生きていながらも、まだはっきりと福音が説かれるのに接したことがなく、したがって

おのれを「キリスト信者」と呼ぶような立場にない人間、そのような人間の状況を言いあらわ

すものである。あとで詳しく述べるように、このような人間が存在することは神学的に疑いよ

うがない。このような状況を「暗黙のキリスト教」と呼ぶべきかどうかは第二義的な問題である。

しかしこのような表現の真に意味するところが理解されたならば、先の問いにたいしてなんの

躊躇もなく肯定の答えを与えることができるであろう。 (中略) つまり公会議は、正常な大人

において、無神論が自覚的にかなり長い期間にわたって(極端な場合には死にいたるまで)

保持されていても、そのことは当の不信仰者が道徳的に罪過があることを立証するものでは

ない。(中略) 第二に、一般的なキリスト教の原理からして、われわれは、このような無神論

者が神の前において明らかに重大な罪過を犯している、などと裁く権利を有していないので

ある。」

☆☆☆



この流れを汲む現在のカトリックは、幸い人間活動の多様性の否定を引きずってはおりませ

ん。第2バチカン公会議より前の時代ですが、偉大な法王として今でも語り継がれているレオ

13世(1810年〜1903)はチェスの名局を残しておりますし、アウシュビッツで身代わりとして亡

くなられたコルベ神父もチェスの愛好者で神学生を相手にチェスを楽しんでいました。現代で

は故・マザー・テレサもインドの青少年チェス大会に出席し、表彰状を授けています。このこと

を思うと、ヤン・フスが生きていた時代の世界・カトリック教会には想像を絶するような閉塞感

が漂っていたのかも知れません。



ヤン・フスが生きた時代に船出した星の光が、今地球に届いています。ペルセウス座のメロット

20(散開星団)です。この散開星団は望遠鏡には不向きで、双眼鏡で見るのが適しています。



またペルセウス座にはアルゴルと言って「悪魔の星」と呼ばれていた星があります。アラビア語

のラス・アルグル「悪魔の頭」からきた名前ですが、アラビア人はときどき明るさを変えるこの星

を「最も不幸で危険な星」と呼んでいました。しかし、この食変光星の変光のメカニズム(明るい

星のまわりを暗い星が回っていて、暗い星が明るい星の前を通過するときに暗くなる)を提案し

たのは、イギリスの若者グッドリックでした。彼は、耳が聞こえず口もきけないという不自由な体

をおして1782年から翌年にかけてアルゴルの変光を熱心に追い続けたのです。1783年にロンド

ンの王立協会で研究成果を発表し、協会はコプリ・メダルを授与し、1786年4月16日には王立協

会会員に選出しましたが、グッドリックはわずか4日後に肺炎により22歳の若さで他界しました。



(K.K)


 
 


2012年1月13日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

約3億年途切れなく続いた遺伝子の継承 イチョウの樹

写真は、厚木市愛甲の熊野神社に立っているイチョウの大木です。僕にとって、樹というものは

自分を包み込んでくれる特別な存在かも知れません。



昔とある本に、樹に聴診器を当てると水分を吸う音が聞こえる、と書いてありました。疑うことを

知らなかった純真な僕(?)は、早速友達のお医者さんに「聴診器欲しいんだけど」とお願いした

ら、怪訝な表情をされました。「おい、俺の今までの品行方正さはお前が良く知っているだろう。

医者のくせにふざけた想像するなよ」(なんて言えるわけがない)。僕は丁寧に動機を説明し手

に入れることが出来ました。



確かに木に聴診器を当てると音がします。後で調べて解ったことですが、これは樹が水を吸い

上げる音ではなく、風が枝や葉を揺らしている音、地面を伝わってくる車や川の流れなどの音

のようです。現代科学が僕の夢を叩き割った瞬間でしたが、それでも立ち上がるのが九州男児

というものです(意味不明)。



話は変わりますが、ブラジルのインディオの世界観に「「この木が天をささえている。わたしたち

の部族がほろびる日が来たら、わたしはこの木を引きぬくだろう。わたしがこの木を引きぬけば、

天がくずれ落ちてきて、あらゆる人々が姿を消す。すべての終わりが来るのだ。」というのがあ

ります。先の投稿(ユングとホピの太陽の儀式)と同じように神話に横たわる深い意味を感じた

いです。



最後にインディアンの言葉と、悩んでいた青春時代に読んだ「生きがいについて」の中の文章を

抜粋引用します。「生きがいについて」を書かれた神谷美恵子さんは、ハンセン病(昔のらい病)

の患者の治療に生涯を捧げた精神科医でした。



☆☆☆☆



木に話しかけて
メアリー・ヤングブラッド(アリュート族、セミノール族)
「風のささやきを聴け」より引用



わたしはチュガチ・アリュートとセミノールの血を引いていますが、赤ん坊の頃に、インディアンで

はない両親に養女として引き取られました。両親はわたしにすばらしい家庭を与えてくれましたが、

インディアンが白人社会に溶けこむのは容易ではありませんでした。アリゾナでの小学校四・五年

のとき、わたしはクラスの子どもたちからたたかれたり、髪を引っぱられたり、胸をつねられたりし

ました。まあ、子ども特有の残酷さとでも言いましょうか。そんな子どもたちから逃げ出しては木の

茂みに身を隠し、暗くなってから家に戻ったものです。わたしは自分がインディアンであることがうら

めしくてたまりませんでした。お風呂に入って、石鹸で茶色い肌の色を洗い流せたらどんなにいい

だろうと思いました。カリフォルニアに引越したとき、わたしは生涯で最高の友に出会いました。そ

れは、家の近くの自然保護地域に立っていた巨大な樫の木です。その木はわたしの避難場所とな

り、また力にもなってくれました。わたしは毎日その木に登って、何時間も白昼夢を見て過ごしまし

た。彼女にブランディという名をつけ、紙と鉛筆をもってあがっては、枝の上で絵や文章を書きまし

た。わたしのこの木に対する思いには格別のものがありました。おまえは絶対にわたしを落とした

りしないわよね、たとえわたしが落ちても、必ず途中でつかまえてくれるわよね。わたしはよく、そん

なことを話しかけたものです。辛かったティーンエイジャー時代も、ブランディに悲しみを打ち明けて

は、しっかりと抱きしめ、抱きしめられて過ごしました。ブランディは、たとえ高校の卒業ダンスパー

ティに、茶色い肌をした女の子を誘ってくれる男子生徒などひとりもいなくても、悩むことはないと教

えてくれました。こうしてわたしはその木と、深い精神的つながりを築きあげたのです。そんなある日、

ブランディと一体になる必要に迫られて木のところまで行くと、赤いアリが木全体を覆っていました。

わたしはアリが怖くてたまりません。そこで必死に考えた末、わたしは木に、アリを追い払ってくれる

ようたのむことにしました。するとどうでしょう。アリはほんとうにいなくなったのです。みなさんは驚く

かもしれませんが、わたしは驚きませんでした。それからというもの、わたしがブランディを必要とし

ているとき、アリはいつも姿を消しました。友人や家族の中には、わたしの頭がおかしいと思う人も

いました。そして、自分がほかの人たちと違うと知ったの頃です。初めて自分をインディアンだと感じ

たのです。インディアンだからこそ、ブランディとの特別な関係を打ち立てることができたのだと。人

と違うというのはある意味で、気分のいいことでもあります。たとえ白人の世界で育てられても、わた

しはやはりインディアンだったのです。そしてインディアンであるということは、なんとすばらしいこと

でしょう! 生まれて初めてわたしは、自分がインディアンであることを誇りに思いました。これを機

に、人生もまた変わりました。わたしはクラシックフルートを学びはじめ、今ではインディアンフルート

を演奏しています。わたしのフルートは、手作りで、木製です。その木製のフルートに指が触れるとき、

わたしはそこにあのブランディを感じるのです。



☆☆☆☆



「生きがいについて」神谷美恵子著 より引用



足場をうしない、ひとり宙にもがいているつもりでも、その自分はしっかり下からうけとめて支えてくれ

たのだ。そして自然は、他人のようにいろいろいわないで、黙ってうけ入れ、手をさしのべ、包んでく

れる。みじめなまま、支離滅裂なまま、ありのままでそこに身を投げ出していることができる・・・・。



血を流している心にとって何というやすらぎであろうか。何という解放であろうか。そうして、自然のな

かでじっと傷の癒えるのを待っているうちには、木立の陰から、空の星から、山の峯から声がささや

いてくることもある。自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本当の姿について深い啓示を

与えうる。なぜならば社会は人間が自分の小さい知恵で人工的につくったものであるから、人間が自

然からあたえられているもろもろのよいものを歪め、損なっていることが多い。社会をはなれて自然に

かえるとき、そのときにのみ人間は本来の人間性にかえることができるというルソーのあの主張は、

根本的に正しいにちがいない。少なくとも深い悩みのなかにあるひとは、どんな書物によるよりも、ど

んなひとのことばによるよりも、自然のなかにすなおに身を投げ出すことによって、自然の持つ癒しの

力・・・・それは彼の内にも外にもはたらいている・・・・によって癒され、新しい力を快復するのである。



☆☆☆



(K.K)


 




2012年1月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



「ルルドの奇跡」で有名な聖ベルナデッタ(1844年〜1879年)の写真です。



昨日(1月10日)の投稿は少し気合が入りすぎたかなと思いますが、今日も少しだけ真面目に、

長くなりますのでお付き合いください。



私は教会を離れた身です。それは教会が悪いのではなく私自身の弱さ、未熟さがそうさせた

のだと断言できます。話は前後しますが、私は結婚する1ヵ月前にカトリック教会で洗礼を受

けましたが、それはアッシジの聖フランシスコを通してキリスト教に惹かれていたからだと思い

ます。



新婚旅行で、このアッシジ、そしてバチカンを巡りました。当時バチカンにはヨハネ・パウロ2世

に日本語を教えていた西山神父さんがいました。私の妻の知り合いで西山神父さんを知って

いる方がおり、その紹介で私たちは、バチカン宮殿の立ち入りを許可されていないところまで

案内してもらいました。



アッシジでは聖フランシスコゆかりの地を巡礼しました。このアッシジで強く心に残っているのは、

聖フランシスコに語りかけた十字架、彼ら兄弟会の心の故郷ポルチウンクラという小さな礼拝

堂、そして聖フランシスコの精神を最も体現したと言われる聖クララの遺体です。



聖クララの遺体は黒くミイラ化しているものの、死後750年経っても腐敗を免れています。写真

の聖ベルナデッタも死後130年経っても腐敗していません。この「腐敗しない」体というものをど

う捉えていいのでしょう。ちなみに教会には沢山の聖人がいますが、その全てが腐敗しないと

いうことではないのです。アッシジの聖フランシスコもそうですし、前の投稿で紹介したピオ神父

もその遺体は腐敗していました。



この答は一人一人違うのかも知れませんし、現代科学では説明できなくとも将来その秘密が

解明される時が来るかも知れません。ただ当時の私は深く考えもせず不思議な光景だとしか

見ていなかったように思います。バチカン宮殿の奥にあるヨハネ・パウロ2世の「祈る部屋」に

は十字架のないイエス・キリスト像がありました。西山神父さんは「これは法王自らが十字架を

背負わなければならないことを意味している」と説明されておりましたが、この部屋の近くの廊

下に最初の殉教者ステファノの遺体(首)がガラスケースに置かれていました。



私自身歴史には詳しくないのですが、紀元後35年か36年に聖ステファノは石打ちの刑に処せ

られます。そしてそれから約300年後のホノリウス帝の時にステファノの遺体が発見されます。

恐らくそれ以降は人目に触れさせずにバチカンに保管されていたのだと思います。その遺体

(首)は腐敗していませんでした。ただ顔の半分にひどい拷問を受けた跡が残り、耐え難い苦

痛のうちに絶命したことがわかります。しかしこの遺体も十字架のないイエス像と同じように

法王自らが負わなければならない責務を思い起こさせるためなのだと感じてなりませんでした。



聖ステファノ、聖ベルナデッタ、聖クララの腐敗しない遺体をどのように解釈したらいいのでしょ

う。それは神からの伝言であると私は感じています。ただ、その伝言から何を受け取るかは一

人一人に託されているように思います。



最後に私に関してですが、キリスト教の霊性と先住民の霊性が合い交わるところを捜している

のかも知れません。1492年のコロンブスのアメリカ大陸上陸から500年以上にも渡る、先住民

の辿ってきた長き苦難の道にキリスト教も深く関わってきました。その疑問が頭から離れない

でいるのかも知れませんが、ただそんな探求に意味があるのかもわかりませんし、私みたい

なろくでもない野朗がやること自体滑稽なことであり、必ずどこかで挫折するとは思います。そ

んな私でも、心の拠り所としているのは、アウシュビッツで亡くなった無名の女性の魂なのかも

知れません。それを紹介して終わりにします。



☆☆☆

それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。「私をこんなひどい目に遭わしてくれ

た運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。 「なぜかと言いま

すと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを

追っていなかったからですの。」その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそ

こにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外

を指した。外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。病人の寝台の所に屈んで外

を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた一本の緑の枝

を見ることができた。「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。私は一寸まごついて彼女の

言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか?不思議に思って

私は彼女に訊いた。「樹はあなたに何か返事をしましたか?-しましたって!-では何て樹は言っ

たのですか?」 彼女は答えた。「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。

私はいるのだ。永遠のいのちだ。」

フランクル「夜と霧」より引用

☆☆☆



(K.K)


 




2012年1月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

明治の軍人エリート野津道貫とインディアンの偉大な指導者レッド・クラウドとの邂逅、

そして日本刀に込められた想い



時は、1876年(明治9年)。写真は当時の野津道貫(1841〜1908)



☆☆☆



インディアンの偉大な指導者レッド・クラウドはリトル・ビッグホーンの戦い以降、合衆国に譲歩に

譲歩を重ねる道しか残されておらず、聖地ブラックヒルズも失わざるをえなかった。そんな指導者

に対して部族の中からも反感を買い、彼が死んだ時は親族とインディアン警察12人が参列しただ

けだった。失意の中で亡くなったレッド・クラウドだが、彼の部屋の壁には日本刀が大事に飾られ

ていた。「白人は私とたくさんの約束をしたが、約束は何一つ守られなかた。白人は、自分自身と

したたった一つの約束は守った。それはわれわれの土地を盗るという約束だった」・・・レッド・クラ

ウド晩年の言葉。



野津道貫は西郷隆盛や大久保利通に可愛がられたが、西南戦争時に政府側に立った心境を

「此時ほど大義名分と恩愛、義理との間に挟まれて苦しみ事は一生通じてなかりし」と述懐してい

る。野津がアメリカ滞在中、インディアン戦争を聞き族長レッド・クラウドが率いるラコタ族の居留

地に赴く。そこでアメリカ政府の役人がレッド・クラウドとの交渉をするその席に野津も立ち会うの

である。野津という人物は常に一兵卒と同じ食事をしなければ気が済まなかったし、宿舎も兵隊

のものを先に整えさせ、士官や自分のものをいつも最後にしたほど自己は厳しく律したが、情に

はもろい人間だった。



☆☆☆



「厳しい使命を負った54歳の族長に、35歳の美しい日本人士官は何を見たのだろうか。会話を

交わしたとしたら、いったいどんな話だったのだろう。野津ほどの人物なら、族長の深い苦悩を

読み取ったかもしれない。私の好奇心は熱気球のように膨らんだ。(中略)レッド・クラウドの日本

刀に関する資料はもう出てこないかもしれない。ただ、研究者の勘がどうしても、二人を結びつ

ける。いや、ひょっとしたら、失意のレッド・クラウドが、野津の美しく凛々しい顔を思い出し、あの

日本刀によって少しでも慰められたらと思いたい自分の気持ちがそうさせるのかもしれない。」

・・・阿部珠理



☆☆☆



上の文章はアメリカ・インディアンの研究では第一人者の立教大学教授・阿部珠理さんの「とも

いきの思想」から抜粋要約しました。



明治時代とはいえ日本刀が武士(軍人)にとって魂や命であった時代、何故野津は自身の日本

刀をレッド・クラウドに捧げたのか、またレッド・クラウドも何故その日本刀を死ぬまで大事に家に

飾っていたのか。野津は帰国後も、そして死ぬまでこの出会いに関して何一つ言葉を残していな

い。しかしこの邂逅で受けた衝撃が、彼の心の奥深くに突き刺さったが故に、野津は言葉にする

ことを拒んだと感じられてならない。



一方、野津道貫がレッド・クラウドに日本刀を手渡す瞬間、レッド・クラウドは差し出す野津に何を

感じたのだろう。それは言葉などではない。野津の熱い眼差しに、その込められた想いの全てを

感じ取ったに違いない。そして私も阿部さんと同じように、「失意のレッド・クラウドが、野津の美し

く凛々しい顔を思い出し、あの日本刀によって少しでも慰められたら」と強く思いたい。



(K.K)


 




2012年1月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

箱根・大観山から撮った夕陽です

「ユング」ストー著から引用します(私自身まだ読んではいません)。



☆☆☆☆

『ユングの言い表そうとしたことの例として、彼がニューメキシコのプエブロ・インディアンを

訪ねたときの経験から引用することができよう。この人々は太陽が自分たちの父であると

信じている。その上、彼らは、自分たちの宗教儀式を行うことによって、太陽が毎日空を

横切る旅を遂行するのを助けている、とも確信していた。これらの儀式を几帳面に果たす

ことで、彼らは、それゆえ全世界に貢献しているのである。そしてもし彼らが愚かにもそれ

を怠ったなら、「十年たてば太陽はもはや昇らなくなるだろう。…永遠に夜が続くだろう。」 

ユングのこれに対するコメントは、以下のようである。「そのとき、私は個々のインディアン

に見られる「気品」と静かなたたずまいが、何に由来するかがわかった。それは太陽の息

子であるということから生じている。彼の生活が宇宙論的意味を帯びているのは、彼が父

なる太陽の、つまり生命全体の保護者の、毎日の日没を助けているからである。」神話は、

…たとえ客観的真実ではなくとも、重要な建設的機能を勤めているのである。』

☆☆☆☆



「ホピ 神との契約」 この惑星を救うテククワ・イカチという生き方 トーマス・E・マイルス+

ホピ最長老 ダン・エヴェヘマ著から引用します。



☆☆☆☆

ホピの大地の地平線に朝日が昇るとき、人々は東の空に黒い人影が動くのをかすかに

認めたものである。その時間に起きている人々には特別な感覚が漲った。母なる大地が

子供たちの世話をしようと動き出し、守護者マサウが寝ずの見張りを終えて家路につく

その足音を、感じることができたのでだ。犬は吠え、鶏とツグミは朝の到来をたたえる。

まもなく、父なる太陽が毎日の仕事に就く。ひとりまたひとり、頭を垂れる黒い人影たちは、

手に持つコーンミールに囁き、祈りの言葉を吹きかける。



“父なる太陽、目に見えぬいのちよ、

いとも尊きその御力によりて、

今日、われらを助けたまえ。

民の声にその御声を響かせ、

今ここにいるわれらの目的を知らしめたまえ。

われらを守り、正しき道に導きたまえ。

今日、われらの体と心と魂をひとつにならしめたまえ”

☆☆☆☆



(K.K)


 
 


2012年1月9日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

1966年キューバ・ハバナで開催されたチェスオリンピックの模様

左に立っているのがチェ・ゲバラ。ちなみに左の選手は旧ソ連のタイマノフ、右がアメリカの

エバンス。



チェ・ゲバラはアルゼンチン生まれの医師でキューバのゲリラ指導者。1959年7月15日、

31歳のゲバラはキューバの使節団として来日し、工場見学の予定を急きょ取りやめ夜行

列車で広島に向かい、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花した。この時、

原爆資料館と原爆病院を訪れたが、それ以来キューバの初等教育では広島・長崎で

起こったことを子どもたちに伝えている。尚、同じゲリラの戦友であったカストロ前議長も

チェス愛好家で、キューバにチェスオリンピックを誘致するほどだった。父からチェスを

教わり12歳の時にチェスのトーナメントに初めて参加したチェ・ゲバラは、このキューバ

で行なわれたチェス・オリンピックを熱心に観戦している。



☆☆☆



「世界の何処かで、誰かが被っている不正を、心から悲しむ事が

出来る、人間になりなさい。それこそ、最も美しい革命家の資質

なのだから。」・・・チェ・ゲバラ



☆☆☆



私自身まだチェ・ゲバラの伝記は読んだことはありませんが、いつか読みたいものです。



(K.K)


 




2012年1月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

「アメリカ・インディアンの祈り」



おお、大いなる精霊よ、その声を、私は風の中に聞き、

その息吹は、この世界のすべてにいのちを与える、

大いなる精霊よ、私の祈りをおきき下さい。

私はあなたのまえに一人の人間として、あなたの多くの子供たちの一人として立っています。

私は小さく弱い。私にはあなたの強さと知恵が必要です。

どうか私を美の中にあゆましめ、赤々と焼ける夕空をいつまでも見守らせてください。

私の手が、あなたの創ったすべてのものを大切にし、

私の耳が、あなたの声をききもらさぬようにさせて下さい。

あなたが私たちにお教えになったことども、

一枚の木の葉、一つの岩の下にもあなたがそっとひめた教訓の数々を知ることができるように、 

私を賢明にして下さい。

おお、私の創造者よ、私は強くありたい。

私の仲間にうちかつためにではなく、

私の最大の敵、私自身とたたかうことができるように。

汚れのない手と、まっすぐなまなざしをもっていつでもあなたのみもとに行くことが出来るように、

やがて、私のいのちがあの夕焼けの空の色のように消えるとき、

私のたましいが、なんの恥じ入るところもなく、

あなたのみもとに行くことが出来るようにさせて下さい。



「アメリカインディアン悲史」 藤永茂 著 朝日新聞社 より引用



以下ウィキペデリアより引用

☆☆☆

藤永 茂(ふじなが しげる、1926年 - )は日本、カナダの物理化学者、評論家。アルバータ大学

理学部名誉教授。中国の長春に生まれる。福岡県中学修猷館を経て、1948年、九州大学理学

部物理学科を卒業する。1959年、理学博士(京都大学)の学位を取得する。1959年から2年間、

シカゴ大学理学部物理教室に研究員として滞在して以来、コンピュータを用いて原子や電子の

振る舞いを議論する計算化学の研究を続ける。1965年、九州大学教授を経て、1968年、アルバ

ータ大学理学部教授に就任し、1991年、同大名誉教授となる。専門とする量子化学のほかに、

科学哲学や社会・文化・歴史などに関する評論・エッセイ、ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』の新訳

などの著書がある。

☆☆☆



アメリカ・インディアンの歴史に関する文献は多数あります。その全てを読むことは出来ませんが、

私が今まで読んできた歴史書の中で最も心に響いた文献の一冊が「アメリカ・インディアン悲史」

でした。藤永さんの言葉を紹介します。



「これと対照的に、インディアンについては、アメリカ人は本能的に、ある「おそれ」を持ち続けて

今日に至っている。それは、自分達の幸福論と本質的に対峙する幸福論によって生き、しかも

自分達よりもあるいは幸せであったかもしれない人達を、まず力によってみじめな状態に追込み、

そして殺してしまったらしいという不安であった。ここで幸福論を神といいかえてもよいかもしれぬ。

白人たちが物の所有によって幸福を求めるとき、彼等はわかち合うことをよろこびとし、白人たち

が隣人と競い、それに優越することによって幸福を求めるとき、彼等は自己にうちかつことによっ

て自らと他の自由を確保し、白人たちが大地を凌辱してその富を強奪するとき、彼等はそれを大

いなる母と慕った。インディアン達のあらゆる愚昧さは、白人たちの競って利用するところであった。

その愚昧さによって白人たちは莫大な利益を手に入れた。しかし、同時に、そのインディアンの

愚昧さのかげに、初々しい精神の高貴としかいいようのないものを、白人たちはたしかに垣間見た

のである。」



(K.K)


 
 


2012年1月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

題 「勇気を出すんだ! 仮面ライダー」



場所は厚木市七沢森林公園です。テレビの仮面ライダーは見ていませんでしたが、ショッカー

(?悪の組織)に立ち向かう姿のような感じがして撮りました。本当はハエやハチ、そして写真

には写っていませんが、蝶も樹液を吸いに来ていました。ハチは刺されると大変なことになり

かねないので、近づいて写真を撮ることは避けたほうがいいと思います。またハチに刺されな

いよう明るめの服を着るとか、帽子をかぶるなどした方がいいかも知れません。とか言いつつ

直ぐ近くで写真を撮るのは僕の悪い癖かな。



また、もうこの時期はいませんが、鹿や猿など野生動物がいるところにはヤマビルがいます。

昔、田んぼの中で遊んでいたとき、良くヒルに噛まれましたが、それと同じ種類です。ヤマビル

は靴からはい登ってきて噛みますが、全く痛さを感じません。出血しているのに気がついて初

めて噛まれたことがわかるほどです。



噛まれたからといって、特に寄生虫や病原体をもっていないのでそれほど神経質になることと

はないと思いますし、酢とか塩には弱いので、かけると直ぐに離れます。予防としてズボンの

裾を靴下の中に入れて肌を露出させないのが一番です。あらかじめ靴に塩とか酢をかけると

いいといいますが、僕の経験ではそれ程効果がないような気がします。



(K.K)


 




2012年1月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

映像省略

今から70年前にあった一つの実話を紹介しようと思います。映像は第二次世界大戦中、敵味方

なく愛された歌「リリー・マルレーン」 です。



☆☆☆☆☆☆☆



ところで、先年、ヨーロッパを旅行中、私は一つの興味深い話を聞きました。どこでしたか町の

名は忘れましたが、何でも、ドイツとの国境近くにあるフランスの一寒村に、今度の大戦中に

戦死した、フランスのゲリラ部隊十数名の墓があるのですが、その墓に混じって、ひとりの無名

のドイツ兵の墓が一つ立っているのです。そしてすでに、戦争も終って十数年経った今日も、

なお、その無名のドイツ兵の墓の前には、だれが供えるのか手向けの花の絶えたことがない

とのことです。いったい、そのドイツ兵とは何者なのかと尋ねると、村の人々はひとみに涙を光

らせながら、次のように話してくれることでしょう。



それは第二次世界大戦も末期に近いころのことでした。戦争勃発と共に、電光石火のような

ドイツ軍の進撃の前に、あえなくつぶれたフランスではありましたが、祖国再建の意気に燃え

るフランスの青年たちの中には、最後までドイツに対するレジスタンスに生きた勇敢な人々が

ありまして、ここかしこに神出鬼没なゲリラ戦を展開しては、ナチの将校を悩ましておりました。

が、武運拙くと言いましょうか、十数名のゲリラ部隊がついに敵の手に捕らえられました。残虐

なナチの部隊長は、なんの詮議もなく、直ちに全員に銃殺の刑を申し渡しました。ゲリラ部隊

の隊員の数と同じだけのドイツ兵がずらりと並んでいっせいに銃を構え、自分の目の前のフラ

ンス兵にねらいを定めて「撃て!」という号令を待ちました。と、間一髪、ひとりのドイツ兵が、

突然叫び声をあげました。



「隊長! 私の前のフランス人は重傷を受けて、完全に戦闘能力を失っています。こんな重傷

兵を撃ち殺すことはできません!」 今まで、かつて反抗されたことのないナチの隊長は怒りに

目もくらんだように、口から泡を吹きながら叫び返しました。「撃て! 撃たないなら、お前も、

そいつと一緒に撃ち殺すぞ!」と。けれど、そのドイツ兵は二度と銃を取り上げませんでした。

ソッと銃を足下におくと、静かな足取りで、ゲリラ部隊の中に割って入り、重傷を負うて、うめい

ているフランス兵をかかえ起こすと、しっかりと抱き締めました。次の瞬間、轟然といっせいに

銃が火を吐いて、そのドイツ兵とフランス兵とは折り重なるように倒れて息絶えて行ったという

のです。 (中略)



しかし、そのドイツ兵は撃ちませんでした。のみならず、自分も殺されて行きました。ところで

なにか得があったかとお尋ねになるなら、こう答えましょう。ひとりのドイツ兵の死はそれを

目撃した人々に忘れ得ぬ思い出を残したのみならず、ナチの残虐行為の一つはこの思い出

によって洗い浄められ、その話を伝え聞くほどの人々の心に、ほのぼのとした生きることの

希望を与えました。ナチの残虐にもかかわらず、人間の持つ良識と善意とを全世界の人々

の心に立証したのです。このような人がひとりでも人の世にいてくれたということで、私たちは

人生に絶望しないですむ。今は人々が猜疑と憎しみでいがみ合っていはいても、人間の心の

奥底にこのような生き方をする可能性が残っている限り、いつの日にか再びほんとうの心か

らの平和がやって来ると信ずることができ、人間というものに信頼をおくことができる・・・・これ

が、このドイツ兵の死がもたらした賜物でした。どこの生まれか、名も知らぬ、年もわからぬ

この無名の敵国の一兵士の墓の前に戦後十数年を経た今日、未だに手向けの花の絶える

ことのないという一つの事実こそ、彼の死の贈物に対する人類の感謝のあらわれでなくて何

でありましょう。(後略)



「生きるに値するいのち」小林有方神父 ユニヴァーサル文庫 昭和35年発行より引用



☆☆☆☆☆☆☆



ナチの残虐行為、特にユダヤ人虐殺(ホロコースト)は、生き残った人々の多くに死ぬまで

消え去ることのできない印を刻み込みました。600万人が犠牲になった強制収容所という

極限状況の中で、フランクル著「夜と霧」では人間の精神の自由さを、ヴィーゼル著「夜」

は神の死を、レーヴィ著「アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察」

は人間の魂への関心を決して絶やさなかったことを、そして大石芳野著「夜と霧をこえて 

ポーランド・強制収容所の生還者たち」では癒すことが出来ない忌まわしい記憶に苦しめ

られている人々を私たちに訴えかけています。しかしそのような絶望的な状況の中でもシ

ャート著「ヒトラーに抗した女たち」に見られる、ドイツ全体を覆う反ユダヤの流れに抵抗し

た人もいたのも事実です。



私自身、家族、国家、主義主張を守るため自分の生命を犠牲にすることとを否定するもの

ではありません。ただ先に紹介した一人のドイツ兵のことを思うと、家族、国家、主義主張

を守るため自分の生命を犠牲にすることとは違う次元に立っているよう気がしてなりません。

それは彼が助けることを選んだその瞬間、彼の未来の人生を、守りたかったものへ捧げる

という意味ではなく、未来へと向かって生きる自分自身に対しての意味を感じたと思うので

す。家族とか国家のためではなく、自分自身の未来に責任を持つために。



しかし、もし私が同じような状況に置かれたら間違いなく銃を撃つ側に立つでしょう。「これ

は戦争なのだ」と自分に言い聞かせながら。ただ、実際に銃を撃った他の兵士はその後

どのような人生を送ったのでしょうか。中には生き残って愛する女性と結婚し子育てをし

幸せな老後を迎えた人もいるかも知れません。ただ彼の意識のどこかにいつもこのドイツ

兵の行為が頭から離れなかったことは確かだと思います。「あの時自分がとった行動は

本当に正しかったのか」と。



この時期、夜の11時頃に東の空から「しし座」に輝く一等星レグルス(二重星)が登ってきま

す。77年前第二次世界大戦突入の時に、この星から船出した光が今、私たちの瞳に飛び

込んできています。当時の世界や人々に想いを馳せながら、春の予感を告げるレグルスを

見てみたいものです。



(K.K)


 




2012年1月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

アイヌの「お産ばあちゃん」

写真は、アイヌの青木愛子さん(1914年〜1995年)の左手です。青木さんは、古代から継承

されてきた産婆術だけに留まらず、診察・治療のための特殊な手、そしてウエインカラ(何で

も見える千里眼)を通してシャーマン的な役割を担ってきた方です。愛子さんのウエインカラ

は、初対面の人と対座した時だけでなく、電話の相手でもその人の過去と未来がわかる特

殊な力を持っていました。



同じく沖縄・奄美には現在でもシャーマンがいます。沖縄では「ユタ」(殆ど女性です)と呼ば

れていますが、例外なく全ての「ユタ」が出来るならユタにはなりたくなかった、と話されてい

ることは共通しています。それはユタが犠牲と奉仕に貫かれた生活を送ることを小さい頃か

ら見て知っていたからです。「ユタ」として神から召し出される人(自分の意思や世襲ではなく、

文字通り神のお告げを受け入れた人)にも、人には見えないものが見える千里眼を持つよ

うになります。



キリスト教ではアッシジの聖フランシスコが有名ですが、聖痕(イエス・キリストが磔刑となっ

た際についたとされる両手両足、脇腹の傷)を受けた人であり、千里眼を持つ人としても知

られたピオ神父(1887年〜1968年)がいます。ピオ神父は見ず知らずの人の過去や未来を

的確に言い当てただけでなく、二箇所同時に存在することや学んでいない外国語を話すこと

が出来、ヨハネ・パウロ二世から462番目の聖人に列聖されたのは死後34年経った2002年

のことでした。



このように宗教を問わず、千里眼の能力を授かった方は世界には沢山いることでしょう。私

もこんな能力があったらどんなにいいかなと内心思ったことはあります。一つの優越感みた

いなものをそこに感じたからでしょうね。でも冷静に考えると、この能力を持つことには大い

なる責任と義務も併せもたなければならないことを意味しているのではないかと思います。

そう考えると私にはとても耐えられそうにもないので「普通の人間で良かった」と感じますし、

一人一人違った形の「召し出し」があるのかも知れません。



一方、千里眼など不思議な能力、神からの授かりもの(そうでない場合もあります)としての

この能力を、自らの訓練によって自らの力によって勝ち取ろうと思う人も出てくるかも知れま

せん。多くの新興宗教の教祖がその部類に入るのではと思います。



この態度の本質を、ダライラマ14世も高く評価している、アレクサンドラ女史による「チベット

魔法の書」の中に紹介された一つの逸話が的確に言い当てているので紹介します。



「あるとき、釈迦が弟子たちを連れて旅をしていたとき、森の奥に佇む小屋の中に、一人の

疲れ果てた顔のヨギをみた。釈迦は立ち止まり、行をやって何年になるのかと尋ねた。『二

十五年になります』『そんなに長いこと苦行をして何を得たのか ? 』行者は得意気に答えた。

『水の上を歩いて川を歩いて渡れるようになりました』『哀れな人だ』と釈迦は同情の声をか

けた。『そのようなつまらないことに幾歳月も費やしてきたのか。小銭一枚出せば、船頭がす

ぐさま向こう岸まで運んでくれるだろうに』」



アイヌの青木愛子さん、沖縄・奄美のシャーマン、ピオ神父に共通していること。それは犠牲

と奉仕、そして「謙遜」ではないかと感じています。どんな超能力や奇跡(前にも申しましたよ

うに全て神からの授かりものとは限らないと思います)を行うことが出来ても、謙遜がないと

ころには、全てその意味を失ってしまうどころか、誤った道へと誘う主体者へと変貌していく

のではと思います。使徒パウロは別の表現でこう言っています。「たとい私が、人間と天使の

ことばを話しても、愛がなければ、鳴る青銅と響きわたるどらにひとしい。たとい私が、預言

の賜物をもち、全奥義と全知識に通じ、山を動かすほどの満ちた信仰を持っていても、愛が

なければ、無にひとしい。たとい私が、すべての財を施し、この体を焼かれるために与えても、

愛がなければ、益するところがない。」



うーん、こんな偉そうなことを書いても運転中にゆっくり前を走る車がいると、独り言で「わが、

なんばしょっとか、トロトロ走りやがって、いてもうたろうか」と九州弁と関西弁が喧嘩し合い

完全に自分を見失っている、いや本来の僕が出てきますしね。「はぁー、なんとか穏やかに

せんとといけんばってん、むずかしかでごわす」であります。まあ僕の日常が全てこんな調子

ですので、僕がどんなに美辞麗句を並べても、ほどほど聞き流すのが無難なところかと思い

ます。



アイヌのお産おばあちゃん、青木愛子さんの言葉を聞きとった方が本の中で次のように記し

ていますが、最後にこの言葉を紹介して終わりにしたいと思います。



「一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人

が多い。何も見えないほど暗い人もある。明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に

対して尽くしている様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、

無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているか

どうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。」



皆様にとって、そして世界の人にとって、2012年が平和と調和の道を歩むことが出来ますよ

うに願っています。



(K.K)


 
 


2012年1月1日、ジャーナリストの鳥越 俊太郎さんがフェイスブックに投稿した記事です。

とても共感したのでここに転載いたします。

http://www.facebook.com/profile.php?id=100002190204568



鳥越 俊太郎

先ほど、私の親友、生野省三の話を敢えてしたのには,私なりの思いがあるからだ。私たち

の頃は勿論試験もあったし、何等賞とか言う学力による評価もあった。しかし、当時はまだ

偏差値教育は導入されていなかったので、学力だけで子供が評価された訳ではない。走る

のが速い子は運動会のヒーローだったし、絵がうまい生徒は図画の時間は皆の注目の的

だった。ところが、私たちのずっと後の日本の教育は学力評価一辺倒になり、偏差値の高い

奴が人間的にも偉い奴みたいな風潮が出て来た。しかし、子供は様々な個性を持っていて

生野君のように学力ではそう評価は受けなくても自分の好きな道を見つけて画伯になること

も出来るのが人間だ。教育とはその子供の得意なところ,好きな道,興味を持っていること

などを先生や親が見つけるのをサポートし、育て応援することだと思う。これからは、何も

東大出て官僚や大会社のサラリーマンをやるのが人生の目標ではないはずだ。どうやって

自分の好きな道を見つけることが出来るかだ!!お父さん、お母さん、同じクラスの他の子

と比べるのではなく、この子はどういう道を選択すれば幸せになれるのか?それを考えて下

さい。偏差値で輪切りにする教育には絶対反対です。


 


鳥越さんのこの記事を読んで、思わずコメントしてしまいました。鳥越さんとは

知り合いでも何でもないのですが、共感できるところが多かったので、下の文

を書き込みました。そして鳥越さんの投稿に対して多くの好意的な反応があっ

たことに驚き、かつ嬉しくもなりました。




「社長なんて部下がいなければその会社は成立しないし、成績トップの人だって、彼より点数

が低い人がいるからこそなれるんだと思う。他者がいることによって、自分という存在が認め

られていることに気付きたいものです。そして「勝った、負けた」の世界ではなく、共に生きて

いることの有り難さを感じていたいものですね。


(K.K)






2011年12月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

「魔法使いの手」

コンパス座の方向約1万7000光年の距離にある星雲を、X線観測衛星チャンドラが捉えた

ものです。



手のひらの中心に輝くのは若いパルサー「B1509-53」ですが、パルサーとは超新星爆発後

に残った中性子星から発せられている信号と考えられています。極めて周期が安定してい

るので、「宇宙の灯台」とも言われているんですね。想像できないことですが、このコンパス

座に位置する中性子星は大き目のペットボトル(2リットル)に富士山の質量をぎゅっと押し

詰めた状態なので、地球の15兆倍の強い磁場と桁外れの重力を持つことになります。この

重力から脱出するには、光の速さの3分の一というとてつもない速度が必要になるんです。

紹介した写真は、パルサーから流れ出した電磁波が上のガス星雲(指の部分)を赤く加熱

させているところです。



本当にまるで魔法使いの手のようですね。50代半ばの女性にとって「魔法使い」と言えば

「魔法使いサリー」を直ぐに思い浮かべるかも知れません。現代では多くの人が「ハリー・

ポッター」を連想するかと思います。私も「ハリー・ポッター」は好きで本や映画で楽しんでい

ますが、内容が奥深いル=グウィン作の「ゲド戦記」に私個人はずっと惹かれています。同じ

「ゲド戦記」でも、アニメ(スタジオジブリ制作)は原作とはかけ離れた内容だったので、途中

で見るのを止めてしまいました。



故・河合隼雄さんは最初この「ゲド戦記」にユングや老荘の思想が背景にあると感じておら

れたようですが、後に全ての根底にインディアンの叡智があったと気付きます。勿論、そこ

には「最期の野生インディアン イシ」と深い親交を結んだ人類学者アルフレッド・クローバー

(「ゲド戦記」を書いたル=グウィンの父親)の存在が大きかったのではないでしょうか。



「イシ」がいたヤナ族は元々3千人いましたが、その多くが白人の虐殺により死に絶えていた

と思われていました。しかし、1911年8月29日、一人の飢餓寸前の老インディアンが捕らえら

れます。それが「イシ」だったんですね。イシは家族数名と虐殺から逃れ暫くは家族と共に

生活しますが、家族が亡くなったり白人に発見されそうになった時に離散し、捕えられる前の

5年間は一人で孤独に生きてきました。



「イシ」の物語(邦訳「イシ 北米最後の野生インディアン」岩波書店)を書いたのはアルフレッ

ド・クローバーの妻シオドーラ・クローバー(ル=グウィンの母親)でした。何故イシと親しかっ

たアルフレッドは「イシ」のことを書けなかったのでしょうか、ル=グウィンはこう綴っています。



「カリフォルニア原住民の言語、暮らし方、知恵などについての情報を、大量殺戮が完了す

る以前に、少しでも多く蒐集するというのが、何年にもわたる父の仕事であり、このため父は

殺戮の目撃者となったのだ。ナチによるユダヤ人大量虐殺に等しいインディアン撲滅の生き

残りであるイシは、父の親しい友人かつ教師となった。それなのにそれから僅か5年後に結核

・・・・これまた白人からインディアンへの死の贈物である・・・・で死亡する。どれほどの悲しみ

や怒りや責任感に父は悩んでいたことだろう!」



捕えられてから5年後(1915年)イシは結核で亡くなりますが、アルフレッド・クローバーはイシ

が捕えれてから5年間ずっと保護されていた博物館に、次のように書き送っています。



「もし、イシが死ぬようなことがあったならば、できる限りイシの世界での風習通りに葬儀を行う

ように。学問の名を借りての遺体処理、解剖などは決してさせないように。そんな学問は犬に

でも食われてしまったほうがよいのです。責任は、すべて私が持つようにします」 



またアルフレッド・クローバーと共に「イシ」と親交があった医学部の教師サクストン・ホープは

「イシ」の死に際し次のように書き記しています。



「そのようにして、我慢強く何も恐れずに、アメリカ最後の野生インディアンはこの世を去った。

彼は歴史の一幕を閉じる。彼は文明人を知恵の進んだ子供---頭はいいが賢くはない者と

見ていた。われわれは多くのことを知ったが、その中の多くは偽りであった。イシは常に真実

である自然を知っていた。彼の性格は永遠に続くものであった。親切で、勇気があり、自制心

も強かった。そして彼はすべてを奪われたにも拘らず、その心にはうらみはなかった。彼の魂

は子供のそれであり、彼の精神は哲学者のそれであった。」



私が何故ル=グウィン作の「ゲド戦記」に出てくる魔法使いにひかれるのか、それはこの魔法

使いの背後に「イシ」の存在を感じたからかも知れません。「彼の魂は子供のそれであり、彼の

精神は哲学者のそれであった」。



(K.K)


 




2011年12月25日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

映像省略

「深い河」マリアン・アンダーソン

昨日投稿した「カウンセリング技術」のところで言葉足らずのところがあったことを反省しています。



西欧人って(最近は日本人の多くもそうだけど)相手の論理的矛盾を直ぐついてくる癖があるみた

いだけど、僕は何故相手がそのような発言をするのかその背景や真意を必死に汲み取ろうとする

人間が好きだし、そうありたいと願っている。偉そうに言ってしまったけど、難しいことだから直ぐ僕

も上っ面の会話になってしまうことが多いのも事実なんだけどね。ただ、相手の意見に対し即答を

強要する「議論」というものが苦手だし、恐らく現代の子供に対しても議論したら簡単に負けると思う。



これは後で気付いたことだけど、インディアンも同じ思考回路を持っていたことを本で知ったんだ。

これはインディアンに限らず世界の先住民に共通すると感じているけどね。教師の質問に即答で

きない彼らインディアンは西欧人から見て「馬鹿」とずっと思われていたけれど、実際は教師が何故

この質問をするのか、その背景や真意を必死に考えていたことが後年になってわかってきたんだ。



僕が大学の先生から「こんなカウンセリング技術があったんだ」と言われたことの裏はそこにあると

思う。徹底的に相手の言葉に耳を傾け必死でその背景や気持ちを探ろうとする。だから殆ど自分

は話さないし、まるで「沈黙のカウンセラー」みたいな存在だった。でも不思議と相談者は次第に

問題の核心に自ら触れようとしてくる。だから先生達には新鮮に映ったのかも知れないね。でも

カウンセリングの研究所の先生達がインディアンの居留地に行ったら日常茶飯的に経験すること

だと思う。今のインディアン社会はアメリカ政府の長年にわたる同化政策の後遺症のため、貧困

やアルコール中毒、育児放棄、自殺などで苦しんでいるけど、この根っこだけは奪われていないと

信じたい。



黒澤明監督の映画(「八月の狂詩曲」か「夢」か覚えていない)で、年寄りのおばあちゃんが縁側に

座っていると、近所に住むおばあちゃんがやってきて一時間ほど時を過ごすんだけど、この一時間

二人には一言の会話もない。ただ黙って共に縁側に座って、そして帰っていく。僕はこの場面を見

たときに涙が出てきそうだった。時として沈黙は言葉よりも多くのことを語ってくれる、そのことを映

画の一場面が雄弁に語っていたからだと思う。



何か下手な「自分史」になりつつあるので、これで終わりとします。今まで長い文を最後まで見てくだ

さり本当にありがとうございました。



表題の「深い河」というゴスペルソングですが、僕が最初にゴスペルに出会ったのはマヘリア・ジャ

クソンでした。自分がどの道に進んでいっていいのかわからなかった時期に毎日何度も聴き勇気

をもらったものです。その後、マリアン・アンダーソンを知ったのですが、彼女の深い低音の響きに

また違ったゴスペルの真髄を感じてしまいました。



(K.K)


 




2011年12月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

映像省略

「パッヘルベルのカノン」

大学をやめてしまい、住み込みだった新聞配達店も1年でやめて僕は池袋の小さな工場で

働いていた。一階に大家さんが住み、2階に3つの貸し部屋があり僕はその一つの部屋を

借りた。3階には大家さんの息子さん2人が暮らしていた。



大学に通っている大家さんの息子さんに誘われて彼の部屋に何回か遊びに行ったけど、こ

の息子さんは在学中(2年生の時)に書いた論文が哲学科の教材として採用されたほど頭

脳明晰な人だった。彼の部屋でプラトンはなんだかんだとか話しされても、僕にはチンプン

カンプンで話についていくことさえ出来なかった。



でも哲学の話もしたけれど、彼は良く笑い酒も大好きだった。また卑猥な話(女性の方すい

ません)も長けていた。まあ哲学なんかを勉強する奴って古今東西問わず変な奴が多いけ

どね(負け犬の遠吠えです)。



その彼の部屋には200万円もする外国製のスピーカー、そしてアンプも真空管式の最上級

のものを使っており、いつもクラシックを聞いていた。特にお気に入りが「アルビノーニのアダ

ージョ」とと「パッヘルベルのカノン」だった。



同じ頃、池袋の小さな工場で共に働いていた方でOさんという人がいた。実はこの方も頭脳

明晰(僕からして見れば皆、頭脳明晰に見えてしまう)で、厚生省の筆記試験には通ったが

面接で落とされてしまった(人事課は見る眼がない!)方だった。でもこのOさんも芸術、特に

演劇が大好きで蜷川幸雄(にながわ ゆきお)のものには何度も誘われては観にいった。人

間としても尊敬できる人で、僕は彼を通して芸術の素晴らしさを教わったような気がする。



このOさんがたまたま空いていた僕の隣に引っ越してきた。そして当然ながら僕が哲学科の

学生さんと話す機会は次第に少なくなっていった。まあ当然だよね、彼には高度な話が通じ

合うOさんが出来たんだから。でもOさんとはその後もいろいろな話が出来て僕は幸せだった。



今思えば、僕はこの時期に大きなものを受け取ったように思う。一番目は芸術が人に与える

力というもので、彼らがいなかったら自分を表現する術を持てなかったかも知れない。もう一

つは哲学科の学生さんの対談で学んだもの、それはどんなに相手の話が自分にとってチン

プンカンプンでも真剣に相手の話を聴いているような素振り(ココが味噌です)が出来るように

なったこと(少し冗談で少し本気です)。これは後に通った上智大学カウンセリング研究所で

先生方が「こんなカウンセリング技術があったんだ」とうならせた方法です。うーん、本当は

相手になんといってあげたらいいか自分が悩んで苦しんでいたのかも知れませんけどね。



でもこのカウンセリング技術は妻には使えない、というか使いたくないな。だから良く喧嘩する

のかな。今日ははクリスマス・イヴ、「パッヘルベルのカノン」を聞いて仲直りでもしようかな。



(K.K)


 




2011年12月23日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

映像省略

「ミスター・ボージャングルズ」

この歌を初めて聴いたのは僕が18歳の時だった。東京に上京し新聞配達をしながら学校に

行っていたときのことで、歌がこんなにストンと心の奥底に沈んだのは初めての経験だった。



この時テレビに映し出された映像は二度と見ることは叶わず、僕にとっては「一期一会」の

出会いだったのかも知れない。授業に失望し大学をたったの3ヶ月でやめてしまい、これか

ら先どう自分が生きていけばいいのか全くわからなくなった時に出会った曲。原詩とは少し

違うが、その歌手が自分なりの言葉をつけて歌っていたこの曲は、次のような詩だった。



名前を????と言ったっけ  あの人を

だぶだぶずぼんのおかしな  おじいさん

踊ってくれたよ 僕のために

ミスター・ボージャングルズ  ミスター・ボージャングルズ

ダンス



生きることに疲れ果てた  僕に

元気だしな  と、笑った おじいさん

優しく 人生を語ってくれた

ミスター・ボージャングルズ  ミスター・ボージャングルズ

ダンス



旅から旅へと彷徨い  生きたよ

道連れが一人いたけど  死んだよ

泣きながら 言っていた  優しい あの人

今頃、どこかの酒場で踊って  誰かの悲しみぬぐっているだろうか

心が寒い夜は  会いたい あの人

ミスター・ボージャングルズ  ミスター・ボージャングルズ

ダンス



もうあれから30数年の時が流れたが、今でも僕の中ではベスト3に入る曲だ。生きていく

なかで、人や本など人間には多くの出会いがあり、尊敬する人も沢山生まれてくる。でも

僕にとって「一番尊敬する人は誰?」と聞かれたら、迷わず「母親」と応えるだろう。そん

な話をすると妻から「あなた、マザコンでしょう」と良く笑われるが、僕が灰色の青春時代を

送っていたとき、くじけそうになった心をいつも支えてくれた存在が母親だった。確かに

アッシジの聖フランシスコ、シモーヌ・ヴェイユ、世界の先住民たちなど沢山の尊敬する

人はいるが、母親を超える存在はいない。



自分を産んでくれた親を一番尊敬できるというのは、一番幸せなことなのかもと思う。世

の中には尊敬したくても出来ない人はいると思うし、児童虐待のニュースを聞くたびに心

が沈んでいく。



現代社会に生きていると、「一期一会」の気持ちなんて何処かに置き忘れてしまっている

けど、この曲を聴くたびに辛かった時代や、大事なことを思い出させてくれる。



(K.K)


 




2011年12月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

写真省略

「ケンブルの滝」と呼ばれる星の並びです。

この滝はペルセウス座とカシオペア座の近くにある「きりん座」の中に位置しています。写真では

左下から右上にかけて直線状に伸びているのがわかると思いますが、この写真は他のサイトか

ら引用させていただきました。



皆さんは、「望遠鏡だとこんなに美しく見えるんだ」と思うかも知れません。でも実はこのケンブル

の滝は双眼鏡でしか全体像を見ることができないんです。何故ならこの滝の長さは満月5個分に

相当する長さなので、望遠鏡では滝の一部しか視界に入らなくなってしまうからです。



この滝の存在は、フランシスコ会の修道士で、アマチュアの天文学者でもあったケンブル神父

が小さな双眼鏡(口径3.5cm、倍率7倍)で見つけたものです。「え?、そんなに小さな双眼鏡で

星が見えるの?」と思われるかも知れませんが、夜空には望遠鏡よりも双眼鏡の方が適してい

る天体もあるんですよ。



「私たちはこの社会の多忙さにより、小さな美さえ気づかないでいる。」ケンブル神父



もう直ぐクリスマスですね。



少し話がそれますが、私が感銘を受けた本「沈黙を聴く」の中で紹介されたモーリス・ズンデル神

父はそのユニークな思想のため教区を追われ、各地を転々とさせられます。ようやくズンデル神

父の価値が認められたのは彼が亡くなる3年前(1972年)のことで、時の教皇パウロ6世により

ヴァチカンの黙想指導に招かれています。



このズンデル神父の言葉を紹介しようと思います。「キリスト教の話なんて聴きたくないよ」と思わ

れる方もいるかも知れませんが、クリスマスということで許してください。



「キリストを愛するとは、すべてを愛することである。

彼とともにすべてを愛するのでなければ、イエス・キリストを愛しているとは言え

ない。私たちはブッダを愛する。この人の誠実さはキリスト教的だから。マホメット

もまたしかり。いのちと愛の足跡を見いだすところなら、どこにおいても人は安ら

ぎを感じるだろう。なぜなら、そこで神に出会うからだ。」



ケンブルの滝、20個以上集まるこの滝の先端に散開星団「NGC1502」(写真では左端やや下

に映っています)があります。この星団までの距離は2680光年。つまり2680年前船出したこの

星団の光がやっと今、地球に到達しているんですね。この地球で2680年前頃というと「ソロン、

釈迦、孔子」が誕生しています。



こんな昔のことを思い浮かべながら夜空の星を見上げるのもいいかも知れませんね。

皆さん、いいクリスマスを。



(K.K)


 




2011年12月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

写真省略

「ハイテク・インディアン」

インディアン・ジョーク第2弾です。

☆☆☆☆

サウナの中に3人のインディアン。ひとりはカイオワ(Kiowa)、もうひとりがポンカ(Ponca)で、

のこるひとりがシャイアンの男だった。



あるときいきなりサウナの中にポケベルの音が鳴り響いた。カイオワの男が自分の手首の

上の部分に軽く触れると呼び出し音がやんだ。他のふたりがいぶかしそうに見つめる中、

カイオワの男が口を開いた。「すまん、おれのポケベルの音だ。腕のここの皮膚の下に

マイクロチップを埋め込んでいるものでね。」



数分後、サウナの中に今度は電話の音が鳴り渡った。ポンカの男が、手のひらを耳に押し

当てた。しばらくそうやって話したあと、おもむろに電話を切ってからこう説明した。「携帯

電話さ。ぼくは手のひらにマイクロチップを埋め込んでいてね」



ふたりの話を耳にして残されたシャイアンの男は思い切り落ち込んだ。自分がとてつもなく

ローテクの人間に思えた。だが彼も負けず嫌いの人間だった。彼はサウナから出てトイレ

にむかった。しばらくしてトイレから出てきたとき、その尻の上に1枚の長いトイレットペー

パーが貼りつけられて揺れていた。



ポンカとカイオワのふたりの男の目がその紙に釘づけになった。するとシャイアンの男が

言った。



「わりい、わりい、見てのとおり、ちょうどファックスが届いてね」



☆☆☆☆



出典は前回同様「インディアンは笑う」という文献からで、インディアン関係の本を多数

出版されている北山耕平さんが収集したもので構成されています。



私のように物思いに耽ってばかりの空想野郎、腹の底から笑い転げたい能天気野朗、

深呼吸をした記憶がない肺なし野朗、笑いの効果に科学的根拠がないと主張するリト

マス野朗にぴったりの笑い転げてしまう本があったら是非紹介してください。



次回は少し真面目な本来の私に戻ります、うーんでも戻れるかどうかは自信がないな。



(K.K)


 




2011年12月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

写真省略

☆☆☆☆

長くネイティブの女性を研究してきた人類学の先生が研究会で成果を発表していた。

「自分の長年の調査によれば」と教授は続ける。「チペワの女性は男性のあとを歩く

傾向にあります。男性のリードに従うのですね。シャイアンの女性は男性の前を歩く

ようです。わたしについて来なさいと、男性を導くのです。クローの女性は男性と並ん

で歩きたがります。そして最後にラコタの女性ですが」



そこで一息ついて呼吸を整えると、彼はこう締めくくった。



「えー、ラコタの女性はですな、どうやら男性を踏んづけていく傾向があります」



☆☆☆☆



このインディアン・ジョークは「インディアンは笑う」という本から抜粋しましたが、皆さん

のご家庭ではどうでしょうか。実はこの本には他にも沢山のジョークが散りばめられて

おり、何度かお腹を抱えて笑ってしまったほどです。



アメリカ社会でも最底辺で生きているインディアンのジョークには、そんな惨めな自分

をも達観しているたくましさが満ち満ちています。イグルーク・エスキモーに残されて

いる格言「遊び方を知る者は、いかなる障害をも、飛び越える。歌うことと、笑うことを

知る者は、いかなる困難にも、挫けない。」は私の大好きな言葉の一つになっています。



多くのものを与えられてばっかりの私ですが、自分で創作した格言があります。この

格言は世界中の男性から熱狂的な支持(ほんまかいな?)を集めました。最後にこれ

を紹介して終わりとします。「男が空を見上げながら夢を語るとき、女はその男の足下

を見ている」



(K.K)


 





2011年12月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

写真省略

チェスをするサン=テグジュペリ

「サン=テグジュペリ 伝説の愛」より写真引用しました。



「星の王子さま」、何度妻からいい本だから読みなさいと言われたことか。でも結局今日まで

読まなかった。何故なんだろう。自分自身が子どもの時代を忘れたかったからか、或いは余

りにも有名な本なので抵抗があったのか、どちらにしても愚かな自分が読めなくしたのは確か

だったんじゃないかなと思う。



でも「星の王子さま」読んでみて、これは何度も別れがあったにも関わらず妻コンスエロへの

ひたむきな愛情というのか憧れに近いものが根底にあると感じてならなかった。私が想像出

来ないくらいの純粋さをもってコンスエロに接してきたからこそ、逆に多くのことに傷ついてき

たんだと思う。



サン=テグジュペリの別の作品「夜間飛行」では、「使命と犠牲」を訴えかけていたと思う。そ

れは第一次世界大戦の敵国であったドイツのパイロットの多くもこの本が好きであり、サン=

テグジュペリを撃墜したパイロットが「彼がサン=テグジュペリだと知っていたら撃たなかった」

と述懐していることからも想像できるかも知れない。1944年に消息不明になった彼の機体が

2003年に発見された。



写真は亡命先のニューヨークで撮られたもの。サン=テグジュペリは友人とチェスをすることで

亡命生活の単調な生活を忘れようとした。サン=テグジュペリがどのようなチェスを指したか、

棋譜が残されていないのでわからないが、「夜間飛行」に倣ってサクリファイス(犠牲)が好き

だったのかも知れないと勝手にこじつけている。



(K.K)


 





2011年12月17日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

写真省略

我が家の屋外にある小さなビオトープです。睡蓮鉢にメダカを泳がせていますが、眺めていると

時間を忘れてしまうことがあり、仕事で疲れたときなどじっと見入っていました。出来るだけ

自然の環境の下で育てたいので、酸素を送り込むポンプや水換えなど一切しておりません。もう

5年経ち、しっかりとバクテリアが定着しているからでしょうか、水は透明感を保ったままです。

冬はメダカは死んだように冬眠していますが、春先には沢山のメダカの子供が産まれます。と

言っても別の容器に移さないと親メダカが食べてしまうことが多いですけどね。うーん、人間に

とっては残酷に見える行為でも、メダカにとっては生き延びるために必要なことなんでしょうね。



(K.K)


 





2011年12月15日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

写真省略

時々ここで双眼鏡で星を見ているのですが、夜は殆ど一人ぼっちで野生の鹿の足音が

近くに聞こえるほど静寂に包まれてしまいます。こんな暗闇にいると、「誰か怖い人が来

たらどうしよう」と思うこともあるのですが、星を見るのに夢中になっているとそんな想い

も少しは消えてしまいます。ところで昨晩、ふたご座流星群を見にこの山に来たのですが、

グループやアベックの車が数台停まっており、「あ、流れた」と大声で歓声を上げていま

した。それが朝の4時まで続いたのですが、微笑ましかったですね。時にはこんな賑やか

なスターウォッチングもいいものだと感じさせられました。流れ星の方は7時間くらいいて

30個ほどでした。月明かりがあったため暗い流れ星は見えなかったためだと思います。

ところで、この季節オリオン座が見えると思いますが、左上のベテルギウスという赤い星

に注目してみてください。近い将来この星が爆発(超新星爆発)する可能性が高まってい

ます。そうなると映画「2001年宇宙の旅?」と同じように2週間の間だけ太陽が2個空に

輝くかも知れません。その目撃者となれればと願っていますが、でも双眼鏡をのぞいて

いるときに爆発したら、失明するのかなと余計な事も心配しています。



(K.K)


 







神を待ちのぞむ

天空の果実


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